消えゆく日々に、君と選んだひとつの未来

葉方萌生

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第八章 きみだけが消えていく

8-2

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 観念して病院に直撃するか——でも、もし瑠伊の姿を見られなかったら怖い。恐れと不安が心を支配して、身体がぎゅっと固くなっていた。
 そんな時に、スマホのバイブ音が鳴った。
 もしかして瑠伊……? 
 ドクドクと脈打つ心臓を抑えながらもう片方の手を伸ばしてスマホを開くと、そこには友達登録していない人からのメッセージが来ていた。

「誰だろ」

 アイコンは黄色いインコの写真。表示名は「mio」になっている。

「みお……もしかして、向井さん?」

 そうだ。私が知っている「みお」という名前の人は向井さんしかいない。どうしたんだろう。彼女とは昨日確かに話をしたけれど、わざわざ休日に連絡してくるなんて。
 ドキドキしながら「友達追加」ボタンを押す。それから彼女のメッセージを開いた。

【突然のメッセージごめん。クラスのグループから連絡先追加させてもらった。瑠伊のこと知ってるでしょ? さっき目が覚めたって瑠伊のお母さんから連絡が来た。私、今日は病院行けないから、代わりに綿雪さんが行ってよ】

「えっ」

 予想だにしていない内容だった。
 まさか、瑠伊の無事を知らせてくれるのが向井さんだなんて考えもしなかったので一瞬面食らう。

 “私、今日は病院行けないから、代わりに綿雪さんが行ってよ。”

 その一文に込められた意味をじっくりと咀嚼するように考える。
 あの向井さんが、わざわざ私に瑠伊のところへ行くように伝えてくれている……。本当は真っ先に自分が彼のところへ行きたいと思っているに違いない。でも、用事で行けないから、ひとまず私に瑠伊の無事を確認してきてほしいと願っているのだ。

【向井さん、知らせてくれてありがとう。行ってきます】

 消沈していた気分を前向きに切り替えて、すぐに支度をして一階まで駆け降りた。

「夕映、どっか行くと?」

「うん。瑠伊が目覚めたんだって! クラスの子から連絡があった! だから今から病院に行ってきます」

「まあ、そうと? 気をつけて行ってきんしゃい」

 安堵の笑みを浮かべる母に背を向け自宅を飛び出した。


 外はうんざりするほどの晴天だった。夏の日差しがアスファルトを熱して、照り返しに目の下の皮膚がジリジリと灼かれるのを感じる。目を瞑りたくなるほどのまぶしさの中、最寄りのバス停から病院まで行くバスに乗り込んだ。
 車窓から見える真白湖の水面はきらきらとした陽光を反射して、鱗のような煌めきを放っている。涼しい車内から見たら思わずため息が漏れるほど美しい景色だった。地元福岡にいたときには、夏はただ暑いだけで、外に出るのも億劫だった。でもこの町には確実に光がある。私はいま、瑠伊が無事に生きている世界で彼に会いにいくのだ。
 瑠伊は……私になんて言うだろうか。
 私は瑠伊に謝らなくちゃいけない。
 私のせいで、事故に遭わせてしまったこと。
 車のほうに過失があるとはいえ、私が瑠伊と会うのを断り続けていたから、昨日瑠伊は私の様子を見に来てくれたに違いない。そこで車に轢かれそうになった私を助けてくれたのだ。感謝と謝罪を伝えなければ。


 病院にたどり着くと、受付で瑠伊のお見舞いに来たという旨を伝えた。
 教えてもらった瑠伊の病室を訪ねると、瑠伊の病室から二人の大人が出てくるところだった。
 一人は瑠伊と同じ、胸の下まで伸びるブロンズの髪の毛と紺碧色の瞳を持つ女性。もう一人は優しそうな男性。ひと目で瑠伊のご両親だと分かった。
 まさかここで瑠伊のご両親と鉢合わせるとは思っていなくて、その場で身体が硬直する。
 何か言わなくちゃ、と思うのに、上手く言葉が出てこない。瑠伊を事故に遭わせた張本人が、何を言えば許してもらえるのか、瞬時に頭が回らなかった。

「きみはもしかして……」

 お父さんのほうが、私に何か勘付いた様子で近づいてくる。逃げ出したくなる気持ちを抑えて、ぐっと彼を見つめた。

「瑠伊の友達かな? 瑠伊が守ったっていう」

 どっちなんだろう。
 彼が、私を責めたいと思っているのか、そうでないのか分からなくて、震えながら「はい」と頷いた。

「そうか。お見舞いに来てくれたのかな?」

「は、はい。あの、この度はなんとお詫びを申し上げたらいいか……」

 たどたどしい敬語で頭を下げる。するとお父さんは「顔を上げて」とやさしい口調で言った。

「瑠伊がこうなったのはきみのせいじゃないよ。悪いのは車のほうだって聞いてる。頭を怪我したけど、手術も上手くいったから、安心して。気を煩わせてしまっただろう。申し訳ない」
 
 あろうことか、今度はお父さんのほうが私に頭を下げてきた。
 予想もしていなかった彼のその言動に、心臓が激しく跳ねる。

「ち、違います……! 私よりご両親にご心配をかけてしまったかと思います。本当にすみませんでしたっ」

 ようやく感情の波が、言いたかった言葉に追いついて、二人に自分の気持ちを伝えることができた。お父さんが目を大きくさせて私を見ている。が、すぐにふっとやわらかく微笑んで、「きみみたいな優しい友達ができて嬉しいな」とつぶやく。

「優しい友達……」

「ああ。きみは、瑠伊の記憶のこと知ってる?」

「はい。瑠伊くんから聞いています」

「そうか。私たちはね、瑠伊がああなってから、高校では新しい友達をつくらないんじゃないかって心配してたんだよ。でもきみみたいな優しくて可愛らしい友達がいるって知って、とても安心した。瑠伊のそばにいてくれてありがとう」

「そんな……私のほうこそ、瑠伊くんと友達になれてすごく嬉しいです。だからその……これからも、よろしくお願いします」
 
 これは想像だけど、瑠伊のお父さんもお母さんも、瑠伊が記憶喪失になってしまったことで、自分たち自身のことを責めたんじゃないかと思う。瑠伊が学校でいじめられていたことに気づかなかったこと。そのせいで、瑠伊が致命的な怪我を負ってしまったこと。もし私が彼らの立場だったら、自分のせいで可愛い息子が辛い思いをする羽目になったと悔いるだろう。

「本当にありがとうございます」

 それまで黙っていた瑠伊のお母さんが、流暢な日本語でお礼を伝えてくれた。瑠伊がクラスメイトから「外国人」とからかわれたのはお母さんがフィンランド人だからだ。お母さんは、瑠伊が記憶を失って、きっと誰よりも苦しかっただろうな……。

 私は、去っていく二人の後ろ姿を見ながら、切なさでやりきれない心地がしていた。
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