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幹事
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ハロウィンが終わると、パークはクリスマスのデコレーションを始めた。
冬のイベントの詳細も明らかになり、めぐと弦は広告媒体に向けたPR記事の作成に追われ、合間に取材にも対応する。
「めぐ、急げ!あと3分しかない」
「待ってー。だってさ、あの記者さん、話が長いんだもん」
雑誌のインタビューが押してしまい、次のテレビ取材の待ち合わせ場所まで走って向かう。
「なんとかセーフ?」
「ああ」
息を切らしながら関係者入り口まで行くと、テレビクルーはまだ来ていなかった。
「ふう、良かった。私、コートも着ないまま走ってたよ」
めぐは手にしていた制服のロングコートを羽織る。
ボタンを留めていると、ふと弦が手を伸ばした。
「じっとしてて」
そう言ってめぐの前髪をサラリとなで、右側から左へと整える。
「ん、いつものめぐ」
「ありがとう」
顔を上げたままお礼を言うと、弦はめぐと視線を合わせてふっと微笑む。
めぐはドキッとして慌ててうつむいた。
(まただ。氷室くん、とにかく嬉しそうなんだよね)
友達同盟を結んでから、弦はいつも楽しそうにめぐに笑いかけるようになった。
告白の返事を保留にしていて申し訳ない、というめぐの気持ちを知ってか知らずか、まるでそんなことは気にしていないとばかりに常に明るく笑っている。
(返事を催促されないのは助かるけど、なんだか告白されたのが嘘みたい。氷室くん、もう私のこと好きじゃなくなったのかな?友達でいいやってこと?)
そんなことを考えていると、ガヤガヤとテレビクルーが姿を現す。
めぐは気持ちを入れ替えて、にこやかに笑顔で出迎えた。
◇
「もうすぐクリスマスか、早いなあ」
無事にテレビの収録が終わり、弦と二人で事務所に戻ってパソコンに向かっていると、ふいに環奈が呟いた。
「あー、結局今年もクリスマスまでに彼氏が出来なかったよー。やだなー、クリぼっち」
「環奈ちゃん、クリスマスまであと1ヶ月以上あるよ?これから彼氏出来るんじゃない?」
「そう思ってて出来なかったらショックなので、もうシングルベルの気分でいます」
「へえ、最近は色んな言い方があるんだね。クリぼっちのシングルベルかあ」
「雪村さん、感心するとこじゃないですよ」
そんなことを話していると、営業課の女性社員が入って来た。
「失礼します。あの、どなたかにお話ししたいんですけど……」
なんだろう?と環奈と顔を見合わせてから、めぐは立ち上がる。
「はい、私でよければお伺いしましょうか?」
「あ、じゃあ雪村さんにお願いしようかな。忘年会の幹事、今年は広報課が担当なんです。お願い出来ますか?」
「そうなんですね」
年末の各課合同の忘年会は、毎年幹事は当番制で持ち回りとなっている。
昨年は営業課で、今年はどうやら広報課の番が来たようだった。
「例年と変わらない内容で構いませんか?」
「ええ、大丈夫です。みんな業務が忙しくなる時期だし、希望者だけが集まってざっくばらんな立食パーティーって感じで」
「分かりました。ではこちらで手配しておきますね」
「よろしくお願いします。それじゃあ」
めぐが席に座り直すと、弦が隣から声をかけてきた。
「めぐ、俺も手伝うよ、幹事」
「ほんと?助かる。えーっと、確か毎年ホテルのバンケットルームでやってたよね?」
「ああ。時間がある時にホテルに相談に行こうか」
「うん、そうだね」
早速ホテルに電話を入れ、翌週に打ち合わせに行くことになった。
◇
「お疲れ様です。忘年会の打ち合わせに来ました、広報課の雪村と氷室と申します」
ホテルのフロントで女性スタッフに声をかけると、にこやかに「お疲れ様です。ご案内します」とバックオフィスに案内された。
「ただ今、宴会部門の担当者が参ります。少々お待ちくださいませ」
「はい、ありがとうございます」
出されたコーヒーを飲んでいると、程なくして40代くらいの男性スタッフが現れた。
「お待たせいたしました。宴会部門営業担当の矢田やだと申します」
めぐと弦も立ち上がって自己紹介すると、名刺を交換した。
「毎年恒例の忘年会ですので、特に変更のご希望がなければ例年通りに進めさせていただきますがいかがでしょう?」
矢田に聞かれて、めぐは弦と顔を見合わせる。
「どうだろう、例年通りでいいかな?」
「そうだな。みんな到着時間もバラバラだから立食形式にして、終盤に景品の抽選会って感じで」
「そうだね。どの部署も忙しい時期だし、顔出すだけで精いっぱいって人も多いもんね」
そう結論を出すと、矢田も頷いた。
「かしこまりました。お料理に関しては毎年同じというのは味気ないので、シェフが趣向を凝らして考えております。幹事の方にはご試食いただくのですが、お二人のご都合はいかがでしょう?よろしければ今夜でもこちらは構いませんが」
「えっ、そうなのですか?」
またしてもめぐは弦と相談する。
二人とも今夜は特に予定はなく、お言葉に甘えて、と業務後にホテルのバンケットルームを訪れることになった。
矢田とは一旦別れてホテルをあとにする。
「幹事って試食出来るんだね!俄然やる気が湧いてきちゃった」
「ははっ!じゃあ毎年幹事に名乗り出るか?」
「それでもいいくらい。あー、お料理楽しみだな」
そんなことを言いながら事務所に向かう。
「料理もいいけど、他にもやることあるぞ。会費を決めて、全社員にお知らせメール送って出欠取って、あとは景品の買い出しも」
「あー、そうだね。会費ってどれくらいだっけ?会社から補助が下りるから、例年4000円くらいだよね?」
「ああ。けど物価高もあるし、それで大丈夫かどうか矢田さんに相談しなきゃな。もし今年から値段を上げたいって言われたら、単純に会費を上げるか、それとも料理のランクを落とすか、もしくは景品の予算を落とすか、調整しなきゃな」
「うん。それにしても氷室くんってほんとに頼りになる。良かった、一緒に幹事やってくれて」
「めぐ一人だと、きっと料理のことで頭がいっぱいになるだろうなと思ってさ」
「えっ、そんなこと!……あるけども」
小声でうつむくめぐに、弦はおかしそうに笑う。
「めぐは今夜の試食をしっかり味わってくれればいいよ。他のことは俺がやるから」
「うん、ありがとう!料理評論家の気分でしっかり試食させていただきます」
二人で笑いながら事務所に入った。
◇
「わあ、美味しそう!」
定時を過ぎて再びホテルを訪れた二人は、バンケットルームに用意されていた料理に目を輝かせる。
白いクロスが掛けられた丸テーブルに所狭しと並べられたお皿には、少量ずつ前菜やオードブルが盛り付けられていた。
矢田が椅子を引いて二人を席に促す。
「こちらが全てではないのですが、今年から新たなメニューに加える予定の品々です。どうぞご賞味ください」
「はい、いただきます」
ブイヤベースやカルパッチョ、キッシュやカナッペやピンチョス、ブルスケッタやアヒージョなど、少しずつ色んな種類を試食していく。
「んー、どれも美味しいです」
「それは良かった。あとは定番ですが、パスタやスープやサラダ、ローストビーフ、チーズフォンデュ、スペアリブなどもご用意いたします。もちろんデザートも」
「楽しみです。ホテルのオリジナルスペアリブ、私大好きなんです」
「ありがとうございます。今、お持ちしましょうか?」
「えっ、そんな。どうぞお気遣いなく」
「いえいえ、少々お待ちください」
矢田がうやうやしく頭を下げてその場を離れると、めぐは声を潜めて弦に話しかけた。
「なんか図々しかったかな?」
「いや、そんなことないけど。でもまあ、あんなに目を輝かせて言われたらなあ」
「え?私、そんなだった?」
「ああ。スペアリブって矢田さんが言った瞬間、キラーン!って感じ」
「ほんとに?でも大好きなんだもん、ここのスペアリブ」
「確かに美味しいもんな」
そんなことを話していると、矢田がトレイにお皿を載せて戻って来た。
「お待たせいたしました。スペアリブでございます」
「ありがとうございます。すみません、お気遣いいただいて」
「いいえ。雪村さんは本当に美味しそうに食べてくださるので、私も嬉しいです」
「それはこちらのお料理が美味しいからでして……」
気恥ずかしさに取り繕うめぐに、矢田は紳士的な笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます。シェフにも伝えます」
「はい。とても美味しいですと、よろしくお伝えください」
食後のデザートプレートも、ケーキが3種類にジェラートとフルーツが添えられていて、めぐはまた目を輝かせながら味わった。
「はあ、美味しかった。当日は幹事の仕事でバタバタするだろうから、その分今夜たくさん食べさせてもらえて良かったね」
コーヒーを飲みながらそんなことを話していると、矢田が長谷部を連れて戻って来た。
「雪村さん、氷室さん、ご無沙汰しております」
「長谷部さん!こんばんは。今夜はお気遣いいただいてありがとうございました」
「いいえ、幹事お疲れ様です。忘年会の詳しいお話をさせていただいても構いませんか?」
「はい、よろしくお願いします」
長谷部と矢田も座り、4人で資料を見ながら相談していく。
「では日程は12月20日の19時から22時まで。お料理もご試食いただいた内容でよろしいでしょうか?」
矢田の言葉にめぐと弦は頷いた。
「はい、大丈夫です。それとご相談なのですが。今年は例年通りのお支払い額では厳しいですよね?会費を増額しようかと迷っております」
弦がそう切り出すと、長谷部が口を開いた。
「確かに今年からは、お料理のランクを落とさず例年通りの額で、というのが難しくなっております。かと言って社員の皆様の会費を増額するのも心苦しく。これは私からのご提案なのですが、景品の予算を減らしてみてはいかがでしょう?その分、ホテルからこちらを提供させていただきます」
そう言ってスッとテーブルに封筒を差し出す。
「ホテルのペア宿泊チケットと、フレンチレストランのペアご招待チケットです。どちらも繁忙期を除く平日のご利用という制約はございますが、抽選会を盛り上げる一因としていただければ幸いです」
えっ!とめぐは驚いて顔を上げた。
「そんな、よろしいのでしょうか?ホテルの損失にはなりませんか?」
めぐの言葉に長谷部はふっと笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ。空室のままにするよりご利用いただいた方がこちらも嬉しいですし、ホテルの宣伝にもなりますから」
長谷部の隣で矢田も頷いている。
めぐは弦と顔を見合わせた。
「じゃあお言葉に甘えて、そうさせてもらう?」
「ああ、そうだな。長谷部さん、矢田さん、本当にありがとうございます」
二人で頭を下げる。
「いいえ、お役に立てるなら良かったです。当日も精一杯おもてなしいたします」
「はい、どうぞよろしくお願いいたします」
4人で和やかに打ち合わせを終えた。
◇
バンケットルームを出て4人でエレベーターホールへと向かいながら、弦は矢田と肩を並べて雑談している。
その後ろを歩きながら、長谷部はめぐに声をかけた。
「雪村さん、随分時間が経ちましたが足の具合はいかがですか?」
「はい、もうすっかり良くなりました。その節はお世話になりました」
「いいえ。キャナルガーデンでテレビ収録されている雪村さんを度々見かけて、元気そうでホッとしてました」
「そうだったんですか。余裕がなくていつもバタバタ走り回ってますよね?お恥ずかしい」
「とんでもない。いつお見かけしても美しくて見とれてしまいますよ」
「え……」
めぐは戸惑ってうつむいた。
面と向かってそう言われると、返す言葉に詰まる。
「雪村さん、ひょっとして私の存在忘れてましたね?」
「ええ?長谷部さんのことを忘れるなんてことありませんが……」
どういう意味なのだろうと首を傾げて見上げると、長谷部はふっと頬を緩めた。
「じゃあ、7本のバラの意味は覚えてますか?」
「7本の、バラ……」
そう呟くと、途端にめぐは真っ赤になる。
「やっぱり忘れてたでしょ?」
「いえ、あの。思い出さなかっただけで、忘れていた訳では……」
「それを忘れてたって言うんですよ」
「でも、あの、今は覚えてます」
「そうですか、それなら良かった。はい、これ」
「はい?これ?」
めぐは淡々とした長谷部の口調に振り回されつつ、差し出された封筒を受け取る。
「12月15日に、ロビーコンサートがあるんです。ブライダルフェアにお越しいただいたカップルをご招待するんですが、毎年空席が目立ってしまって。もし雪村さんのご都合が合えば、お立ち寄りいただけると嬉しいです」
「え?あの、えっと……」
頭が追いつかずにいると、いつの間にかエレベーターの前まで来ていた。
弦がボタンを押しながら振り返ってめぐを促す。
「めぐ、どうぞ」
「あ、はい」
エレベーターに乗ってロビーに下り、エントランスまで来ると長谷部と矢田が改めてお辞儀をした。
「それでは我々はここで。本日はご足労いただきありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました。失礼いたします」
めぐと弦もお礼を言ってから歩き出す。
最後にチラリとめぐが視線を向けると、気づいた長谷部はめぐににこっと微笑みかけた。
◇
(うーん、どうしたもんか……)
自宅に帰っためぐは、長谷部から渡された封筒を開けて考え込む。
中に入っていたチケットには、クリスマス ロビーコンサートと書かれていた。
ホテルのロビーの中央にある大階段で聖歌隊がクリスマスキャロルを歌うコンサートで、50席ほどの客席を設けるらしかった。
(聴きに行きたいなあ、素敵だろうなあ、でもなあ……)
長谷部の顔がどうしても思い返される。
あの怪我をした時から2ヶ月が経ち、その間長谷部と会うことはなかった。
弦との関係に悩んでいたことと日々の仕事が忙しかったこともあり、正直に言うと長谷部のことを思い出すこともなかった。
(だけど長谷部さん、待っててくれたんだな。私の気持ちが落ち着くのをずっと)
とても誠実で優しい人だと思う。
けれど、それ以上にどうこうと考えたことはない。
7本のバラを贈られたら?
「ずっとあなたが好きだった」
そう言われたら?
今の自分ではきっと戸惑いが大きいだろう。
何も返事が出来ないに違いない。
(いや、まだ何も言われてないうちから悩むのは変だよね。うん、そうだよ。なんか告白を期待してるみたい。そんなことないから)
そう思い直し、もう一度チケットを手に取った。
(予定が入らなければ行こう。だって行きたいもん)
心を決めて、チケットを封筒に戻した。
冬のイベントの詳細も明らかになり、めぐと弦は広告媒体に向けたPR記事の作成に追われ、合間に取材にも対応する。
「めぐ、急げ!あと3分しかない」
「待ってー。だってさ、あの記者さん、話が長いんだもん」
雑誌のインタビューが押してしまい、次のテレビ取材の待ち合わせ場所まで走って向かう。
「なんとかセーフ?」
「ああ」
息を切らしながら関係者入り口まで行くと、テレビクルーはまだ来ていなかった。
「ふう、良かった。私、コートも着ないまま走ってたよ」
めぐは手にしていた制服のロングコートを羽織る。
ボタンを留めていると、ふと弦が手を伸ばした。
「じっとしてて」
そう言ってめぐの前髪をサラリとなで、右側から左へと整える。
「ん、いつものめぐ」
「ありがとう」
顔を上げたままお礼を言うと、弦はめぐと視線を合わせてふっと微笑む。
めぐはドキッとして慌ててうつむいた。
(まただ。氷室くん、とにかく嬉しそうなんだよね)
友達同盟を結んでから、弦はいつも楽しそうにめぐに笑いかけるようになった。
告白の返事を保留にしていて申し訳ない、というめぐの気持ちを知ってか知らずか、まるでそんなことは気にしていないとばかりに常に明るく笑っている。
(返事を催促されないのは助かるけど、なんだか告白されたのが嘘みたい。氷室くん、もう私のこと好きじゃなくなったのかな?友達でいいやってこと?)
そんなことを考えていると、ガヤガヤとテレビクルーが姿を現す。
めぐは気持ちを入れ替えて、にこやかに笑顔で出迎えた。
◇
「もうすぐクリスマスか、早いなあ」
無事にテレビの収録が終わり、弦と二人で事務所に戻ってパソコンに向かっていると、ふいに環奈が呟いた。
「あー、結局今年もクリスマスまでに彼氏が出来なかったよー。やだなー、クリぼっち」
「環奈ちゃん、クリスマスまであと1ヶ月以上あるよ?これから彼氏出来るんじゃない?」
「そう思ってて出来なかったらショックなので、もうシングルベルの気分でいます」
「へえ、最近は色んな言い方があるんだね。クリぼっちのシングルベルかあ」
「雪村さん、感心するとこじゃないですよ」
そんなことを話していると、営業課の女性社員が入って来た。
「失礼します。あの、どなたかにお話ししたいんですけど……」
なんだろう?と環奈と顔を見合わせてから、めぐは立ち上がる。
「はい、私でよければお伺いしましょうか?」
「あ、じゃあ雪村さんにお願いしようかな。忘年会の幹事、今年は広報課が担当なんです。お願い出来ますか?」
「そうなんですね」
年末の各課合同の忘年会は、毎年幹事は当番制で持ち回りとなっている。
昨年は営業課で、今年はどうやら広報課の番が来たようだった。
「例年と変わらない内容で構いませんか?」
「ええ、大丈夫です。みんな業務が忙しくなる時期だし、希望者だけが集まってざっくばらんな立食パーティーって感じで」
「分かりました。ではこちらで手配しておきますね」
「よろしくお願いします。それじゃあ」
めぐが席に座り直すと、弦が隣から声をかけてきた。
「めぐ、俺も手伝うよ、幹事」
「ほんと?助かる。えーっと、確か毎年ホテルのバンケットルームでやってたよね?」
「ああ。時間がある時にホテルに相談に行こうか」
「うん、そうだね」
早速ホテルに電話を入れ、翌週に打ち合わせに行くことになった。
◇
「お疲れ様です。忘年会の打ち合わせに来ました、広報課の雪村と氷室と申します」
ホテルのフロントで女性スタッフに声をかけると、にこやかに「お疲れ様です。ご案内します」とバックオフィスに案内された。
「ただ今、宴会部門の担当者が参ります。少々お待ちくださいませ」
「はい、ありがとうございます」
出されたコーヒーを飲んでいると、程なくして40代くらいの男性スタッフが現れた。
「お待たせいたしました。宴会部門営業担当の矢田やだと申します」
めぐと弦も立ち上がって自己紹介すると、名刺を交換した。
「毎年恒例の忘年会ですので、特に変更のご希望がなければ例年通りに進めさせていただきますがいかがでしょう?」
矢田に聞かれて、めぐは弦と顔を見合わせる。
「どうだろう、例年通りでいいかな?」
「そうだな。みんな到着時間もバラバラだから立食形式にして、終盤に景品の抽選会って感じで」
「そうだね。どの部署も忙しい時期だし、顔出すだけで精いっぱいって人も多いもんね」
そう結論を出すと、矢田も頷いた。
「かしこまりました。お料理に関しては毎年同じというのは味気ないので、シェフが趣向を凝らして考えております。幹事の方にはご試食いただくのですが、お二人のご都合はいかがでしょう?よろしければ今夜でもこちらは構いませんが」
「えっ、そうなのですか?」
またしてもめぐは弦と相談する。
二人とも今夜は特に予定はなく、お言葉に甘えて、と業務後にホテルのバンケットルームを訪れることになった。
矢田とは一旦別れてホテルをあとにする。
「幹事って試食出来るんだね!俄然やる気が湧いてきちゃった」
「ははっ!じゃあ毎年幹事に名乗り出るか?」
「それでもいいくらい。あー、お料理楽しみだな」
そんなことを言いながら事務所に向かう。
「料理もいいけど、他にもやることあるぞ。会費を決めて、全社員にお知らせメール送って出欠取って、あとは景品の買い出しも」
「あー、そうだね。会費ってどれくらいだっけ?会社から補助が下りるから、例年4000円くらいだよね?」
「ああ。けど物価高もあるし、それで大丈夫かどうか矢田さんに相談しなきゃな。もし今年から値段を上げたいって言われたら、単純に会費を上げるか、それとも料理のランクを落とすか、もしくは景品の予算を落とすか、調整しなきゃな」
「うん。それにしても氷室くんってほんとに頼りになる。良かった、一緒に幹事やってくれて」
「めぐ一人だと、きっと料理のことで頭がいっぱいになるだろうなと思ってさ」
「えっ、そんなこと!……あるけども」
小声でうつむくめぐに、弦はおかしそうに笑う。
「めぐは今夜の試食をしっかり味わってくれればいいよ。他のことは俺がやるから」
「うん、ありがとう!料理評論家の気分でしっかり試食させていただきます」
二人で笑いながら事務所に入った。
◇
「わあ、美味しそう!」
定時を過ぎて再びホテルを訪れた二人は、バンケットルームに用意されていた料理に目を輝かせる。
白いクロスが掛けられた丸テーブルに所狭しと並べられたお皿には、少量ずつ前菜やオードブルが盛り付けられていた。
矢田が椅子を引いて二人を席に促す。
「こちらが全てではないのですが、今年から新たなメニューに加える予定の品々です。どうぞご賞味ください」
「はい、いただきます」
ブイヤベースやカルパッチョ、キッシュやカナッペやピンチョス、ブルスケッタやアヒージョなど、少しずつ色んな種類を試食していく。
「んー、どれも美味しいです」
「それは良かった。あとは定番ですが、パスタやスープやサラダ、ローストビーフ、チーズフォンデュ、スペアリブなどもご用意いたします。もちろんデザートも」
「楽しみです。ホテルのオリジナルスペアリブ、私大好きなんです」
「ありがとうございます。今、お持ちしましょうか?」
「えっ、そんな。どうぞお気遣いなく」
「いえいえ、少々お待ちください」
矢田がうやうやしく頭を下げてその場を離れると、めぐは声を潜めて弦に話しかけた。
「なんか図々しかったかな?」
「いや、そんなことないけど。でもまあ、あんなに目を輝かせて言われたらなあ」
「え?私、そんなだった?」
「ああ。スペアリブって矢田さんが言った瞬間、キラーン!って感じ」
「ほんとに?でも大好きなんだもん、ここのスペアリブ」
「確かに美味しいもんな」
そんなことを話していると、矢田がトレイにお皿を載せて戻って来た。
「お待たせいたしました。スペアリブでございます」
「ありがとうございます。すみません、お気遣いいただいて」
「いいえ。雪村さんは本当に美味しそうに食べてくださるので、私も嬉しいです」
「それはこちらのお料理が美味しいからでして……」
気恥ずかしさに取り繕うめぐに、矢田は紳士的な笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます。シェフにも伝えます」
「はい。とても美味しいですと、よろしくお伝えください」
食後のデザートプレートも、ケーキが3種類にジェラートとフルーツが添えられていて、めぐはまた目を輝かせながら味わった。
「はあ、美味しかった。当日は幹事の仕事でバタバタするだろうから、その分今夜たくさん食べさせてもらえて良かったね」
コーヒーを飲みながらそんなことを話していると、矢田が長谷部を連れて戻って来た。
「雪村さん、氷室さん、ご無沙汰しております」
「長谷部さん!こんばんは。今夜はお気遣いいただいてありがとうございました」
「いいえ、幹事お疲れ様です。忘年会の詳しいお話をさせていただいても構いませんか?」
「はい、よろしくお願いします」
長谷部と矢田も座り、4人で資料を見ながら相談していく。
「では日程は12月20日の19時から22時まで。お料理もご試食いただいた内容でよろしいでしょうか?」
矢田の言葉にめぐと弦は頷いた。
「はい、大丈夫です。それとご相談なのですが。今年は例年通りのお支払い額では厳しいですよね?会費を増額しようかと迷っております」
弦がそう切り出すと、長谷部が口を開いた。
「確かに今年からは、お料理のランクを落とさず例年通りの額で、というのが難しくなっております。かと言って社員の皆様の会費を増額するのも心苦しく。これは私からのご提案なのですが、景品の予算を減らしてみてはいかがでしょう?その分、ホテルからこちらを提供させていただきます」
そう言ってスッとテーブルに封筒を差し出す。
「ホテルのペア宿泊チケットと、フレンチレストランのペアご招待チケットです。どちらも繁忙期を除く平日のご利用という制約はございますが、抽選会を盛り上げる一因としていただければ幸いです」
えっ!とめぐは驚いて顔を上げた。
「そんな、よろしいのでしょうか?ホテルの損失にはなりませんか?」
めぐの言葉に長谷部はふっと笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ。空室のままにするよりご利用いただいた方がこちらも嬉しいですし、ホテルの宣伝にもなりますから」
長谷部の隣で矢田も頷いている。
めぐは弦と顔を見合わせた。
「じゃあお言葉に甘えて、そうさせてもらう?」
「ああ、そうだな。長谷部さん、矢田さん、本当にありがとうございます」
二人で頭を下げる。
「いいえ、お役に立てるなら良かったです。当日も精一杯おもてなしいたします」
「はい、どうぞよろしくお願いいたします」
4人で和やかに打ち合わせを終えた。
◇
バンケットルームを出て4人でエレベーターホールへと向かいながら、弦は矢田と肩を並べて雑談している。
その後ろを歩きながら、長谷部はめぐに声をかけた。
「雪村さん、随分時間が経ちましたが足の具合はいかがですか?」
「はい、もうすっかり良くなりました。その節はお世話になりました」
「いいえ。キャナルガーデンでテレビ収録されている雪村さんを度々見かけて、元気そうでホッとしてました」
「そうだったんですか。余裕がなくていつもバタバタ走り回ってますよね?お恥ずかしい」
「とんでもない。いつお見かけしても美しくて見とれてしまいますよ」
「え……」
めぐは戸惑ってうつむいた。
面と向かってそう言われると、返す言葉に詰まる。
「雪村さん、ひょっとして私の存在忘れてましたね?」
「ええ?長谷部さんのことを忘れるなんてことありませんが……」
どういう意味なのだろうと首を傾げて見上げると、長谷部はふっと頬を緩めた。
「じゃあ、7本のバラの意味は覚えてますか?」
「7本の、バラ……」
そう呟くと、途端にめぐは真っ赤になる。
「やっぱり忘れてたでしょ?」
「いえ、あの。思い出さなかっただけで、忘れていた訳では……」
「それを忘れてたって言うんですよ」
「でも、あの、今は覚えてます」
「そうですか、それなら良かった。はい、これ」
「はい?これ?」
めぐは淡々とした長谷部の口調に振り回されつつ、差し出された封筒を受け取る。
「12月15日に、ロビーコンサートがあるんです。ブライダルフェアにお越しいただいたカップルをご招待するんですが、毎年空席が目立ってしまって。もし雪村さんのご都合が合えば、お立ち寄りいただけると嬉しいです」
「え?あの、えっと……」
頭が追いつかずにいると、いつの間にかエレベーターの前まで来ていた。
弦がボタンを押しながら振り返ってめぐを促す。
「めぐ、どうぞ」
「あ、はい」
エレベーターに乗ってロビーに下り、エントランスまで来ると長谷部と矢田が改めてお辞儀をした。
「それでは我々はここで。本日はご足労いただきありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました。失礼いたします」
めぐと弦もお礼を言ってから歩き出す。
最後にチラリとめぐが視線を向けると、気づいた長谷部はめぐににこっと微笑みかけた。
◇
(うーん、どうしたもんか……)
自宅に帰っためぐは、長谷部から渡された封筒を開けて考え込む。
中に入っていたチケットには、クリスマス ロビーコンサートと書かれていた。
ホテルのロビーの中央にある大階段で聖歌隊がクリスマスキャロルを歌うコンサートで、50席ほどの客席を設けるらしかった。
(聴きに行きたいなあ、素敵だろうなあ、でもなあ……)
長谷部の顔がどうしても思い返される。
あの怪我をした時から2ヶ月が経ち、その間長谷部と会うことはなかった。
弦との関係に悩んでいたことと日々の仕事が忙しかったこともあり、正直に言うと長谷部のことを思い出すこともなかった。
(だけど長谷部さん、待っててくれたんだな。私の気持ちが落ち着くのをずっと)
とても誠実で優しい人だと思う。
けれど、それ以上にどうこうと考えたことはない。
7本のバラを贈られたら?
「ずっとあなたが好きだった」
そう言われたら?
今の自分ではきっと戸惑いが大きいだろう。
何も返事が出来ないに違いない。
(いや、まだ何も言われてないうちから悩むのは変だよね。うん、そうだよ。なんか告白を期待してるみたい。そんなことないから)
そう思い直し、もう一度チケットを手に取った。
(予定が入らなければ行こう。だって行きたいもん)
心を決めて、チケットを封筒に戻した。
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