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第一章 気化葬
其の壱
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八月一日 水曜日 久遠 駆流
「おはよう、かけるん!未登録の電話番号からの着信だよ!」
重い瞼を開いて、携帯電話を覗く。
立体画面から未見の中年男性が、真っ青な顔でこちらを見ている。
「かける君かい?」
何故か僕の名前を知っている。バーの客に、こんな若い人はいない。
「君のお父さんの会社で働いていた軽部という者だ。」
声が強く粗ぶって、今にも突進してきそうな猪のように興奮している。
慌ただしい朝に嫌気が指す。
「親父さんが事務所で自殺した。」
「そうですか。親父が…え?自殺ですか?」
「ああ。急ぎでホワイト東京にある中央警察に来てくれ。私もこれから車で向かう。親父さんの携帯から君の連絡先を知ったんだ。家族や親族には君から連絡してくれ。」
僕が高校二年の時に家出をしてから疎遠だった父。自分の意思を曲げない頑固一徹だったが、仕事へのバイタリティーに溢れた前向きな仕事人間だった。そんな父が自殺…
「熱っつ!」
午前十一時過ぎ、携帯の気温表示は四十度を超え、僅かな貯金で買ったネッククーラーをして家を出る。最寄り駅までは走っても十分かかる。電車は乗り継ぎが多いし、疎遠の父といってものんびりはしていられない。慌ててアプリで自動運転タクシーを呼びつける。
そして貧乏人を待っていたかと言わんばかり、タクシーはものの数分で到着した。
「ったく、金がないのに。」
快適に冷房が効いた車内に乗り込むと、音声でホワイト東京第七地区(旧新宿区)にある中央警察をインプット。ホワイト東京に行くのは、バイト先の友人である保科と、三月に最新型のバーチャルガールズバーに行ったきりだ。因みに家出した実家はホワイト東京の第五地区(旧豊島区)にある。
親父は元警視庁の警官で、退官後はセキュリティー会社を立ち上げ経営者として働いていた。中学三年の時に母が亡くなった後は暫く一緒に暮らしていたが、度重なった口論の果てに家出をしてからは疎遠になっていた。それから約四年になる。
ホワイト東京は経済と産業が盛んなエリア。でも働く人間にとっては過酷だ。AIとロボットが台頭した今、人間が任される労働は限られる。一部の権力者が厳しい労働を科し、耐えるか辞めるかの篩にかけている。貧しいグリーン東京民はより高い賃金を望み出稼ぎに来ているが、その過酷さに地元へ逃げ帰る者、心身の病にかかり自ら命を落とす者も多いと聞く。
「料金は一万二千九百円デス。」
「っておい!昨日のバイト代、早速溶かしちゃったよ!」
渋々と携帯でタッチ決済を済ませ、扉の自動ロックが解除された。
人口は減り続けているのに、昼時もあって東京は凄い人だかりだ。ワンペーパーの格安飲食店の前には汗を掻く人間の行列が出来ている。僕は混雑を掻き分けて警察に向かう。
大柄な警官ロボが一対、メイン扉の脇を固める。眼部のセンサーがギロリと光るが何事もなく通過する。つまらない人間だが前科はない。入口上部からウイルス対策用の消毒シャワーで歓迎を受けると、軽部さんがこちらに向かって走って来る。
「かける君だね?早くこっちへ来て!」
言われるがままにエレベーターで地下二階へ降りると、担当の警官が冷静に話しかけてきた。
「久遠武人(くおん たけと)さんの息子様ですか?」
無言で頷くと、通路奥にある(霊安所)と書かれた一室に案内された。
「こちらが久遠武人様のご遺体です。ご本人にお間違いはないか、ご確認をお願い致します。」
要人を警護するSPをしていた屈強な父が、酷く窶れている。体を調べる必要があったのか、裸一貫で細長い荷台に横たわっている。紫の蛇が首回りをクッキリと覆い、首を吊ったのが明らかだった。
「父です。たぶん…」
「たぶん、ですか?」
鋭くこちらを見て、低い声で再確認を促され、
「父です。」と答えた。その後、他に家族はいないのかと聞かれ、「いません。」と即答。
すると警官は「少し待っていて下さい。」と言い、部屋を出ていった。
黙り込む父にかける言葉などなく、寒々しい室内が身震いを誘う。死した人間のいる空間には、青空模様の壁紙を一面に張り巡らしても、炬燵を置いたとしても、安らぎと温もりが訪れることはない。そして、警官は直ぐに戻って来た。
「お待たせ致しました。こちらが遺体検案書の電子データーです。お名前、生年月日、ご住所にお間違いはございませんか?」
生年月日は忘れたが、「間違いないです。」と適当に返事をした。
「気化か火葬か、どちらにされますか?」
警官が何を言っているのか分からず、聞こえないフリをして耳を近づける。
「お父様のご遺体ですが、気体化する気化葬にされるか、遺骨にする火葬にされるかを決めて下さい。気化葬の場合は亡くなられた時間から六十時間以内の実施が義務付けられています。」
「お金がないですし、頼れる親族、友達もいないので、一番安いのでお願いします。」
「それでしたら気化葬ですね。携帯でこのコードを読み込めば予約が可能です。検案書の登録番号を入力して進めて下さい。あっという間に終わるので、注意事項には必ずお目通し下さい。」
一礼した警官はその場を去っていった。
僕は費用と日程が気になり、早速専用ページを開く。六十時間以内…
明後日からバイトが五連勤だから明日しかない。午前七時から三十分刻みに枠があるけど早起きは御免だ、と空いていた午後一時のボタンを押す。気化等級と費用?スイート三十万、スタンダード五万、シンプル三万…葬式でスイートって正気の沙汰か?ホテルの部屋でもあるまいし。父に申し訳ない気持ちなど皆無で、シンプル一択。警官の言う通り、あっさりと予約が完了した。
父は明日まで警察の霊安所に安置される。同料金で車に同乗し、気化施設へ行くオプションがあったが希望はしなかった。見送るのではない、仕方なく立ち会うだけだ。
既に警察のロビーに軽部さんはいなかった。父の会社で、警察との現場検証に立ち会っていると、メールが届いていた。
―ご迷惑をおかけし、申し訳ございません―
空に目を向ける。荷物を背負った幾つかのドローンが夕陽に照らされて、巨大のトンボのように宙を舞う。(それなりの平凡)が父の面影に侵食される。虚しくも退勤ラッシュの電車に乗り込むと、六年前に自死した母まで登場する始末だ。
―スマイル・エンジェル―
母はレースが苦境を迎えても、笑顔を絶やさない異色のマラソンランナーだった。
一時は日本代表選手として世界大会に出場。最高成績は四位入賞だったが、低重力の恩恵を受け、軽やかに疾走する姿は観客を魅了した。実力以上にファンが大勢いたと父が常々言っていた。そして妊娠を機に競技を引退し、出産後は僕のペースメーカーに転身した。
余白の時間があれば走りに駆り出され、豪雨手前の大雨だろうと、近くで殺人犯が逃亡中であろうと、辺りが暗くなるまで二人で走り続けた。強制されたとは思っていない。でも、走るしか術がなかったから、中学三年の全国大会、五千メートルで優勝した。
―強かった僕は、母と二人三脚だった僕―
汗が煌めく笑顔の写真付きで、母の訃報は各メディアで報じられた。
(究極のマラソン病者)
(家族より自らの足を優先)
悪性リンパ腫により両足の切断を迫られ自死を選んだ母を、面白可笑しく取り上げたメディア情報を遮断。元々交友的ではなかったが、僕を憐れんだクラスメイトに話しかけることも無くなった。それでも陸上競技を続けてみたけれど、記録は落ちるばかりで高校を中退し、今の僕の原型が完成した。
自宅から最寄り駅のだいぶ手前で下車する。こんな時はやけ酒だ、とはならず、何度か走ったことのある道のりを、家に向かって走り出す。
1~100辛まで選べるインド専門料理店、二十年以上も続く激高インバン丼店、震災で屋根がボロボロのままになっている爬虫類専門のペットショップ。
真新しさのない、つまらない景色たち。
一定のコースからはみ出せない、臆病な両足。
居心地がいい。
人を遮れば、変な人間関係に悩むことはないし、ドッペルゲンガーに遭遇しない限り、他人に同調する必要もない。異性にドキドキすることはないし、デート代はかからない。目に入る情報を減らせば、詐欺に騙されず、情報過多で頭痛になることもない。
誰も嫌にならなくて、誰も失望させることもない。
高い税金を納めていれば、優良都民でいられる。
そして無事に明日をやり過ごせば、もう家族を感じなくていい。
「おはよう、かけるん!未登録の電話番号からの着信だよ!」
重い瞼を開いて、携帯電話を覗く。
立体画面から未見の中年男性が、真っ青な顔でこちらを見ている。
「かける君かい?」
何故か僕の名前を知っている。バーの客に、こんな若い人はいない。
「君のお父さんの会社で働いていた軽部という者だ。」
声が強く粗ぶって、今にも突進してきそうな猪のように興奮している。
慌ただしい朝に嫌気が指す。
「親父さんが事務所で自殺した。」
「そうですか。親父が…え?自殺ですか?」
「ああ。急ぎでホワイト東京にある中央警察に来てくれ。私もこれから車で向かう。親父さんの携帯から君の連絡先を知ったんだ。家族や親族には君から連絡してくれ。」
僕が高校二年の時に家出をしてから疎遠だった父。自分の意思を曲げない頑固一徹だったが、仕事へのバイタリティーに溢れた前向きな仕事人間だった。そんな父が自殺…
「熱っつ!」
午前十一時過ぎ、携帯の気温表示は四十度を超え、僅かな貯金で買ったネッククーラーをして家を出る。最寄り駅までは走っても十分かかる。電車は乗り継ぎが多いし、疎遠の父といってものんびりはしていられない。慌ててアプリで自動運転タクシーを呼びつける。
そして貧乏人を待っていたかと言わんばかり、タクシーはものの数分で到着した。
「ったく、金がないのに。」
快適に冷房が効いた車内に乗り込むと、音声でホワイト東京第七地区(旧新宿区)にある中央警察をインプット。ホワイト東京に行くのは、バイト先の友人である保科と、三月に最新型のバーチャルガールズバーに行ったきりだ。因みに家出した実家はホワイト東京の第五地区(旧豊島区)にある。
親父は元警視庁の警官で、退官後はセキュリティー会社を立ち上げ経営者として働いていた。中学三年の時に母が亡くなった後は暫く一緒に暮らしていたが、度重なった口論の果てに家出をしてからは疎遠になっていた。それから約四年になる。
ホワイト東京は経済と産業が盛んなエリア。でも働く人間にとっては過酷だ。AIとロボットが台頭した今、人間が任される労働は限られる。一部の権力者が厳しい労働を科し、耐えるか辞めるかの篩にかけている。貧しいグリーン東京民はより高い賃金を望み出稼ぎに来ているが、その過酷さに地元へ逃げ帰る者、心身の病にかかり自ら命を落とす者も多いと聞く。
「料金は一万二千九百円デス。」
「っておい!昨日のバイト代、早速溶かしちゃったよ!」
渋々と携帯でタッチ決済を済ませ、扉の自動ロックが解除された。
人口は減り続けているのに、昼時もあって東京は凄い人だかりだ。ワンペーパーの格安飲食店の前には汗を掻く人間の行列が出来ている。僕は混雑を掻き分けて警察に向かう。
大柄な警官ロボが一対、メイン扉の脇を固める。眼部のセンサーがギロリと光るが何事もなく通過する。つまらない人間だが前科はない。入口上部からウイルス対策用の消毒シャワーで歓迎を受けると、軽部さんがこちらに向かって走って来る。
「かける君だね?早くこっちへ来て!」
言われるがままにエレベーターで地下二階へ降りると、担当の警官が冷静に話しかけてきた。
「久遠武人(くおん たけと)さんの息子様ですか?」
無言で頷くと、通路奥にある(霊安所)と書かれた一室に案内された。
「こちらが久遠武人様のご遺体です。ご本人にお間違いはないか、ご確認をお願い致します。」
要人を警護するSPをしていた屈強な父が、酷く窶れている。体を調べる必要があったのか、裸一貫で細長い荷台に横たわっている。紫の蛇が首回りをクッキリと覆い、首を吊ったのが明らかだった。
「父です。たぶん…」
「たぶん、ですか?」
鋭くこちらを見て、低い声で再確認を促され、
「父です。」と答えた。その後、他に家族はいないのかと聞かれ、「いません。」と即答。
すると警官は「少し待っていて下さい。」と言い、部屋を出ていった。
黙り込む父にかける言葉などなく、寒々しい室内が身震いを誘う。死した人間のいる空間には、青空模様の壁紙を一面に張り巡らしても、炬燵を置いたとしても、安らぎと温もりが訪れることはない。そして、警官は直ぐに戻って来た。
「お待たせ致しました。こちらが遺体検案書の電子データーです。お名前、生年月日、ご住所にお間違いはございませんか?」
生年月日は忘れたが、「間違いないです。」と適当に返事をした。
「気化か火葬か、どちらにされますか?」
警官が何を言っているのか分からず、聞こえないフリをして耳を近づける。
「お父様のご遺体ですが、気体化する気化葬にされるか、遺骨にする火葬にされるかを決めて下さい。気化葬の場合は亡くなられた時間から六十時間以内の実施が義務付けられています。」
「お金がないですし、頼れる親族、友達もいないので、一番安いのでお願いします。」
「それでしたら気化葬ですね。携帯でこのコードを読み込めば予約が可能です。検案書の登録番号を入力して進めて下さい。あっという間に終わるので、注意事項には必ずお目通し下さい。」
一礼した警官はその場を去っていった。
僕は費用と日程が気になり、早速専用ページを開く。六十時間以内…
明後日からバイトが五連勤だから明日しかない。午前七時から三十分刻みに枠があるけど早起きは御免だ、と空いていた午後一時のボタンを押す。気化等級と費用?スイート三十万、スタンダード五万、シンプル三万…葬式でスイートって正気の沙汰か?ホテルの部屋でもあるまいし。父に申し訳ない気持ちなど皆無で、シンプル一択。警官の言う通り、あっさりと予約が完了した。
父は明日まで警察の霊安所に安置される。同料金で車に同乗し、気化施設へ行くオプションがあったが希望はしなかった。見送るのではない、仕方なく立ち会うだけだ。
既に警察のロビーに軽部さんはいなかった。父の会社で、警察との現場検証に立ち会っていると、メールが届いていた。
―ご迷惑をおかけし、申し訳ございません―
空に目を向ける。荷物を背負った幾つかのドローンが夕陽に照らされて、巨大のトンボのように宙を舞う。(それなりの平凡)が父の面影に侵食される。虚しくも退勤ラッシュの電車に乗り込むと、六年前に自死した母まで登場する始末だ。
―スマイル・エンジェル―
母はレースが苦境を迎えても、笑顔を絶やさない異色のマラソンランナーだった。
一時は日本代表選手として世界大会に出場。最高成績は四位入賞だったが、低重力の恩恵を受け、軽やかに疾走する姿は観客を魅了した。実力以上にファンが大勢いたと父が常々言っていた。そして妊娠を機に競技を引退し、出産後は僕のペースメーカーに転身した。
余白の時間があれば走りに駆り出され、豪雨手前の大雨だろうと、近くで殺人犯が逃亡中であろうと、辺りが暗くなるまで二人で走り続けた。強制されたとは思っていない。でも、走るしか術がなかったから、中学三年の全国大会、五千メートルで優勝した。
―強かった僕は、母と二人三脚だった僕―
汗が煌めく笑顔の写真付きで、母の訃報は各メディアで報じられた。
(究極のマラソン病者)
(家族より自らの足を優先)
悪性リンパ腫により両足の切断を迫られ自死を選んだ母を、面白可笑しく取り上げたメディア情報を遮断。元々交友的ではなかったが、僕を憐れんだクラスメイトに話しかけることも無くなった。それでも陸上競技を続けてみたけれど、記録は落ちるばかりで高校を中退し、今の僕の原型が完成した。
自宅から最寄り駅のだいぶ手前で下車する。こんな時はやけ酒だ、とはならず、何度か走ったことのある道のりを、家に向かって走り出す。
1~100辛まで選べるインド専門料理店、二十年以上も続く激高インバン丼店、震災で屋根がボロボロのままになっている爬虫類専門のペットショップ。
真新しさのない、つまらない景色たち。
一定のコースからはみ出せない、臆病な両足。
居心地がいい。
人を遮れば、変な人間関係に悩むことはないし、ドッペルゲンガーに遭遇しない限り、他人に同調する必要もない。異性にドキドキすることはないし、デート代はかからない。目に入る情報を減らせば、詐欺に騙されず、情報過多で頭痛になることもない。
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