竜王陛下の愛し子

ミヅハ

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王としてのレイフォード

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 今日は文字の勉強をする日だ。
 いつものように机に向かっているルカは、単語表を片手に幼児向けの絵本を読み解いていた。

「お、う、じ、さ、ま、は、お、ひ、め、さ、ま、を、み、て」

 一文字一文字確認するようにあっちへこっちへ視線を動かすルカを見ていたソフィアは、その懸命な姿が微笑ましくてクスリと笑みを零す。
 お礼の手紙を喜んで貰えたと嬉しそうにしていたルカは、暇さえあれば文字を書く練習をしていて、レイフォードと自分の名前だけは誰が見ても分かる程の上達ぶりを見せていた。
 ちなみにルカの拙い文字で書かれた手紙は保存魔法が掛けられ更に額縁に入れられ執務室に飾られているらしい。

「そ、し、て、ふ、た、り、は、し、あ、わ、せ、に、く、ら、し、ま、し、た」
「お上手ですよ、ルカ様」
「全然ダメ。途中詰まったし、分かんないのあったし」
「読めるようになっただけでも大きな一歩ですよ」

 たった五ページしかない上に文も三行や四行だけなのにスラスラと読めなかった事が悔しい。ソフィアはこうして何でも褒めてくれるが、今はいろいろと悩んでいるルカには許せない事だった。
 本当ならこの国の事だってもっとちゃんと学びたいのに、読むという壁が邪魔をする。

「⋯そうだ。なぁ、ソフィア」
「はい、何でしょう」
「〝竜妃〟って何?」
「竜妃様ですか? 端的に言えば、陛下のお妃様で御座います」
「お妃様?」
「ええ」

 お妃様と言われてもぼんやりとしか分からないが、つまりはレイフォードの結婚する相手という事だろうか? だとしても何故自分がそう呼ばれるのか、ますます意味が分からない。
 そういえば、あの時メアリーは竜妃になるならある物がなければいけないというような事を言っていた。

「じゃあアザは?」
「⋯⋯どなたからお聞きになったのですか?」
「いや、えっと⋯」

 聞いてはいけない事だったのか、何だかソフィアの雰囲気が怖い。表情は穏やかでいつもと変わらないのに、背筋に何かゾワッとしたものが走ってルカは慌てて首を振る。
 これ以上聞くのも申し訳なくて机に顔を伏せたら、扉がノックされレイフォードが入ってきた。

「どうした、ルカ」
「んー、何でもない。何か用事?」
「今から視察の為に町へ降りるんだが、一緒に行かないか?」
「え、町?」
「ずっと城の中にいて退屈だっただろう?」
「行く!」

 突然の誘いに頭の中をぐるぐるしていた物が一気に吹っ飛んだ。意気込んで立ち上がるとふっと笑ったレイフォードに頭を撫でられ心がほわっとする。
 レイフォードはこうして顔を合わせると毎回頭を撫でてくれるのだが、最近ルカの中でちょっとした変化が訪れていた。
 最初は何で触るんだって思っていたのに、今はその手に触れられると安心するしザワついてた心も穏やかになる。ここでは辛い気持ちになる事もあるけど、何故かレイフォードと一緒にいると落ち着くのだ。
 祖母といる時とは違う、不思議な感覚だった。

「なら着替えてエントランスまで降りて来てくれるか?」
「分かった」
「ソフィア、なるべく目立たないような格好にしてくれ」
「畏まりました」

 ヒラヒラした服にはすっかり慣れてしまったルカだが、さすがにこの格好では町には行けない事は分かっている。ルカの服が収められた衣装部屋の中は見た事はないけれど、普通の服があるならそれにして欲しかったと思うのは今更だろうか。
 レイフォードが部屋を出て行き、ソフィアはさっそく服を見繕いに衣装部屋へ入って行く。少しして戻って来た彼女は、ルカの顔を見て問い掛けた。

「ご自分でされますか?」

 城に来るまでは世話をしていた側であるルカは今だに慣れておらず、大変な事以外は基本的に自分でやっていた。ソフィアからは何度も「私の仕事です」と言われていたが、着替えさせて貰うのは子供みたいで恥ずかしくて嫌だったのだ。
 だからソフィアはこうして聞いてくれる。

「うん」
「では、私はヘアメイクの準備をしておきますね」
「ありがとう」

 受け取りパーテーションの向こうへと入ったルカはふぅと息を吐く。
 二回目から恐ろしい事に鞭を持参するようになったメアリーは相変わらず厳しく、週に三日だけの講師とはいえ背中に振り下ろされる鞭の跡は今やミミズ腫れになっていてとてもじゃないが見せられたものではない。
 これは自分が出来ていない事への罰なのだから、見付かって大事になるのだけは避けたかった。
 ヒラヒラした服から平民が着るような服に着替えたルカは、パーテーションから出て鏡台の前に立つソフィアの傍へと行く。

「髪は纏めてしまいますね」
「うん」

 椅子に座り、ブラシを手にしたソフィアがどこか楽しそうにそう言うものだから、釣られたルカも笑いながら頷いた。
 本当にソフィアは、ルカの髪を弄るのが好きらしい。



 初めて訪れた城下町にはたくさん人で溢れていて、あちこちから声が上がりとても活気に満ちていた。
 声もなく興奮しているルカはフードで隠れた顔をキラキラと輝かせあっちへこっちへと視線を彷徨わせていて、それを見たレイフォードは口元を押さえながら笑う。

(本当に、全部顔に出るんだな)

 南の辺境近くにある祖母たちと暮らす閑静な村が世界の全てだったルカにとって、目に映る物全てが新鮮で面白いだろう。
 ズレそうになったフードを目深に被せ、背中を押して先へ促すとつんのめりながらも歩き出すが、前を見ないから人にぶつかりそうで目が離せない。
 ちなみにマントを羽織ってフードを被っているのは、どんなに貧相な格好をしても綺麗な顔のせいで目立ってしまい、危険度が高いと判断して現状となっていた。

「レイ、レイ。あれ何?」
「ん? あれは子兎肉の串焼きだな。食べるか?」
「え、いいの?」
「ああ。リックス」
「は」

 袖が引かれ視線を下げると小さな手が真っ直ぐ屋台を指差していた。香ばしい匂いが漂って来て気になったのだろう。
 ちょうど昼になるしとルカの護衛であるリックスへと頼めば即座に買って戻ってくる。そのまま渡されると思っていたのだろう、五切れある内の一切れを食べたリックスにあれ? という顔をしたルカに、レイフォードは説明してやった。

「毒味だ」
「毒味⋯?」
「城で私たちに出される物も全てされているからな」
「大丈夫のようです。どうぞ」
「リックス、命は大事にって⋯!」
「お二人にご安全に召し上がって頂く為には必要な事です」

 案の定気にするとは思ったが、リックスはこればかりは譲れない為毅然として答える。フードから覗くルカの表情は険しいが、あまりにもハッキリ言われたからか口を噤み、代わりにレイフォードを見上げてきた。
 それに苦笑し宥めるようにフード越しに頭をポンポンと軽く叩くと、ルカはリックスが差し出す串を受け取ってかぶりついた。

「この町に住まう者たちを疑っている訳ではないが、私はこの国を統べる王だなからな。全てを疑ってかからないと、寝首を搔かれかねない」
「⋯⋯王様って大変なんだな」
「自分で選んだ道だ。大変だろうが大切な民の為にやり遂げなければな」

 一口齧った肉の残りを一気に食べたルカは、それをレイフォードの口元へ持っていき「ん」と首を傾げる。怪訝そうにそれを見たレイフォードは、少しの間のあとふっと微笑んで肉に歯を立てると一切れ丸々串から抜いて咀嚼し始めた。
 しばらく無言で二人もぐもぐしていたが、ようやく嚥下したルカは串焼きに視線を落として思い切ったように口を開く。

「まぁ俺は王様って良く分かんないし、村に来てたレイしか知らないからあんまり気負わなくていいんじゃないか?」
「ルカ⋯」
「俺と一緒に汗と土に塗れたんだからさ」

 キラキラしたイケメンが汚れるのも構わず土いじりをしたり、埃の積もった荷物を運んだりしてるのを見ていたのだ、今更格好つけられてもむしろ困ってしまう。
 チラリと見上げたルカは目を瞬いているレイフォードに向かってにっと笑い掛けると、もう一切れをレイフォードに食べさせ残りを半分齧った。

「あ、陛下だ!」
「陛下がいらっしゃってるぞ!」
「お久し振りです陛下、お元気ですか?」
「ああ。みなも変わりないようで何よりだ」

 歩き出そうとした時、一人の少年がレイフォードに気付いて声を上げた。それにより他の人たちも一斉にこっちを向いて、わらわらと周りに集まってくる。
 リックスに肩を引かれてその場から離されたルカは目を瞬いてその光景を眺めているのだが、レイフォードを見る町の人たちの誰もが嬉しそうな顔をしていて、如何に彼が慕われているかが伺えた。

(この光景が、レイの守りたいものなんだな)

 この広い大陸全てを自分の肩に乗せ、信じられる人なんてほんの一握り。その人たちにさえ寄り掛かるような事は出来なくて、レイフォードはいつ心を休めているんだろう。

「陛下、こちら今朝採れたばかりの果物なんですよ。どうぞお城のみな様でお召し上がりください」
「ああ、ありがとう」
「陛下、僕ね、妹が生まれたんだ!」
「そうか。ならばもっと強くなって、母と妹を守ってやらなけらばいけないな」
「うん! 僕頑張る!」
「陛下!」
「陛下!」

 たくさんの人たちに次から次へと呼ばれても嫌な顔一つしないで一人一人に応えるレイフォードを見て、ルカは凄いなと思うと同時に無理はしないで欲しいと願ってしまった。
 本人にそんなつもりはないのかもしれないが、王としての重責は相当な物だろうし、見た目に変化はなくても心は疲れているかもしれない。

(俺は、レイの為に何をしてあげられるんだろう…)

 お礼の手紙や頬へのキスだけでは到底返し切れない優しさを貰ってる。
 ルカは半分残った焼串を勢い良く食べ切ると何もなくなった串をぎゅっと握り締めた。
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