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第一章
3:橘新太が告白する①
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わたしは全ての感情を無にして彼を見上げた。
「橘さんですね。では警察に通報します」
「いや待ってなんで⁉」
「さっきの騒ぎといい、電柱の影に隠れていた怪しさといい、罪状は揃っています」
「それは違うよ七瀬ちゃん! 柱に隠れていたのはアパートから出てきた君をビックリドンキーさせてハートをゲッチューする計画があったわけで、絶対にストーキングとかそういう気色悪い真似をしようとしていたわけじゃない! そう、あの犬コロさえいなければ今頃全部うまくいってたんだ!」
「通報します」
「ごめんて‼」
コートのポケットからスマホを取り出すわたしの前で、橘さんは流れるように土下座をする。まるで日頃からしているかのような躊躇のない動きだった。
ふと顔を上げると、アパートの前にいるわたしたちを先ほどのギャラリーさんたちが遠巻きに見ていた。片や通報すると脅す女と、片や土下座して全力で謝る男……。これは構図的にも体裁的にもいろいろよろしくない。
とりあえず場所を移動しましょうと、わたしは橘さんを立たせてそそくさとアパートを出る。ギャラリーさんたちに、えへへ……みたいな顔でペコペコ頭を下げながら路地を進み、突き当たりの十字路を曲がった。住宅街の路地なので車の往来も少なく、角を曲がったら一段と人気も減った。
「いや~あやうくよからぬ噂が立つところだったね、七瀬ちゃん。ご近所付き合いって大事だからさ。見物人もあそこまで集まらなくてもいいのにねぇ?」
何ごともなかったように黒キャップをかぶりなおした橘さんが呑気に笑う。軽く頭痛がしてわたしは溜め息を吐いた。朝っぱらから何なんだこの人。
「で、なんで電柱に隠れていたんですか。そもそもいつからいたんですか。どうしてわたしがあのアパートにいるって知ってたんですか。通報されたくなかったら答えてください」
「あー待って待って七瀬ちゃん。そんな矢継ぎ早に訊かんでも。大丈夫、俺は逃げないぜ」
「逃げても通報します」
「逃げられないぜ」
橘さんはパチリとウインクする。可愛くない。
「だいたいさ、七瀬ちゃん。昨日山を下りたとき何時だったか覚えてる?」
訊かれてわたしは昨夜のことを思い出す。山の中で力尽きて眠って、彼の背中で目が覚めたあと――。二人で山を下りたときにはすでに辺りは真っ暗で、急に復活したスマホの時計は深夜十一時をさしていた。山の中にいたときはずっと夕暮れ時だったのに、あまりに早すぎる時間の流れに目を剥いたものだ。もちろん近くにバスや車は通っておらず、蒼ちゃんに迎えに来てもらおうにも、そこがどこかも分からなかったから電話もできず。結局蒼ちゃんのいるアパートを地図で辿りながら徒歩で帰路についたのである。
橘さんとは、山の麓で一方的に謝り倒して猛然と立ち去ったはずだ。彼に頼れば助けてくれそうな気もしたけど、それを上回るほどの怪しさと気色悪さがあったので適切な対処だったと思う。
「でもさ、いたいけな少女を夜道に一人で歩かせるなんて危ないじゃん? もしも変質者が襲ってきたらどうすんのよ。だから俺は――」
「こっそりわたしの跡をつけてきたと?」
「正・解」
橘さんは不適に笑ってパチンと指を鳴らす。やってること変質者のそれなんだわ。
「まさか……それから朝までずっといたんですか。一度家に帰りましたよね?」
「そりゃね。一度帰って、早朝にはあの電柱のとこにいたけど」
「うっわ……」
「まて、重ねていうが俺は断じて変質者じゃない。仮に変質者であったとしてもビギナーだ。セーフだろ?」
アウトだよ。
「つーか気味悪がるけど、しょうがないじゃんよ。こちとら君の荷物を預かってんだから早く返してあげないとさ。七瀬ちゃん、俺がどこに住んでいるかとか知らないわけだし、こうでもしないと会えないだろ」
橘さんは若干不満気に口を尖らせて腕を組む。わたしはやっぱりかと思った。昨日の彼の落ち着きようからして、荷物の行方はなんとなく察しがついていた。
「……キャリーケース、預かってくれていたんですね」
「そうだよ。あのまま山の中に置いておくのも危ないし。七瀬ちゃんもキャリーを探すために外に出てきたってとこなんじゃないの? 探す手間省けてよかったじゃん」
「そのわりには、キャリーが見当たらないんですけど……」
「うん。持ってきてないからね」
「……どうして」
「だってぱぱっと返しちゃったらもう会えなくなるじゃない。その前に七瀬ちゃんの困り事を聞いておこうと思ってさ。実際どう? なんか困ってるっしょ」
なんか、とは濁したけれど、確実にわたしが何に困っているのか分かっている問いかけだ。わたしの中では彼への不審度が増していく。
「……橘さんは、一体何者なんですか」
「ふ、ふ、ふ。まぁ気になるのも仕方ないでしょうな。昨日……あの夕暮れ時の甘くときめくひとときを味わっちゃあ、俺のことが気になって夜も眠れなかっただろうよ」
「爆睡でした」
「健康的だね」
「じゃなくて、一体何なんですか、あなたは。わたしの……なんか変なモノが見えるこの目を、治してくれるんですか」
「や、俺医者じゃないし眼球どうこうはできんよ。でも君のお困り事は解決できる。一晩経ったけどやっぱりまだ彼らがマトモに見えていないみたいだし……このままじゃ危なっかしいしね」
というわけで、と彼はパンと両手を胸の前で合わせる。わたしにニッコリ笑った。
「君が俺の〝困り事〟を請け負ってくれるなら、今のその状況を解決しよう。キャリーはどのみち返すから安心していいよ」
「……困り事って?」
「俺と結婚を前提に付き合って下さい」
「お断りします」
「いや待って‼ 間《ま》がほしい! 一秒でも間がほしいっ‼」
焦った声を上げる橘さん。しかし間なんぞあってたまるか。わたしは適切に対応する。
「人をおちょくらないでください。昨日もそうでしたけど、いきなりそういうこと言われても困ります。そういうのは人を選んでください。迷惑です」
「いや違うって、おちょくってないって本気! マジホント、付き合って下さいっ」
「お断りします」
「早いってえええええええッ‼」
橘さんはその場に崩れ落ちる。
「ウソでしょ、俺、その、さっきは超絶イケメンとか自分で言ったけど、実際それなりに自信があるっていうかっ。彼女さんは絶対大事にするしっ、ご飯奢るし、文句言わないし、服とか綺麗だねとか髪綺麗だねとか毎日言うし、こう、なんかとにかく、それで今までうまくやってきたんですっ。この俺のどこあたりがダメなんでしょうかっっっ」
「全体ですね。気持ち悪いです」
「うそおおおおお」
「だいたいなんですか。経験豊富じゃないですか。なんでそれでこのわたしを口説くんです。わたしだって自分でいうのもなんですけど見た目も中身も根暗ですよ」
「あーそれはだろうなとは思うよ。今までの女性の中じゃダントツで地味だ」
おうはっ倒すぞ。
「でもだからイケるかなって思って……。というかまぁ、ぶっちゃけ相思相愛にならんでもいいっていうか。愛はなくても子孫を残せたら俺はそれでいいっていう、そういう感じでして……」
後半だんだん尻すぼみになっていく言葉に、わたしは眉をひそめる。なんじゃその機械的恋愛。そういう思想か?
「どういうことです」
「えぇーどうしよ……、話したいところなんだけど……これ話すと高確率でドン引かれるんだよなぁ」
橘さんは心から困ったような顔で頭を掻く。そこでふと、何かに気づいたように辺りを見回した。ゆっくりと立ち上がってこちらに顔を向ける。
「それよか七瀬ちゃん、ちょっと場所変えない? もう少し安全なところ知っているから、そこ行こうよ」
わたしは冷やかに目を細める。
「人目もあって人家もあって見通しのいいこの十字路を離れて、あなたについていけと? 何されるか分からないのに?」
「上がらない信頼度」
「変なこと言うからですよ」
「やーでも、ここはちょっとまずいんだって。十字路は――辻は、いろいろ厄介な人たちが通る場所だから。一度巻きこまれたら結構面倒なことになるっていうか……」
『――ぁ…………コ……』
そのとき。何かが聞こえた。わたしは目を瞬いて辺りを見る。
「あれ、なんか今……」
「え、なに。どしたの」
「いや、なんか今……声が聞こえたような……」
あれぇ? と耳に手を添えて周囲を見回す。か細く、切れ切れな声が聞こえたような気がしたのだ。見渡した十字路は、不思議なことに影一つ見えない。ごくごく普通の住宅街の光景があった。わたしの言葉に、橘さんはたちまち顔をひきつらせる。
「あ、ちょ、七瀬ちゃん! 絶対それ聞いちゃダメ! アカンやつそれっ」
「え、なんで……」
「いいから耳塞いでっ。聞こえなくなるまで耳塞いで!」
この人には聞こえてないのかな。
けれども耳を塞ごうとした刹那、後ろからまたその声が聞こえた。
『――コ……。あ…………こ』
「あこ……?」
「ああああ七瀬ちゃん! 振り返ったらダメ――!」
橘さんの悲鳴に似た声に構わず、わたしは何気なく後ろを振り返る。
遙か見上げてしまうほどの巨大な黒い人影が、目の前に立っていた。
『――……コ……、ア……ンコ――……アああああンんんんんコおおおおお』
か細い声から一転、あたかも化けの皮を剥いだような重く低い声音が十字路に轟く。真っ黒に塗りつぶされた巨人は、そこに顔がないはずなのに確かにそう喋った。
わたしは立ちはだかった巨人を見上げ、フーッと白目をむく。倒れそうになったところを後ろから橘さんが支えに入った。
「七瀬ちゃん! ちょ、戻ってこい! 昇天すな!」
「南無三……」
「あーもーだから振り向いちゃダメって言ったのに! とりあえずこっち!」
橘さんはわたしの手を掴むと脱兎の勢いでその場から逃げ出す。わたしは彼に引っ張られるまま十字路をあとにした。
「橘さんですね。では警察に通報します」
「いや待ってなんで⁉」
「さっきの騒ぎといい、電柱の影に隠れていた怪しさといい、罪状は揃っています」
「それは違うよ七瀬ちゃん! 柱に隠れていたのはアパートから出てきた君をビックリドンキーさせてハートをゲッチューする計画があったわけで、絶対にストーキングとかそういう気色悪い真似をしようとしていたわけじゃない! そう、あの犬コロさえいなければ今頃全部うまくいってたんだ!」
「通報します」
「ごめんて‼」
コートのポケットからスマホを取り出すわたしの前で、橘さんは流れるように土下座をする。まるで日頃からしているかのような躊躇のない動きだった。
ふと顔を上げると、アパートの前にいるわたしたちを先ほどのギャラリーさんたちが遠巻きに見ていた。片や通報すると脅す女と、片や土下座して全力で謝る男……。これは構図的にも体裁的にもいろいろよろしくない。
とりあえず場所を移動しましょうと、わたしは橘さんを立たせてそそくさとアパートを出る。ギャラリーさんたちに、えへへ……みたいな顔でペコペコ頭を下げながら路地を進み、突き当たりの十字路を曲がった。住宅街の路地なので車の往来も少なく、角を曲がったら一段と人気も減った。
「いや~あやうくよからぬ噂が立つところだったね、七瀬ちゃん。ご近所付き合いって大事だからさ。見物人もあそこまで集まらなくてもいいのにねぇ?」
何ごともなかったように黒キャップをかぶりなおした橘さんが呑気に笑う。軽く頭痛がしてわたしは溜め息を吐いた。朝っぱらから何なんだこの人。
「で、なんで電柱に隠れていたんですか。そもそもいつからいたんですか。どうしてわたしがあのアパートにいるって知ってたんですか。通報されたくなかったら答えてください」
「あー待って待って七瀬ちゃん。そんな矢継ぎ早に訊かんでも。大丈夫、俺は逃げないぜ」
「逃げても通報します」
「逃げられないぜ」
橘さんはパチリとウインクする。可愛くない。
「だいたいさ、七瀬ちゃん。昨日山を下りたとき何時だったか覚えてる?」
訊かれてわたしは昨夜のことを思い出す。山の中で力尽きて眠って、彼の背中で目が覚めたあと――。二人で山を下りたときにはすでに辺りは真っ暗で、急に復活したスマホの時計は深夜十一時をさしていた。山の中にいたときはずっと夕暮れ時だったのに、あまりに早すぎる時間の流れに目を剥いたものだ。もちろん近くにバスや車は通っておらず、蒼ちゃんに迎えに来てもらおうにも、そこがどこかも分からなかったから電話もできず。結局蒼ちゃんのいるアパートを地図で辿りながら徒歩で帰路についたのである。
橘さんとは、山の麓で一方的に謝り倒して猛然と立ち去ったはずだ。彼に頼れば助けてくれそうな気もしたけど、それを上回るほどの怪しさと気色悪さがあったので適切な対処だったと思う。
「でもさ、いたいけな少女を夜道に一人で歩かせるなんて危ないじゃん? もしも変質者が襲ってきたらどうすんのよ。だから俺は――」
「こっそりわたしの跡をつけてきたと?」
「正・解」
橘さんは不適に笑ってパチンと指を鳴らす。やってること変質者のそれなんだわ。
「まさか……それから朝までずっといたんですか。一度家に帰りましたよね?」
「そりゃね。一度帰って、早朝にはあの電柱のとこにいたけど」
「うっわ……」
「まて、重ねていうが俺は断じて変質者じゃない。仮に変質者であったとしてもビギナーだ。セーフだろ?」
アウトだよ。
「つーか気味悪がるけど、しょうがないじゃんよ。こちとら君の荷物を預かってんだから早く返してあげないとさ。七瀬ちゃん、俺がどこに住んでいるかとか知らないわけだし、こうでもしないと会えないだろ」
橘さんは若干不満気に口を尖らせて腕を組む。わたしはやっぱりかと思った。昨日の彼の落ち着きようからして、荷物の行方はなんとなく察しがついていた。
「……キャリーケース、預かってくれていたんですね」
「そうだよ。あのまま山の中に置いておくのも危ないし。七瀬ちゃんもキャリーを探すために外に出てきたってとこなんじゃないの? 探す手間省けてよかったじゃん」
「そのわりには、キャリーが見当たらないんですけど……」
「うん。持ってきてないからね」
「……どうして」
「だってぱぱっと返しちゃったらもう会えなくなるじゃない。その前に七瀬ちゃんの困り事を聞いておこうと思ってさ。実際どう? なんか困ってるっしょ」
なんか、とは濁したけれど、確実にわたしが何に困っているのか分かっている問いかけだ。わたしの中では彼への不審度が増していく。
「……橘さんは、一体何者なんですか」
「ふ、ふ、ふ。まぁ気になるのも仕方ないでしょうな。昨日……あの夕暮れ時の甘くときめくひとときを味わっちゃあ、俺のことが気になって夜も眠れなかっただろうよ」
「爆睡でした」
「健康的だね」
「じゃなくて、一体何なんですか、あなたは。わたしの……なんか変なモノが見えるこの目を、治してくれるんですか」
「や、俺医者じゃないし眼球どうこうはできんよ。でも君のお困り事は解決できる。一晩経ったけどやっぱりまだ彼らがマトモに見えていないみたいだし……このままじゃ危なっかしいしね」
というわけで、と彼はパンと両手を胸の前で合わせる。わたしにニッコリ笑った。
「君が俺の〝困り事〟を請け負ってくれるなら、今のその状況を解決しよう。キャリーはどのみち返すから安心していいよ」
「……困り事って?」
「俺と結婚を前提に付き合って下さい」
「お断りします」
「いや待って‼ 間《ま》がほしい! 一秒でも間がほしいっ‼」
焦った声を上げる橘さん。しかし間なんぞあってたまるか。わたしは適切に対応する。
「人をおちょくらないでください。昨日もそうでしたけど、いきなりそういうこと言われても困ります。そういうのは人を選んでください。迷惑です」
「いや違うって、おちょくってないって本気! マジホント、付き合って下さいっ」
「お断りします」
「早いってえええええええッ‼」
橘さんはその場に崩れ落ちる。
「ウソでしょ、俺、その、さっきは超絶イケメンとか自分で言ったけど、実際それなりに自信があるっていうかっ。彼女さんは絶対大事にするしっ、ご飯奢るし、文句言わないし、服とか綺麗だねとか髪綺麗だねとか毎日言うし、こう、なんかとにかく、それで今までうまくやってきたんですっ。この俺のどこあたりがダメなんでしょうかっっっ」
「全体ですね。気持ち悪いです」
「うそおおおおお」
「だいたいなんですか。経験豊富じゃないですか。なんでそれでこのわたしを口説くんです。わたしだって自分でいうのもなんですけど見た目も中身も根暗ですよ」
「あーそれはだろうなとは思うよ。今までの女性の中じゃダントツで地味だ」
おうはっ倒すぞ。
「でもだからイケるかなって思って……。というかまぁ、ぶっちゃけ相思相愛にならんでもいいっていうか。愛はなくても子孫を残せたら俺はそれでいいっていう、そういう感じでして……」
後半だんだん尻すぼみになっていく言葉に、わたしは眉をひそめる。なんじゃその機械的恋愛。そういう思想か?
「どういうことです」
「えぇーどうしよ……、話したいところなんだけど……これ話すと高確率でドン引かれるんだよなぁ」
橘さんは心から困ったような顔で頭を掻く。そこでふと、何かに気づいたように辺りを見回した。ゆっくりと立ち上がってこちらに顔を向ける。
「それよか七瀬ちゃん、ちょっと場所変えない? もう少し安全なところ知っているから、そこ行こうよ」
わたしは冷やかに目を細める。
「人目もあって人家もあって見通しのいいこの十字路を離れて、あなたについていけと? 何されるか分からないのに?」
「上がらない信頼度」
「変なこと言うからですよ」
「やーでも、ここはちょっとまずいんだって。十字路は――辻は、いろいろ厄介な人たちが通る場所だから。一度巻きこまれたら結構面倒なことになるっていうか……」
『――ぁ…………コ……』
そのとき。何かが聞こえた。わたしは目を瞬いて辺りを見る。
「あれ、なんか今……」
「え、なに。どしたの」
「いや、なんか今……声が聞こえたような……」
あれぇ? と耳に手を添えて周囲を見回す。か細く、切れ切れな声が聞こえたような気がしたのだ。見渡した十字路は、不思議なことに影一つ見えない。ごくごく普通の住宅街の光景があった。わたしの言葉に、橘さんはたちまち顔をひきつらせる。
「あ、ちょ、七瀬ちゃん! 絶対それ聞いちゃダメ! アカンやつそれっ」
「え、なんで……」
「いいから耳塞いでっ。聞こえなくなるまで耳塞いで!」
この人には聞こえてないのかな。
けれども耳を塞ごうとした刹那、後ろからまたその声が聞こえた。
『――コ……。あ…………こ』
「あこ……?」
「ああああ七瀬ちゃん! 振り返ったらダメ――!」
橘さんの悲鳴に似た声に構わず、わたしは何気なく後ろを振り返る。
遙か見上げてしまうほどの巨大な黒い人影が、目の前に立っていた。
『――……コ……、ア……ンコ――……アああああンんんんんコおおおおお』
か細い声から一転、あたかも化けの皮を剥いだような重く低い声音が十字路に轟く。真っ黒に塗りつぶされた巨人は、そこに顔がないはずなのに確かにそう喋った。
わたしは立ちはだかった巨人を見上げ、フーッと白目をむく。倒れそうになったところを後ろから橘さんが支えに入った。
「七瀬ちゃん! ちょ、戻ってこい! 昇天すな!」
「南無三……」
「あーもーだから振り向いちゃダメって言ったのに! とりあえずこっち!」
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