【完結】初恋の女神の弟がなぜか俺にちょっかいを出してくるんだが? ~恋、始まり今いずこ~

上杉

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1 Side 慧

15 女神の凱旋

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 空調を付けた部屋のなかで、俺たちは今日の目的である勉強に勤しんでいた。
 誉史の要望は、夏休みの課題を進めつつ、明けに控えた確認テストに向けての勉強だった。そこでいまは、その課題として指定されている参考書に取り組んでいたところだ。
 そうして俺が生物Ⅱのテキストを眺めているときだった。
 突然、誉史は開いていた数Cのテキストをばたんと閉じ、頭をテーブルに突っ伏したのだった。
「……先輩、俺……やっぱり図形苦手かも」
 ――珍しい、弱音を吐いている。
 普段からかわれているせいもあって、俺はすこしだけ嬉しくなりながら、ここぞとばかりに正論を言う。
「なら繰り返すしかないだろ。……俺にはここに線を引いてくれって図が言っているように見えるときがあるからな」
「…………まじか。変態の一歩手前じゃん。……あー、俺もその目が欲しい」
「だから、あとはもう慣れなんだって!」
 そんな阿保なやり取りを繰り返してはいたものの、一緒に勉強して俺は誉史の地頭のよさを思い知っていた。今日のように俺が一対一で説明すれば、この程度ならすぐにできるようになるだろう。
 順風満帆な空気のなかで、俺の目は急に視界の端にある写真の山を映す。
 ――あの写真のこと…………聞いてもいいのだろうか。
 隠すように部屋の端に置かれていた無数の写真。
 あれは、俺の親切心とうっかりにより勝手に見てしまったものだが、本来ならば家族の団らんの場になければならないものだ。
 だから、俺はどうも気になってしまった。
 ――普段明るい誉史にも、なにか抱えているものがあるのかもしれない。ただ……それを本人が聞いてほしいと思っているかはきっと別だ。
 俺がそう自分に言い聞かせたときだった。
 遠くでピーンポーン、というチャイムの音が鳴った気がした。
 ――誉史のお母さんか?
 そう声をかけようとしたとき、なぜか誉史は怪訝な顔をしていた。
 その普段とは違う冷ややかな空気に、俺はたまらず聞く。
「どうした?」
 それと女性の声が聞こえたのはほぼ同時だった。
「ただいま」
 扉の向こう、階段のしたから聞こえた響きは想像以上に若かった。
 そのため、俺はまさかと期待する。
 ――英梨さん!
 そう名前を呼ぼうとしたときだった。
 勢いあまって立ち上がり飛び出そうとした俺は、突然誉史によって止められてしまった。
 口は誉史の手で覆われ、もう片方の手で後ろからやんわりと腰を掴まれ、羽交い締めにされる。
 その突然のことに俺がどうした?と声をかけようとするも、誉史は俺がからだの力を抜いたことに気づいたようで、なぜか腕をほどいた。
 なので誉史のほうを見て小声で聞く。
「なあ、挨拶はいいのか?」
 それに対する返事はなかった。
 ただ同時に扉の向こうから、
「あれ、誉史いる?」
 という英梨さんのことばが聞こえた瞬間、誉史はなにかに気づいたように突然俺の手を掴み引っぱると、窓際に置かれたベッドの上へと押しやったのだった。
 混乱したままの俺は窓のほうを向く形で転がされ、むき出しの右耳をなぜか誉史の手のひらで塞がれる。
「……誉――」
「しっ」
 誉史がそう小さく制すると同時に、ベッドがぎしりと音を立て、俺の全身をふわりとしたものが覆う。
 それは上にかけられた布団と――それだけじゃなかった。
 布団と同時にそこに入ってきたのは、誉史本人だった。
 ドアに背を向ける形で、俺の背中にぴたりと張り付くように横たわる。そのかすかな息が俺の首のうしろをかすめ、背中や腰からは誉史の体温が伝わってきた。
 同時に鼻にぶわりと誉史の匂いが広がり、俺は戸惑う。
 ――なぜ……こんなことを?
 そんなとき、階段を上がる足音が聞こえたと思うと、同時に耳を押さえる手が何故か強くなり、そして、ノックの澄んだ音があたりに響いた。
「ただいま。誉史いるの?」
 それは英梨さんだった。そのことばに誉史は俺の耳元で返す。
「……ああ。ちょっと体調悪くて」
「夏風邪流行ってるみたいだから気をつけなよ」
「姉貴は……何しに帰ってきたの?」
「忘れ物があったから有給とって取りに来たの。……じゃあ、雨降りそうだからもう行くね。お大事に」
 そう言うと、英梨さんは何事もなかったように階段を降りて行った。
 目の前にはうす闇と汗ばむほどの温もり、そして誉史の強い匂いが充満していた。
 俺は鼓動が速くなるのを感じながら、なぜ英梨さんを前にすこしも動けないでいたのか、ぼんやりと疑問に思う。
 憧れの、ずっと会いたかった女神がそこにいたにも関わらず、俺の身体はすこしも動かなかった。
 ――それは一体なぜだろうか。
 考えようとしたけれど、それは無駄に終わった。
 俺の頭は布団のなかの熱気と湿気にやられたようでくらくらし、もうなにも考えられなかった。
 ただ、猛烈に感じられたのは、誉史の触れた場所の熱さと耳をかすめる息づかい、そして背から伝わる鼓動だけだった。
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