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第三章
1:交差点の青年
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その出会いは突然だった。
「おいアンタ、呪われてるぞ」
いきなりそんな呼び止め方をされたわたしは、思わず立ち止まる。
振り返ると、電柱の傍に一人の青年が佇んでいた。大きく目を見開いて、わたしよりも驚いた顔をして。
「……あれ、もしかして視えてる? 俺のこと」
「……視えてます、けど?」
***
三月も下旬となり、いよいよ大学の入学式まで二週間を切っていた。
夕飯の買い出しに赴いていたわたしは、帰り道にその交差点を通りがかった。彼に話しかけられたのは、ちょうど信号を渡り終えたときだった。
「おぉ、視える人初めて見たわ。ホントにいるんだな、霊感ある人って」
呼び止めた彼は興味深そうにわたしを爪先から髪の先まで眺め回す。わたしもほとんど同じことを彼にした。紺のブレザーとチェック柄のズボン。黒のニット帽をかぶって首にはネックウォーマーをつけている。どこかの学校の学生とは見てとれた。ちょっとつり目がちな顔で、目の下にある隈がひどい。若干猫背気味も相まって、どことなく不健康そうな印象があった。
「やー悪いな。いきなり呼び止めて。なんかアンタ、呪い……に近いような感じのヤバイものが身体に巻き付いているから気になってさ。ダメもとで声をかけたんだけど……。気づいてる?」
「え、えぇ……っ?」
わたしは自分の体を見下ろす。紺色のコートと水色のマフラーを巻いている身体には、もちろん何も変わりはない。
「み、見えないですけど」
「それは視えないのか……。まぁ何でもかんでも視えるわけじゃねぇよな、人間って」
「や、ヤバイものって、なんですか。わたしまた何かよからぬことを……」
さぁ、と血の気が引き、慌てて記憶の棚をひっくり返す。タジマさんの一件以降、霊を招くだなんだのといった行いは徹底して注意しているはず、なのだけど。
「あ、悪い悪い。そんな怖がるなよ」
青年も慌てた様子で顔の前で両手を振った。
「うまく言えないけど……まぁただのヤバイやつだから。とにかくただのヤバイやつってだけだ。ここまでのヤバさは初めて見たんで驚いたんだよ。でも大丈夫、ただのヤバイやつだから。ただの」
「だからそのヤバイやつって何なんですか」
「ヤバイやつはヤバイやつだ。それ以外どうとも言えん」
ええい他にもっとあるだろが。
「べつに今すぐ命をどうこうするようなもんではないと思う。でも近々よくないことが起こるかもしれないから、気をつけとけ。俺が言いたかったのは、それだけ。悪いな、変に怖がらせて時間もとらせちまって。じゃ、どうぞお通りください」
彼は一歩下がってわたしを促す。ここまで不可解さを残しておきながら、あっさり身を引かれると、なんだかずるい。逆にこっちが気になってしまうではないか。
「……あなたは、幽霊ですよね」
「そりゃ視りゃ分かるでしょうよ。誰が好きでこんなところでナンパまがいなことするか」
容姿を確認させるように両腕を広げた彼を、今一度確認する。膝から下が透けて見えなくなっていた。限りなく輪郭があるように見えるが、確かな存在感がそこにはない。影と話しているような気分だ。この三月の間に嫌というほど視てきたからもう慣れているけど、最初のうちはこの感覚が少し不思議だった。
「ていうか、ここまぁまぁ人通り多いんだから、アンタ気をつけなよ。ハタから見たら一人で喋ってるんだぞ。世間の目ってのは一瞬で固定されるんだから舐めるんじゃない。アンタいくつか知らないけど、その年で苦労したかねぇだろ。生きづらい世の中がさらに生きづらくなるぞ、いいのか」
「……なんか年寄り臭いですね」
「うるせ。いいから、話したいならスマホでフリを作れ、フリを」
言われるまま鞄からスマホを取り出して通話のフリをする。彼の言う通り、わたしたちが立っている場所は見通しのいい交差点の傍だった。夕方近いこの時間は車の交通量こそ多いけれど、通行人はまばらだ。
彼はスマホでフリを作ったわたしに一通り満足したのか、ワシワシとニット帽の上から頭を掻いた。
「で、俺とまだ何を話したいんだ? こっちから呼び止めておいてなんだけど、あんまり俺みたいな奴には関わらない方がいいと思うけどなぁ」
「えぇっと、すみません……。なんか、わたしも気になっちゃって」
「見たところ霊には慣れてる様子だな。なに、なんか祓い屋とかそういう人なの」
「いやわたしはただの視えるだけの人です。でも、わたしのバイト先がそういう人たちの集まりでして……」
「へぇ、あ、なんかウワサで聞いたことあるな。なんだっけ、売り物屋だろ。俺ら相手に商売しているっていう。一度どんなところか行ってみたいとは思ってたよ」
「……まだ行ったことないんですか」
「まぁね。俺、こっから動けないみたいだからさ」
彼は軽く肩をすくめてみせる。一瞬眉をひそめたわたしだったが、すぐに、ああこれがと繋がった。
「地縛霊……ですか」
「そう、正解。あれ、その感じじゃ俺みたいな奴は初めて見る? んじゃ、この際だからもう一つ見せとこうか」
そう言って、彼はニット帽に手をかける。隈の濃い顔にニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
「俺に関わらない方が身のためだよ、アンタ。俺って――こういう奴だからさ」
あたかも怪談話をなぞるようにしてめくられたニット帽に、わたしは目を丸くする。
彼の額には、マジックらしきもので太々と、雑に、
『怨』と書かれていた。
◇◇◇
買い物袋を二つ下げてヒイラギ荘に帰宅する。
「ただいま帰りましたー」
玄関から声をかけると、すぐに奥から騒々しく橘さんが出迎えにきた。
「七瀬ちゃん、お帰りー! 荷物重かったでしょぉ! ほら、あとは俺がするから二階でゆっくりしてて」
「いいですよ、自分でするので。ていうか、いちいち出迎えにこなくてもいいですから。犬ですか、あなたは」
靴を脱ぎつつ、まとわりついてくる橘さんに呆れ目を流す。自分ですると言っているのに、橘さんはさり気なくわたしが置いた買い物袋を手に持っていた。
「だって七瀬ちゃんに悪いじゃんか。買い出しなんて俺がするのにさ。せっかくの休みなんだよ? 部屋でゴロゴロしときゃいいじゃない」
「そういう考えはやめましょうって言いましたよね。家主代理とはいえ、料理から掃除に裁縫にゴミ出しって、全部やってどうすんですか。倒れますよ、本当に」
有無を言わさず買い物袋を奪い返して台所に向かう。途中で居間から「お帰りなさい」と大地くんとゆかりちゃんが顔を出してくれた。今日はスーパーが定休日なので、ヒイラギ荘にはメンバーが全員いる。わたしも挨拶を返して台所の玉すだれをめくる。当然のように橘さんもついてくる。ついてくんな。
さて、この荘に家事全般のルールがないことに気づいたのはつい先日のこと。毎朝起きてきたらきちんとした朝食が用意されているので、そういえばここの家事はどうなっているんですかと聞いたところ、全て橘さんがワンマンで回しているとぶったまげたことを言われたことから始まる。
どういうことかと問い詰めてみれば、どうも彼はここの家主代理を務めているので、必然的に管理者として皆を世話しているのだという(正式な家主さんは店長の名が使われているらしい)。加えて、大地くんとゆかりちゃんもまだ学生なので、尚更大人として動く必要があるだとか。俺が動けるんだから動いていいでしょみたいな理屈だったりとか。尽くし性分もここまでくると恐ろしい。
そういうわけで、ここ最近はわたしも勝手に家事に手を出すようにしている。休めといっても休まないし、やめろと散々言っても聞かなかったので、もう勝手にやることにした。
「橘さんこそ二階でゆっくりしといてくださいよ。ご飯できたら呼びますから」
「いやいや、なんか手伝うって。手伝うのが俺の趣味みたいなもんなの。第一彼氏候補としてはここでアピールしときたいし」
「マイナスアピールです。今まで仕事して、家事をして、三人分の世話をしてくれていたんでしょう。体力あるからってなんでもしないでください。今度からオカンって呼びますよ」
「オカンか……、いやそれはそれでアリかも……?」
「ナシです。なに呼ばれる気になってんですか変態」
「最近遠慮無くそれ言うようになったね」
言ってもまったく効果がないので遠慮なく言うようにしている。
「でもちょっと今日は遅かったんじゃない? 七瀬ちゃん。なんか寄り道してたの?」
橘さんが急に話を変える。不意打ちだったので、冷蔵庫に買った物を詰めていたわたしは思わずギクリとした。こういう小さな反応こそ、彼はめざとく拾う。
「寄り道してたんだ」
「……なんで遅いって分かるんです? いつも買い物いく時間はバラバラじゃないですか」
「男の勘というのを舐めてもらっちゃ困るな。君がいつもより十五分五十三秒遅かったことくらい、感覚で分かるよ」
気持ち悪い。
「気持ち悪いです」
「遠慮無く言うようになったね」
本心だから仕方ない。
で? と呟いた橘さんは不意にわたしが持っていたトマト缶に手を伸ばす。ひょいと取り上げて、こちらを軽く覗きこんできた。
「誰と会ってたの?」
「……誰と会っててもいいでしょう、とは言いたくなりますね。ていうか距離近いです。契約書」
「ひどいなぁ、こっちゃ純粋に心配してんのに」
言いつつも、彼は緩やかにわたしから距離をとる。契約書の三文字はしっかり効くらしい。わたしは鼻じわを寄せて反論した。
「橘さんのそれは、純粋さが欠けていると思いますけど。目的第一ですし」
「目的第一、ねぇ。まぁ確かにそらそうだけど、本当に心配だってあるんだよ? だって七瀬ちゃん、ただでさえアンコさんとかタジマさんとかで危なっかしい目に遭ってるし。そんでまた怪しさ満載な霊と行き遭ってたら面倒だし。あと俺、明日からしばらく家を空けるしさ」
驚いて橘さんを見る。
「しばらく空けるんですか」
「空けるよ? 帰ってこない」
「はぁ、なんで」
「仕事だから」
「仕事って……スーパーのですか」
「んー……、」
橘さんはどう説明したものかといった様子で宙に視線を投げる。しばらく考えた後、わたしに困った顔で笑った。
「祓い屋の、だね」
「おいアンタ、呪われてるぞ」
いきなりそんな呼び止め方をされたわたしは、思わず立ち止まる。
振り返ると、電柱の傍に一人の青年が佇んでいた。大きく目を見開いて、わたしよりも驚いた顔をして。
「……あれ、もしかして視えてる? 俺のこと」
「……視えてます、けど?」
***
三月も下旬となり、いよいよ大学の入学式まで二週間を切っていた。
夕飯の買い出しに赴いていたわたしは、帰り道にその交差点を通りがかった。彼に話しかけられたのは、ちょうど信号を渡り終えたときだった。
「おぉ、視える人初めて見たわ。ホントにいるんだな、霊感ある人って」
呼び止めた彼は興味深そうにわたしを爪先から髪の先まで眺め回す。わたしもほとんど同じことを彼にした。紺のブレザーとチェック柄のズボン。黒のニット帽をかぶって首にはネックウォーマーをつけている。どこかの学校の学生とは見てとれた。ちょっとつり目がちな顔で、目の下にある隈がひどい。若干猫背気味も相まって、どことなく不健康そうな印象があった。
「やー悪いな。いきなり呼び止めて。なんかアンタ、呪い……に近いような感じのヤバイものが身体に巻き付いているから気になってさ。ダメもとで声をかけたんだけど……。気づいてる?」
「え、えぇ……っ?」
わたしは自分の体を見下ろす。紺色のコートと水色のマフラーを巻いている身体には、もちろん何も変わりはない。
「み、見えないですけど」
「それは視えないのか……。まぁ何でもかんでも視えるわけじゃねぇよな、人間って」
「や、ヤバイものって、なんですか。わたしまた何かよからぬことを……」
さぁ、と血の気が引き、慌てて記憶の棚をひっくり返す。タジマさんの一件以降、霊を招くだなんだのといった行いは徹底して注意しているはず、なのだけど。
「あ、悪い悪い。そんな怖がるなよ」
青年も慌てた様子で顔の前で両手を振った。
「うまく言えないけど……まぁただのヤバイやつだから。とにかくただのヤバイやつってだけだ。ここまでのヤバさは初めて見たんで驚いたんだよ。でも大丈夫、ただのヤバイやつだから。ただの」
「だからそのヤバイやつって何なんですか」
「ヤバイやつはヤバイやつだ。それ以外どうとも言えん」
ええい他にもっとあるだろが。
「べつに今すぐ命をどうこうするようなもんではないと思う。でも近々よくないことが起こるかもしれないから、気をつけとけ。俺が言いたかったのは、それだけ。悪いな、変に怖がらせて時間もとらせちまって。じゃ、どうぞお通りください」
彼は一歩下がってわたしを促す。ここまで不可解さを残しておきながら、あっさり身を引かれると、なんだかずるい。逆にこっちが気になってしまうではないか。
「……あなたは、幽霊ですよね」
「そりゃ視りゃ分かるでしょうよ。誰が好きでこんなところでナンパまがいなことするか」
容姿を確認させるように両腕を広げた彼を、今一度確認する。膝から下が透けて見えなくなっていた。限りなく輪郭があるように見えるが、確かな存在感がそこにはない。影と話しているような気分だ。この三月の間に嫌というほど視てきたからもう慣れているけど、最初のうちはこの感覚が少し不思議だった。
「ていうか、ここまぁまぁ人通り多いんだから、アンタ気をつけなよ。ハタから見たら一人で喋ってるんだぞ。世間の目ってのは一瞬で固定されるんだから舐めるんじゃない。アンタいくつか知らないけど、その年で苦労したかねぇだろ。生きづらい世の中がさらに生きづらくなるぞ、いいのか」
「……なんか年寄り臭いですね」
「うるせ。いいから、話したいならスマホでフリを作れ、フリを」
言われるまま鞄からスマホを取り出して通話のフリをする。彼の言う通り、わたしたちが立っている場所は見通しのいい交差点の傍だった。夕方近いこの時間は車の交通量こそ多いけれど、通行人はまばらだ。
彼はスマホでフリを作ったわたしに一通り満足したのか、ワシワシとニット帽の上から頭を掻いた。
「で、俺とまだ何を話したいんだ? こっちから呼び止めておいてなんだけど、あんまり俺みたいな奴には関わらない方がいいと思うけどなぁ」
「えぇっと、すみません……。なんか、わたしも気になっちゃって」
「見たところ霊には慣れてる様子だな。なに、なんか祓い屋とかそういう人なの」
「いやわたしはただの視えるだけの人です。でも、わたしのバイト先がそういう人たちの集まりでして……」
「へぇ、あ、なんかウワサで聞いたことあるな。なんだっけ、売り物屋だろ。俺ら相手に商売しているっていう。一度どんなところか行ってみたいとは思ってたよ」
「……まだ行ったことないんですか」
「まぁね。俺、こっから動けないみたいだからさ」
彼は軽く肩をすくめてみせる。一瞬眉をひそめたわたしだったが、すぐに、ああこれがと繋がった。
「地縛霊……ですか」
「そう、正解。あれ、その感じじゃ俺みたいな奴は初めて見る? んじゃ、この際だからもう一つ見せとこうか」
そう言って、彼はニット帽に手をかける。隈の濃い顔にニヤリと不気味な笑みを浮かべた。
「俺に関わらない方が身のためだよ、アンタ。俺って――こういう奴だからさ」
あたかも怪談話をなぞるようにしてめくられたニット帽に、わたしは目を丸くする。
彼の額には、マジックらしきもので太々と、雑に、
『怨』と書かれていた。
◇◇◇
買い物袋を二つ下げてヒイラギ荘に帰宅する。
「ただいま帰りましたー」
玄関から声をかけると、すぐに奥から騒々しく橘さんが出迎えにきた。
「七瀬ちゃん、お帰りー! 荷物重かったでしょぉ! ほら、あとは俺がするから二階でゆっくりしてて」
「いいですよ、自分でするので。ていうか、いちいち出迎えにこなくてもいいですから。犬ですか、あなたは」
靴を脱ぎつつ、まとわりついてくる橘さんに呆れ目を流す。自分ですると言っているのに、橘さんはさり気なくわたしが置いた買い物袋を手に持っていた。
「だって七瀬ちゃんに悪いじゃんか。買い出しなんて俺がするのにさ。せっかくの休みなんだよ? 部屋でゴロゴロしときゃいいじゃない」
「そういう考えはやめましょうって言いましたよね。家主代理とはいえ、料理から掃除に裁縫にゴミ出しって、全部やってどうすんですか。倒れますよ、本当に」
有無を言わさず買い物袋を奪い返して台所に向かう。途中で居間から「お帰りなさい」と大地くんとゆかりちゃんが顔を出してくれた。今日はスーパーが定休日なので、ヒイラギ荘にはメンバーが全員いる。わたしも挨拶を返して台所の玉すだれをめくる。当然のように橘さんもついてくる。ついてくんな。
さて、この荘に家事全般のルールがないことに気づいたのはつい先日のこと。毎朝起きてきたらきちんとした朝食が用意されているので、そういえばここの家事はどうなっているんですかと聞いたところ、全て橘さんがワンマンで回しているとぶったまげたことを言われたことから始まる。
どういうことかと問い詰めてみれば、どうも彼はここの家主代理を務めているので、必然的に管理者として皆を世話しているのだという(正式な家主さんは店長の名が使われているらしい)。加えて、大地くんとゆかりちゃんもまだ学生なので、尚更大人として動く必要があるだとか。俺が動けるんだから動いていいでしょみたいな理屈だったりとか。尽くし性分もここまでくると恐ろしい。
そういうわけで、ここ最近はわたしも勝手に家事に手を出すようにしている。休めといっても休まないし、やめろと散々言っても聞かなかったので、もう勝手にやることにした。
「橘さんこそ二階でゆっくりしといてくださいよ。ご飯できたら呼びますから」
「いやいや、なんか手伝うって。手伝うのが俺の趣味みたいなもんなの。第一彼氏候補としてはここでアピールしときたいし」
「マイナスアピールです。今まで仕事して、家事をして、三人分の世話をしてくれていたんでしょう。体力あるからってなんでもしないでください。今度からオカンって呼びますよ」
「オカンか……、いやそれはそれでアリかも……?」
「ナシです。なに呼ばれる気になってんですか変態」
「最近遠慮無くそれ言うようになったね」
言ってもまったく効果がないので遠慮なく言うようにしている。
「でもちょっと今日は遅かったんじゃない? 七瀬ちゃん。なんか寄り道してたの?」
橘さんが急に話を変える。不意打ちだったので、冷蔵庫に買った物を詰めていたわたしは思わずギクリとした。こういう小さな反応こそ、彼はめざとく拾う。
「寄り道してたんだ」
「……なんで遅いって分かるんです? いつも買い物いく時間はバラバラじゃないですか」
「男の勘というのを舐めてもらっちゃ困るな。君がいつもより十五分五十三秒遅かったことくらい、感覚で分かるよ」
気持ち悪い。
「気持ち悪いです」
「遠慮無く言うようになったね」
本心だから仕方ない。
で? と呟いた橘さんは不意にわたしが持っていたトマト缶に手を伸ばす。ひょいと取り上げて、こちらを軽く覗きこんできた。
「誰と会ってたの?」
「……誰と会っててもいいでしょう、とは言いたくなりますね。ていうか距離近いです。契約書」
「ひどいなぁ、こっちゃ純粋に心配してんのに」
言いつつも、彼は緩やかにわたしから距離をとる。契約書の三文字はしっかり効くらしい。わたしは鼻じわを寄せて反論した。
「橘さんのそれは、純粋さが欠けていると思いますけど。目的第一ですし」
「目的第一、ねぇ。まぁ確かにそらそうだけど、本当に心配だってあるんだよ? だって七瀬ちゃん、ただでさえアンコさんとかタジマさんとかで危なっかしい目に遭ってるし。そんでまた怪しさ満載な霊と行き遭ってたら面倒だし。あと俺、明日からしばらく家を空けるしさ」
驚いて橘さんを見る。
「しばらく空けるんですか」
「空けるよ? 帰ってこない」
「はぁ、なんで」
「仕事だから」
「仕事って……スーパーのですか」
「んー……、」
橘さんはどう説明したものかといった様子で宙に視線を投げる。しばらく考えた後、わたしに困った顔で笑った。
「祓い屋の、だね」
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