裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~

めぐみ

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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~54

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 央明はミリョンに言った。
「眼許に入れる粉を取って」
 ミリョンが収納箱から小さな陶器の器を取り、央明に渡す。央明は小さな刷毛で器の粉を掬い、チェリの上瞼に薄く塗った。
「チェリ、ちょっとだけ眼を閉じていて」
 チェリが眼を閉じている間に、央明はチェリの上瞼に塗った粉を指でのばしてゆく。
 仕上げは口紅だ。今度はまた別の器をミリョンが手渡し、央明は紅筆を使い、チェリの唇に桜色の紅を丁寧に塗った。
「どう?」
 央明が鏡の中のチェリに問いかける。
「頬紅を塗らない代わりに、眼の上に色をつけたの。これで眼がいつもより大きく見えるし、明るい色ではなく青色だから、大人っぽく見えるのよ。唇に乗せる紅はあまりに派手すぎるとかえって嫌みだし下品になるのよ。チェリは可愛らしいのが魅力だから、このくらいの薄紅色が似合うと思うの」
 チェリが鏡の中の自分を見つめて呟いた。
「私、別人みたい」
 また取り巻きの女中たちがドッと笑った。女中頭が笑いながら言う。
「本当だ、チェリ、まるで両班のお嬢さまみたいに綺麗だよ」
 傍らの三十ほどの女中もしきりに頷いている。
「奥さまの腕にかかりゃア、どんな醜女(ブス)だって都一の美人になれますよう」
「それを言うなら、都一じゃなくて朝鮮一だろ」
 女中頭がつつき、
「そりゃそうだ」
 と、中年の女中も賑やかな笑い声を上げた。和気あいあいと愉しげな雰囲気だ。
 央明がこの女中たちの女主人となってまだ三日しか経っていない。だが、早くも彼女は八人いる女中たちを老若問わず手なずけてしまったようだった。
 女中頭が声を上げた。
「それじゃ、次は私の番さね」
 そろそろ五十に手の届こうかという女中頭は十六のチェリよりも嬉しげにいそいそと鏡台の前に座り込んだ。
 チュソンはそこでそっと足音を忍ばせて屋敷の方へと向かったのだった。  
 自室でチョンドクの介添えで着替えを済ませた。チョンドクはチュソンの結婚に伴い、自ら志願して新居で今まで通り奉公することになった。妻は彼とは別に父ジョンハクの屋敷で働いている。
 チュソンはチョンドクに父の屋敷で働けば良いと何度も言ったのだ。恋女房と引き離すのは忍びなかった。だが、チョンドクは笑って言った。
ー別に、こちらのお屋敷に仕えるからって、女房と別れるわけじゃありませんよ。今まで通り家に帰れば、あいつやガキの顔を見られるんですから。
 というわけで、チョンドクは通いで新居へと勤めている。
ーあっちへずっといれば、いずれ使用人頭にもなれただろうに。
 チョンドクの父もまた羅家の執事を務めていた。
ー俺には執事になるより、ずっと若さまのーいや、旦那さまのお側でお仕えする方が大事なんです。
 その後、チョンドクが白い歯を見せた。
ーそれに、今でも旦那さまはガキの頃と同じで危なっかしいところがあるから、俺がお側にいなきゃならねえ。
ーこいつ、失礼なヤツだな。
 チュソンが睨むと、チョンドクは大笑いしていた。
 自分はつくづく恵まれていると思うのは、こんなときだ。生涯の想い人、かけがえのない友であり側仕えがいてくれる。
 同じ日の夕刻、チュソンはふと思い立って央明の居室に脚を向けた。どうせ夕食は二人向かい合って食べるのだ。チュソンの室で食べることもあれば、央明のところで食べることもあった。
 こんな風に、突然、妻の顔を見たくなるときがある。央明と過ごす時間は、とても心地良いひとときだ。彼女は女性ながら、チュソンを唸らせるほどの博識家でもあった。
 また初夜に交わした会話のように、今のこの国の階級差についても疑問を抱いている。
 殊に朝鮮の未来のあるべき姿について、彼女と議論を交わすのは面白かった。あの可愛らしい口から難しげな政治用語がポンポンと勢いよく飛び出すのを聞くのは心躍った。
 話をしたついでに、今日は妻の室で夕食を取っても良い。
 チュソンと央明は、あれから寝所はずっと共にしている。もちろん、二人は手を繋ぎ合って眠るだけで、男女の契りはいまだ交わしてはいなかった。
 チュソンは女嫌いというわけでもない。自分を聖人君子だと思ったこともなかった。若い娘と共に枕を並べて眠る夜、何も感じないはずもなく、殊に隣で眠るのは八歳のときから恋い焦がれた初恋の娘だ。
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