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宰相ブルータス
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わしの名前は、ブルータス。
ブルータス・ベラム・ダグラス。
ウィリアーズ王国の宰相を勤めておる。
宰相とは、いわば貴族どもの頭を押さえつける仕事だ。
国の頂点であるウィリアーズ王家は、広大な国土をいくつにもの領に分け、それを臣下である貴族たちに治めさせている。
領の自治はある程度そこの領主である貴族たちに任せているのだが、それをいいことに好き勝手なことをする者たちも多い。
重税、密輸、人身売買。
自らの欲望を満たすため、悪行に手を染める貴族は後を絶たない。
そういったやつらを監視し、監督し、時には裁く。
それがわしの仕事だ。
わしが潰した貴族の数は、両手の指でも足りないほど。
それだけ碌でもない奴が多いということだが、当然、わしを恨む者は多い。
だが、どれだけ憎まれようと、恐れられようと、わしはこの国を必ず正しく導いてみせる。
それが、それだけが……愛する妻を亡くしたわしの、生きがいなのだ。
◇
わし付きのメイドの一人が妊娠し、長期休暇に入ることになった。
相手は庭師。
共に平民だ。
わしの腹心とも言える家令のウォルター以外、我が家の使用人に貴族の子女は存在しない。
全て平民だ。
もちろん、それには理由がある。
貴族位としては侯爵の位を持ち、役職として宰相に就くわしは、この国で王に次ぐ権力を持っておる。
それを妬み、あるいは欲し、わしのもとに目的を持った人間を送り込もうとするものは多い。
目的とはつまり、わしに取り入りたいか、もしくは殺したいか、だ。
そんな奴らを近くに置いておきたくはない。
だからこそ、わしは使用人として雇うのは平民と決めているのだ。
だが、そんなわしの元にバルディア侯爵から、行儀見習いとして人をひとり雇って欲しいという話が舞い込んできた。
アンドリュー・ディアス・バルディア。
表向きは清廉潔白な侯爵として振舞っているが、裏では色々と黒い噂が絶えず、しかもなかなかその尻尾を掴ませない強かな奴だ。
雇い入れて欲しいと願い出てきたのは、モニカ・メルディスというメルディス伯爵家の娘。
バルディア侯爵の遠縁であるメルディス伯爵が、外で作った婚外子だとか。
よくある話だ。
正妻との間に子供が出来なかったメルディス伯爵が外の女に産ませ、平民として暮らしていた娘を引き取る。
だが、その娘は貴族としての教育を受けていない上、正妻に嫌われている。
自分の家で教育することが出来ず、困ったメルディス伯爵は、遠縁であるバルディア侯爵を頼る。
そして頼られたバルディア侯爵は親戚のために一肌脱ぎ、最近子供を産むためにメイドがひとり辞めてしまったわしの家に、行儀見習いとして送り込んだ。
…………という、筋書きだろう。
ふん。
一体何人の貴族が、同じような手で人を送り込もうとしてきたことか。
雇うつもりはさらさらないが、あのバルディアがわざわざ自分の名前を出してまで推してきた娘だ。
会うだけは会ってみることにしよう。
さて、バルディアはわしに取り入りたいのか、それとも殺したいのか。
いったい、どちらかの。
◇
「メルディス様をお連れしました」
「……入れ」
メイド長のマルギッテがメルディス嬢とやらを連れてきたようなので、入室の許可を与えた。
扉がゆっくりと開かれていく。
さて、いったいどのような娘を送り込んできたの……か………
……………
……………
……ク……
…………
………クラウ、ディア………?
いや、違う。
クラウディアなわけがない。
クラウディアは……わしの妻は、もう十六年も前に死んでしまったのだ。
だが……
似ている。
少し眠そうな目も、ほっそりとした凹凸の少ない体も、赤いくせっ毛も。
若い頃の妻に瓜二つだった。
わしが呆然と妻によく似た娘を見ていると、娘の視線がわしの隣に立つウォルターに向けられた。
釣られて、わしもウォルターを見る。
あの冷静なウォルターも、さすがに固まっておった。
もともとウォルターは妻付きの従者だったのだ。
いきなり若い頃の妻にそっくりな娘が現れたのだから、思考が停止しても仕方あるまい。
そして、妻によく似たその瞳が、今度はわしに移った。
たったそれだけのことで、わしの心臓は激しく動悸し、呼吸は早くなり、額に汗が浮き出てきた。
わしはどう反応すればいいのか、何を言えばいいのか、何も分からなくなかった。
こんなことは、初めてクラウディアに会って以来のことだ。
少女の顔から目を離すことができない。
今にもその口からわしの名前が飛び出てきそうで、期待やら、不安やら、いろいろな感情がないまぜになったわしの頭は完全に混乱していた。
その時、少女が口を開いた。
「……ブルちゃん」
……っ!?
いま、何と言った?
少女の口から発せられた言葉に、わしは驚きを隠すことができなかった。
『ブルちゃん』
それは、亡き妻が二人きりの時にわしを呼ぶ時の言い方だ。
ウォルターすら知らぬ、二人だけの秘密の呼び方。
それを、なぜ、この少女が……
まさか、この少女は、わしの妻の生まれ変わ……
バッ!
ババッ!
バッ!
「モニカ・メルディスと申します。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします、宰相閣下」
「…………」
「…………」
……なんじゃ、今の風を切るような速さのカーテシーは。
手足の角度もバキバキで、まるで針金を折り曲げて作った人形のようじゃ。
それに、宰相はわしじゃ。
なんでいきなり目を逸らして、ウォルターに向かって挨拶しとるんじゃ?
「…………」
「…………」
わしと娘の視線が、ウォルターに集中する。
「こほん」
一度咳払いをして、自分を取り戻したウォルターが恭しい手つきでわしを示す。
「旦那様は、こちらでございます」
「…………」
「…………」
「…………」
…………しまった! という顔まで、妻そっくりだのう。
バルディアの狙いがなんなのかは分からない。
だが、わしはこの少女を雇うことに決めた。
ブルータス・ベラム・ダグラス。
ウィリアーズ王国の宰相を勤めておる。
宰相とは、いわば貴族どもの頭を押さえつける仕事だ。
国の頂点であるウィリアーズ王家は、広大な国土をいくつにもの領に分け、それを臣下である貴族たちに治めさせている。
領の自治はある程度そこの領主である貴族たちに任せているのだが、それをいいことに好き勝手なことをする者たちも多い。
重税、密輸、人身売買。
自らの欲望を満たすため、悪行に手を染める貴族は後を絶たない。
そういったやつらを監視し、監督し、時には裁く。
それがわしの仕事だ。
わしが潰した貴族の数は、両手の指でも足りないほど。
それだけ碌でもない奴が多いということだが、当然、わしを恨む者は多い。
だが、どれだけ憎まれようと、恐れられようと、わしはこの国を必ず正しく導いてみせる。
それが、それだけが……愛する妻を亡くしたわしの、生きがいなのだ。
◇
わし付きのメイドの一人が妊娠し、長期休暇に入ることになった。
相手は庭師。
共に平民だ。
わしの腹心とも言える家令のウォルター以外、我が家の使用人に貴族の子女は存在しない。
全て平民だ。
もちろん、それには理由がある。
貴族位としては侯爵の位を持ち、役職として宰相に就くわしは、この国で王に次ぐ権力を持っておる。
それを妬み、あるいは欲し、わしのもとに目的を持った人間を送り込もうとするものは多い。
目的とはつまり、わしに取り入りたいか、もしくは殺したいか、だ。
そんな奴らを近くに置いておきたくはない。
だからこそ、わしは使用人として雇うのは平民と決めているのだ。
だが、そんなわしの元にバルディア侯爵から、行儀見習いとして人をひとり雇って欲しいという話が舞い込んできた。
アンドリュー・ディアス・バルディア。
表向きは清廉潔白な侯爵として振舞っているが、裏では色々と黒い噂が絶えず、しかもなかなかその尻尾を掴ませない強かな奴だ。
雇い入れて欲しいと願い出てきたのは、モニカ・メルディスというメルディス伯爵家の娘。
バルディア侯爵の遠縁であるメルディス伯爵が、外で作った婚外子だとか。
よくある話だ。
正妻との間に子供が出来なかったメルディス伯爵が外の女に産ませ、平民として暮らしていた娘を引き取る。
だが、その娘は貴族としての教育を受けていない上、正妻に嫌われている。
自分の家で教育することが出来ず、困ったメルディス伯爵は、遠縁であるバルディア侯爵を頼る。
そして頼られたバルディア侯爵は親戚のために一肌脱ぎ、最近子供を産むためにメイドがひとり辞めてしまったわしの家に、行儀見習いとして送り込んだ。
…………という、筋書きだろう。
ふん。
一体何人の貴族が、同じような手で人を送り込もうとしてきたことか。
雇うつもりはさらさらないが、あのバルディアがわざわざ自分の名前を出してまで推してきた娘だ。
会うだけは会ってみることにしよう。
さて、バルディアはわしに取り入りたいのか、それとも殺したいのか。
いったい、どちらかの。
◇
「メルディス様をお連れしました」
「……入れ」
メイド長のマルギッテがメルディス嬢とやらを連れてきたようなので、入室の許可を与えた。
扉がゆっくりと開かれていく。
さて、いったいどのような娘を送り込んできたの……か………
……………
……………
……ク……
…………
………クラウ、ディア………?
いや、違う。
クラウディアなわけがない。
クラウディアは……わしの妻は、もう十六年も前に死んでしまったのだ。
だが……
似ている。
少し眠そうな目も、ほっそりとした凹凸の少ない体も、赤いくせっ毛も。
若い頃の妻に瓜二つだった。
わしが呆然と妻によく似た娘を見ていると、娘の視線がわしの隣に立つウォルターに向けられた。
釣られて、わしもウォルターを見る。
あの冷静なウォルターも、さすがに固まっておった。
もともとウォルターは妻付きの従者だったのだ。
いきなり若い頃の妻にそっくりな娘が現れたのだから、思考が停止しても仕方あるまい。
そして、妻によく似たその瞳が、今度はわしに移った。
たったそれだけのことで、わしの心臓は激しく動悸し、呼吸は早くなり、額に汗が浮き出てきた。
わしはどう反応すればいいのか、何を言えばいいのか、何も分からなくなかった。
こんなことは、初めてクラウディアに会って以来のことだ。
少女の顔から目を離すことができない。
今にもその口からわしの名前が飛び出てきそうで、期待やら、不安やら、いろいろな感情がないまぜになったわしの頭は完全に混乱していた。
その時、少女が口を開いた。
「……ブルちゃん」
……っ!?
いま、何と言った?
少女の口から発せられた言葉に、わしは驚きを隠すことができなかった。
『ブルちゃん』
それは、亡き妻が二人きりの時にわしを呼ぶ時の言い方だ。
ウォルターすら知らぬ、二人だけの秘密の呼び方。
それを、なぜ、この少女が……
まさか、この少女は、わしの妻の生まれ変わ……
バッ!
ババッ!
バッ!
「モニカ・メルディスと申します。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします、宰相閣下」
「…………」
「…………」
……なんじゃ、今の風を切るような速さのカーテシーは。
手足の角度もバキバキで、まるで針金を折り曲げて作った人形のようじゃ。
それに、宰相はわしじゃ。
なんでいきなり目を逸らして、ウォルターに向かって挨拶しとるんじゃ?
「…………」
「…………」
わしと娘の視線が、ウォルターに集中する。
「こほん」
一度咳払いをして、自分を取り戻したウォルターが恭しい手つきでわしを示す。
「旦那様は、こちらでございます」
「…………」
「…………」
「…………」
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バルディアの狙いがなんなのかは分からない。
だが、わしはこの少女を雇うことに決めた。
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