学園戦記三国志~リュービ、二人の美少女と義兄妹の契りを結び、学園において英雄にならんとす 正史風味~

トベ・イツキ

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第5部 赤壁大戦編

歴史解説 諸葛孔明前史 前編(両親編)

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 これは学園戦記三国志をより楽しむために、歴史上の三国時代の解説及び考察を行うものです。本編では省略されてしまった部分やカットされてしまった部分をより詳しく紹介しているので、お楽しみください。

 なお、この解説には独自の考察も含みます。ご了承ください。

 また、本編の情報は106話までの内容に基づいています。(この解説で本編未登場と紹介された人物が今後出る可能性があります)


 ◎まえがき


 学園戦記三国志(以下、本編)の五章77話にて、ついにコウメイが、三顧さんこの礼でリュービの軍師として迎えられた。

 コウメイの元になった人物は、諸葛亮しょかつりょうあざな(本名以外にもつ別名)は孔明こうめい。おそらく三国志でもっとも有名な人物ではないだろうか。

 今回の解説では、この孔明こうめい(以下、名前は本編に合わせ孔明こうめいに統一する)が劉備りゅうび(本編、リュービ、主人公)陣営に加わるまでの前半生を紹介する。

 しかし、孔明こうめいの前半生は史料が乏しく、推測が多く混じることご了承いただきたい。あくまで一つの可能性として読んでほしい。


 ◎孔明の家



 孔明こうめい徐州じょしゅう琅邪国ろうやこく陽都県ようとけん(太守(長官)ではなく国王(皇族)が封じられた郡を国と呼ぶ)(この当時の後漢ごかんでは州→郡・国→県の順に行政区分が小さくなる)の人で、西暦181年(以下年はすべて西暦、月日はすべて旧暦)に生まれた。かん司隷校尉しれいこうい(首都圏警視総監)・諸葛豊しょかつほう(本編未登場)の子孫である。父の諸葛珪しょかつけい(本編未登場)、あざな君貢くんこうは漢末の泰山郡たいざんぐんじょう(郡副長官)であった。孔明こうめいは幼い頃に父を亡くした。

 兄・諸葛瑾しょかつきん(本編、ショカツキン、91話より本格登場)は174年生まれ、孔明こうめいの7歳年長である。他に弟に諸葛均しょかつきん(本編未登場)、名称不明の姉が二人いる。[正史三国志(以下、頭に書名のないものは全て正史三国志のもの、注も含む)諸葛亮しょかつりょう伝、諸葛瑾しょかつきん伝、襄陽耆旧記じょうようききゅうき(以下、襄陽記じょうようき)]

 孔明こうめいの先祖・諸葛豊しょかつほう前漢ぜんかん時代の人。剛直な性格で、司隷校尉しれいこういとして貴門権勢きもんけんせいの者も恐れず取締り、当時の皇帝・元帝げんてい寵臣ちょうしんまで逮捕しようとしたため怒りを買い、左遷させんされたが、それでも不正摘発てきはつの態度を改めなかったため、庶民に落とされたという。

 その後、孔明こうめいの父・諸葛珪しょかつけいに至るまで琅邪ろうや諸葛しょかつ氏は歴史に名を残すような人物は輩出していないが(出自不明の諸葛しょかつ姓の者はいる)、諸葛珪しょかつけい泰山郡たいざんぐんじょうとなり、従父おじ諸葛玄しょかつげん(本編未登場)は後に予章よしょう太守(郡長官)となり、また一族の諸葛誕しょかつたん(本編未登場)もで用いられた。

 おそらく、全国区ではないが、郡や県の役人を多数輩出した地元では知られた一族だったのではないだろうか。

 また孔明こうめいの生まれた181年と同じ年に後に献帝けんてい(本編、リューキョー、5話より登場)となる霊帝れいてい(本編、(先代)学園長、5話名のみ登場)の第二皇子・劉協りゅうきょうが生まれた。他にこの年は国境では異民族が侵攻し、戦争になる最中、宮中では霊帝れいてい模擬店もぎてんを作り、宮女を売り子にして酒宴を楽しむ有り様であった。

 そして、その3年後の184年に黄巾こうきんの乱が勃発ぼっぱつする。孔明こうめいが生まれた頃には既に後漢ごかんは衰退へと向かっていた。

 孔明こうめいの父・諸葛珪しょかつけいについては泰山郡たいざんぐんじょうであったことと、早くに亡くなったことしか諸葛亮しょかつりょう伝からはわからない。

 兄・諸葛瑾しょかつきんも正史に伝がある。その注の『呉書ごしょ』にう、諸葛瑾しょかつきんは若い頃、京師みやこに出て『毛詩もうし』(詩経しきょう)、『尚書しょうしょ』(書経しょきょう)、『左氏春秋さししゅんじゅう』の学問を修めた。母が死ぬと心を尽くしてに服し、継母にもつつしみ深く仕えた。[諸葛瑾しょかつきん伝]

 京師みやこは当時の首都・洛陽らくようのことでいいだろう。情報が少ないので断定は難しいが、太学たいがくで学んだのであろうか。

 太学たいがく洛陽らくようにあった高等教育機関で、年齢に明確な規定はないが、大体、15歳~20歳ぐらいの時に入学する。諸葛瑾しょかつきんが15歳(以下、年齢は全て数え年)~20歳となると、188年~193年のことである。

 しかし190年、董卓とうたく(本編、トータク、5話より登場)が暴政を行い、反董卓連合はんとうたくれんごうが起こると、董卓とうたく長安ちょうあん遷都せんとし、洛陽らくように火を放ち、街は廃墟はいきょと化した。当然、太学たいがくも無くなった。

 だが、諸葛瑾しょかつきんがこの戦乱に巻き込まれたという記述はない。また学問を修めながら、すぐ官吏かんりにはなっていない。このことから、彼は卒業することなく、190年より前に帰郷したのではないだろうか。

 あるいは母の死で帰郷することになったのかもしれない。当時、両親が死ぬと三年に服すことになっていた。

 ということは、諸葛瑾しょかつきん孔明こうめいの母は190年頃に亡くなったことになる。孔明こうめいが10歳頃のことである。

 またその後、継母、つまり諸葛珪しょかつけいが後妻を迎えているのであるから、母の死が先で、父・諸葛珪しょかつけいの死はその後のこととなる。


 ◎父・諸葛珪の死


 さて、ここでこの頃の情勢を解説しよう。

 189年、董卓とうたく後漢ごかん皇帝・少帝しょうてい(本編未登場)を廃し、その弟・劉協りゅうきょうを即位させた。これが献帝けんていである。

 そして、董卓とうたくは暴政を行うと、翌190年、地方の官吏かんりたちが反董卓とうたくを掲げて連合軍を発足。董卓とうたくはその攻勢をかわすため、河南尹かなんいん(首都長官)・朱儁しゅしゅん(本編未登場)ら群臣の反対を押しきり、首都を洛陽らくようから、より西の都市・長安ちょうあんへと遷都せんとした。

 一方、その頃、最初こそ意気盛んだった反董卓連合はんとうたくれんごうに参加していた群雄は、次第に打倒董卓とうたくよりも自勢力の拡大へと興味を移していた。

 連合の袁紹えんしょう(本編、エンショウ、7話より本格登場)は韓馥かんふく(本編、カンフク、6話名のみ登場)を脅して、彼の地位であった冀州牧きしゅうぼく(州長官)を譲り受け、曹操そうそう(本編、ソウソウ、1話より登場)を上表じょうひょうして東郡太守とうぐんたいしゅとして、北に拠点を作り出した。

 また、袁紹えんしょうの弟(従弟とも)・袁術えんじゅつ(本編、エンジュツ、8話より本格登場)は太守のいなくなった南陽なんようの主に収まり、孫堅そんけん(本編、ソンケン、3話より本格登場)を仲間に引き込み、彼を上表じょうひょうして予州刺史よしゅうしし(州長官)とした。

 上表じょうひょうとは朝廷ちょうていに文書をたてまつることで、言うなれば推薦状である。推薦状であるのだから、当然返事があって初めて実行されるのだが、当時の朝廷の実権は董卓とうたくにあり、当然、許可は下りないので、彼らは上表じょうひょうしたという形だけとり、勝手に任命していった。

 この時、袁紹えんしょうはさらに領土を拡大しようと、孫堅そんけんとは別に周喁しゅうぐ(本編未登場)を予州刺史よしゅうししに任命し、孫堅そんけん洛陽らくよう攻略に赴いている隙に予州よしゅうを占領。洛陽らくようより戻った孫堅そんけん袁術えんじゅつとともに周喁しゅうぐを追い出した。これにより袁紹えんしょう袁術えんじゅつの対立は決定的となった。

 さらにこの頃、袁術えんじゅつの元に公孫瓚こうそんさん(本編、コウソンサン、7話より本格登場)の従弟・公孫越こうそんえつ(本編未登場)が対陣していたが、彼もこの予州よしゅう戦に加わり、戦死してしまう。これに公孫瓚こうそんさんは激怒し、袁紹えんしょうを恨み、北方では公孫瓚こうそんさん袁紹えんしょうの戦いが勃発ぼっぱつする(界橋かいきょうの戦い)。[公孫瓚こうそんさん伝・孫堅そんけん伝]

 これに加えて袁術えんじゅつは南の荊州けいしゅうへと勢力を拡大しようと、孫堅そんけんに命じて荊州刺史けいしゅうしし劉表りゅうひょう(本編、リュウヒョウ、63話より本格登場)を攻めさせた。だが、この戦いで運悪く孫堅そんけんは戦死し、袁術えんじゅつ荊州けいしゅう侵攻は失敗に終わった。[孫堅そんけん伝]

 かなりややこしくなってきたが、ざっくりまとめると袁紹えんしょう曹操そうそう劉表りゅうひょうが結びつき、袁術えんじゅつ孫堅そんけん公孫瓚こうそんさんと対立状態となり、反董卓とうたく連合は事実上の消滅へと向かっていた。

 さて、ここで一度、孔明こうめいの父・諸葛珪しょかつけいの話に戻そう。

 これより未来の記述となるが、諸葛亮しょかつりょう伝には、孔明こうめい従父おじ諸葛玄しょかつげん袁術えんじゅつの任命により予章太守よしょうたいしゅとなり、孔明こうめいとその弟・諸葛均しょかつきんを連れて赴任したとあり、その兄の諸葛瑾しょかつきん伝では、諸葛瑾しょかつきんは漢の末年、戦乱を避けて江東こうとうに移住したとある[諸葛亮しょかつりょう伝、諸葛瑾しょかつきん伝]

 孔明こうめい諸葛瑾しょかつきんが避けた戦乱が具体的に何を指すか諸説あるが、一般には193年の曹操そうそう徐州じょしゅう侵攻のこととされている。

 諸葛玄しょかつげん予章太守よしょうたいしゅに任命されたのは195年頃なので、年数的にも妥当ではないだろうか。

 また、この時孔明こうめい従父おじである諸葛玄しょかつげんに従っているので、父・諸葛珪しょかつけいが亡くなったのは避難する193年以前ではないだろうか。

 つまり、諸葛珪しょかつけいもこの頃に亡くなったと推測できるのである。では、この頃に何があったのだろうか。


 諸葛珪しょかつけい泰山郡たいざんぐんじょうであった。この泰山郡たいざんぐん兗州えんしゅうに属すが、徐州じょしゅうに属す孔明こうめいの故郷・琅邪国ろうやこくのすぐ隣にある。

 189年より泰山郡たいざんぐん太守たいしゅ(郡長官、諸葛珪しょかつけいの上司)は応卲おうしょう(本編未登場)が勤めていた。191年、隣の青州せいしゅうより黄巾賊こうきんぞくの残党三十万が食料を求めて泰山郡たいざんぐんに侵攻した。応卲おうしょうは文官・武官を率いて勇戦し、数千の首級を上げ、ぞく退しりぞけた。[後漢書・応卲おうしょう伝]

 この時の青州せいしゅう黄巾賊こうきんぞくはその後、青州せいしゅうに戻ったが、今度は公孫瓚こうそんさんに追い返され、翌192年、再び兗州えんしゅうに入り、任城国にんじょうこく(兗州えんしゅうに属す)のしょう(太守たいしゅではなく国王(皇族)が治める郡を国と呼び、その地の内政担当者(事実上の長官)をしょうと呼んだ)・鄭遂ていすい(本編未登場)を殺害し、更に北隣の東平国とうへいこく(兗州えんしゅうに属す)へ侵攻した。兗州えんしゅう刺史しし劉岱りゅうたい(本編、リュウタイ、6話より登場)はこれを迎え撃ったが、敵わず戦死してしまう。

 これを受け済北国せいほくこく(兗州えんしゅうに属す)のしょう鮑信ほうしん(本編、ホウシン、6話名のみ登場)は当時、東郡とうぐん(兗州えんしゅうに属す)太守たいしゅであった曹操そうそうを迎えて兗州牧えんしゅうぼくとした。曹操そうそう黄巾賊こうきんぞくと戦い、彼らを降伏させ、兵士三十万、その家族百万を受け入れ、これを青州兵せいしゅうへいと名付けた。[武帝紀ぶていき(曹操そうそう伝)]

 また先の話になるが、193年には徐州牧じょしゅうぼく陶謙とうけん(本編、トウケン、24話より登場)が泰山郡たいざんぐんに侵攻し、華県かけん費県ひけんを奪い、さらに任城国にんじょうこくを攻略した。[武帝紀ぶていき]

 孔明こうめいの父・諸葛珪しょかつけいのいた泰山郡たいざんぐんは、191年・193年にそれぞれ黄巾賊こうきんぞく陶謙とうけんの侵攻を受けており、あるいはこの時に諸葛珪しょかつけいも戦死したのかもしれない。

 これはあくまでも可能性の話で、事実は諸葛珪しょかつけいは早くに亡くなった以上のことはわからない。だが、彼が亡くなったのは、孔明こうめいの母の死から疎開そかいまでの間の事であり、孔明こうめいが11歳~13歳頃の出来事と推測される。

 そして、190年~193年頃に相次いで両親を失った孔明こうめい少年は、従父おじ諸葛玄しょかつげんに連れられて故郷から逃げ出すこととなった。あるいは諸葛玄しょかつげん予章太守よしょうたいしゅに任じられたのを受け、この孤児らを連れていくことにしたのかもしれない。


 ◎孔明、故郷を去る


 では、次は孔明こうめいが故郷から避難することになった193年頃の情勢を解説していこう。

 話は少しさかのぼるが、191年、董卓とうたく長安ちょうあん遷都せんとすると、旧首都・洛陽らくようの守りに残された朱儁しゅしゅん反董卓連合はんとうたくれんごうと内通し、出奔しゅっぽんしてしまった。[後漢ごかん書・朱儁しゅしゅん伝]

 朱儁しゅしゅんは過去の黄巾こうきん討伐で活躍した将軍である。演義えんぎ(古典小説)でも優れた将軍として描かれる一方、吉川英治よしかわえいじの小説や横山光輝よこやまみつてるの漫画では傲慢ごうまんな将軍として描かれ、こちらの印象が強い人も多いかもしれない。

 だが、彼は当時を代表する将軍の一人であった。

 そんな朱儁しゅしゅん反董卓はんとうたくに参加した。加わった朱儁しゅしゅんは早速、諸州にげきを飛ばすと、これに徐州刺史じょしゅうしし陶謙とうけんらがこたえ、朱儁しゅしゅんの元に兵を派遣した。[後漢ごかん書・朱儁しゅしゅん伝]

 先の反董卓連合はんとうたくれんごう袁紹えんしょう袁術えんじゅつの二組に大きく別れ、打倒董卓とうたくよりも自勢力の拡大に躍起やっきになっていた頃、この朱儁しゅしゅんを中心に新反董卓連合軍はんとうたくれんごうが誕生した。

 だが、朱儁しゅしゅんらが新たな反董卓連合はんとうたくれんごうを発足させようとしていた頃、長安ちょうあんで事件が起きる。

 192年、董卓とうたくを、司徒しと(大臣最高位の一つ)・王允おういん(本編、オーイン、8話より登場)と董卓とうたく配下の呂布りょふ(本編、リョフ、5話より登場)が殺害するという事件が発生。しかし、董卓とうたくの将軍・李傕りかく(本編、リカク、13話より本格登場)、郭汜かくし(本編、カクシ、13話より本格登場)らはすぐに呂布りょふを破り、王允おういんを殺し、新たな権力者となった。[武帝紀ぶていき董卓とうたく伝]

 新たに李傕りかく政権(李傕りかく・|郭汜|《かくし》・樊稠はんちょう(本編未登場)・張済ちょうせい(本編、チョウセイ、15話名のみ登場)らの連合政権だが、便宜上、李傕りかくを中心に話を進める)が発足すると、朱儁しゅしゅんらの新反董卓とうたく連合軍は、徐州刺史じょしゅうしし陶謙とうけん朱儁しゅしゅん太師たいし(皇帝を補佐する役、本来は名誉職、前任者は董卓とうたく)になることをすすめ、李傕りかくらを討ち、献帝けんていを迎えるよう進言した。

 この提案に陶謙とうけんの他、前揚州刺史ようしゅうしし周乾しゅうけん(本編未登場)、琅邪国ろうやこくしょう陰徳いんとく(本編未登場)、東海国とうかいこくしょう劉馗りゅうき(本編未登場)、彭城国ほうじょうこくしょう汲廉きゅうれん(本編未登場)、北海国ほっかいこくしょう孔融こうゆう(本編、コウユウ、15話より登場)、沛国はいこくしょう袁忠えんちゅう(本編未登場)、泰山郡たいざんぐん太守たいしゅ応卲おうしょう(前述の諸葛珪しょかつけい上司)、汝南郡じょなんぐん太守たいしゅ徐璆じょきゅう(本編、ジョキュウ、45話より登場)、前九江郡きゅうこうぐん太守たいしゅ服虔ふくけん(本編未登場)、博士・鄭玄じょうげん(本編、ジョウゲン、45話名のみ登場)らが賛同した。[後漢ごかん書・朱儁しゅしゅん伝]

 この内、琅耶国ろうやこく東海国とうかいこく彭城国ほうじょうこく徐州じょしゅうに属し、北海国ほっかいこく青州せいしゅう泰山郡たいざんぐん兗州えんしゅう沛国はいこく汝南郡じょなんぐん予州よしゅう九江郡きゅうこうぐん揚州ようしゅうに属す。徐州じょしゅう青州せいしゅう兗州えんしゅう予州よしゅう揚州ようしゅうの五州に股がる大同盟であった。


 この頃の情勢を整理すると、長安ちょうあんに発足した李傕りかく政権、それに対し打倒李傕りかく政権を掲げる朱儁しゅしゅん同盟、そんなこと知ったことかと自勢力拡大に躍起やっき袁紹えんしょう組の三勢力に大きく分けられる。

 他に曹操そうそう劉表りゅうひょう袁紹えんしょうと協力関係に、袁術えんじゅつ公孫瓚こうそんさんはこの後の行動から推測するに、朱儁しゅしゅん同盟に接近していたようだ。

 この他に益州えきしゅう劉焉りゅうえん関中かんちゅう(大陸西部)諸侯の馬騰ばとう(本編、バトウ、67話より登場)・韓遂かんすい(本編未登場)なんかもいるが、今回の解説には関係ないので割愛する。

 なお、我らが主人公・劉備りゅうびだが、当時は公孫瓚こうそんさんの配下的な立ち位置にいた。

 李傕りかくらから見れば、打倒李傕りかく政権を標榜ひょうぼうする朱儁しゅしゅん同盟も、勝手に領土を拡大し、刺史しし太守たいしゅを任命する袁紹えんしょうも、政権を運営していく上で邪魔であることに代わりはない。

 そんな時、李傕りかくらに太尉たいい(大臣最高位の一つ)・周忠しゅうちゅう(本編未登場)、尚書しょうしょ(内政官)・賈詡かく(本編、カク、32話より登場)は進言した。[後漢ごかん書・朱儁しゅしゅん伝]

 それは朱儁しゅしゅんらを懐柔かいじゅうし、袁紹えんしょう組を滅ぼそうという策であった。

 なお、余談だが、周忠しゅうちゅうは後のの将軍・周瑜しゅうゆ(本編、シュウユ、21話より登場)の従父おじにあたり、賈詡かくは後に曹操そうそうの参謀になる。

 李傕りかくはこの策に乗り、太傅たいふ(皇帝の教育係、名誉職)・馬日磾ばじつてい(本編未登場)、太僕たいぼく(大臣の一つ)・趙岐ちょうき(本編未登場)を東方へ派遣した。二人はまず洛陽らくように赴いて後、馬日磾ばじつていは東方面に赴き、趙岐ちょうきは別に河北かほく方面(黄河北部)に赴いた。[袁紹えんしょう伝、袁術えんじゅつ伝、後漢ごかん書・趙岐ちょうき伝]

 おそらく、洛陽らくように赴いた時、その付近に駐屯していた朱儁しゅしゅんと接触したのだろう。彼らは朱儁しゅしゅん詔勅しょうちょく(皇帝の命令書)を下し、入朝にゅうちょう(つまり皇帝のいる長安ちょうあんに戻れ)するよう伝えた。

 朱儁しゅしゅんの部下は陶謙とうけんらに合流し、同盟の盟主になることを勧めたが、朱儁しゅしゅんは、皇帝の招聘しょうへいなら従わねばならない、また、李傕りかく郭汜かくしらは若僧に過ぎず、彼らでは自分に何かするような策はないと言い、陶謙とうけんらの同盟から離脱し、長安ちょうあんへと入った。[後漢ごかん書・朱儁しゅしゅん伝]

 盟主になるはずであった朱儁しゅしゅんを失った陶謙とうけんは、部下の王朗おうろう(本編、オウロウ、63話より登場)や趙昱ちょういく(本編未登場)の進言に従い、李傕りかく政権へ接近していくこととなる。これを受けて、おそらく馬日磾ばじつてい徐州じょしゅうに向かったのだろう。徐州じょしゅう刺史ししであった陶謙とうけん安東将軍あんとうしょうぐん徐州牧じょしゅうぼく溧陽侯りつようこうに昇進させ、趙昱ちょういく広陵こうりょう太守たいしゅに、王朗おうろう会稽かいけい太守たいしゅへと任命した。[陶謙とうけん伝、王朗おうろう伝]
 
 一方、河北かほくに赴いた趙岐ちょうき袁紹えんしょうの元を訪れ、未だ戦争中である公孫瓚こうそんさんとの停戦を命じ、公孫瓚こうそんさんにも書状を送って同様に命じた。[袁紹えんしょう伝]

 李傕りかくらは袁紹えんしょうには停戦を命じる一方、陶謙とうけんらの元朱儁しゅしゅん同盟組には官職を与え、彼らを懐柔していった。ここで彼らがこの頃に受け取ったと思わしき官職をまとめると

陶謙とうけん安東将軍あんとうしょうぐん徐州牧じょしゅうぼく溧陽侯りつようこう
公孫瓚こうそんさん前将軍ぜんしょうぐん易侯えきこう
袁術えんじゅつ左将軍さしょうぐん陽翟侯ようてきこう
劉表りゅうひょう安南将軍あんなんしょうぐん(『劉鎮南碑りゅうちんなんひ』による。『正史三国志』及び『後漢ごかん書』では鎮南将軍ちんなんしょうぐんとする)・荊州牧けいしゅうぼく成武侯せいぶこう

 となる。[袁術えんじゅつ伝、公孫瓚こうそんさん伝、陶謙とうけん伝、劉表りゅうひょう伝、後漢ごかん書・劉表りゅうひょう伝、劉鎮南碑りゅうちんなんひ]

 一方、袁紹えんしょう曹操そうそうには停戦命令こそ出したが、何の官職も与えてはいない。

 劉表りゅうひょう袁紹えんしょうと同盟関係にあったが、彼は元々董卓とうたくに任命された正式な荊州刺史けいしゅうししであったし、袁術に攻められたため、袁紹に接近することとなっただけで、荊州けいしゅう支配が優先事項であった。劉表りゅうひょうは密かに李傕りかくらとも連絡を取り合っていた。

 李傕りかく陶謙とうけんらを手懐け、彼らを使って密かに袁紹えんしょう曹操そうそう包囲網を完成させていた。

 北は幽州ゆうしゅう公孫瓚こうそんさんと、その協力関係にある常山じょうざん(冀州きしゅうに属す)の黒山賊こくざんぞく匈奴きょうど(北方異民族)の於夫羅おふら(本編未登場)、東は徐州じょしゅう陶謙とうけん、南は荊州けいしゅう袁術えんじゅつ(拠点は南陽郡なんようぐん)と劉表りゅうひょう(拠点は南郡なんぐん)、そして西には李傕りかくらと、冀州きしゅう袁紹えんしょう兗州えんしゅう曹操そうそうへの包囲網が完成した。

 李傕りかくらは、袁紹えんしょうの代わりの冀州牧きしゅうぼく壺寿こじゅ(本編未登場)を黒山賊こくざんぞくの元に、曹操そうそうの代わりの兗州刺史えんしゅうしし金尚きんしょう(本編未登場)を袁術えんじゅつの元に派遣した。

 袁術えんじゅつ金尚きんしょうと共に曹操そうそう領の陳留郡ちんりゅうぐんに進出した。この動きに北方では黒山賊こくざんぞく匈奴きょうど於夫羅おふらが呼応し、公孫瓚こうそんさん劉備りゅうび高唐こうとう(青州せいしゅう平原国へいげんこくに属す)に、単経ぜんけい平原へいげん(青州せいしゅう平原国へいげんこくに属す)に駐屯させ、陶謙とうけん(おそらく本人ではなく彼の軍隊だろう)は発干はつかん(兗州えんしゅう東郡とうぐんに属す)に進出し、袁紹えんしょう曹操そうそうらを圧迫した。[武帝紀ぶていき袁紹えんしょう伝、袁術えんじゅつ伝、公孫瓚こうそんさん伝、呂布りょふ伝、後漢ごかん書・袁紹えんしょう伝]

 曹操そうそう陳留郡ちんりゅうぐんの隣、済陰郡せいいんぐん鄄城県けんじょうけんに駐屯していたが、袁術えんじゅつ彭丘ほうきゅう(陳留郡ちんりゅうぐんに属す)に駐屯し、さらに将軍の劉祥りゅうしょう(本編未登場)を匡亭きょうてい(陳留郡ちんりゅうぐん平丘県へいきゅうけんに属し、彭丘県ほうきゅうけんの北東に位置する)に駐屯させた。

 おそらく、この袁術えんじゅつの動きに連動したのだろう。陶謙とうけん兗州えんしゅう泰山郡たいざんぐんに侵攻し、任城国にんじょうこくを攻略した(前述の諸葛珪しょかつけいの話で出た193年の戦いのこと)[武帝紀ぶていき]


 この時の陶謙とうけんの侵攻で、曹操そうそうの父・曹嵩そうすう(本編未登場)が殺されている。泰山郡たいざんぐん太守たいしゅ応卲おうしょうはかつて陶謙とうけんとともに朱儁しゅしゅん同盟に参加した人物であったが、あっさりと同盟が崩壊し、打倒するはずの李傕りかくらについたのが許せなかったのか、どうもこの頃、袁紹えんしょう曹操そうそう陣営についたようだ。

 曹嵩そうすうはこれより前、曹操そうすうが反董卓とうたくの挙兵をする時に徐州じょしゅう琅邪国ろうやこくに避難していたが、曹操そうそう陶謙とうけんとの関係悪化により、泰山郡たいざんぐんへと移動する最中の出来事であった。応卲おうしょう曹操そうそうの怒りを恐れて、袁紹えんしょうの元に逃走した。[武帝紀ぶていき]

 一方、曹操そうそうは南下して袁術えんじゅつの将・劉祥りゅうしょうを攻撃、そこへ袁術えんじゅつが救援に駆け付けるとこれも撃破した。さらに荊州けいしゅう劉表りゅうひょうが侵攻し、袁術えんじゅつ軍の糧道を絶った。袁術えんじゅつ曹操そうそうの追撃を受けながら、逃げに逃げ、最終的に揚州ようしゅう九江郡きゅうこうぐんにまで逃走した。[武帝紀ぶていき]

 劉表りゅうひょう袁紹えんしょう李傕りかく、どちらにも友好的な態度で接していた。彼は荊州けいしゅうの全域を支配下におくことが優先事項であり、そのために荊州けいしゅう北部の南陽郡なんようぐんに居座る袁術えんじゅつが邪魔だった。劉表りゅうひょうの侵攻により、袁術えんじゅつ南陽なんように帰れなくなり、彼は揚州ようしゅうへと逃走することとなった。

 一方、曹操そうそう袁術えんじゅつ揚州ようしゅうまで撤退すると、自身は引き返し、父のかたきである陶謙とうけんのいる徐州じょしゅうへ侵攻。徐州じょしゅう十余城を陥落させ、彭城ほうじょう陶謙とうけん軍と大会戦となった。陶謙とうけん軍は敗走し、その死者は万単位にのぼり、泗水しすい(徐州じょしゅうにある川)はこのために流れがき止められた[武帝紀ぶていき陶謙とうけん伝]

 さて、話がだいぶ長くなってしまったが、ここで話を孔明こうめい諸葛しょかつ一家に戻す。

 これらの戦いは、包囲網の形成から曹操そうそう袁術えんじゅつの戦いが192年の暮れ~193年の春にかけて、曹操そうそう徐州じょしゅう侵攻が193年の秋に行われた。

 この戦いの頃、諸葛しょかつ一家は故郷を離れ、南へと避難したのではないだろうか。

 理由として上げられるのは3つ。

 まず、①曹操そうそうの脅威である。

 曹操そうそう陶謙とうけんとの会戦後、奪われていた泰山郡たいざんぐん費県ひけん華県かけんを取り戻し、さらに即墨県そくぼくけん開陽県かいようけんを攻撃した。[曹仁そうじん伝]

 このうち開陽県かいようけん徐州じょしゅう琅邪国ろうやこくに属し、孔明こうめい本籍地ほんせきちである陽都県ようとけんのすぐ側にある。(即墨県そくぼくけん(正しくは即墨侯国そくぼくこうこく)は青州せいしゅう北海国ほっかいこくに属す、あるいは琅邪国ろうやこく即丘侯国そくきゅうこうこくの誤りか)

 この時の曹操そうそうは食糧不足で引き上げたが、戦いの火種は残っており、いつ再び徐州じょしゅうに侵攻してくるかわからない状況であった。(実際、翌年夏に再討伐を行う)

 曹操そうそうの侵攻は、諸葛しょかつ一家の故郷付近まで迫ってきており、またいつ攻めてくるかわからない状況であった。次こそ陽都県ようとけんまで侵攻してくるかもしれないということから、曹操そうそうが引き上げたうちに、彼らは故郷を去ったのであろう。

 次に、②食糧不足である。

 翌194年7月、いなごの大量や日照りにより、食料不足となり、穀物こくもつ高騰こうとうし、人間同士が食いあい、白骨が山と積まれたという。またこの食糧不足により、兗州えんしゅうでは曹操そうそう呂布りょふとの戦争が中断されている。[武帝紀ぶていき後漢ごかん書・孝献帝紀こうけんていき]

 兗州えんしゅうが食糧不足で悩まされているなら、その隣の徐州じょしゅうも影響を受けているだろう。働き手である父を失ったばかりの諸葛しょかつ家にとってきつい状況だろう。食糧を求め、江東こうとうに移っても不思議はない。実際、董卓とうたくの乱以降、中原ちゅうげん一帯の食糧不足は深刻で、多くの人士が江東こうとう江南こうなんへ避難していた。

 最後に、③陶謙とうけんとの関係悪化である。

 陶謙とうけんは打倒李傕りかくを掲げながら、あっさりと李傕りかく政権側につき、さらにその結果、曹操そうそうの侵攻を招いてしまった。陶謙とうけんの能力面での不信はあったのではないか。

 また、孔明こうめい従父おじ諸葛玄しょかつげん袁術えんじゅつによって予章よしょう太守たいしゅに任命されている[諸葛亮しょかつりょう伝]

 この頃、陶謙とうけん袁術えんじゅつの関係は悪化している。

 ここで九江郡きゅうこうぐんに逃走した袁術えんじゅつの話の続きをしよう。

 これより以前、袁術えんじゅつ揚州刺史ようしゅうしし陳温ちんおん(本編未登場)を殺害し(病死とも)、代わりに陳瑀ちんう(本編未登場)を揚州刺史ようしゅうしし(ぼくとも)に任じていた。
 
 しかし、袁術えんじゅつが敗走し揚州ようしゅうに来ると、陳瑀ちんう袁術えんじゅつの入城を拒否したので、袁術えんじゅつは、今度はこの陳瑀ちんうを追い出し、揚州ようしゅうを支配した。寿春じゅしゅん(揚州ようしゅう九江郡きゅうこうぐんに属す)を本拠地とし、さらに自ら徐州伯じょしゅうはくと名乗った。[袁術えんじゅつ伝、呂範りょはん伝、後漢ごかん書・孝献帝紀こうけんていき後漢ごかん書・袁術えんじゅつ伝]

 袁術えんじゅつが名乗った徐州伯じょしゅうはくだが、この時代にこんな役職はなく、具体的な役割はよくわからない。

 州牧しゅうぼくの制度のことを牧伯ぼくはく制といったので、州牧しゅうぼくに近いものなのかもしれない。だが、表向きはまだ徐州牧じょしゅうぼく陶謙とうけんと協力関係にあったから、州牧しゅうぼくの代わりに名乗ったのかもしれない。

 あるいは朱儁しゅしゅんの抜けた代わりに、その同盟の盟主の意味合いで名乗ったのかもしれない。

 また、かつて周王朝しゅうおうちょうを樹立した武王ぶおうの父・文王ぶんおう西伯せいはくの称号で知られる。将来的に皇帝を名乗る袁術えんじゅつはその前段階として徐州伯じょしゅうはくを名乗ったのかもしれない。

 いずれにせよ、徐州牧じょしゅうぼくで、朱儁しゅしゅん同盟の旗揚げメンバーであった陶謙とうけんからしたら、袁術えんじゅつ徐州伯じょしゅうはくを称することにいい気はしなかっただろう。

 また、この頃、袁術えんじゅつ李傕りかく政権とも距離を取り始めていた。

 袁術えんじゅつ寿春じゅしゅんに移った頃、使者の馬日磾ばじつてい袁術えんじゅつの元にやってきて、彼を左将軍さしょうぐん陽翟侯ようてきこうに任じようとしたが、袁術えんじゅつは彼からせつ(使者の証)を奪い取り、拘留こうりゅうして帰さなかった。馬日磾ばじつていうれいと怒りにより194年に亡くなった。[袁術えんじゅつ伝、後漢ごかん書・袁術えんじゅつ伝]

 また、李傕りかくらは代わりの揚州刺史ようしゅうししとして劉繇りゅうよう(本編、リュウヨウ、21話より本格登場)を任命したが、袁術えんじゅつはこれとも対立した。[劉繇りゅうよう伝]

 こういった袁術えんじゅつの行動により、陶謙とうけんは彼を信用しなくなっていった。

 孫堅そんけんの息子・孫策そんさく(本編、ソンサク、7話より登場)は、袁術えんじゅつ庇護下ひごかにあったが、母は江都こうと(徐州じょしゅう広陵郡こうりょうぐんに属す)に暮らしていた。陶謙とうけん孫策そんさくを深く嫌ったので、孫策そんさくは部下の呂範りょはん(本編、リョハン、22話より登場)を江都こうとにやり、母を自分のもとに連れて来させようとした。しかし、陶謙とうけん呂範りょはん袁術えんじゅつのスパイと思い、彼を拷問にかけ取り調べた。後、呂範りょはん食客しょっかくによって救い出され、孫策そんさく母も救いだし、孫策そんさくたちは叔父(母の弟)の呉景ごけい(本編、ゴケイ、22話より登場)のもとに移り住んだ。[孫策そんさく伝、呂範りょはん伝]

 おそらくこれは193年頃の出来事であろう。袁術えんじゅつを疑うようになった陶謙とうけんは、孫策そんさくを嫌い、袁術えんじゅつのところから来たというだけで、呂範りょはんをスパイと判断した。つい最近までともに曹操そうそうと戦っていたとは思えない変わり様だ。

 話を諸葛玄しょかつげんに戻すが、彼は袁術えんじゅつによって任命された人物だ。袁術えんじゅつの家は後漢ごかんを代表する名家で、お世話になった氏族も数多い。

 諸葛しょかつ氏もえん氏に縁のある一族だったのかもしれない。そのために陶謙とうけんにらまれた可能性はあるのではないだろうか。ただ、後にに仕えた諸葛誕しょかつたんのように故郷に残った諸葛しょかつ氏もいることは考慮すべきである。

 こういった理由により、孔明こうめいの家は従父おじ諸葛玄しょかつげんに従い、徐州じょしゅうを去ったのではないだろうか。時に193年~194年頃、孔明、13~14歳の出来事である。
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