とある便利屋の事件簿

板倉恭司

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草太、知らせを受ける

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 どこからか、妙な音が聞こえる。
 一体、何の音だろうか……草太はあくびをし、周りを見回した。それにしても殺風景な部屋だ。女の子らしさは欠片もなく、ちゃぶ台と座布団それにポットが置いてあるだけだ。美桜という人間の性格が、見事に現れている。
 もっとも、この家を訪れる者など、ほとんどいないはず。そのため、美桜は来客に気を遣うということを知らないのだった。

 昨日、草太と黒崎はこの応接間で眠った。硬い床の上での雑魚寝ではあったが、いつの間にか熟睡していたらしい。
 黒崎の方は既に起きており、ひとりで空手の稽古らしきものをしている。さっきから聞こえていたのは音ではなかった。彼の動く気配を、草太は眠りながらも敏感に感じていたらしい。その気配を、音だと勘違いしていたのだ。
 草太はぼんやりしながらも、黒崎の動きを何とはなしに眺めていた。だが、その動きは止まった。

「起こしてしまったか。すまないな」

 ぶっきらぼうな口調の黒崎に、草太は首を横に振った。

「いいよ。どうせ、寝心地も悪かったしな。

 言いながら、草太は上体を起こす。さて、どう動くか……などと考えていた時、寝室のドアが開く。中からユリアが出てきた。

「おうユリア、おはよう」

 草太の言葉に、ユリアは目をこすりながら右手を挙げる。

「お姉ちゃんは?」

 尋ねる草太に、ユリアは両方の手のひらを合わせて見せた。
 その合わせた手を、右頬の横に持ってくる。次いで目をつぶり、顔を傾ける……その可愛らしい動きで、草太は状況を察した。

「お姉ちゃん、まだ寝てるのか?」

 その言葉に、うんうんと頷くユリア。草太は思わず微笑んだ。

「そっか。お姉ちゃんも、しょうがないな。じゃあ、こっちで遊ぼうか」

 こくんと頷いたユリア。だが次の瞬間、その目が丸くなる。何かを見て、衝撃を受けているらしい。
 つられて、草太もユリアの視線の先を見てみる。すると、彼女の驚きの理由が分かった。黒崎がストレッチをしていたのだ。それも両足を百八十度開き、上体をぺたりと床に付けている……まるで体操選手かバレリーナのような柔軟さだ。確実に四十を過ぎた中年男でありながら、ここまでの柔軟性を維持しているのか。
 直後、ユリアも動いた。しゅたたたた……と黒崎の横に移動し、真似して両足を開く。だが当然ながら、黒崎のようには開かない。
 それでもユリアは顔をしかめ、必死の形相で足を開こうとしている。おいおい、大丈夫かよ……と草太が思った時、黒崎が口を開いた。

「ユリア、無理するな。そこまで開けば充分だ。今日は、そこまでにしておけ」

 黒崎の言葉を聞き、ユリアは動きを止めた。いたたた、とでも言いたげな表情で足をさする。

「痛い時は、そこまでにしておけ。無理に開こうとすると、関節を痛めることもあるからな」

 言いながら、黒崎は足を閉じ立ち上がる。

「しかしだ、毎日少しずつでも続けていけば、足は開くようになる。そうすれば、足を高上げることも出来るようになる」

 次の瞬間、黒崎はビュンと上段回し蹴りを放ち、そこで足を止めた。彼の足は、高い位置でピタリと止まっている。見事なものだ。
 ユリアは感嘆の表情を浮かべ、その動きを見ている。草太も、思わず声を洩らしていた。見た目は、ずんぐりした体型の中年男である黒崎。だが、今の動きはアクションスターのようである。

「すげえな、おっちゃん。あんた、やっぱりカッコいいよ。面は不細工だけど」

 言った時、ふと人の気配を感じ横を見る。いつの間に起きたのか、美桜がドアから顔を出していた。さらに、猫のカゲチヨも顔を出す。にゃあ、と挨拶した。

「なんだ美桜、やっと起きたのかよ」

 軽口を叩く草太を、美桜は不機嫌そうに睨んだ。

「何で呼び捨てなの?」

 冷たい声と、不快そうな目付き。こんな表情の美桜は初めて見る。

「えっ?」

 草太は言葉に詰まった。どうやら、美桜は寝起きの機嫌が悪いようだ。まずいと思った草太は、ひとまず逃げることにした。

「い、いや……と、とりあえず俺は出かけるからな。後はよろしく!」

「出かける? こんな朝早くから、何しに行くんですか?」

 悪さをしに行く気か、とでも言わんばかりだ。朝早くと言っているが、時計を見れば既に九時を過ぎている。もっとも、ニートで昼夜逆転している美桜にしてみれば、今は早朝なのだろうが。

「いや、いろいろと情報を仕入れて来ないと……じゃあ、俺は行って来るからな。おっちゃん、二人のことを頼んだぜ」

 そう言うと、草太は出て行こうとした。しかし、その背中に声をかける者がいる。黒崎だ。

「待て。お前がひとりで外をうろうろしていたら、さすがにマズいだろう。俺も行くぞ」

 言いながら、すくっと立ち上がる。だが草太は、首を横に振った。

「おっちゃん、あんたの仕事はユリアを守ることだ。俺のことは守らなくていいよ」

「大丈夫ですよ。いざとなれば、ユリアちゃんは私が守りますから。それに、ここなら向こうも下手なことはしないでしょう」

 美桜が口を挟む。だが、草太は不安であった。奴らは、草太の事務所を探し当てたのである。この家も、安全だとは限らないのだ。

「いや、しかし──」

「忘れたんですか? 私は十年前、あのトンネルの事故を予知したんですよ。危険を察知する力は、草太さんより上です」

 その言葉を聞き、草太は言葉につまる。今まで、ずっと避けていた話題……それを、美桜の方から口にしてくれるとは。
 だが、当の美桜は平然としている。この一件に関わるうちに、彼女は変わったのだ。昔より、ずっと強くなった……草太は改めて、その事実を思い知らされた気がした。
 さらに、ユリアも前に出て来る。彼女は草太に向かい、勇ましい表情で両拳を挙げ構えて見せた。
 一瞬、草太は戸惑った。何をしているのだろうか? だが、ユリアの言いたいことをすぐに察し、ニコリと微笑む。

「そうか。ユリア、変な奴が来たら、おっちゃんに習った空手でぶっ飛ばしてやるんだぞ」

 そう言うと、草太は黒崎の方を向いた。

「おっちゃん、行こか」

 だが、今度は美桜が止めに入る。

「待ってください。二人とも、朝ごはんは食べましたか?」

「いや、食べてないけど」

「じゃあ、まずは朝ごはんを食べていきなさい」

 まるでお母さんのような態度で、美桜は言った。横にいるユリアも、うんうんと頷く。草太は苦笑し、ちゃぶ台の前に座った。



 皆で朝ごはんを食べた後、草太と黒崎は軽トラに乗り込んだ。一応は警戒して周囲をチェックしてはみたものの、外には怪しげな者の姿はなかった。今のところ、美桜の家は安全であるらしい。

「さて、これからどうするのだ?」

 黒崎が尋ねる。

「まずは、事務所が今どうなってるか見てみたいんだよ。あそこは俺の家だからな。まあ、今ごろは荒らされちまってるだろうけどよ……」



 しかし意外にも、事務所の中は綺麗なものだった。草太は漠然と、泥棒が荒らした後のような足の踏み場も無い状態を想像していたのである。
 ところが入ってみると、引っ越した時とさほど変わっていない。草太は意表を突かれた気分で、慎重にあちこちを見回してみる。

「おっちゃん、奴らは来なかったのかな?」

 草太は振り向き、ドアの前にいる黒崎に尋ねた。

「いや、恐らく一度は来たはずだ。しかしユリアがいないのを確認し、さっさと引き上げたのだろう。あんな人相の悪い外国人が、大勢で長時間うろうろしていては通報されるかもしれんからな」

 その言葉を聞き、草太は頷いた。

「なるほど、それもそうだな。じゃあ、次は公園に行こうか」

「公園?」

 怪訝な表情を見せる黒崎に向かい、草太はニヤリと笑う。

「ああ、ちょっと作戦を考えたんだ」



 一時間後、草太は流九公園のベンチに腰かけていた。スマホをいじりながら、わざとらしく周囲を見回す。時おり立ち上がっては、大きな動作であくびなどをする。
 たまに、近所の奥さんや職業不詳のおっさんやニートの青年などが通りかかる。草太をちらりと見るものの、興味もなさそうに視線を逸らして歩いていく。

 さらに一時間が経過した時、滑り台の中に潜んでいた黒崎が姿を現した。

「便利屋……悪いが、この作戦は上手くいきそうもないぞ。やるなら、夜の方がいいのではないか?」

「た、確かにそうだな」

 そう言って、頭を掻いた。草太の計画では、ひとりでいる姿を見て、ロシア人が襲いかかって来る。その時、隠れていた黒崎が叩きのめして他の場所に連れて行き、脅して相手方の情報を得る……というものだった。
 しかし考えてみれば、草太がここにいたからといって、襲ってくるとは限らないのだ。
 ロシア人たちの目的は、あくまでもユリアなのである。ユリアがいないとなると、白昼堂々、公園という人目に付きやすい場所で草太を襲うメリットは無い。

「仕方ねえなあ。おっちゃん、昼飯でも食うか」



 二人は、流九公園のベンチに腰かけた。コンビニで買ってきた弁当を、並んで食べ始める。一見すると、ごく普通の光景に見える。しかし、草太は少しだけ緊張していた。これから黒崎に、ひとつの提案をするためだ。

「なあ、おっちゃん。この件が片付いたら、あんた何するんだよ?」

 弁当を食べながら、草太は尋ねた。

「えっ……まあ、前と同じだ。ホームレスに戻るしかあるまい」

 不意に投げかけられた質問に、黒崎は戸惑いながらも言葉を返した。
 だが、その後の問いは黒崎をさらに困惑させるものだった。

「おっちゃん、俺の仕事を手伝う気はないか?」

 草太からの質問は、予想外のものであった。黒崎は咄嗟に言葉を返せず、黙り込んでしまった。
 ややあって、口を開く。

「お前、何を言っているんだ?」

「おっちゃん、俺の仕事もいろいろあるんだよ。時には、ストーカーに話をつけてくれ……とか、同棲していたチンピラの元カレの家に荷物を取りに行きたい……みたいな依頼もある。そんな時、おっちゃんみたいな凄腕がいてくれると、非常に助かるんだよ。大した額は出せないけどな」

 そう言うと、草太は顔を上げて、さらに言葉を続ける。

「俺は、ただの便利屋だ。他人に偉そうなことを言える立場じゃない。でも、これだけは分かるよ。おっちゃん、あんたはホームレスのまま人生を終えたらダメだ。あんたには、もっとふさわしい生き方がある」

 草太の顔は真剣そのものだった。その目には、普段とは違う感情が浮かんでいる……黒崎は、思わず目を逸らしうつむいた。
 ややあって、ポツリと呟く。

「お前の気持ちはありがたい。だが、無理だ」

「はあ? 何でだよ?」

「お前はわかっているのか? 俺は前科者だ」

「だから何だって言うんだ?」

 憤然とした表情を浮かべる草太に向かい、黒崎は笑みを浮かべる。
 だが、それは自嘲の笑みだった。

「もし俺に前科があることが、他の者に知られたらどうなる?」

「えっ……」

 草太は言葉につまった。黒崎が何を言わんとしているのか、ようやく理解したのだ。

「人の口には、戸は建てられん。従業員の俺が前科者だと、ひとりの人間に知られたら……その情報は、あっという間に町中に広まるだろう。いや今の時代なら、ネットを通じて全国に広まる。結果、お前に迷惑をかけることになる。客商売には致命的だろうが」

 一切の感情を交えず、淡々とした口調で語る。ムッとなった草太は言い返そうとした。だが、何も言葉が出てこない。
 黒崎の言っていることは正しい。それが、世の中の真実なのだ。人間は時として、些細なことで他人を貶めて悦に入る。かつては、美桜がその犠牲になったではないか。


 下を向き、黙りこむ草太。その時、彼のスマホに着信があった。誰かと思えば、情報屋の名取淳一だ。

「名取さん、どうしたんです?」

 沈んだ気持ちを振り払うため、出来るだけ明るい口調で尋ねる草太。いつもは、うっとおしいだけの存在ではある名取。しかし、今は彼との話がありがたかった。
 しかし、名取からの話は完全に予想外のものだった──

(いいか草太、落ち着いて聞けよ。中田が見つかったんだ)

 名取から、とんでもない言葉が返って来る。草太は驚愕の表情を浮かべ、慌てて言葉を返した。

「えっ!? 中田さんがですか!?」

(ああ。しかも中田だけじゃねえ。ユリアの母親も一緒だ。二人とも無事だったんだよ。まあ、俺じゃなければ見つけ出せなかったろうな)

 いつものように、自身の有能さを必要以上にアピールする名取の言葉が聞こえてきた。普段なら、面倒くせえと思うところである。
 だが、今日は違う。草太は思わず息を呑んでいた。

「ほ、本当ですか?」

(ンなことで嘘吐いてどうすんだよ。しかも中田の奴、ユリアを連れて来いって言ってんだよ。悪いんだけどな、ユリアを連れて来てくれるか? ユリアを母親に会わせてやってくれって、中田がうるせえんだよ)

「えっ、ええ……構いませんが、どこに行けばいいんです?」

(流九市の外れにある倉庫だ。ほら、高校の時に俺たちの溜まり場だった、あのボロい倉庫だよ。夜の八時ごろ、あそこに来ることになってるんだ。だから、今晩のうちに連れて来てくれねえかな?)

「分かりました。では今夜八時にユリアを連れて、そちらに行きますよ」

 電話を切ると同時に、黒崎が口を開く。

「便利屋、ユリアの母親が見つかったのか?」

「ああ、そうらしい……」

 草太は、そこで言葉を止めた。何故かは分からないが、急激に胸の奥に膨れ上がってきたものがある。
 それは、嫌な予感としか表現のしようの無いものだった。しかし、草太にとって無視できないものでもあった。そう、何か変な気がする……。

「おい、どうかしたのか?」

 草太の様子に違和感を覚えたのか、黒崎は怪訝な表情で尋ねてきた。
 だが、草太には何も言えなかった。この話、何かおかしい気がするのだ。具体的にどこが変なのかは言えないが……それでも、見逃せない何かを感じる。
 かといって、名取の話を嘘と決めつけることも出来ない。
 名取は情報屋である。つまり情報は、あの男にとって商売道具なわけだ。嘘の情報を流すような真似はしないだろう。
 その上、中田に関する情報は、今のところ名取のものだけしかない。真偽を確かめるには、彼の言う通りにするしかないのだ。
 草太は考えた。万一の事態を想定し、どうすればユリアを守れるかを……。

 やがて、草太は顔を上げた。真剣な表情で、黒崎を見つめる。

「おっちゃん、あんたに頼みがある。すまないが、俺の言う通りにしてくれ。あと、このことは美桜には内緒にしといてくれ」




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