【完結】異世界でラスボスの生贄になったはずなのに何故か溺愛されました ~次は、あなたの物語~

上杉

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2章 あなたを幸せにしたい

1 王の居室

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 理人は心地よい微睡みのなかにいた。
 からだ全体をなにやら温かくて重たいものが包んでいる。そのずっしりと柔らかい重みに、思わず昔家で飼っていた犬を思い出した。
 幼い頃彼の家にいた黒い巻き毛の大型犬は、犬なのにどこか猫のように偏屈で、名前を呼んでもクールにこちらを見返すばかりだった。
 そんな愛犬アンバーが唯一すり寄ってきたのは寝るときで、理人が布団に入るといつも体温を求めてやってきたのだ。
 そんな幸せな記憶を思い浮かべながら、理人は無意識に手でまさぐる。あの柔らかな巻き毛を探してさまようも、手は別の何かをなぞったのだった。
 ――ん?
 理人は違和感を覚えてようやく気付いた。
 愛犬アンバーが死んだのはもう二年も前のことだ。では、いま一体どういう状況だろう。
 半分まぶたが下りた状態で、手は自分のベッドとは違うなめらかで高級な肌触りを感じた。
 ――ここは…………どこだっけ?
 理人が観念して目を開けると、飛び込んできたのは大きな窓とその向こうで煌めく星雲だった。それはすみれ色の淡い闇を背景に、幻想的な光景を醸し出していた。
 そんな非日常的な風景を前に、理人はようやく我に返った。
 ――そうだ!俺は転生して夜ノ国に来たんだ!
 目前に広がる不思議な夜空に、これが夜ノ国の朝なのかと思いながらからだを起こす。すると腰のあたりに人の腕が巻きついていることに気づいた。
「……ん?」
 重たいそれをなにも考えずに引き剥がしてから、彼はようやく気づいた。
「やっば……」
 その叫びとほぼ同時に、腕の持ち主――影の王セヴェト=オルカロスが不機嫌そうに目を開けたのだった。
 紫の瞳がこちらを捉え、理人はびくりとする。
「…………なぜ貴様、ここにいる」
 蛇に睨まれた蛙、いや蛙ならそのまま昇天するだろう。そんな鋭い視線を向けられ思わず動揺する。
 ――やばい…………あの部屋を脱走してぶらぶらしてたなんて言えるわけない。
 目の前の王は不快感をあらわにし、理人は口をつぐむ。
 どくどくと脈打ちはじめた心臓の音を聞きながら、そういえば現世でもこういうときいつも黙っていたな、と彼は思った。
 本当は、
『与えられた部屋にすぐに戻るはずだったのに、あなたが急に手を引っ張って引き止めたせいだ』
 みたいに言いたいことがあったのに。
 現世では喉元まで出かかったことばを無意識に飲み込んでいたのだ。自分が黙っていればどうにかなる、そう思って。
 結局、それでは自分が傷つくばかりでなにも状況は変わらなかった。そしていつの間にか追い詰められてどれだけ苦しい思いをしただろう。
 理人はそんな自分を無意識に変えたいと思った。
 異世界にいるというだけでなく、この王に言いたいことを言って正面から向き合いたいと思ったのだ。
 理人は堂々と紫の瞳を見つめ、かすかに震えながら口を開く。
「ええと、覚えていませんか?」
「……何をだ?」
「昨晩、王が自ら俺の腕を掴んで……その、寝台に。なので一晩となりでお世話になったんです」
 必死に言うと、王は素直に腕を組んで少し考えたあと、なにかに気づいたように手を数回握ったあとで目を逸らして口を開いた。
「………………知らん」
 理人は反射的に思った。
 ――この人、絶対覚えてる……!
 しかしそれ以上はツッコまなかった。
 とりあえず、これまで押し込めていたことばをはじめて口にすることができたのだ。理人は王を前にすっかり清々しい気持ちで、いまはここから帰ることを考えはじめていた。
 朝を迎え、スタブが様子を見にあの部屋を訪れているかもしれなかった。不在がわかれば、この世界ではじめての友人であるスタブに迷惑をかけてしまう。
「…………お邪魔しました」
 そう深々と頭を下げて、理人はそそくさと寝所を後にしようとした。すると、
「おい!」
 なぜか声をかけられ理人はおそるおそる振り返った。王の紫水晶とぱちりと目が合って彼は一言だけこう言った。
「左だ」
「………………へ?」
 理人が意味がわからずぽかんとしていると、王は呆れた顔をして続けた。
「お前の部屋は左だと言っている」
 どうやら、理人の部屋がここから左手側にあることを伝えたかったらしい。
「……知ってますけど」
「ならいい。うろうろされてはかなわんから、一応言ってやったんだ。さっさと自分の部屋に戻るがいい」
 そう強い口調で言うので、理人は頭をかしげながらも一応礼をして部屋を後にしたのだった。

「……ふう」
 隣りの塔へと続く回廊を歩きながら、理人は安堵していた。
 影の王の凄みに押されながらも、なんとか無事に帰ることができそうなのだ。
 同時に、目の前に迫る紫の瞳を思い浮かべながら、理人はあの王が悪い人ではないのかもしれないと思い始めていた。
 寝台での寂しそうな姿もそうだが、彼はわざわざ呼び止めてまで帰り道を教えてくれたのだ。
 ――ということは、俺がどこにいたのか把握していたっていうことだ。
 やはり、ひねくれているだけで実は思いやりのある優しい人なのかもしれない。
 愛犬アンバーの、こちらを馬鹿にしながらもどこか気にしてそわそわとしていた後ろ姿を思い浮かべながら、理人は自室へと足を速めたのだった。


「……はあ」
 静寂を取り戻した自室で、セヴェトはため息をついた。そのあとで不意に柱の影に気配を感じ、彼はそれに向かって声をかける。
「アヌサバ、なぜここに?」
 すると老翁がひっそりと闇のなかから姿を現し、頭を下げて答えた。
「……いえ、大した用事ではございません。昨日召喚したあの生贄が与えた部屋におりませんでしたので、魔力の痕跡を追ったところこの場所へたどり着いた次第です」
「……そうか」
「まさか、閣下の寝所にいるとは思いもしませんでした。……昨晩からこちらにいたようですが、不都合はございませんでしたでしょうか?」
 アヌサバのことばにセヴェトは黙り、しばし考えこみはじめた。そして数回手を握っては開くを繰り返しあとで、ちいさく呟く。
「………………そうか」
 そのどこかぼんやりとした珍しい様子に、老翁は思わず問う。
「……閣下?」
「ん?なんだ?」
「いえ。別に問題がなかったのならばよいのです。では、失礼を」
 そう言うと、アヌサバは王を部屋に残しその場をあとにした。
 誰もいない回廊を音を立てずに歩きながら、老翁はひとり呟く。
「あの者なら…………できるかもしれない」
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