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第二章
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初めて訪れる王宮の広大さに、サフィアは驚いていた。
王太子の住まう東宮へ迎えば、長い回廊の両脇には、これまた広大な庭園が見渡せる。
家から外出することなく、籠りきりの日々を過ごしていたサフィアにとって、この庭園の眺めは暫しの安らぎを与えてくれた。
お世話になった教師はああ言ってくれたが、両親や兄の言う通り、サフィアが選ばれることはないだろう。
リヒトだって、最終的にサフィアを選ぶことはなかったのだ。
虚しい反面、緊張していた心持ちは、いくばくか緩んでいく。
定刻通り、サフィアの部屋の二倍以上はある皇太子の部屋へ到着する。
背もたれにも肘掛けにも細かな細工が施され、朱色の布張りがされた大きな椅子に、王太子はちょこんと腰を下ろしていた。
肩で切り揃えられた黒髪に、金色の大きな瞳が目を引く。
その姿は、サフィアが想像していたよりもずっと小さく、幼いものだった。
「レノアール伯爵家より参りました。次男のサフィアと申します。」
簡潔に挨拶を述べるサフィアのことを、王太子はただじっと、何も言わずに見つめていたかと思うと、徐に立ち上がり年老いた世話係の手を引いて奥の部屋へ引きこもってしまった。
どうすることもできず、その場に立ち尽くすサフィアの元に、ばたんばたんと、何か重みのある物が床に落ちる音が聞こえてくる。
ばたん、ばたんっ!
…また、何か、自分の計り知れない所で、王太子を怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。
サフィアの顔色が、さっと曇る。
元より役不足であると自覚はしていたが、ここまで拒絶されるとは、想像もしていなかったことだ。
ばたん、がたっ、ばたっ……
しばらくすると、漸くぴたりと物音が止んだ。
何やら大きな書物を抱えた王太子が、奥から戻ってくる。
そのまま、とことこと進んでくると、サフィアの目の前で、抱えていた書物を広げ始めた。
王太子の行動の意図が汲めず、サフィアは困惑した。
書物は恐らく相当歴史のある代物だ。
「ルイ王子は、サフィア殿に似ていると仰っています。」
世話係が穏やかな声でそう告げると、小さな手が白黒で描かれた繊細な挿絵を指差して、サフィアを見上げた。
王太子の指差す挿絵は、男性にも女性にも見える美しい神が、荒涼とした地に今まさに降り立とうとしている幻想的なものだった。
「…似てますでしょうか?」
ぽつりと呟くサフィアを見上げたまま、王太子は二回、こくり、こくりと頷いた。
金色に瞬く瞳は、ただ真っ直ぐにサフィアを見上げている。
「…ありがとうございます。」
透明で清らかで、汚れのないその瞳に見つめられると、サフィアは肯定も否定もできなかった。
このお方には自分がこのように見えているのかと思うと、恐れ多い反面、冷えた心が温まるような、そんな気がした。
「東国の建国紀でしょうか。王太子殿下はこの様な本を既にお読みでいらっしゃるのですね。」
東国の古語で記された、歴史ある書物だ。
「ほう。」
世話係の感嘆の声が漏れる。
「サフィア殿は、この書物を読めるのですか?」
「え、ええ。独学で、少しだけ、本当に少しだけです。」
知っていること、理解していることを明言することは、目立つことだ。
目立ってはいけない。
心音がどくりと音をたてる。
サフィアが、知っていると答えて、物事がいい方に向かったためしは、これまで一度もない。
「ほほう。それは素晴らしいことです。」
また感嘆の声をあげる世話係に、サフィアは首を振って、大袈裟なほどに謙遜した。
なぜ知らないと言わなかったのだろう。
家に戻れば、きっとまた叱責される。
俯くサフィアの手に、小さな手が触れる。
ほんのりと温かい、小さな手だ。
小さな手は、小さな力ではあるが、くい、くいっとサフィアを引き寄せ、奥の部屋へとサフィアを導いた。
王太子の住まう東宮へ迎えば、長い回廊の両脇には、これまた広大な庭園が見渡せる。
家から外出することなく、籠りきりの日々を過ごしていたサフィアにとって、この庭園の眺めは暫しの安らぎを与えてくれた。
お世話になった教師はああ言ってくれたが、両親や兄の言う通り、サフィアが選ばれることはないだろう。
リヒトだって、最終的にサフィアを選ぶことはなかったのだ。
虚しい反面、緊張していた心持ちは、いくばくか緩んでいく。
定刻通り、サフィアの部屋の二倍以上はある皇太子の部屋へ到着する。
背もたれにも肘掛けにも細かな細工が施され、朱色の布張りがされた大きな椅子に、王太子はちょこんと腰を下ろしていた。
肩で切り揃えられた黒髪に、金色の大きな瞳が目を引く。
その姿は、サフィアが想像していたよりもずっと小さく、幼いものだった。
「レノアール伯爵家より参りました。次男のサフィアと申します。」
簡潔に挨拶を述べるサフィアのことを、王太子はただじっと、何も言わずに見つめていたかと思うと、徐に立ち上がり年老いた世話係の手を引いて奥の部屋へ引きこもってしまった。
どうすることもできず、その場に立ち尽くすサフィアの元に、ばたんばたんと、何か重みのある物が床に落ちる音が聞こえてくる。
ばたん、ばたんっ!
…また、何か、自分の計り知れない所で、王太子を怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。
サフィアの顔色が、さっと曇る。
元より役不足であると自覚はしていたが、ここまで拒絶されるとは、想像もしていなかったことだ。
ばたん、がたっ、ばたっ……
しばらくすると、漸くぴたりと物音が止んだ。
何やら大きな書物を抱えた王太子が、奥から戻ってくる。
そのまま、とことこと進んでくると、サフィアの目の前で、抱えていた書物を広げ始めた。
王太子の行動の意図が汲めず、サフィアは困惑した。
書物は恐らく相当歴史のある代物だ。
「ルイ王子は、サフィア殿に似ていると仰っています。」
世話係が穏やかな声でそう告げると、小さな手が白黒で描かれた繊細な挿絵を指差して、サフィアを見上げた。
王太子の指差す挿絵は、男性にも女性にも見える美しい神が、荒涼とした地に今まさに降り立とうとしている幻想的なものだった。
「…似てますでしょうか?」
ぽつりと呟くサフィアを見上げたまま、王太子は二回、こくり、こくりと頷いた。
金色に瞬く瞳は、ただ真っ直ぐにサフィアを見上げている。
「…ありがとうございます。」
透明で清らかで、汚れのないその瞳に見つめられると、サフィアは肯定も否定もできなかった。
このお方には自分がこのように見えているのかと思うと、恐れ多い反面、冷えた心が温まるような、そんな気がした。
「東国の建国紀でしょうか。王太子殿下はこの様な本を既にお読みでいらっしゃるのですね。」
東国の古語で記された、歴史ある書物だ。
「ほう。」
世話係の感嘆の声が漏れる。
「サフィア殿は、この書物を読めるのですか?」
「え、ええ。独学で、少しだけ、本当に少しだけです。」
知っていること、理解していることを明言することは、目立つことだ。
目立ってはいけない。
心音がどくりと音をたてる。
サフィアが、知っていると答えて、物事がいい方に向かったためしは、これまで一度もない。
「ほほう。それは素晴らしいことです。」
また感嘆の声をあげる世話係に、サフィアは首を振って、大袈裟なほどに謙遜した。
なぜ知らないと言わなかったのだろう。
家に戻れば、きっとまた叱責される。
俯くサフィアの手に、小さな手が触れる。
ほんのりと温かい、小さな手だ。
小さな手は、小さな力ではあるが、くい、くいっとサフィアを引き寄せ、奥の部屋へとサフィアを導いた。
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