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15.懸命
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【 真野凜side 】
「梶くん、ベットに戻る?」
ソファにうなだれて座っている彼に、声をかけた。
目の前にひざまずいて、梶くんの顔を覗きこむ。
梶くんがゆっくり目を開けて、私を見た。
こうやって見つめ合って……梶くんが何を思っているのか、何を望んでいるのか、読みとってみる。
梶くんの声は……しばらく、聞いていない。
声だけじゃない。
梶くんが自分の意志で、出来る事が……ほとんどない。
今は梶くんと見つめ合うひとときが、私にとって何より大事になっていた。
少しだけ動く顔の表情で、意思を図る。
うん。
梶くんはうなずいた、と思う。
「春見さん呼んでこよっか」
私の問いかけに、梶くんが、かすかに微笑みかけた……
そのとき―――
「はっ!!」
一瞬で梶くんの意識が落ちた!
ダラーンと倒れこんできたのを、両腕で抱えとめた。
「梶くん! 梶くん!?」
完全に脱力してる。
何の反応もない。
しっかりぎゅっと支えてないと倒れちゃう!
どうしよう!?
梶くんが……
梶くんが!!
「はっ、春見さん! 春見さん!!」
私は梶くんを上半身で抱えながら、春見さんを呼ぶ。
お願いっ。
早く!
早く、梶くんを……
「はぁ、
はぁっ、
っ春見さぁあん!!!」
狂気の混じった叫び声だったと思う。
ちからいっぱい大声をあげた。
助けて!
お願いっ、梶くんを助けて!!
ぎゅうぅっー……。
「あ!春見さ……」
「ベットに」
気付いたときには、春見さんが梶くんを支えてくれてた。
ふたりで梶くんをベットまで運ぶ。
他の看護師さんも入ってきて、私は邪魔にならないよう、隅にゆらゆらと離れた。
何もできずに……。
ただ祈るしか、見守るしかできない。
黙って、息を荒らげに吸っては吐き、息を止めてた場面もあったかもしれない。
慌ただしかった光景が、ゆっくりと動き始めた頃。
意識がもうろうとしてきて……
私は立っているのがやっとだった。
そうして、春見さんの声が近くで……
「大丈夫。気を失っただけ。
呼吸も心拍も安定してるから―――」
途中まで聞こえていたのに……
あ……ダメ。
これだけはしたらいけないって……
私の張りつめていた糸が……
プツン、と切れた――。
―――お願い、梶くんを助けて……
☆☆☆
「梶くん!」
パチッ。
自分の声で目が覚めた。
どこ? ……ここ?
はっ!
梶くんは!?
起き上がろうとして、横から押さえつけられた。
「ストップ!」
「……お母さん!?」
「点滴うってもらったから、動いちゃダメ!
じっとして、もぉ少し横になってなさい!
まったく、いつも言ってるでしょ!?
ごはんはしっかり食べなさいってぇ!!」
あー、お母さんだ。
お母さんを引っぱり出してしまった……。
梶くんは眠ってるから安心して、って。
母の弾丸は、それで締めくくられた。
「はぁー……良かった……」
じんわり涙が出そうだ。
「凜。あんたが付き添いしてる、ホスピスの同級生って……梶くんなの?
中学の時、ご両親亡くなった梶くん?」
「……うん」
「……だから、優一さんと別れた?」
「知ってたの?」
「なんとなくね……」
「……ごめん。話しずらかった」
「馬鹿ねぇ……」ボソッとつぶやく母の声がした。
恥ずかしくて、お母さんの顔……まともに見れない。
きっと残念がると思った。
婚約までして別れるなんて。
色々期待させるだけさせて……親不孝の大馬鹿でしかない。
「はぁっ」母が短いため息をひとつ。
お説教の合図だ。
「私ね……中学の頃、あんた頑張って忘れようとしてたから、話せなかったんだけど……
梶さんと学校の役員してて、よく話をしてたの。お葬式も行ったわ」
……え?
怒ってるんじゃ、ないの?
「……今でも覚えてる。
“ 息子が生きがいなの ” って梶さんの言葉。すごいと思った。堂々と他人に言えることじゃないもの。なかなか、いくら親でもね。
……梶くんは、とっても愛されてたのよ。
ご両親に大事にされてたの」
「……うん。うん」
顔を手で隠して、うなずくしかできない。
「お母さん、最後までお見送りしたけど、梶くん立派だったわ。おばあちゃん支えてさ……あんな、いい子が……なんで息子さんまで……」
お母さんの声はかすれて、私の涙も、流れるのを止められなかった。
「ご両親のぶんまで、最期まで、大切にしてあげなさいよ……」
母が鼻をすすりあげて言った。
「……いいの? 私、婚約までして、恥かかせること……」
「恥なんてかいてナンボよ! 言っとくけど! 凜のこと、恥だなんて思ったこと一度もないわ! お父さんのことだって、どれだけ頼りになったか……。凜の選んだ道を、私は応援するから。いつだって味方よ」
……ボロボロで、ぐちゃぐちゃだ。
「ありがと……ありがとう」
何回言えば、お返しになるんだろう……
母が私の腕をさすった。
「梶くんが、凜の “ かけがえのない人 ” なのね」
……かけがえのない?
そうか!
だから、誰とも比べられない、たったひとりの特別なんだ。
「……昔も今も、梶くんは大事なひと」
「わかった。梶くんのところに、戻るのよね?」
私は大きくうなずいた。
梶くんはもう、ロスタイム……
時間は限られている。
早く、早く会いに行きたい!
お母さんは、後のことは任せてと、ぎゅっと腕をつかんで私のもとを離れた。
勇気をもらって、元気をもらって、私は涙をふいて起き上がる。
さぁ、また走らなくちゃ……
今のこの想いを届けに。
梶くんにちゃんと届けるんだ!
部屋に戻り、一直線に梶くんを目に入れる。
梶くんは静かにベットに横たわっていた。
まだ少し緊張している足で、ゆっくり近づいて、顔を覗きこむ。
すぅー。
……良かった、本当に良かったっ。
梶くんの呼吸を確認した。
そっと、手をとって……じんわり―――。
ぬくもりを貰い受ける。
梶くんの体温を感じたら、ガチガチだった私の体がようやくほぐれた気がした。
床にひざまずいて、しっかり梶くんの手を、両手で包み込む。
目を閉じて、祈りを捧げた―――。
私の想い、この気持ち、梶くんにうまく届けられるように……
どうか、届きますように!
「梶くん、どうしても……伝えておきたいことがあります」
いっぺんに溢れそうな想いをこらえて、ひとつ、ひとつ、丁寧に告げたい。
「……梶くんは、誰かの為に精一杯走ること。人の為に自分のちからを発揮できること。私に教えてくれました」
ベットで眠る梶くんを見つめる私の視界に、ぼやけた記憶のスクリーンが重なる。
次々に映し出されるのは、10年前の梶くんだ。
「情熱も、思いやりも。家族の大切さ、深い悲しみに、別れの痛み……」
今、ちゃんと、伝えておかなきゃ。
もう聞こえないまま、届かないまま、梶くんは……
この世界を去ってしまうかもしれないっ。
「生きることの難しさ。あたり前の日常が贅沢なこと。ありふれた生活が輝いていること。命の尊さ。
……全部、教えてくれたのは、梶くんです」
梶くんの背中を追いかけて、走って、私はたくさん知ることができたの。
「梶くんは、私に…… “ 一生懸命 ” を教えてくれる、かけがえのないひとです!」
―――かけがえのない大切なひとです。
大切なんです……
梶くんの生きる時間が!
ぎゅうっ、両手に力をこめた。
「いつだって、梶くんの全てが、私にちからを与えてくれるから―――だから、私は信じる。
梶くんのちからを、信じています」
これは、私の誓いの言葉だ。
あきらめない!
最期まで、希望を持ち続けたい!
「まだ、共に、生きたいです!」
一緒に、生きていたいんです―――。
どうか。
どうかっ…………!
【 梶翔大side 】
――――1秒でも長く……愛しい声を聴いていたくて。
陽だまりのような笑顔を、この目で……写し撮りたくて。
まだ、同じ世界で、生きていたいと……現実に意識を繋ぎ止めていた。
けど。
スーッと、自分の中身を引っこ抜かれ……無意識の中に連れ込まれてしまったな。
――――俺を呼んでる、声。
また、戻ってこれたな。
いつも、暗闇から……
寂しさの渦から……
俺を呼び戻すのは、凜の声だった。
いつも、ちからを与えてくれるのは、凜の言葉だった。
凜が……
俺を、かけがえのないひとって。
信じるって。
凜の熱い、手。
凜の強い、想い。
……届いてるよ。
ほら、しっかりしろ。
あきらめるな。
凜が誓ってくれたんだ。何度も……
ひとりにしない、最後まで戦う、って。
全力で、思いやりを捧げてくれてるんだ。
だから、俺も精一杯、答えろ!
【 真野凜side 】
「はっ!! 梶くんっ!?」
ふいに手を引かれた感覚が!
口元をかすかに、動かしている。
梶くんが何かを……
身を乗り出して、梶くんの声に耳を傾けた。
・・・・・・
ぶわっ。
涙が、溢れ出た。
聞こえたよ、ちゃんと聞こえたっ。
梶くんのか細い声を!
―― 俺も おんなじ ――
「っ梶くん……」
“ 生きたい ”
梶くんの想い、届いてるよ……
私にも、ちゃんと、伝わってるよ……
弱々しい梶くんの指が、私の手を握り返そうとしている。
私、今も、梶くんからちからをもらってる。
気持ちが通じ合うって、こんなにも温かい ……。
「ありがとう、梶くん……ありがとう」
1日でも長く、この世界で生きていよう―――。
【 佐藤優一side 】
サキが東京のオフィスを訪ねてきた。
本店に諸々手続きをしに来たついでとゆうが、だいたい察しはついている。
ビル1Fのラウンジに案内した。
「でっけえビル……」
「何飲む?」
「うーん……タンポポコーヒーはないよな」
「何それ?」
「真野にいつも入れて貰ってる」
ビクッ。
思わず体が反応した。
サキが見逃すはずがない。
じっと睨んでくる。
「……何だよ」
??
サキが手を伸ばしてきて、おれの首元を引っ掻いた。
「!!」
シャラッ。
チェーンが引っ張られて、服から婚約指輪が飛び出した。
おれは慌ててしまい込む。
「はぁー。あたしがこうなってる間、何ネトられてんだよ。全部聞いたわ……」
サキは自分のぽっこりした腹を撫でながら言う。
「その言い方やめろ……お前こそ、今年異動してきた年下、早々にネトっておめでた婚とか。ビックリだわ」
「ははっ!」豪快に吹き出す。
「歳とか時間とか、愛育むのに関係ねーんだよ」
「あーそーかよ」
って久しぶりの茶化し合いで……気が楽になった感じがした。
注文を聞きにきた店員が、奥様にブランケットお持ちしましょうか?
と。
「「 違いますっ!! 」」
喰い気味に声を揃えた。
相変わらずだ、とホッとしたところで、おもむろにサキが「悪かったな……」と口にした。
「何が?」
「話も聞いてやれなくてさ。つわりが酷くて……ついこの前だよ、知ったの。真野、何も言わないから……」
「……お前が謝る事ないだろ。それより体調は平気か? 旦那も頼りになんのかよ??」
「ふっ」とサキがおかしそうに笑う。
何?
さっきから妙に落ち着いてて、こっちが調子狂うんだけど……
「真野の言う通りだった……あん時、不倫なんかに走んなくて良かった、と思ってさ」
愛しそうに腹を何度も擦る。
「惜しみなく愛情を注げる対象がいるって、すげー幸せなんだよ。今のあたし、めっちゃ強いよ。旦那もこの子も、あたしが大きく育ててやるって」
なんか、サキがすっかり母親に見える。
置いてけぼりくらったような……
「で、お前はどーすんの?」
凜のこと、だな。本題に話が及ぶ……
「……自信がねーんだよ。無理に奪う事も、手離す事も、どっちも……」
自分の言葉にして、一層落ち込んだ。
最後に凜と話をした時も、こうやって……コーヒーカップを憎らしそうに見つめてた。
「このヘタレ! 根性なし! 一生縮んでろ!」
サキが畳み掛けてくる。
「励ましに来たんじゃねーの? 傷口に塩塗り込みやがって」
「は? 何でお前が傷ついてんだよ? 戦いもしてねーのにっ」
「あん?」
イラッとした。
こっちはもう、いっぱいいっぱいなんだ。
毎日が辛くて……
なのに!
なんで、おれが傷ついてないって……
「真野は今、戦ってるだろーが! 自分から険しい道選んで……」
「!!」
「お前守られてんだよ。お前を傷つけない為に、真野は……別れを選んだんだろ」
「くっ……」
何も言い返す言葉が見つからない。
……わかってる、それも。
凜は、おれが後腐れなく、自分を忘れられるように……
あんな冷たい顔をしたんだ。
愛されてるから、それを見せつけられた事。――――わかってるんだ。
嫌われた訳じゃない……
梶くんがいなくなったら、また僕が凜を……
できるだろうか――――?
二人が死を分かち合って、より強く結ばれてしまったら……
僕にチャンスなんて、これっぽっちもない。
情けないけど……怖いんだ。
また、あの顔を見るのは、耐えられない。
自信がない……
ちっとも張り合いの無い、腑抜けた僕に、サキの小さなため息がかかる。
「あのな、産休後のチームの事だけどさ」
「ん、ああ……」
気を、使われて……
サキが、引きずってる侘びしさを……仕事の話で紛らわせてくれている。
ラウンジを出て、「気をつけて帰れ」と言うと、「心配すんな」と笑って返された。
早く仕事に戻らなければならない。
けれど、なんとなく身重なサキが気がかりで…‥
見送っていると、サキが「あ、そうだ」と振り返る。
「??」
「真野がさ、気付いてない事1個あんだよ」
「……え?」
「1番大事なもんは、ひとつだけじゃない。
2個でも3個でも……たくさんあっていいんだ」
そう、微笑みながら言い残して……。
ヨタヨタと、妊婦らしく。
片手は腰を押さえているのに、もう片方はしっかり腹を守って歩く。
カツカツ言わせてたヒールもない靴で、ギラギラしてたアクセサリーも、ひとつも付けてなかった。
すっかり変わって……今の方が眩しかった。
着飾る物が無くても、自分の身ひとつで、やたら逞しく見えた。
それに比べておれは……
すがるように、胸の指輪を握り締める。
凜の指輪を身に着けていないと、今日を生きる気力さえ、発揮できない……
ここまで本気で愛した事も、愛されていると実感した事も、初めてで…‥。
やり場のない愛情を、どう処理するべきか?
全く検討もつかない。
あまりに無様で、本当に情けない野郎だった。
あの日から、雨が止んでいないかのように……シトシト濡れたまま、乾いてはくれない。
ずっと、今日も。たぶん、明日も……。
「梶くん、ベットに戻る?」
ソファにうなだれて座っている彼に、声をかけた。
目の前にひざまずいて、梶くんの顔を覗きこむ。
梶くんがゆっくり目を開けて、私を見た。
こうやって見つめ合って……梶くんが何を思っているのか、何を望んでいるのか、読みとってみる。
梶くんの声は……しばらく、聞いていない。
声だけじゃない。
梶くんが自分の意志で、出来る事が……ほとんどない。
今は梶くんと見つめ合うひとときが、私にとって何より大事になっていた。
少しだけ動く顔の表情で、意思を図る。
うん。
梶くんはうなずいた、と思う。
「春見さん呼んでこよっか」
私の問いかけに、梶くんが、かすかに微笑みかけた……
そのとき―――
「はっ!!」
一瞬で梶くんの意識が落ちた!
ダラーンと倒れこんできたのを、両腕で抱えとめた。
「梶くん! 梶くん!?」
完全に脱力してる。
何の反応もない。
しっかりぎゅっと支えてないと倒れちゃう!
どうしよう!?
梶くんが……
梶くんが!!
「はっ、春見さん! 春見さん!!」
私は梶くんを上半身で抱えながら、春見さんを呼ぶ。
お願いっ。
早く!
早く、梶くんを……
「はぁ、
はぁっ、
っ春見さぁあん!!!」
狂気の混じった叫び声だったと思う。
ちからいっぱい大声をあげた。
助けて!
お願いっ、梶くんを助けて!!
ぎゅうぅっー……。
「あ!春見さ……」
「ベットに」
気付いたときには、春見さんが梶くんを支えてくれてた。
ふたりで梶くんをベットまで運ぶ。
他の看護師さんも入ってきて、私は邪魔にならないよう、隅にゆらゆらと離れた。
何もできずに……。
ただ祈るしか、見守るしかできない。
黙って、息を荒らげに吸っては吐き、息を止めてた場面もあったかもしれない。
慌ただしかった光景が、ゆっくりと動き始めた頃。
意識がもうろうとしてきて……
私は立っているのがやっとだった。
そうして、春見さんの声が近くで……
「大丈夫。気を失っただけ。
呼吸も心拍も安定してるから―――」
途中まで聞こえていたのに……
あ……ダメ。
これだけはしたらいけないって……
私の張りつめていた糸が……
プツン、と切れた――。
―――お願い、梶くんを助けて……
☆☆☆
「梶くん!」
パチッ。
自分の声で目が覚めた。
どこ? ……ここ?
はっ!
梶くんは!?
起き上がろうとして、横から押さえつけられた。
「ストップ!」
「……お母さん!?」
「点滴うってもらったから、動いちゃダメ!
じっとして、もぉ少し横になってなさい!
まったく、いつも言ってるでしょ!?
ごはんはしっかり食べなさいってぇ!!」
あー、お母さんだ。
お母さんを引っぱり出してしまった……。
梶くんは眠ってるから安心して、って。
母の弾丸は、それで締めくくられた。
「はぁー……良かった……」
じんわり涙が出そうだ。
「凜。あんたが付き添いしてる、ホスピスの同級生って……梶くんなの?
中学の時、ご両親亡くなった梶くん?」
「……うん」
「……だから、優一さんと別れた?」
「知ってたの?」
「なんとなくね……」
「……ごめん。話しずらかった」
「馬鹿ねぇ……」ボソッとつぶやく母の声がした。
恥ずかしくて、お母さんの顔……まともに見れない。
きっと残念がると思った。
婚約までして別れるなんて。
色々期待させるだけさせて……親不孝の大馬鹿でしかない。
「はぁっ」母が短いため息をひとつ。
お説教の合図だ。
「私ね……中学の頃、あんた頑張って忘れようとしてたから、話せなかったんだけど……
梶さんと学校の役員してて、よく話をしてたの。お葬式も行ったわ」
……え?
怒ってるんじゃ、ないの?
「……今でも覚えてる。
“ 息子が生きがいなの ” って梶さんの言葉。すごいと思った。堂々と他人に言えることじゃないもの。なかなか、いくら親でもね。
……梶くんは、とっても愛されてたのよ。
ご両親に大事にされてたの」
「……うん。うん」
顔を手で隠して、うなずくしかできない。
「お母さん、最後までお見送りしたけど、梶くん立派だったわ。おばあちゃん支えてさ……あんな、いい子が……なんで息子さんまで……」
お母さんの声はかすれて、私の涙も、流れるのを止められなかった。
「ご両親のぶんまで、最期まで、大切にしてあげなさいよ……」
母が鼻をすすりあげて言った。
「……いいの? 私、婚約までして、恥かかせること……」
「恥なんてかいてナンボよ! 言っとくけど! 凜のこと、恥だなんて思ったこと一度もないわ! お父さんのことだって、どれだけ頼りになったか……。凜の選んだ道を、私は応援するから。いつだって味方よ」
……ボロボロで、ぐちゃぐちゃだ。
「ありがと……ありがとう」
何回言えば、お返しになるんだろう……
母が私の腕をさすった。
「梶くんが、凜の “ かけがえのない人 ” なのね」
……かけがえのない?
そうか!
だから、誰とも比べられない、たったひとりの特別なんだ。
「……昔も今も、梶くんは大事なひと」
「わかった。梶くんのところに、戻るのよね?」
私は大きくうなずいた。
梶くんはもう、ロスタイム……
時間は限られている。
早く、早く会いに行きたい!
お母さんは、後のことは任せてと、ぎゅっと腕をつかんで私のもとを離れた。
勇気をもらって、元気をもらって、私は涙をふいて起き上がる。
さぁ、また走らなくちゃ……
今のこの想いを届けに。
梶くんにちゃんと届けるんだ!
部屋に戻り、一直線に梶くんを目に入れる。
梶くんは静かにベットに横たわっていた。
まだ少し緊張している足で、ゆっくり近づいて、顔を覗きこむ。
すぅー。
……良かった、本当に良かったっ。
梶くんの呼吸を確認した。
そっと、手をとって……じんわり―――。
ぬくもりを貰い受ける。
梶くんの体温を感じたら、ガチガチだった私の体がようやくほぐれた気がした。
床にひざまずいて、しっかり梶くんの手を、両手で包み込む。
目を閉じて、祈りを捧げた―――。
私の想い、この気持ち、梶くんにうまく届けられるように……
どうか、届きますように!
「梶くん、どうしても……伝えておきたいことがあります」
いっぺんに溢れそうな想いをこらえて、ひとつ、ひとつ、丁寧に告げたい。
「……梶くんは、誰かの為に精一杯走ること。人の為に自分のちからを発揮できること。私に教えてくれました」
ベットで眠る梶くんを見つめる私の視界に、ぼやけた記憶のスクリーンが重なる。
次々に映し出されるのは、10年前の梶くんだ。
「情熱も、思いやりも。家族の大切さ、深い悲しみに、別れの痛み……」
今、ちゃんと、伝えておかなきゃ。
もう聞こえないまま、届かないまま、梶くんは……
この世界を去ってしまうかもしれないっ。
「生きることの難しさ。あたり前の日常が贅沢なこと。ありふれた生活が輝いていること。命の尊さ。
……全部、教えてくれたのは、梶くんです」
梶くんの背中を追いかけて、走って、私はたくさん知ることができたの。
「梶くんは、私に…… “ 一生懸命 ” を教えてくれる、かけがえのないひとです!」
―――かけがえのない大切なひとです。
大切なんです……
梶くんの生きる時間が!
ぎゅうっ、両手に力をこめた。
「いつだって、梶くんの全てが、私にちからを与えてくれるから―――だから、私は信じる。
梶くんのちからを、信じています」
これは、私の誓いの言葉だ。
あきらめない!
最期まで、希望を持ち続けたい!
「まだ、共に、生きたいです!」
一緒に、生きていたいんです―――。
どうか。
どうかっ…………!
【 梶翔大side 】
――――1秒でも長く……愛しい声を聴いていたくて。
陽だまりのような笑顔を、この目で……写し撮りたくて。
まだ、同じ世界で、生きていたいと……現実に意識を繋ぎ止めていた。
けど。
スーッと、自分の中身を引っこ抜かれ……無意識の中に連れ込まれてしまったな。
――――俺を呼んでる、声。
また、戻ってこれたな。
いつも、暗闇から……
寂しさの渦から……
俺を呼び戻すのは、凜の声だった。
いつも、ちからを与えてくれるのは、凜の言葉だった。
凜が……
俺を、かけがえのないひとって。
信じるって。
凜の熱い、手。
凜の強い、想い。
……届いてるよ。
ほら、しっかりしろ。
あきらめるな。
凜が誓ってくれたんだ。何度も……
ひとりにしない、最後まで戦う、って。
全力で、思いやりを捧げてくれてるんだ。
だから、俺も精一杯、答えろ!
【 真野凜side 】
「はっ!! 梶くんっ!?」
ふいに手を引かれた感覚が!
口元をかすかに、動かしている。
梶くんが何かを……
身を乗り出して、梶くんの声に耳を傾けた。
・・・・・・
ぶわっ。
涙が、溢れ出た。
聞こえたよ、ちゃんと聞こえたっ。
梶くんのか細い声を!
―― 俺も おんなじ ――
「っ梶くん……」
“ 生きたい ”
梶くんの想い、届いてるよ……
私にも、ちゃんと、伝わってるよ……
弱々しい梶くんの指が、私の手を握り返そうとしている。
私、今も、梶くんからちからをもらってる。
気持ちが通じ合うって、こんなにも温かい ……。
「ありがとう、梶くん……ありがとう」
1日でも長く、この世界で生きていよう―――。
【 佐藤優一side 】
サキが東京のオフィスを訪ねてきた。
本店に諸々手続きをしに来たついでとゆうが、だいたい察しはついている。
ビル1Fのラウンジに案内した。
「でっけえビル……」
「何飲む?」
「うーん……タンポポコーヒーはないよな」
「何それ?」
「真野にいつも入れて貰ってる」
ビクッ。
思わず体が反応した。
サキが見逃すはずがない。
じっと睨んでくる。
「……何だよ」
??
サキが手を伸ばしてきて、おれの首元を引っ掻いた。
「!!」
シャラッ。
チェーンが引っ張られて、服から婚約指輪が飛び出した。
おれは慌ててしまい込む。
「はぁー。あたしがこうなってる間、何ネトられてんだよ。全部聞いたわ……」
サキは自分のぽっこりした腹を撫でながら言う。
「その言い方やめろ……お前こそ、今年異動してきた年下、早々にネトっておめでた婚とか。ビックリだわ」
「ははっ!」豪快に吹き出す。
「歳とか時間とか、愛育むのに関係ねーんだよ」
「あーそーかよ」
って久しぶりの茶化し合いで……気が楽になった感じがした。
注文を聞きにきた店員が、奥様にブランケットお持ちしましょうか?
と。
「「 違いますっ!! 」」
喰い気味に声を揃えた。
相変わらずだ、とホッとしたところで、おもむろにサキが「悪かったな……」と口にした。
「何が?」
「話も聞いてやれなくてさ。つわりが酷くて……ついこの前だよ、知ったの。真野、何も言わないから……」
「……お前が謝る事ないだろ。それより体調は平気か? 旦那も頼りになんのかよ??」
「ふっ」とサキがおかしそうに笑う。
何?
さっきから妙に落ち着いてて、こっちが調子狂うんだけど……
「真野の言う通りだった……あん時、不倫なんかに走んなくて良かった、と思ってさ」
愛しそうに腹を何度も擦る。
「惜しみなく愛情を注げる対象がいるって、すげー幸せなんだよ。今のあたし、めっちゃ強いよ。旦那もこの子も、あたしが大きく育ててやるって」
なんか、サキがすっかり母親に見える。
置いてけぼりくらったような……
「で、お前はどーすんの?」
凜のこと、だな。本題に話が及ぶ……
「……自信がねーんだよ。無理に奪う事も、手離す事も、どっちも……」
自分の言葉にして、一層落ち込んだ。
最後に凜と話をした時も、こうやって……コーヒーカップを憎らしそうに見つめてた。
「このヘタレ! 根性なし! 一生縮んでろ!」
サキが畳み掛けてくる。
「励ましに来たんじゃねーの? 傷口に塩塗り込みやがって」
「は? 何でお前が傷ついてんだよ? 戦いもしてねーのにっ」
「あん?」
イラッとした。
こっちはもう、いっぱいいっぱいなんだ。
毎日が辛くて……
なのに!
なんで、おれが傷ついてないって……
「真野は今、戦ってるだろーが! 自分から険しい道選んで……」
「!!」
「お前守られてんだよ。お前を傷つけない為に、真野は……別れを選んだんだろ」
「くっ……」
何も言い返す言葉が見つからない。
……わかってる、それも。
凜は、おれが後腐れなく、自分を忘れられるように……
あんな冷たい顔をしたんだ。
愛されてるから、それを見せつけられた事。――――わかってるんだ。
嫌われた訳じゃない……
梶くんがいなくなったら、また僕が凜を……
できるだろうか――――?
二人が死を分かち合って、より強く結ばれてしまったら……
僕にチャンスなんて、これっぽっちもない。
情けないけど……怖いんだ。
また、あの顔を見るのは、耐えられない。
自信がない……
ちっとも張り合いの無い、腑抜けた僕に、サキの小さなため息がかかる。
「あのな、産休後のチームの事だけどさ」
「ん、ああ……」
気を、使われて……
サキが、引きずってる侘びしさを……仕事の話で紛らわせてくれている。
ラウンジを出て、「気をつけて帰れ」と言うと、「心配すんな」と笑って返された。
早く仕事に戻らなければならない。
けれど、なんとなく身重なサキが気がかりで…‥
見送っていると、サキが「あ、そうだ」と振り返る。
「??」
「真野がさ、気付いてない事1個あんだよ」
「……え?」
「1番大事なもんは、ひとつだけじゃない。
2個でも3個でも……たくさんあっていいんだ」
そう、微笑みながら言い残して……。
ヨタヨタと、妊婦らしく。
片手は腰を押さえているのに、もう片方はしっかり腹を守って歩く。
カツカツ言わせてたヒールもない靴で、ギラギラしてたアクセサリーも、ひとつも付けてなかった。
すっかり変わって……今の方が眩しかった。
着飾る物が無くても、自分の身ひとつで、やたら逞しく見えた。
それに比べておれは……
すがるように、胸の指輪を握り締める。
凜の指輪を身に着けていないと、今日を生きる気力さえ、発揮できない……
ここまで本気で愛した事も、愛されていると実感した事も、初めてで…‥。
やり場のない愛情を、どう処理するべきか?
全く検討もつかない。
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ずっと、今日も。たぶん、明日も……。
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◆◇◆◇◆◇◆
読んでくださり感謝いたします。
すべてフィクションです。不快に思われた方は読むのを止めて下さい。
ゆっくり更新していきます。
誤字脱字も見つけ次第直していきます。
よろしくお願いします。
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