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《第1章》 仔猫と湖
北へ 3
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二三歳のクロードと縁組みするには、一五歳のサーラの方がもちろん年の上では適している。王家は、当然サーラがクロード・ディーリアに嫁ぐものとして話を進めようとした。しかし、肝心のサーラが頑として拒絶した。
内々の話ではあったが、サーラには領土内の貿易商の息子との縁談があったからだ。
身分差のためにまだ公に周知されていなかったが、公爵家の出入り商人で、国外にも多く拠点をもつ才覚のある一家の総領息子だった。サーラ、エリー、兄のルハンとは子供のころからの幼なじみである。二人は想いあって結婚を決め、来年の春にあげる式のための準備が、水面下で着々と進行していた。
海の人魚が空の天使に恋して生まれた娘。姉のサーラは美しい異名をもち、王都でもその名が囁かれるほどの容色だった。
窮地に立たされたのはメッシーア公爵夫妻である。
親として娘の気持ちを親として後押ししたいのもあったが、婚約相手の商家は、外国から様々なものを輸入してくる目利きである。輸入されるもののなかには、武器や新技術といった国力に直結するものも含まれており、公爵家としては是が非でも結びつきを深めておきたかった。
クロード・ディーリアとの縁談が来てから泣きくらしているサーラを傍で見ていたエリーは、姉がかわいそうで仕方なくて、つい言ってしまったのだ。
「わたしが行くわ。だって雪がふる場所で暮らしてみたいの」
エリーはつい先月一三歳になったばかり。機敏にかがやく黒く大きな瞳は美しいが、どちらかというと少年の快活さだった。体も育ちきっておらず、つい二年前まで城内の少年たちにまじって海辺で剣の稽古をしたり木登りをして遊んでいたので、輪郭もほっそりとしている。髪の長さだけが女性らしさを示していた。舞踏会にもまだ出ていなかったので、他の領地ではほとんど知られていなかった。
「サーラ姉さまは、王都に行っても寒くて風邪ばかりひいていたじゃない。ガラティアは都よりもっと寒いんでしょ。そんなところで姉さまが生きていける訳ないわ。だからお父様、わたしが行く」
ちょっと隣の領地まで馬を飛ばして行ってくるわ――そんな気軽さでエリーは気負いなく言ってみせた。難しいことはまだ理解が追いつかないが、自分がガラティアに行きさえすれば、万事おさまるのは見えていたからだ。
父は、「本当にいいのか?」と再度エリーの覚悟をきいた。「元王子で現王弟とはいえ、ガラティアは錯綜した政治情勢にある。そんな場所に本当はエリーもサーラもやりたくないんだ」
「はい」
神妙な顔でエリーは頷いた。「どちらかが行かないと父さまの立場が悪くなるんでしょう。姉さまよりわたしの方が強いから、多分なんとかなります」
二か月前の自分の決意を、エリーは後悔していない。
――だけど、一人きりでガラティアに行くことになるとまでは思わなかった。これからも一人ぼっちのままかしら。
ジャンヌに髪を結ってもらいながら、エリーは沈みこんでいた。
ジャンヌとはお世辞にも相性が良いとは言えない。十日前、最初に王都で顔をあわせたとき「お姉様のサーラ様には、あまり似ていらっしゃらないのですね」と暗に容姿をけなされたことからはじまり、王宮の侍女だったジャンヌは南の公爵領の作法をことごとく見下ろした態度に出て、エリーを少なからず傷つけた。
たとえエリーのほうが身分が上であろうと、二〇も年上の彼女と一対一の状況では、対抗のしようがない。
しかも、自分はガラティアでも歓迎されていない花嫁だ。夫となるクロードは、多少なりとも優しさを向けてくれるだろうか。
自分で選んだこととはいえ、エリーは気が重かった。
内々の話ではあったが、サーラには領土内の貿易商の息子との縁談があったからだ。
身分差のためにまだ公に周知されていなかったが、公爵家の出入り商人で、国外にも多く拠点をもつ才覚のある一家の総領息子だった。サーラ、エリー、兄のルハンとは子供のころからの幼なじみである。二人は想いあって結婚を決め、来年の春にあげる式のための準備が、水面下で着々と進行していた。
海の人魚が空の天使に恋して生まれた娘。姉のサーラは美しい異名をもち、王都でもその名が囁かれるほどの容色だった。
窮地に立たされたのはメッシーア公爵夫妻である。
親として娘の気持ちを親として後押ししたいのもあったが、婚約相手の商家は、外国から様々なものを輸入してくる目利きである。輸入されるもののなかには、武器や新技術といった国力に直結するものも含まれており、公爵家としては是が非でも結びつきを深めておきたかった。
クロード・ディーリアとの縁談が来てから泣きくらしているサーラを傍で見ていたエリーは、姉がかわいそうで仕方なくて、つい言ってしまったのだ。
「わたしが行くわ。だって雪がふる場所で暮らしてみたいの」
エリーはつい先月一三歳になったばかり。機敏にかがやく黒く大きな瞳は美しいが、どちらかというと少年の快活さだった。体も育ちきっておらず、つい二年前まで城内の少年たちにまじって海辺で剣の稽古をしたり木登りをして遊んでいたので、輪郭もほっそりとしている。髪の長さだけが女性らしさを示していた。舞踏会にもまだ出ていなかったので、他の領地ではほとんど知られていなかった。
「サーラ姉さまは、王都に行っても寒くて風邪ばかりひいていたじゃない。ガラティアは都よりもっと寒いんでしょ。そんなところで姉さまが生きていける訳ないわ。だからお父様、わたしが行く」
ちょっと隣の領地まで馬を飛ばして行ってくるわ――そんな気軽さでエリーは気負いなく言ってみせた。難しいことはまだ理解が追いつかないが、自分がガラティアに行きさえすれば、万事おさまるのは見えていたからだ。
父は、「本当にいいのか?」と再度エリーの覚悟をきいた。「元王子で現王弟とはいえ、ガラティアは錯綜した政治情勢にある。そんな場所に本当はエリーもサーラもやりたくないんだ」
「はい」
神妙な顔でエリーは頷いた。「どちらかが行かないと父さまの立場が悪くなるんでしょう。姉さまよりわたしの方が強いから、多分なんとかなります」
二か月前の自分の決意を、エリーは後悔していない。
――だけど、一人きりでガラティアに行くことになるとまでは思わなかった。これからも一人ぼっちのままかしら。
ジャンヌに髪を結ってもらいながら、エリーは沈みこんでいた。
ジャンヌとはお世辞にも相性が良いとは言えない。十日前、最初に王都で顔をあわせたとき「お姉様のサーラ様には、あまり似ていらっしゃらないのですね」と暗に容姿をけなされたことからはじまり、王宮の侍女だったジャンヌは南の公爵領の作法をことごとく見下ろした態度に出て、エリーを少なからず傷つけた。
たとえエリーのほうが身分が上であろうと、二〇も年上の彼女と一対一の状況では、対抗のしようがない。
しかも、自分はガラティアでも歓迎されていない花嫁だ。夫となるクロードは、多少なりとも優しさを向けてくれるだろうか。
自分で選んだこととはいえ、エリーは気が重かった。
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