FIGHT AGAINST FATE !

薄荷雨

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short story ※時系列バラバラです

彼シャツ

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 夏の日差しを浴びてすっかり乾いた洗濯物を取り込む。
 シーツと部屋着、タオルと靴下と下着。それから良太の黒いインナー。
 榊は反射的に、αのフェロモンというのは洗濯後の衣類にも残っていたりするのかな、と鼻を近付けた。

 どうせβに分かるわけないのに。

 我ながら無意味なことをしていると気付き、虚しくなって止める。柔軟剤の香りがするだけだ。
 大きな黒いシャツを軽く揺すって広げれば、見た目はしっかり綺麗になっている。改めてαの皮膚から分泌されるフェロモン物質の落ち具合は気になるところだが、残念ながらβでは確かめようがない。
 そこで興味というか悪戯心というかで、こんなことをしてみようと考えた。
 自分がこれを着用し、良太にバレるかどうかの実験をするのだ。気付かれたら洗濯後の衣類にαフェロモンが残存していることになる。次回から洗剤を変えるなどして対応しなければならない。
 人様の肌着を勝手に着るのはどうかとは思うが、さんざん肉体的な接触をする仲になっておきながら、今さら恋人が汚いでもないだろう。やるなら自分の体臭を洗い流した入浴後が望ましい。バレてもバレなくても、使用したものはまた洗えばいいだけだ。
 ・
 ・
 ・
 その晩のこと。先にシャワーを使わせてもらった良太は、寝室のベッドに腰掛けて榊が来るのを心待ちにしていた。
 ここでどうやって恋人をよろこばせ、蕩かしてあげようかと営みの手順について思いを巡らせている。イメトレともいう。
 程なくして入浴を終えた榊がやってきたのだが、今夜は薄手のパジャマを着ていた。事に及ぶ夜は、脱ぐ手間を省くために腰にタオルを巻きつけただけの姿でくる。彼が寝間着になるのは睡眠に臨むときだけだ。

 今日はしたくないのかな。

 期待が外れて残念に思うが、いや待てよ、と慎重になる。単純に気が乗らないだけならいいが、体調が優れないのなら看病とまではいかなくてもそれなりに面倒を見てあげたい。彼はついこの間まで、頭痛と悪寒がするといって風邪薬を服用していたばかりなのだ。
「榊さん、具合わるい?」
 なにか薬を用意しましょうかと提案したが、別にどこも悪くないという。
 彼は隣に座り身を寄せ、何か気付いたことはあるかと訊いてきた。
 営みが終わってもいないのにパジャマを着ているということは、したくないの意思表示なのだろうから、
「今夜はエッチなしってことですよね」
 と答えれば、そういう訳じゃないという。さらにこちらの腰を跨ぎ、馬乗りになって抱きついてきた。つまり対面座位の姿勢。
「これだと?」
「いえ、あの……」
 何かを分かって欲しいことだけは察しがつくのだが、自分に分かることといえば、
「綺麗で可愛いです」
 それだけだった。今に限ったことではなく四六時中だけど。
「他には」
「あったかい」
「あとは」
「いい匂い」
「惜しい」
「惜しい?」
 これは洗髪料や石鹸を変えたのに気付くかどうか、というテストなのか。しかし彼から香ってくるのは昨日と同じものだ。記憶を探っても、バスルームにあったトイレタリーには特に変化はなかったし。
「今の私からαのフェロモンのにおい、してるかな」
「え、誰の」
「良太の。他に誰がいるんだよ」
 それはそうだ。もしこの人から他のαのフェロモンが漂ってこようものなら、正気でいられる自信はない。それでも安心を得たくて彼を抱き込み、探知するようにして髪から耳元、首筋くびすじと順番に嗅いでいく。鎖骨を辿るために襟を開こうとしたところで──
「あれこれ俺のシャツじゃないっすか」
 彼の胸元を覗き込む。やや色褪せた黒いインナーは、やっぱり自分のものだった。
 理由を聞けば、洗濯後の衣類にフェロモンが残っているかどうかを確かめたかっただけらしい。一瞬、俺の着ているものに包まれたいみたいな?なんていう甘っちょろい妄想をしたけど、あっさり打ち砕かれた。
「で、どうなんだ?」
「フェロモンってなんか、単なる匂いっていうより存在のアピールみたいな感じなんですけど、今の榊さんからはの感じはしないです」
「洗濯の効果はちゃんとあるってことだな」
 そうですねえ、と言いながらここぞとばかりに肌の匂いを堪能する。いい香りだ。
「榊さんの匂いだけです」
「さっき風呂入ったばっかだけど臭うか?」
 この人はどういうわけか妙に自己評価が低いので、遠回しに注意されているとか欠点を指摘されているとか、そんな風にとらえてしまうきらいがある。
「違いますよ。いい匂いです」
「……そうか?嫌なら言えよ」
「シャンプーと柔軟剤の匂いなので、大丈夫ですよ」
 具体的に何々だから好ましいと言えば納得してくれる、多分。そうであってくれ。
 入浴後の瑞々しく温かな肌から立ち上る香料の匂いは最上級に魅力的なのだから、間違ってもそれを無臭にしてしまうなど止めてほしい。
 でも正直、俺は洗剤や柔軟剤の化学的な芳香よりも、もっと榊さんの動物的な体臭を感じてみたい。彼は清潔好きなのでそんな機会は滅多にないし、あっても無理やり匂いを嗅いだりはしないけど。嫌われたくないから。

 βにもフェロモンがあったらいいのにな。

 この人を識別できるフェロモンがあればいいのに。αの本能に届く深いところで、もっと榊さんを知りたい。発情期のΩみたいにαに性行為を強制する力はあってもなくてもどっちでもいい。そんなのなくたって好きだし、大事だし、欲情するので。
 自らボタンを外しにかかる彼の手を押さえ、
「俺が脱がせたいです」
 と要求すれば素直に応じてくれる。
 ベッドに押し倒して布越しに身体の弾力を楽しんだり、敏感なところをくすぐって快楽に導いていけば、彼はもどかしそうに身を捩り始めた。愛撫しつつ丁寧に衣服を取り去り、下着も脱がせていく。
 ただし黒いインナーはそのまま残した。流石に丈は腰まわりをすっぽり覆うくらいの余裕はないが、それが却って露出した部分を際立たせる。兆しはじめた陰部の血色。形の良い白い脚と黒い布地のコントラスト。
 こちらの視線に気付いた彼は顔を背け、日差しを遮るように左腕で覆う。右手では裾を引っ張って恥部を隠すけど、その姿態は慎ましいというより扇情的で逆効果だ。
「彼シャツっていいですね」
「普通、ワイシャツでやるんじゃないか」
「そうかも。あれば着てもらえますか」
 と伺えば小さな声で、いいよ、とお許しをもらった。

 翌日、花園地区の紳士服量販店に、彼氏に似合う自分のシャツを買い求める良太の姿があったという。






 


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