裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~

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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~59

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 チュソンは妻にばかり気を取られており、他の女など眼中にない。すっきりと蒼の道袍を着こなしたチュソンは実のところ、かなり人目に立つ貴公子であった。だが、チュソン自身は自分が良い意味で人目を引くとまるで自覚がない。それは彼が天才と畏怖されるほど頭脳明晰である自覚がないのと同じだ。
 ただ、彼女たちはチュソンの側にいる央明をも見逃してはいなかった。嘉礼の翌朝、央明は後ろで編んで垂らしていた髪を既婚婦人らしく結い上げた。今日の彼女のいでたちは紅色の上衣に緑のチマを合わせている。上衣には金糸で細やかな刺繍が全面に施され、ふんわりと花びらのようにひろがったチマは濃い緑の布地の上に淡い緑の紗を重ねて二枚仕立てにしている。
 いかにも良家の若夫人らしい装いは、十八歳という央明の若さと初々しさを引き立てていた。彼女たちはチュソンをしばらくチラチラと未練がましく見ていたが、傍らの央明を見て肩をすくめて行ってしまった。
 彼女たちも既婚者に血道を上げても仕方ないと知っていたのだ。
 彼女たちに気の毒なくらい、チュソンは央明しか見ていない。今も鮮やかな緑のチマが白い肌によく映えると、妻を恍惚りと眺めていた。
 多分、妻は緑が好きなのだろう見当をつけている。日々の衣装は必ず緑が入っているから、婦人の装いには無頓着なチュソンでも流石に気がつくというものだ。
 ふと気づけば、央明は一点を食い入るように見つめていた。チュソンは妻の視線の先を追った。
 そこには、簪(ピニヨ)が整然と並んでいる。大きな玉石が一つついたシンプルな意匠(デザイン)から、花の形に彫り込まれた凝ったものまである。
 チュソンは央明に言った。
「結婚して初めての逢瀬(デート)だ。何か記念に買おう」
 我ながら逢瀬などという言葉を使うのは、顔が赤らむほど照れくさかった。それでも、央明相手にその言葉を使えるのがまた嬉しいとくるのだから、救いようがない。
 重ねて央明に問うた。
「どれが良い?」
 しかし、央明は首を振るばかりだ。
 彼は妻がずっと眺めていた簪を見た。一風変わった意匠で、小さな花を模した玉が連なり、同じ連なりが垂れ下がった感じでたくさん付いている。
 チュソンは露台に近づき、その簪を手に取った。小さな花がたくさん連なった様は、藤棚から垂れ下がった白藤に酷似している。
 なかなか凝った作りで、小さな花はあるものは真珠、あるものは黄玉(ホワイトトパーズ)で出来ていた。
 チュソンは気軽に店主に訊ねた。
「これは藤の花に見立てているのだろうか」
 小柄な中年男は小さな顔一杯に愛想笑いを浮かべている。
「流石、旦那はお眼が高いでやすね。都でも名の知れた工房の熟練した職人が拵えた値打ち物でさ。どうです、丁度、今の季節にもぴったりだ。美しい奥方さまにお一ついかがでやしょ」
 揉み手をせんぱかりの口上に、チュソンは苦笑いしかない。それでも、妻を褒められれば悪い気はしなかった。彼は袖から空色のチュモニを取り出し、店主に金子を渡した。
 男は威勢の良い声を上げた。
「毎度ありがとうごさいます。ただ今、当店でお買い上げのお客さまには巾着も差し上げてるんで」
 簪を入れるための桜色の巾着も出そうとするのに、チュソンは手を振った。
「いや、これはすぐに使うから」
「そうですか、じゃあ、少し負けときますよ」
 と、釣り銭を返してよこした。
 央明は、チュソンの背後に隠れるようにして立っている。店主は伸び上がるようにして、央明にも声をかけた。
「美人の奥さま、是非とも当店をご贔屓にお願いしますよ」
 央明は喋るどころか、ニコリともしない。内心では随分と愛想がないお高く止まった奥方かと思ったに違いないが、表に出すほど愚かな店主ではなかった。
 昼過ぎとあり、通りを行き交う通行人はますます増えたようだ。
「こちらへ」
 チュソンは人々の邪魔をせぬよう、央明を促し道の端へ移動した。先刻、買ったばかりの簪をそっと央明の結い上げた黒髪に挿してやる。
 一瞬、央明が何事かと警戒するように振り返った。チュソンが宥める口調で言う。
「簪を挿しただけだよ」
 央明がごく自然な仕草で、髪に手を当てた。
 チュソンは優しく微笑んだ。
「央明の好きな白藤を象っているそうだ」
 央明がプイと顔を背けたが、耳朶が薄く色づいている。拗ねているのではなく、照れているらしい。
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