失恋は新しい恋の始まり

白井由貴

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7:僕の存在意義

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 田辺さんは僕が落としたスプーンを拾い、タブレットで呼び出した店員さんに新しいスプーンを頼んでいる。その声で僕ははっと我に返った。

「あの……お姫様って……?」
「ん?ああ、ごめんね、他意はないの。藍沢くんも容姿が整っているけれど、蒼真くんはなんというか……綺麗?すごく綺麗な子だなあって思ってたら、後ろからあんな王子様みたいな子が来たからお姫様みたいだなって」

 そう言った田辺さんからは全く悪意を感じなかった。寧ろ羨ましいなという気持ちが感じられ、僕はどう反応すれば良いのか迷ってしまう。

 父に似ている颯太兄ちゃんとは違い、僕の顔は母さん譲りだ。少し強面だけど格好良い父さんと見た目は儚げ美人な母さんとの間に生まれた僕は、しっかりと儚げ美人な母さんの容姿を受け継いだため、僕も見た目だけはそう言われることが多い。

 田辺さんは明らかに戸惑っている僕を見てくすくすと笑いながら、届いた料理を店員さんから受け取ってテーブルに並べていく。僕はその運ばれてくる料理達を見ながら、クリームソーダのソーダ部分をごくりと飲んだ。

「でも年頃の男の子にお姫様みたいは失礼だったね……ごめんね」
「あ、いや……はい」
「ふふっ、素直な子は好きよ。……お互い頑張りましょうね」

 僕はその言葉に頷いていいものか悩みながら曖昧に返事をした。それからは少し他愛ない話をしながらテーブルに並べられた料理を食べていると、不意に颯太兄ちゃんに名前を呼ばれ、料理から顔を上げると兄がこちらに来ようとしているところだった。

 僕と田辺さんの背後に立った颯太兄ちゃんは僕の肩に腕を回し、田辺さんにも聞こえるような声で話し始める。

「蒼真、お前この後どうする?後一時間ほどでここを出てカラオケに行くことになりそうなんだけど、理人と一緒に来るか?」
「兄ちゃんが行くなら……」
「蒼真くん」

 兄ちゃんからの質問に答えようとした時、それを遮るように田辺さんが僕を呼んだ。彼女は机の上に置いた人差し指でゆっくりと僕の左斜め前を指し示す。その指先につられてそちらを向くと、じっとこっちを見ている理人とぱちりと目が合った。

 どうして理人は怒っているのだろうか。怒っているというよりも不機嫌?睨んでる?僕を――いや田辺さんと颯太兄ちゃんを睨んでいるのだと気が付いた時、僕は思わずくすりと笑ってしまっていた。

「ごめん兄ちゃん、僕理人と一緒にどっか寄ってから帰るよ」

 そう告げると、理人の視線が少し柔らかくなったような気がした。理人の周りを陣取っている歳上の女性達が、僕に向けられた理人の柔らかな表情にきゃあきゃあと黄色い声をあげている。それに少しだけ優越感と恥ずかしさを抱きながら僕も微笑んだ。

 颯太兄ちゃんはといえば、残念だという感情を含んだ視線を僕に向けながらも表面上は優しげに微笑んでいた。やっぱり家にいる時とは全く違う兄に思わず頬が引き攣りそうになるがなんとか堪える。
 
「そうか?なら今のうちにいっぱい食べておけよ」
「うん、ありがと。それより兄ちゃんさ、折角合コン?なんだから女の子と話したら?」
「確かにそうだな……ええと、田辺さん、だっけ?良かったら俺とも話してくれる?」
「よ、よろこんで!」

 僕の言葉に考えるような仕草をした後、颯太兄ちゃんは僕の隣――つまり今自分の目の前にいる田辺さんに声をかけた。まさか話しかけられると思っていなかったらしい彼女は頬を紅潮させ、目をキラキラと輝かせながら兄を見て頷く。その表情はまさに恋する乙女だ。

 田辺さんが一つ席を横にずれ、空いた僕と彼女の間の席に腰を下ろした兄は、僕の頭を大きな手でくしゃくしゃと少し乱暴に撫でた後、兄は僕に背を向けた。兄の背中に隠れるような配置になり、田辺さんの姿も他の男性の姿も見えなくなる。

 僕はふうと息を吐き出して目の前の料理を集中して食べることにしたのだが、ふと視線を感じて顔を上げると理人と視線がかち合った。何かあったのだろうかと首を傾げると理人は目元を和らげて、僅かに唇を動かした。
 僕は別に読唇術が使えるわけではない。だけどその唇の動きだけは僕にもわかった。

 ――『すき』。
 こんなところであいつは何を言っているんだろうか。確かにこれはある意味では合コンぽくはないだろうが、それでも一応そういう名目でここに来ているわけなんだから。

 それなのに僕の顔は全身の血液が集まったかのように熱い。僕だけに向けられた熱の篭った視線、そして言葉。そのどれもが僕の心を喜ばせる。

「颯太の弟くん」

 そう肩を叩かれ、びくりと肩が跳ねる。
 そうだここにいるのは僕と理人だけじゃない。僕は理人から視線を外して後ろを振り返ると、そこにいたのは主催者の榎本さんだった。

 明るい茶髪のそれなりに整った容姿の榎本さんは、兄とは反対隣の椅子に腰掛けた。さっきまで向かいで理人を囲んでいる女性の一人に話しかけていたはずだが、何かあったのだろうか。

「蒼真くん、だっけ?君のお友達……ええと、九重くんだっけ?すごいね。まさか田辺さん以外の女の子がみんな彼のところに行くとは思わなかったよ」
「そう、ですね」

 正直言うと僕も兄も予想はしていた。今この場にいる誰よりも理人は綺麗で格好良いのだから仕方ない気はするが、どうやら榎本さんはそれが気に入らなかったらしい。人数合わせで参加することになった男子高校生に、この場に参加した女子大生達をとられたのだから当然かもしれない。でもそれなら直接理人のところに行けばいいのに、どうして態々僕のところに来たのだろう。

 要件はそれだけかという風に榎本さんから視線を逸らして眼前の料理の続きを食べようとすると、また榎本さんに声をかけられた。僕は僅かに溜息を吐きながらスプーンを置き、榎本さんに向き直る。
 彼は表情こそ穏やかに笑んでいるが、頬が僅かにぴくぴくと動いていることから内心苛ついているのかもしれない。

「女の子達がさ、九重くんが帰るならこの後のカラオケには参加しないって言うんだよね」
「……はあ」

 この人が何を言いたいのかわからないが、僕に何かをして欲しいんだろうなということはなんとなくわかった。僕がきょとんとしながら首を傾げると、榎本さんの眉がぴくりと動く。

「九重くんと仲良いんだよね?じゃあさ、君が彼を説得してくれないか?君も来ていいからさ」

 ああなるほど、言いたいことはわかった。僕がおまけだということもわかったし、女の子に来て欲しいがために理人を利用したいということも理解した。正直この手の手合いは初めてではない。
 
 去年の文化祭の打ち上げでも同じようなことがあった。僕は用事があって不参加と答えたのだが、理人は僕が行かないのならと不参加を出したことで頼むから来てくれと頼まれたのである。理人が来ないと女子の半分が来ないからとかそんな理由だった気がする。兎に角今榎本さんが言っていることに近い理由だった。

「君も颯太の弟なだけあって整ってるし美人だし……うん、俺君ならいけそうだわ。この後一緒にどう?」

 僕ならいけそうってどういうことなんですかね、と乾いた笑いを浮かべる。少し前の僕ならこの意味もわからなかっただろうが、理人と付き合い始めた今ならわかる。でも多分この人は本気ではない。理人を参加させたいがために僕にそう言っているだけだ。

 因みにだが去年の僕は無用な争いを避けたくて参加に変えようとしたのだが、それは理人本人と友人達によって阻止された。そして今も同じことが起きようとしている。

 背後で兄ちゃんが動いたのが気配でわかった。兄ちゃんが後ろから僕の肩に腕を回した時、視界の端で理人がガタンと音を立てて立ち上がり、そのまま歩いてきて榎本さんの背後に立った。

「榎本、申し訳ないけど弟と理人はこの後用事があるから抜けさせてもらうな」
「すみませんが俺達はこの後用事があるので」

 二人は口を揃えてそう言った。
 僕はただ苦笑いを浮かべながら、顔を引き攣らせる榎本さんを見つめていた。

 
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