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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~67
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母がハッと呆れたように鼻を鳴らした。
「馬鹿を申すでない。本が泣いたりするものか」
「いいえ、物言わぬ本にも心があります。これを書いた人、作った人、一冊の本ができるまでには、たくさんの人の力が必要です。幾つもの工程を経ているのです」
母は理解できないと言いたげな表情で立ち上がり、央明に迫った。
「そのようなもの、こうしてやる」
母は央明から無理に本を取り上げ、更に粉々になるまで引き破った。
「お止め下さい、止めて」
央明が涙混じりに叫び、母に取り縋ろうとする。既に書物は塵にも等しくなっていた。
母は今度は央明の髪をつかみ、引き据えた。弾みでチュソンが贈った白藤の簪が抜け、床に転がる。
母は央明の肩を両手で掴み、烈しく揺さぶった。
「そなたは疫病神だ! そなたさえいなければ、息子はこの国の明日を担う官僚として輝かしい道を歩むはずだった。そなたのせいで、我が家門は鳴かず飛ばずの運命を辿ることになったのだ」
央明は一切の抵抗をしなかった。ただ母のなすがままにされ、央明のか細い身体は意思の無い操り人形のようにガクガクと揺れている。
到底見ていられない。チュソンは素早く母の背後に回り、母を背後から抱き留めた。
「母上、しっかりなさって下さい。央明は国王殿下のご息女ですよ? この仕打ちを殿下がお知りになれば逆鱗に触れ、我が家は啼かず飛ばすどころではなくなります」
国王を持ち出したのは正解だった。しばらくもがいていた母が急に動きを止めた。
チュソンの前で、母は両手で顔を覆って号泣した。
「どうせ頂くなら、中殿さまのお産み奉った公主さまであればまだ我慢できたものを。王女と名はついても、我が家に嫁した嫁は日陰の姫と呼ばれ、王室で厄介者扱いされてきた者ではないか。翁主を産んだ側室が早死にしたのも、疫病神を産んだからだと専らの噂だ。王室でも翁主は持て余していた存在であった。今頃は厄介払いできて、皆様、清々しておられることだろう」
もう、許せない。チュソンは怒鳴った。
「母上、良い加減になされ。我が妻は厄介者でも疫病神でもありません。央明は私にとっては、かけがえのない宝に等しき妻なのですから」
この際、はっきりさせておかなければならない。
「母上、この際ですから申し上げます。同じ屋敷に暮らしているならともかく、この屋敷の当主はあくまでも私であり、女主人は私の妻たる央明です。我が屋敷の采配は央明が思うようにやりますし、母上が口を挟むべき筋合いではありません。私たち夫婦は私たちのやり方があるのです。いかに母上といえども今後は、無用な口出しはご遠慮頂きたい」
母の美しい面が蒼褪めた。
「チュソンや、そなたがこの母に向かって、そんな残酷なことを言うなんて」
母がワッと泣きながら室をまろぶように出ていった。
後には救いようのない沈黙だけが残された。床には母が引き裂いた書物の紙片が散らばっている。その傍らには、白藤の簪がうち捨てられたかのように転がっていた。
央明が緩慢な仕草で身を起こし、床に散った紙片をかき集めた。大粒の涙が次々にしたたり落ち、床に数え切れない滲みを作った。
「済まぬ」
何と言って詫びて良いやら判らなかった。
チュソンは央明を引き寄せ、胸に強く抱きしめた。このときばかりは央明も逃げようとはせず、チュソンの広い胸に顔を埋めている。
かすかなすすり泣きが洩れ、か細い身体が小刻みに戦慄いていた。
チュソンは央明を抱き寄せながら、彼女の髪を撫でた。
母のぶつけた言葉のつぶては、どれだけ央明を傷つけただろう。
「私が不甲斐ないばかりに、そなたをこれ以上ないほど哀しませることになった。甲斐性のない私を許してくれ」
耐えかねたのか、央明の泣き声が高くなった。声を上げて泣く妻をいっそう強く抱いた。
央明の立場はチュソンが考える以上に、不安定なものだった。王妃だけでなくチュソンの母までもが彼女を〝日陰の姫、王室の厄介者〟と言い切ったのである。つまるところ、世の大半は央明をそのような色眼鏡で見ていたということだ。
羅氏の一族たる自分に国王が娘を託した背景には、ひとえに不安定な立場の娘に今度こそ安息の場所を与えてやりたかったからだ。
だが、嫁して王室を出てもなお、央明の立場は覚束ない。央明を幸福にできるのは彼女の良人であるチュソンしかいない。
そのことを、チュソンは改めて突きつけられた想いだった。
ー彼女の笑顔は自分が守る。
十年前のあの日、幼な心に誓ったあの決意を彼は今、新たに心に強く刻み込んだ。
見えない敵が眼前にいるかのように、チュソンは挑むような視線を前方に向ける。彼は妻の乱れた髪を労りを込めて撫で続けた。
(前編・了)
「馬鹿を申すでない。本が泣いたりするものか」
「いいえ、物言わぬ本にも心があります。これを書いた人、作った人、一冊の本ができるまでには、たくさんの人の力が必要です。幾つもの工程を経ているのです」
母は理解できないと言いたげな表情で立ち上がり、央明に迫った。
「そのようなもの、こうしてやる」
母は央明から無理に本を取り上げ、更に粉々になるまで引き破った。
「お止め下さい、止めて」
央明が涙混じりに叫び、母に取り縋ろうとする。既に書物は塵にも等しくなっていた。
母は今度は央明の髪をつかみ、引き据えた。弾みでチュソンが贈った白藤の簪が抜け、床に転がる。
母は央明の肩を両手で掴み、烈しく揺さぶった。
「そなたは疫病神だ! そなたさえいなければ、息子はこの国の明日を担う官僚として輝かしい道を歩むはずだった。そなたのせいで、我が家門は鳴かず飛ばずの運命を辿ることになったのだ」
央明は一切の抵抗をしなかった。ただ母のなすがままにされ、央明のか細い身体は意思の無い操り人形のようにガクガクと揺れている。
到底見ていられない。チュソンは素早く母の背後に回り、母を背後から抱き留めた。
「母上、しっかりなさって下さい。央明は国王殿下のご息女ですよ? この仕打ちを殿下がお知りになれば逆鱗に触れ、我が家は啼かず飛ばすどころではなくなります」
国王を持ち出したのは正解だった。しばらくもがいていた母が急に動きを止めた。
チュソンの前で、母は両手で顔を覆って号泣した。
「どうせ頂くなら、中殿さまのお産み奉った公主さまであればまだ我慢できたものを。王女と名はついても、我が家に嫁した嫁は日陰の姫と呼ばれ、王室で厄介者扱いされてきた者ではないか。翁主を産んだ側室が早死にしたのも、疫病神を産んだからだと専らの噂だ。王室でも翁主は持て余していた存在であった。今頃は厄介払いできて、皆様、清々しておられることだろう」
もう、許せない。チュソンは怒鳴った。
「母上、良い加減になされ。我が妻は厄介者でも疫病神でもありません。央明は私にとっては、かけがえのない宝に等しき妻なのですから」
この際、はっきりさせておかなければならない。
「母上、この際ですから申し上げます。同じ屋敷に暮らしているならともかく、この屋敷の当主はあくまでも私であり、女主人は私の妻たる央明です。我が屋敷の采配は央明が思うようにやりますし、母上が口を挟むべき筋合いではありません。私たち夫婦は私たちのやり方があるのです。いかに母上といえども今後は、無用な口出しはご遠慮頂きたい」
母の美しい面が蒼褪めた。
「チュソンや、そなたがこの母に向かって、そんな残酷なことを言うなんて」
母がワッと泣きながら室をまろぶように出ていった。
後には救いようのない沈黙だけが残された。床には母が引き裂いた書物の紙片が散らばっている。その傍らには、白藤の簪がうち捨てられたかのように転がっていた。
央明が緩慢な仕草で身を起こし、床に散った紙片をかき集めた。大粒の涙が次々にしたたり落ち、床に数え切れない滲みを作った。
「済まぬ」
何と言って詫びて良いやら判らなかった。
チュソンは央明を引き寄せ、胸に強く抱きしめた。このときばかりは央明も逃げようとはせず、チュソンの広い胸に顔を埋めている。
かすかなすすり泣きが洩れ、か細い身体が小刻みに戦慄いていた。
チュソンは央明を抱き寄せながら、彼女の髪を撫でた。
母のぶつけた言葉のつぶては、どれだけ央明を傷つけただろう。
「私が不甲斐ないばかりに、そなたをこれ以上ないほど哀しませることになった。甲斐性のない私を許してくれ」
耐えかねたのか、央明の泣き声が高くなった。声を上げて泣く妻をいっそう強く抱いた。
央明の立場はチュソンが考える以上に、不安定なものだった。王妃だけでなくチュソンの母までもが彼女を〝日陰の姫、王室の厄介者〟と言い切ったのである。つまるところ、世の大半は央明をそのような色眼鏡で見ていたということだ。
羅氏の一族たる自分に国王が娘を託した背景には、ひとえに不安定な立場の娘に今度こそ安息の場所を与えてやりたかったからだ。
だが、嫁して王室を出てもなお、央明の立場は覚束ない。央明を幸福にできるのは彼女の良人であるチュソンしかいない。
そのことを、チュソンは改めて突きつけられた想いだった。
ー彼女の笑顔は自分が守る。
十年前のあの日、幼な心に誓ったあの決意を彼は今、新たに心に強く刻み込んだ。
見えない敵が眼前にいるかのように、チュソンは挑むような視線を前方に向ける。彼は妻の乱れた髪を労りを込めて撫で続けた。
(前編・了)
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