竜王陛下の愛し子

ミヅハ

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知らない記憶

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 ルカが何の脈絡もなく悪夢を見始めるようになり、さすがにおかしいと思ったレイフォードはまじない事に詳しい者を呼び出した。
 この世界には人に悪夢を見せるという術がない訳ではなく、危惧しているものが使われているのだとしたら決していい状況とは言えない為、一刻も早くどうにかしなければルカの心身が崩壊してしまう恐れがあるのだ。
 目の下にクマの出来たルカが、レイフォードは心配で堪らなかった。



「ルカ様が見ている悪夢は、恐らく過去の出来事でしょう」

 紺色のドレスを見に纏った壮齢の女性が、ルカの手を取ってからしばらくしてそう言った。
 彼女はそういった方面の知識に長けていて、少ない〝残り香〟だけでもこれがかどうか分かるのだという。

「過去の出来事?」
「はい。ルカ様にとって一番恐ろしい記憶を夢として見せているのだと思います。何か覚えはありますか?」
「あ、俺、ばあちゃんに拾われる前の記憶がなくて…」
「でしたら、思い出させようとしているのかもしれませんね」

 起きたら忘れてしまうのに? と思いながらも、不安が募り女性の手をぎゅっと握り返すと優しく微笑んで親指で甲を撫でてくれる。それがソフィアから感じるような暖かさを感じてホッと息を吐くと応接室の扉がノックされた。
 自ら開けて入って来たのはレイフォードで、ルカの傍まで来ると頭を撫でてくれる。

「どうだ?」
「陛下、もしかしたらルカ様は、とても辛い経験をされたが故に記憶をなくされているのかもしれません」
「辛い経験?」
「はい。それがルカ様の夢の正体だと思われます。何らかの方法で〝黒呪法こくじゅほう〟を用いているのでしょう」
「〝黒呪法〟……やはりそうか」

 顎に手を当てたレイフォードが難しい顔をして呟く。 
 竜族には魔法が万能に使える訳ではないものの魔力が備わっているが、古くからやってはいけない禁法とされているものがある。

 〝人の心を操る事〟
 〝人の意思や心に干渉する事〟
 〝死んだ者を蘇らせる事〟
 〝魂を入れ替える事〟

 そういったものを総じて〝黒呪法〟と呼ぶのだが、倫理に反する為使用者はもれなく魔力を封じた上で遥か北の僻地にある〝死の塔〟での終身刑が言い渡される。
 何より竜族が持つ魔力は精霊からの恩恵であり、精霊が望む事はアッシェンベルグの平和の為それを理解した上で使わなけばいけないのだ。
 だが、やはりそれでも完全にはいなくならないのは、それを求める者からの見返りが大きいからだろう。
 そして最も大きな問題は、僅かでも魔力があれば紋様を用いる事で使えてしまう事だった。

 言われたルカ自身、祖父と祖母の顔を見た時からの記憶しかなく、それ以前に関しては少しも残っていない為その時の出来事と言われても全く分からない。困惑するルカに眉尻を下げた女性は、手を離すと「失礼しますね」と言って頬を挟んできた。
 目を瞬いていると額が合わせられ、少しして触れているじんわりと部分が暖かくなる。

「……暗いですね…」
「?」
「…………クレ…? 彼はどなたでしょう?」
「彼?」

 何をしているのかは分からないが、彼と言われてもサッパリでルカは失くした記憶の微細な欠片を探すように目を閉じて考えてみる。深く深く、暗がりの中を手探りするようにゆっくり掻き分けて。

『お前は――――の為に――のよ』

「…っ…いった…」
「ルカ!」

 冷たい声が聞こえた瞬間ズキリと痛みが走り、ルカは思わず頭を抱えて身体を前に倒した。すぐにレイフォードの手が肩に置かれ抱き締められる。
 後頭部を撫でる手といつも自分を包んでくれる香りと温もりに痛みも和らいでいく。

「大丈夫だ、ゆっくり息をしろ」
「…ん…」
「申し訳ありません、ルカ様」
「…ううん、大丈夫。驚かせてごめんな」

 痛みが走ったのも一瞬だし、レイフォードのおかげですぐに落ち着いたから苦笑して首を振れば、女性は眉尻を下げてルカの手を取ると何かを渡してきた。
 両手で包むように持たされたものはコロンとしていて手に馴染む。

「ルカ様、こちらを差し上げます。眠る際、お部屋で焚いてみて下さい」
「何、これ」
「精霊の加護が込められたお香です。ルカ様は精霊に愛されておりますが、精霊には夢にまで干渉する力は御座いません。ですが、このお香なら少なくとも外部からの悪い影響は受けなくなりますから」
「あるだけ貰おう」
「すぐにご用意させて頂きます」

 真っ白な陶器で出来た香炉は丸みを帯びたフォルムになっており、上部に四つほどの雫型の穴が空いている。蓋は取り外しが出来、中には香炉灰が入っていてそこから香を入れて火をつけ焚くようだ。
 下には倒れないよう四つの足が付いていて、全体的に何だか可愛らしい形をしている。
 両手で持ち上げて色んな角度から見ていると、女性が一度部屋から出て行ったのを見計らったレイフォードの指が頬を撫でてきた。

「もう痛みはないか?」
「あ、うん。もうない」
「良かった」
「……何か、心配ばっか掛けてるな」

 メアリーの時もウォルターに攫われた時もそうだが、今もレイフォードの心労を増やしている自分が嫌になる。
 竜族相手にただの人間であるルカが太刀打ち出来ないのは分かっているが、自分がここに来なければこんな事にはならなかったのではと思うことは多々あった。
 申し訳なくて目を伏せたら唇が軽く触れ合う。目を瞬くと今度は深く口付けられ小さく声が出た。
 数回啄まれ離れると再びレイフォードの腕の中に包まれる。

「ルカが無事で元気ならそれでいいんだ。悪夢だってルカのせいではないだろう?」
「まぁ…そうだと言えばそうなんだけど…」

 確かに見たくて見ている訳ではないが、心配を掛けているという事実がルカは嫌だった。
 髪を撫でる優しい手にムズムズして香炉を置き腕を上げて首に抱き着くと、丁度扉がノックされリックスの声が外からかけられた。

「陛下、夫人が戻られました」
「通してくれ」
「は」

 さっきの女性が戻って来ると慌てて腕を離そうとバンザイしたところで扉が開き、顔だけ向けると不思議そうな顔をしたあとにこやかに微笑まれる。何となく察せられた気がして、恥ずかしさからそろそろと腕を下ろしたらレイフォードにまで笑われた。
 二人に近付いた女性は膝をつくと、抱えていた箱を開け中身を見せる。

「今手元に御座いますのはこれが全部となります」
「ならばその箱ごと請求してくれ」
「畏まりました」
「え? こんなに使う?」

 レイフォードの手の平二枚分はありそうな箱に、個包装された四角い香がみっちりと詰まっている。深さもあるから優に百枚は超えるだろう。
 それを全部買うらしいレイフォードにルカは目を丸くする。

「念の為だ。それに、悪夢を見なくなっても香には心を落ち着かせてくれる効果があるからな。あって損はない」
「それにしたって量が…」
「私の我儘だ。受け取ってくれ」
「…我儘の使い方、間違ってないか?」

 どう考えてもルカの為なのにと思いつつ、レイフォードがいいならとそれ以上は言わずに差し出された箱を受け取る。
 鼻を寄せると仄かに甘い香りがしてこれなら確かにリラックス出来そうだと思った。

「今夜から部屋で焚いておくから」
「うん、ありがとう」

 レイフォードの部屋で寝る事ももう当たり前になっている。だからか、もしこの先悪夢を見なくなり再び一人で眠るようになった時、ちゃんと眠れるのかという心配が新しく生まれてきていた。
 今度は隣に好きな人レイフォードの温もりがない事で寝れなくなりそうだ。


 その日の夜は香のおかげか久し振りに悪夢を見る事なく朝まで眠れたルカは、「お香って凄い!」と感動したのだった。
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