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第一章 月の海
帰ってきた
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「朝香ー朝香、聞いて! 翔が帰ってきたんだって!」
真夏のまとわりつくような暑さと、べたつく潮風が吹き抜ける七月頭、幼馴染の藤宮菜々が私の店までやってきた。まだ開店準備もできていない午前九時のこと、木造の引き戸を無造作に叩く音がして、慌てて鍵を開ける。暖簾の向こうから現れた菜々は息せき切った勢いでぐぐぐ、と近づいてきた。思わず二、三歩後ずさる。
「菜々、朝からどうしたの? 今日菜々のお店は?」
「今日は臨時休業にしたから大丈夫。それより翔だよ、翔!」
およそ十年ぶりに聞くその名前に、私は菜々の顔をまじまじと見つめる。翔。高校を卒業してから淡路島を出て東京に行ってしまった男。その間ずっとこっちに戻ってくることはなかった。それなのに、なんで今更?
「翔、帰ってきたって本当?」
「うん、さっき隼人から連絡が来た。だから間違いないって」
「ふうん」
隼人というのは私や菜々、翔と同じあわじ南高校に通っていた友達だ。元サッカー部で、勉強はてんでできない。脳みそが筋肉でできてるんじゃないかってぐらいバカだ。今でもたまに集まると、おバカ発言を繰り出す。豪快な笑い声をあげて、周囲に呆れられる。でも彼のバカみたいな明るさは、クラスメイトたちに愛されていた。
その隼人がわざわざ菜々に連絡を入れたということは、翔が島に帰ってきたことはどうやら本当らしい。菜々は、まるで恋する乙女みたいな表情を浮かべて、「翔」と何度も口にしていた。
「朝香、どうしたの。嬉しくないの?」
「うーん、そりゃ嬉しいけど……」
「だよね? もう十年も前のことだし時効じゃん。純粋にかつての級友が、しかも超人気売れっ子俳優の翔とまた会えるなんて、夢みたいじゃない」
「夢みたい、か。そうだね」
富士山よりも高い菜々の朝のテンションに、私は上手くついていくことができない。翔が帰ってきたという情報が、頭の中で混乱をもたらしている。嬉しい——確かにそのはずなんだけれど、それだけでは言い表せない、複雑な気分にさせられていた。
真夏のまとわりつくような暑さと、べたつく潮風が吹き抜ける七月頭、幼馴染の藤宮菜々が私の店までやってきた。まだ開店準備もできていない午前九時のこと、木造の引き戸を無造作に叩く音がして、慌てて鍵を開ける。暖簾の向こうから現れた菜々は息せき切った勢いでぐぐぐ、と近づいてきた。思わず二、三歩後ずさる。
「菜々、朝からどうしたの? 今日菜々のお店は?」
「今日は臨時休業にしたから大丈夫。それより翔だよ、翔!」
およそ十年ぶりに聞くその名前に、私は菜々の顔をまじまじと見つめる。翔。高校を卒業してから淡路島を出て東京に行ってしまった男。その間ずっとこっちに戻ってくることはなかった。それなのに、なんで今更?
「翔、帰ってきたって本当?」
「うん、さっき隼人から連絡が来た。だから間違いないって」
「ふうん」
隼人というのは私や菜々、翔と同じあわじ南高校に通っていた友達だ。元サッカー部で、勉強はてんでできない。脳みそが筋肉でできてるんじゃないかってぐらいバカだ。今でもたまに集まると、おバカ発言を繰り出す。豪快な笑い声をあげて、周囲に呆れられる。でも彼のバカみたいな明るさは、クラスメイトたちに愛されていた。
その隼人がわざわざ菜々に連絡を入れたということは、翔が島に帰ってきたことはどうやら本当らしい。菜々は、まるで恋する乙女みたいな表情を浮かべて、「翔」と何度も口にしていた。
「朝香、どうしたの。嬉しくないの?」
「うーん、そりゃ嬉しいけど……」
「だよね? もう十年も前のことだし時効じゃん。純粋にかつての級友が、しかも超人気売れっ子俳優の翔とまた会えるなんて、夢みたいじゃない」
「夢みたい、か。そうだね」
富士山よりも高い菜々の朝のテンションに、私は上手くついていくことができない。翔が帰ってきたという情報が、頭の中で混乱をもたらしている。嬉しい——確かにそのはずなんだけれど、それだけでは言い表せない、複雑な気分にさせられていた。
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