研修医は一途に愛を囁く【完結済】

蒼龍葵

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第15話 二股疑惑

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15.二股疑惑


 外科チームに戻ってからは再び目まぐるしい忙しさが戻ってきた。おまけに救外も多忙を極め、オペ介助に入る機会が減った。
 当直の回数も増やされて、堅祐の身体は四月と同じようにへとへとになっていた。

「はぁ……疲れた……」

 白衣ではなく、スクラブのままだったがそんなことにいちいち構っていられない。とにかく疲れた身体を休めたかった。

『堅祐……』

 くっそー、こんな疲れてる時にマヤさんとのキスを思い出すなんて……。あの顔は反則だ。眸の裏に焼きついて離れない。

「……先生」
「ん……マヤさん……」

 まどろみの中でマヤさんとの夢を見ていたせいで、思わず口から突いて出た名前にはっとする。

「あ!?」

 がばっと上体を起こすと驚いた浅川の顔があった。やばい、PHS──と思い枕元を見ると何度か着信が入っていた。

「ご、ごめん。緊急オペ?」
「はい……下部消化管の穿孔で、出村先生からヘルプ要請です。先生のPHS鳴らしたんですけど……」

 だからわざわざ浅川がここまで俺を起こしに来たのだろう。出村先生のヘルプは断れない。
 しまった。うたたねした上に、マヤさんの名前を呟いてしまうなんて。普段は神野くんと呼んでいるので、間違いなく今の呟きは不審がられただろう。

「先に準備してて、五分で行く」

 まだぼんやりしている頭を叱咤し、白衣を羽織る。俺を訝し気に見つめる浅川の視線が、背中に痛いくらい突き刺さった。



 穿孔で運ばれてきた患者の状態は悪く、オペをしても八十六歳という高齢から、生存確率は五分五分といったところだ。

「吸引」

 器械出しはマヤさんに変更となっていた。高齢者の穿孔はスピードが命であり、器械だしは必然的に手順を覚えていないとついていけない。

「あー……下の方まで行ってるな。電メス」

 黙々と穿孔部位を焼いていく。出村が執刀医だったので、最初から開腹を選択したのはベターだった。
 今日に限って片倉部長が不在。──いつもタイミング悪く学会なんだよあの人。
 患者は腸閉塞イレウスの既往もあり、時間はかかったものの、優秀な麻酔科が血圧コントロールをしてくれたお陰で一命を取り留めた。

「花巻、お前、今日当直だったか?」
「はい。空いてる時に麻木さんの状態みておきますよ」

 重症なオペ直後の患者の状態は気になるので、逆に堅祐は自分が当直であることに安堵していた。

「残りの指示頼んでいいか?」
「はい、お疲れ様でした」
「悪いな。頼む」

 前回外科を回った時よりも出村先生から嫌味な感じはなくなった。先輩医師とのコミュニケーションが良くなるのはいいことだ。

「入るよ、ベッド七番だっけ」

 馴染みのICU看護師とベッドの位置を確認して、俺はすぐにレスピの設定と臨時指示をとりあえず出した。

「花巻先生、少し、お話しいいですか?」
「ん? いいよ。俺は今日当直だから何時でも」

 ICUに一緒に申し送りに来た浅川の表情は暗かった。なんの用事だろう。
 そういえば、マヤさんが浅川とちょっといい関係になっているという噂を最近聞いた。
 一方の俺も、留美の猛烈なアプローチに負けて遊ぶ関係に発展していた。

「ニ時間後に血ガス取ってコール頂戴。あとは、何かあったらいつでも出るから」
「はい、お疲れ様でした」



 時間外の手術室ははっきり言って幽霊でも出そうなくらい怖い。電気のついた部屋を覗くと真弥が黙々と器械を片付けていた。

「お疲れ様神野くん。浅川さん、来た?」
「花巻先生、お疲れ様でした。先ほどICUに申し送りに行ったと思いますが、すれ違いませんでした?」

 重そうな器械を持って洗浄室へと消えていく真弥の後ろ姿を見送り、部屋でぼうっとしていると浅川がすいません、と急足で戻ってきた。

「先生お待たせしてすいません──実は、メスを渡す練習に付き合って頂きたくて……出村先生の器械出しに入れないので」

 これは何とも向上心のある話だと思わず感心した。オペは時間勝負なので、物品ひとつ受け渡す行為もリアルな練習は難しい。
 出村の気まぐれな性格で萎縮してしまい本領発揮できないのだろう。

「あぁいいよ、それくらいだったら」

 浅川は外科の棚を漁り、無滅菌のメスホルダーと、21番メスを取り出した。
 滅菌手袋は高額なので練習には使えない。近くに置いてあるLサイズのディスポの手袋を取り、立ち位置もオペ風にして準備をした。
 メスホルダーにメス刃をつけたところで、浅川は俯いた。

「メス」

 右手を出すが浅川の反応がない。あれ、出村先生って、メスとも言わないで手しか出さないんだったか。
 
「浅川さん、メス」
「先生、神野先輩と……どういう関係なんですか?」

 ぽんと右手にメスが渡された。

「あ~、出村先生はもうちっとバシッ! っと渡されないとキレるから、浅川さんの全力でもう一回やってみようか」

 マヤさんとの関係は研修医と手術室の看護師だ。それ以上も以下もない。

「はい、メス」

 再び右手を差し出すが、彼女はなかなか持っているメス刃を渡そうとはしなかった。しかもその小さな身体が小刻みに震えていることに、妙に不穏な空気を感じた。

「先生、さっきマヤさんって……どうして、名前で呼ぶくらい仲良しなのに、留美先輩とも付き合ってるんですか……」
「付き合ってるっつーより、あっちが強引で」

 何と説明していいか悩む。留美は研修医に寄り添って金鶴を掴みたいだけだ。
 浅川は堅祐が二人と不誠実に遊んでいると思い込んでいるようで、その右手は怒りに震えていた。

「どうして……どうして留美先輩を傷つけてまで、神野先輩まで奪うんですか!」
「あのなぁ、留美は──」

 プライベートな話をしたくはなかったが、これでは収集がつかないと思い、浅川に向けて手を伸ばした瞬間、鋭い刃に指先を切られた。
 ディスポの手袋を切り裂き、指先からじわりと血が滲む。
 こういう逆上した状態の子に下手な言葉をかけても逆効果だ。
 適当に女と遊んできたツケが回ってきた。いつかはこうなるだろうと予測はしていたし、早い段階で裁かれるのであれば、お互いに傷も浅くて良いのかもしれない。

「花巻先生……オペ室に来ないでください……先生が、救急外来と病棟だけ行っててくれたらよかったのに…」
「そんなの無理だろう。俺は研修医なんだから、こっちも勉強で来てるんだ」
「じゃあ、どうして留美先輩に手を出したんですっ! だから研修医は嫌いなんです……手あたり次第看護師と寝て、遊んで……そしてニ年経ったら、傷だけ残して居なくなる」

 酷い言われようだ。確かに、内科病棟に配属されていた同年代はあちこちの看護師と寝てるって噂が流れていたけど、俺まで一緒にされたら困る。

「あのな、俺は──」
「何やってるんだ、浅川さん!」

 もう一度メス刃を持って堅祐に向かう浅川の間に器械洗浄から戻ってきた真弥がいきなり入り込んだ。

「──ッ!」

 ディスポ手袋を軽々と突き破ったメス刃は、真弥の手のひらを切り裂き、赤い血をじわりと床に染み込ませた。

「か、神野先輩……手……」
「浅川さん、帰りなさい。──後は、俺が始末しておくから」
「で、でも……」
「……いいから帰れ!」

 声を荒げることのない真弥が本気で怒った。それは痴情のもつれを仕事に持ち込んだことと、大切な仕事道具を使い、人を傷つけることに使ったからだ。
 部屋がしん、となり、浅川はマスク越しからでもわかるくらい唇を震わせて部屋から出て行った。

「マヤ……さん、手……」

 切られた左手を冷静に挿管用の清潔ガーゼで止血している真弥は痛みに顔をしかめていた。
 手を伸ばしてきた堅祐をきつく睨み、空いた右手の拳で頬を思い切り殴ってきた。鈍い音よりも、彼に殴られたことに驚く。

「マヤ……さ、ん」
「お前、外科医になるんだろう! 馬鹿野郎。若い子にメスぶん回されて、大事な手に怪我でもしたらどうするつもりだったんだよ!」

 外科医は手が命だ。
 己の身体を張ってまで堅祐の研修医という立場と、外科医の大事な腕を守ってくれた真弥に頭が上がらない。

「……軽率でした。ごめんなさい」
「別に、お前の色恋に口出しするつもりなんて無いんだ。俺も、浅川とはただの先輩後輩だけの関係だから」

 真弥は自力で手の消毒とガーゼ交換をぱぱっと行い、何事もなかったかのような顔で今度は床に飛び散った血痕を拭っていた。

「いきなり殴って悪かったな。堅祐も気を付けて帰れよ。俺は明日のオペ準備で残る」
「今日……俺、当直なんです……だから……」

 なんでマヤさん相手だと歯切れ悪くなるのだろうか。いつもみたいに飯行きましょうって気軽に一言言えばいいのに。
 マヤさんに怪我させたことや、浅川に不誠実だと言われてしまって少し滅入っているのかもしれない。
 言葉を濁し、項垂れたまま動かない堅祐を見かねた真弥は小さなため息をついた。

「何、俺と夕飯でも食いに行きたいわけ? お前のPHSに呼び出しがなかったらここ片付けてちょっと腹に入れる?」
「……はいっ!」

 思わず子どものように喜んでしまった。
 俺の笑顔にマヤさんもマスクの中で口元を緩め、しょうがない奴だな、とくしゃりと頭を撫でてくれた。
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