政略結婚しましたが、王子は愛人に夢中です!

クリオネ

文字の大きさ
21 / 110
《第2章》 ワルツの成果

セレナ 1

しおりを挟む
 バイオリンの甘い音色が、テンポの速い異国のメロディーを奏でている。

 軽快さと哀愁が背中あわせにひるがえっていく独特の音階。北風と冬の鳥が踊っているような情景を想起させる。

 旋律にかさなるのは、手拍子だ。パン、パン、パン、パンという切れのいい拍子にあわせて「一、二、三、一、二、三。そこでターン!」と張りのある涼やかな声が飛ぶ。

「もっと! あと拳一つ分は左足伸びる。最後の三小節、背中のカーブ意識して。綺麗に見せて!」

 曲はゆるやかに終幕となり、長く余韻をひいた。

「はい。今日はここで終わり」

 楽師が肩から楽器をおろすと、手拍子を刻んでいた女性はピリオドを打つように歯切れよく言った。

 すると、広間の中央で腕を高くかかげて締めのポーズをとっていたエリーは、全身の力を抜き、大理石の床にへたり込んだ。顔が上気している。

「疲れました。もう暑いし、汗が……セレナ様、踊っているときどうして汗ひとつかかないの」
「練習量と慣れ、かしら。物心ついたときには既に踊ってたから、踊ってるときの状態に合わせるよう、体が自然と調整しているのかもしれないわ」

 思案しながら、セレナはゆっくりと答える。ガラスの小卓に置かれていたレモネードのグラスを二つとると、彼女は一つをエリーに、一つを楽師に手渡した。小卓の上には、焼き菓子も用意されていた。

「ありがとうございます」エリーは手巾で汗をぬぐいながら受けとると、レモネードを一気に喉に流しこんだ。「美味しい。わたし、練習よりも終わったあとのこの時間が好きだから続けてられるのかも」
「私もそうよ」

 ふふっと、淡い翡翠色の瞳でセレナは笑いかけた。

 この人に微笑みかけられると、嬉しくて、同時に胸がしめつけられるような切ない気分になる、とエリーはいつも思う。

 セレナから北方舞踊のレッスンを受けるようになって、もうすぐ五年が経とうとしていた。エリーは一七歳になっていた。

 五年前のあの冬の朝が、一つの転機だった。

 氷点下の湖に落ちたとき、エリーはなかなか呼吸を取りもどさずに危険な状態にいたった。当時、エリーよりも小柄だったジェイだけで、毛皮を着たまま転落したエリーを引き上げるのに、時間がかかったからだ。

 城の大人たちが湖に駆けつけたのは、ジェイが陸地にエリーをやっとのことで引っぱりあげ、人工呼吸も済ませたタイミングだった。エリーは息を吹きかえしたが、凍りついた湖面が割れたときの氷塊で左足のふくらはぎに大きな裂傷をおっていた。

 ただちに城内にエリーは運びこまれたが、ひどい肺炎にかかり三か月をベッドで過ごすことになった。

 ひと冬を自室から出られないまま暮らし、春になって雪解け水がガラティアの大地を潤すころ、ようやく窓をあけはなって外の空気をぞんぶんに吸いこむことが許されるようになった。

 セレナがエリーの見舞いに訪れたのは、ちょうどその時分だった。彼女は腕に、その年最初のクロッカスの花束が入ったバスケットをさげていた。

 彼女のノックの音が聞こえたとき、エリーは動揺のあまり自分が扉をひらこうとスリッパに足を伸ばしかけた。

「お嬢様は堂々とベッドに寝そべっていてください」

 百年も生きているような貫禄で、ジャンヌはエリーを押しとどめ来客を出迎えた。しかし、歓迎していないと言外ににじませて椅子を勧めることさえしない。

「ジャンヌ。セレナ様に失礼よ。わざわざ来てくださったのに」
「でもお嬢様、どんな意図か分からないじゃないですか。お嬢様が弱っているところに、何か思いもよらないことを言いだすのかもしれません」
「だから、単にお見舞いでしょう」

 エリーは、こめかみを押さえた。ジャンヌとは、相変わらず噛みあっていない。

「ご機嫌うるわしゅう、エリー様」

 二人のやりとりを興味深げに眺めていたセレナは、見とれるような優雅さで挨拶した。

「本来ならば公爵家のお嬢様であるあなた様とこのようにお話できる身分ではないのは承知しておりますが、同じ城内に暮らしておりますゆえ、遅ればせながらお見舞いをかねてご挨拶に参りました」

 流れるような口上も、堂のいった挙措も、一点の曇りもない。元々の姿の良さや踊りで洗練された振る舞いだけではなく、彼女が意識して宮廷作法を学んだことをエリーは感じとった。この女性は、努力と自分の立ち位置を知っている人だ。

「できれば……」

 と彼女が横目でちらりとジャンヌに視線をやったとき、エリーは即座に侍女たちに外すよう命じた。もちろんジャンヌもだ。

しおりを挟む
感想 22

あなたにおすすめの小説

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...