9 / 36
第二章
7.思い出
しおりを挟む
「うわ、アスール、また突っ込んだのかよ?」
腰に手をあてたニゲルが呆れたように見下ろしてきた。そこへブラオも顔を出し。
「うーん。すごいね。これは。血まみれアスールの出来上がりだ。…見たことのない出来だな?」
そう言ってコロコロと笑う。
「アスールはカリマに言われていたんじゃないのか? 突っ込むなと」
どこかたしなめるように背後から声をかけたのはアジュールで。
三人に散々に言われたアスールは立つ瀬がなく、そこへ座り込んだまま三人を見上げている。アスールは確かに頭のてっぺんから足の先まで野獣の血にまみれていた。
皆で狩りに出た結果がこれだった。野獣を見つけ皆で狩ったのだが、数を競ったため気が急いた。つい、我を忘れて突っ込んだ。
野獣の急所に剣を突き刺し、その反動で剣を取られ尻餅をついた。野獣がそれで絶命したからいいものの、そうでなければ命も危なかっただろう。
「アスール! 大丈夫か!」
遠くからセリオンが駆けてきた。カリマもそのあとに続く。野獣を追ううちに二人からは離れていたらしい。
「セリオンの従者は無鉄砲だな? 主も放って突っ込むとは」
冗談めかしてアジュールがそう言えば。セリオンが返す。
「真剣になったからこそです! ──確かに、無鉄砲ではあったけど…。けがは? アスール」
「……大丈夫です。申し訳ありません…」
すっかり縮こまったアスールを、脇からカリマが引き起こす。
「立てるか?」
「…ありがとう。カリマ」
しょげかえるアスールにカリマも小言は言えないらしい。ただだまって顔についた血のりを手にしたハンカチで拭き取ってくれる。
「ごめん…。セリオン、放ってしまって…」
「いいって。だいたい、兄上たちは従者を誰一人連れてきていないんだから。今日は、従者じゃない。ただのアスールとして参加したんだ。俺とカリマの友人だ」
「…ありがとう。セリオン」
泣きたい気分だった。自分が情けない。幾らセリオンが庇ってくれたとは言え、やはり、従者であることを忘れてはいけないのだ。すると、その空気を変えるようにアジュールが。
「よし、次は川で泳ごう。狩りで皆汚れただろう? それに今日は日差しも熱い」
「賛成!」
ニゲルが両手を上げて喜ぶ。そんなニゲルにブラオも賛成のようで。
「確かに、汗と血は落としたいな…。このまま帰ったら乳母や侍女にどやされる。中に入れてもらえないだろうな」
それで決まりだった。全員で馬を引き連れ近くの小川へと移動する。
王宮の敷地は広大で、森も小川もあった。だいたいにして、城の裏が深い森なのだ。その先は険しい山となっている。
安全が保たれるように、人が入り込める範囲までは城壁がめぐらされていた。その上を兵が終始監視を怠らない為、城内での安全は保たれている。
その為、裸で川に飛び込もうが、草原を駆け回ろうが、警護のものを引き連れる必要はなかったのだ。
それでも、念のために行事の際は連れて歩くが、今日のようなただの遊興の場合、連れて行くことは少なかった。
川辺に着くと皆、我先にと飛び込む。
カリマだけは渋々と言った具合にその輪に混じっていた。
アスールはそこへ混じるのを躊躇う。やはり自分は従者なのだ。皆に危険がないよう、ここで見守るのが務めだろう。
皆の様子が分かる川辺の草地に腰を下ろせば、頭をポンと叩くものがいた。
驚いて見上げれば、そこに髪から水を滴らせるアジュールが立っていた。いつの間に川から上がっていたのか。
「…アジュール様?」
「アスール。遠慮するな。一緒に川に入ろう」
「でも……」
「すまなかった。俺が余計なことを言ったから気にしているんだろう?」
「え!? いえ、違います! その、俺――私はやはり従者で、いくらセリオン様がいいとおっしゃっても、それを忘れるべきでなかったと──」
「敬語はよせって。ここは俺たち以外だれもいない。セリオンとカリマの友人、アスールだ。そうだろ?」
「──はい」
アジュールは優しい。いや、ここにいる皆が優しかった。誰一人、アスールを見下すものがいないのだ。アジュールはアスールの傍らに腰をおろすと。
「君がセリオンの従者になって、嬉しいんだ。セリオンは甘えたい時期にずっと放っておかれていたからな? いい遊び相手ができたと思ったんだ。セリオンは君と出会ってからずっと楽しそうだ。これからも、支えてやって欲しい。──友人としてな?」
「……はい」
そんなこと、許されるのだろうか。
執事や王の従者からは口酸っぱく、王子として接することを忘れるなと言われている。すると、それを察したかのようにアジュールが、
「大人の前ではふりをすればいい。セリオンだって分かってる。けれど、こうして身内だけの時はいつも通りでいいんだ。誰も君を咎めたりしない。君のことは弟の一人だと思ってるくらいだ。四人も弟がいるんだ。一人増えようが二人増えようが変わりない。だから、君らしくいればいい。そうしてくれた方が皆嬉しい」
「…ありがとう、ございます」
思わず泣きそうになった。それを見て、アジュールは笑う。
「そら、また敬語だ。次言ったら川に放り投げるぞ!」
「え?! そ、それは──」
「ほら! ぐずぐずしてると──」
そう言う間に、アジュールはアスールを抱え上げ、ぽんと宙に放った。
「──!?」
声も上げる間もなく、川に落ちる。
「アスール!」
セリオンが音に驚いて慌てて川をさかのぼってきたが、それより前、先に気づいていたカリマがアスールを水の中から引き上げる。それを見て、アジュールが笑っていた。
「よかったな! アスール。君には忠実なが下僕が二人もいる!」
「ア、アジュール様!」
従者とは。確かにセリオンもカリマも、いつもアスールにぴったりと張り付いている。
「兄さん! ふざけるのはよしてください! アスールが溺れたらどうするんですか!」
「アジュール様でも、アスールを害するのはいただけません」
セリオンとカリマがそれぞれ抗議した。アジュールはやれやれとため息をつき。
「これじゃあ、アスールを大切にしないと、弟と忠実な家臣を失うことになりかねないな。気をつけよう」
そう言って笑った。ブラオもニゲルも笑う。
幸せな思い出のひとつだ。
そこに、第三王子シアンがいない事が、今更にして悔やまれた。
腰に手をあてたニゲルが呆れたように見下ろしてきた。そこへブラオも顔を出し。
「うーん。すごいね。これは。血まみれアスールの出来上がりだ。…見たことのない出来だな?」
そう言ってコロコロと笑う。
「アスールはカリマに言われていたんじゃないのか? 突っ込むなと」
どこかたしなめるように背後から声をかけたのはアジュールで。
三人に散々に言われたアスールは立つ瀬がなく、そこへ座り込んだまま三人を見上げている。アスールは確かに頭のてっぺんから足の先まで野獣の血にまみれていた。
皆で狩りに出た結果がこれだった。野獣を見つけ皆で狩ったのだが、数を競ったため気が急いた。つい、我を忘れて突っ込んだ。
野獣の急所に剣を突き刺し、その反動で剣を取られ尻餅をついた。野獣がそれで絶命したからいいものの、そうでなければ命も危なかっただろう。
「アスール! 大丈夫か!」
遠くからセリオンが駆けてきた。カリマもそのあとに続く。野獣を追ううちに二人からは離れていたらしい。
「セリオンの従者は無鉄砲だな? 主も放って突っ込むとは」
冗談めかしてアジュールがそう言えば。セリオンが返す。
「真剣になったからこそです! ──確かに、無鉄砲ではあったけど…。けがは? アスール」
「……大丈夫です。申し訳ありません…」
すっかり縮こまったアスールを、脇からカリマが引き起こす。
「立てるか?」
「…ありがとう。カリマ」
しょげかえるアスールにカリマも小言は言えないらしい。ただだまって顔についた血のりを手にしたハンカチで拭き取ってくれる。
「ごめん…。セリオン、放ってしまって…」
「いいって。だいたい、兄上たちは従者を誰一人連れてきていないんだから。今日は、従者じゃない。ただのアスールとして参加したんだ。俺とカリマの友人だ」
「…ありがとう。セリオン」
泣きたい気分だった。自分が情けない。幾らセリオンが庇ってくれたとは言え、やはり、従者であることを忘れてはいけないのだ。すると、その空気を変えるようにアジュールが。
「よし、次は川で泳ごう。狩りで皆汚れただろう? それに今日は日差しも熱い」
「賛成!」
ニゲルが両手を上げて喜ぶ。そんなニゲルにブラオも賛成のようで。
「確かに、汗と血は落としたいな…。このまま帰ったら乳母や侍女にどやされる。中に入れてもらえないだろうな」
それで決まりだった。全員で馬を引き連れ近くの小川へと移動する。
王宮の敷地は広大で、森も小川もあった。だいたいにして、城の裏が深い森なのだ。その先は険しい山となっている。
安全が保たれるように、人が入り込める範囲までは城壁がめぐらされていた。その上を兵が終始監視を怠らない為、城内での安全は保たれている。
その為、裸で川に飛び込もうが、草原を駆け回ろうが、警護のものを引き連れる必要はなかったのだ。
それでも、念のために行事の際は連れて歩くが、今日のようなただの遊興の場合、連れて行くことは少なかった。
川辺に着くと皆、我先にと飛び込む。
カリマだけは渋々と言った具合にその輪に混じっていた。
アスールはそこへ混じるのを躊躇う。やはり自分は従者なのだ。皆に危険がないよう、ここで見守るのが務めだろう。
皆の様子が分かる川辺の草地に腰を下ろせば、頭をポンと叩くものがいた。
驚いて見上げれば、そこに髪から水を滴らせるアジュールが立っていた。いつの間に川から上がっていたのか。
「…アジュール様?」
「アスール。遠慮するな。一緒に川に入ろう」
「でも……」
「すまなかった。俺が余計なことを言ったから気にしているんだろう?」
「え!? いえ、違います! その、俺――私はやはり従者で、いくらセリオン様がいいとおっしゃっても、それを忘れるべきでなかったと──」
「敬語はよせって。ここは俺たち以外だれもいない。セリオンとカリマの友人、アスールだ。そうだろ?」
「──はい」
アジュールは優しい。いや、ここにいる皆が優しかった。誰一人、アスールを見下すものがいないのだ。アジュールはアスールの傍らに腰をおろすと。
「君がセリオンの従者になって、嬉しいんだ。セリオンは甘えたい時期にずっと放っておかれていたからな? いい遊び相手ができたと思ったんだ。セリオンは君と出会ってからずっと楽しそうだ。これからも、支えてやって欲しい。──友人としてな?」
「……はい」
そんなこと、許されるのだろうか。
執事や王の従者からは口酸っぱく、王子として接することを忘れるなと言われている。すると、それを察したかのようにアジュールが、
「大人の前ではふりをすればいい。セリオンだって分かってる。けれど、こうして身内だけの時はいつも通りでいいんだ。誰も君を咎めたりしない。君のことは弟の一人だと思ってるくらいだ。四人も弟がいるんだ。一人増えようが二人増えようが変わりない。だから、君らしくいればいい。そうしてくれた方が皆嬉しい」
「…ありがとう、ございます」
思わず泣きそうになった。それを見て、アジュールは笑う。
「そら、また敬語だ。次言ったら川に放り投げるぞ!」
「え?! そ、それは──」
「ほら! ぐずぐずしてると──」
そう言う間に、アジュールはアスールを抱え上げ、ぽんと宙に放った。
「──!?」
声も上げる間もなく、川に落ちる。
「アスール!」
セリオンが音に驚いて慌てて川をさかのぼってきたが、それより前、先に気づいていたカリマがアスールを水の中から引き上げる。それを見て、アジュールが笑っていた。
「よかったな! アスール。君には忠実なが下僕が二人もいる!」
「ア、アジュール様!」
従者とは。確かにセリオンもカリマも、いつもアスールにぴったりと張り付いている。
「兄さん! ふざけるのはよしてください! アスールが溺れたらどうするんですか!」
「アジュール様でも、アスールを害するのはいただけません」
セリオンとカリマがそれぞれ抗議した。アジュールはやれやれとため息をつき。
「これじゃあ、アスールを大切にしないと、弟と忠実な家臣を失うことになりかねないな。気をつけよう」
そう言って笑った。ブラオもニゲルも笑う。
幸せな思い出のひとつだ。
そこに、第三王子シアンがいない事が、今更にして悔やまれた。
4
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
【完結済】「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募するお話に、真紀ちゃん(攻)視点を追加して、倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
【完結】この契約に愛なんてないはずだった
なの
BL
劣勢オメガの翔太は、入院中の母を支えるため、昼夜問わず働き詰めの生活を送っていた。
そんなある日、母親の入院費用が払えず、困っていた翔太を救ったのは、冷静沈着で感情を見せない、大企業副社長・鷹城怜司……優勢アルファだった。
数日後、怜司は翔太に「1年間、仮の番になってほしい」と持ちかける。
身体の関係はなし、報酬あり。感情も、未来もいらない。ただの契約。
生活のために翔太はその条件を受け入れるが、理性的で無表情なはずの怜司が、ふとした瞬間に見せる優しさに、次第に心が揺らいでいく。
これはただの契約のはずだった。
愛なんて、最初からあるわけがなかった。
けれど……二人の距離が近づくたびに、仮であるはずの関係は、静かに熱を帯びていく。
ツンデレなオメガと、理性を装うアルファ。
これは、仮のはずだった番契約から始まる、運命以上の恋の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる