偽世界の日常

西海子(さいかち)

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05.門番の異能者と世界複製の異能者と比売神の大隠居様で外出する非日常

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 塞口彬礼は悩んでいた。
 理由は至極単純なのだが、先日、同居人にして相方でもある磯城玄久が倒れた件だ。
 治療に当たった八神の当代・慎也も、呼び出しに行った先にいた九条はるかも委員会に通報はしなかったと聞いている。
 が――何故か幾人かの異能者にバレていたようなのだ。
(耳が早いというか……偽世界に住んでると察知できるってわけでもないと思うんだが)
 ため息を吐いた時、インターフォンが鳴った。
「ん?」
 来客とはあまりにも珍しい。
 そもそも、偽世界に住んでいる隠居達はお互いに不干渉を貫いている連中が多いので、わざわざここを訪れる物好きなどいない。
 よって、これは面倒ごとだ。
 ――出るか、居留守か。
 一瞬の躊躇。
 だが、居留守を使ったところで、どうせ次は委員会謹製の連絡アプリにメッセージなり着信なりがある。
「やれやれ……」
 ソファから立ち上がると、彬礼はしつこく鳴り続けるインターフォンに応対するために玄関へと向かった。
 玄久からは「そこのパネルで玄関まで出なくても話せるんだけど」と言われるが、何しろ彬礼は古い人間だ。別に犯罪者がやってくるわけでもない、玄関先に直接出たところで問題はないだろう。
「はいはい、どちら様……」
 ガチャリ、と玄関のドアを開けると、目の前にいたのは中性的で小柄な人物だった。
「久しいな、小童」
「う……四季様……っ」
 思わず言葉に詰まった彬礼。目の前にいるのは異能者の中でも相当に古ぶるしきものだった。対応を間違えればどんな災いがあることか。
比売神ひめかみの厄神……っ、マジでか……!)
 彬礼は引き攣りそうになる口元を意志の力で押さえつけ、わずかな笑みを浮かべて見せた。
「比売神の大隠居様が、どのようなご用件でしょうか?」
「何をビビっとるか。我はその様な化け物ではないぞ? 先だっても紫苑しおんの息子が世話になったじゃろう?」
 ひょこひょこと歩み寄って来て彬礼を見上げたのは、比売神家の始祖より三代目、数千年を生きているとも言われる比売神四季という少年だった。停止年齢は十六歳とも十七歳とも言われているが、本人も「よく分からん」とその辺りは有耶無耶のままだ。
 彬礼はずいずいと迫ってくる少年に、一歩後退した。
「紫苑様の息子……あぁ、いっくんの件ですか?」
「うむ、あれは比売神の家でも大騒ぎじゃったからな。しかも当の紫苑も一真いちまも海外を飛び回っておるし……聖慈せいじとはるかが真世界におるとはいえ……」
「あ、あの……し、四季様? 本日の用向きは……」
 冷汗が背筋を伝う中、彬礼はとにかく話を進めようとする。
(年寄りは話が長い……っ)
 内心の愚痴など聞かれたら堪らないので、すぐに思考にノイズを掛けた。
 と、四季はポム、と手を叩いて表情を引き締めた。
「はるかから聞いた。磯城の当代、倒れたとか」
「あ、あー……はい」
「無茶をさせたか」
「――申し訳ありません。塞口の監督不行き届きです」
 素直に頭を下げた彬礼に、四季は「よい」と一言で話を打ち切ると、ニコリと笑った。
「今の加減は?」
「八神の当代に診てもらいました。大事なく、現在は元気に引きこもっております」
「うむ、引きこもっているのは良くない。良くないから、我が来たという寸法よ」
「は?」
 彬礼はキョトンとした様子で、四季を眺めた。
 むふん、と息を吐いた四季がずかずかと上がり込む。
「磯城の当代ー、おるかー?」
「ちょ、ちょっと……四季様!?」
 止めるのも聞かず、四季は玄久の部屋へと向かってしまう。玄関を閉じた彬礼は慌ててそれを追いかけた。
 二階の一室の前で足を止めた四季が、ゴンゴンとドアを叩く。間を置かず、中からそっとドアが開かれ、玄久が顔を覗かせた。
「うわ、四季様!?」
「うむ、元気そうじゃな。難儀しておらぬか?」
 四季の問いかけに、玄久はあわあわしながらドアを大きく開いた。
「だ、大丈夫です……っ、あの、あの……え?」
 突然の来客に玄久も混乱をしている様だった。追い付いた彬礼が視線で「上手くやり過ごせ」と訴えるが、その意思が通るよりも先に四季が口を開いた。
「なんじゃ、寝間着のままで。いい若い者がなっておらん。即刻、余所行きへ着替えよ」
「よ、余所行き? あの、え、なんで?」
「し、四季様? ハルは23区からは出られないので、外出は……」
「分かっておるわ。逆に言えばその範囲であれば良いんじゃろう? そら、着替えて、顔を洗って、髪を梳って、さっさと支度をせい」
「えぇ……アキぃ……?」
「はぁ……」
 情けない玄久のSOSに、彬礼は大きくため息を吐いて部屋へと踏み込んだ。
 クローゼットを漁り、ポイポイと外出用の服を見繕うと「着替えろ」と告げて、四季を見た。
「恐れ入ります、四季様。支度が済むまで下でお待ちください」
「うむ、急げよ」
 満足そうに応じた四季が軽い足音で階段を下りていくと、彬礼は重い息を吐いて玄久を促した。
「四季様の機嫌を損ねるわけにはいかん。覚悟を決めて着替えろ、出掛けるぞ」
「えぇ……うぅ……外出たくない……」
 玄久がぐずぐずとしているのは、引きこもり生活が長いために外へ出るのを嫌っているからだ。
 磯城の異能者は本来、偽世界の要石であるためにあまり出歩かないものだが、それにしても玄久は出不精だった。
 23区の維持が精一杯の玄久にとって、能力を常時展開しているのも負担にはなっている。それ故に、外へ出るエネルギーすら惜しい、というのを理由としているが、彬礼は理解している。
 玄久は、ただただ、外に出るのが怖いだけだ。
 殊に、真世界に出るのを嫌がるのは、自分の能力の未熟さを思い知らされるようで憂鬱なのだろう。
 それでも、こうして引きこもっているのは彬礼も良くないとは思っている。
 偽世界でいいから、散歩ぐらいはしてほしいものだと考えてはいた。
(まぁ、いいきっかけにはなるか?)
 二人は共にいた時間が長いこともあって、その辺りをきちんと指摘できないということもある。今回の四季の強引とも言える行動は一種の渡りに船ではあった。
 もぞもぞと着替えを終えた玄久を洗面所へ連れて行き身支度を整えさせると、彬礼はリビングへと戻った。
「お待たせいたしました、四季様」
「なに、引きこもりが外に出るには覚悟も要るじゃろう?」
 ひょこ、とソファから立ち上がった四季は、彬礼に告げた。
「では、門を開けよ、門番」
「はい――それで、どこへ?」
 にっこりと笑った古ぶるしきものは、一言だけ言った。
「銀座」

     ***

 二人の青年を引き連れた小柄な少年が、ツカツカと店内に入って行く。
「ア、アキ……」
「俺を頼るな……こんな洒落た店、入ったこともねぇよ……」
 玄久はそもそも人間が多くいる場所に怯えているが、彬礼は入ったこともない場所への困惑で若干声が震えていた。
 それを察知したのか、四季が鼻で笑う。
「小童どもは初めて来るか? これがかふぇーと言うものじゃ」
「喫茶店ぐらいは行ったことありますよ!?」
「カフェっていうか……ここ、スタバ……? これがスタバ?」
「おぉ、磯城の当代は知っておったか。すたば、という、最近の我のお気に入りのかふぇーじゃ」
 鼻歌を歌いながら数人の客の後へ並び、四季は二人に胸を張って見せる。
「勘定は任せるがいい、小僧っ子達に払わせるほどけちんぼではないからな」
 四季は自信満々だが、付いてきているだけの二人にとっては未知の場所だ。
「コーヒー……普通のコーヒーでいいんだが……なんだ、よく分からん品書きがあるが……」
 彬礼は頭からクエスチョンマークが噴き出す勢いだが、玄久は少しだけ知識はあったのだろう。
「アキ、ここ、エスプレッソが基本なんだよ」
「それはなんだ……?」
「イタリアの、メチャクチャ濃く淹れたコーヒー」
「そんなもの、飲んだことはないぞ……!?」
「ごちゃごちゃ喧しいわ、小童ども。そら、こちらの娘子いらつめに飲みたいものを伝えるんじゃ」
 四季はレジカウンターの中にいる店員へ拙い発音で所望するものを述べた。
「とーるきゃらめるふらぺちーの、ぶれべみるく変更、しろっぷ増量、ほいっぷ増量で」
「トールキャラメルフラペチーノのブレベミルク変更、シロップとホイップの増量ですね」
「うむ」
 頷いて四季は振り向く。
「ほれ、お待たせするでない」
 促されて玄久はちらりと彬礼を見てから、店員の女性に告げた。
「ダークモカチップフラペチーノのチョコソース増量で」
「サイズはどれにいたしますか?」
「あ……えっと……グランデ、で」
「かしこまりました」
 彬礼は目を丸くして玄久を見つめている。
(注文できてる……だと……?)
 その驚きで固まっていた彬礼は、四季に脇腹を小突かれて我に返った。
「あ、えっと……」
 慌ててカウンター上にあるメニューを見るが、彬礼に理解できたメニューは片手で足りるほどだ。
(カフェアメリカーノ……つまり、アメリカンコーヒーか?)
 先ほど、玄久が「イタリア」と口にしていたので、恐らくイタリア語なのだろう。
 つまり……これなら、彬礼の知っているコーヒーが出てくるに違いない。
「この、カフェアメリカーノ? これを」
「サイズは」
「……普通の?」
「かしこまりました、トールサイズでお作りします」
 どうやら店員はこういった不慣れな客の扱いにも手慣れているようだった。三人分の注文を受け付けた店員に四季が支払いを済ませると、横手のカウンターで受け取るように伝えられて三人で移動する。
「とても現代生まれとは思えんわ……小童ども、もう少し現世に馴染まぬとならんよ?」
 四季に小声で窘められ、彬礼は恐縮した様子で「精進します」と応じ、玄久は「はい」と素直に返事をした。
 しばし待つと、三つのカップが用意されて、それぞれが自分の頼んだものを受け取って空いている席へと向かった。
 だいぶ混み合っているが、テーブル席を確保できた三人は椅子に腰を落ち着ける。
「四季様……急にこういった場所に連れてこられても困ります」
 彬礼の控え目な抗議に、カップにストローを差して中身を啜った四季は満足そうに頷いてから、余裕の笑みを浮かべていた。
「未知に触れるのも気分を変えるには有用じゃろう?」
「う……」
「磯城の、どうじゃ? 憧れておったのじゃろう?」
 ふと、四季が口にした言葉に彬礼がハッとしたように玄久を見た。
 玄久もストローを口に咥えて中身を吸い込む。
 ごくり、と喉に通して玄久は少しだけ、笑った。
「もしかして、はるかちゃんから聞きましたか?」
「――その通り。お前は甘い物が好きだと言うが、塞口のは苦手じゃろう? 磯城の家の者は一人では外に出られぬ、さりとて塞口の小童は甘い物を好まぬから自ら誘うのも気が引けるじゃろう。そこへきて先日の騒ぎじゃ。気が塞いでおろう、とはるかから聞いた我の粋な計らいというやつじゃ」
 時折キャラメルフラペチーノを啜りながらそんなことを言った四季に、カップのコーヒーを飲んだ彬礼は苦笑した。
「そんなことで大隠居様にお出でいただいたんですか」
「なにがそんなこと、じゃ。塞口の、磯城の心の内をしかと掴めんで塞口の当代は名乗れぬぞ? 無有がどれだけ晾を気遣っていたか、お前とて知らぬわけではあるまい?」
「ぐ……仰る通りです……」
 彬礼はガクリと肩を落とした。
 先日の一件は彬礼にとっても痛恨だったのだから。
 人の多さに落ち着かないのか、玄久はチラチラと周囲を見ながらだが、注文したフラペチーノを美味しそうに啜っている。
「ありがとうございます、四季様」
「――ん、よい。だが、もう無理をするなよ、晾が嘆くぞ?」
 諭された玄久は申し訳なさそうに小さく頷いた。
 二人の――四季からすれば赤子にも等しい――青年が双方反省しているのを見て取った四季は、ゆるりと口調を緩めた。
「では、かふぇーでのひと時を楽しもうぞ」
 それからは三人の和やかなコーヒータイムが銀座の一角で繰り広げられたのだった。

     ***

 座標を指定して偽世界の自宅に帰宅した二人。
 四季は偽世界に戻るなり「我は腹ごなしじゃ」と勝手に帰って行った。
「気疲れした……」
 ソファにぐったりと沈んだ彬礼の頭を少しだけ撫でた玄久は、
「お風呂、お湯張ってくる」
と告げてリビングを出て行く。
「ハル」
 その背に、彬礼は声をかけていた。
「ん?」
 足を止めて振り向いた玄久に、視線を逸らしたまま彬礼は言った。
「たまになら付き合うから、また行くか、カフェ?」
「じゃあ……季節限定の気になるフラペチーノが出たら」
「――あぁ」
 彬礼の返事を待って、少しだけ嬉しそうに笑った玄久はリビングを出て行った。
 今日何度目かの大きな息を吐いて、彬礼はスマートフォンを取り出した。
「……少しぐらいは、現代の情報を、か……」
 指先を滑らせて、ぶつぶつと呟く。
「23区内……すたば?……静か……おすすめ……」
 眉間に皺を寄せて、そんなことを調べ始めた彬礼だった。
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