夏雪の花に最後の恋をして。

美也

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4.冷たい雪を包めたら

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 ――――――!?
 鍵と一緒にテーブルに置いたスマホの振動音に驚き、刹那にして心臓の高鳴りが駆け巡る。

 ハル君!?
 、、、まさかそんなこと!

 ドクンドクンと破裂しそうな体を抑えて小刻みに振動するスマホの画面を覗き見る。

「はあっ、お母さん…………もしもし?」
「雪、帰っとった?」

 母に電話するのをすっかり忘れていた。昨晩に手術の終了を報告して、今日の午前中には退院するからまた連絡すると話をしておいた。
 今朝も診察を受け大丈夫だったとまず伝える。無事退院したことに母も安堵したようだ。東京が猛暑日とのニュースを聞いて、心配だから待てずに電話をかけたと言う。

「大丈夫。もう家に帰って来たし……車で、送って、もらったから、」
「彼氏さんね。本当に良くしてもらって」

「う、うん」
「今そこにいるの? 一言でいいから御礼を言いたいわ」

「え、えっと……もう帰った、」
「あら、そう。残念だわ。でも今度こっちにも二人で来てくれるのかしら?」

 私は額に手をついて顔を歪ませた。結婚を前提にお付き合いしていると、母に伝えたことを今になって後悔した。まだ半月前くらいの話だ。
 つい先程の別離をどうやって説明したら……
 困り果て顔面を絞りきって迷ったが、簡潔でもいいから伝えるべきと判断する。

「あ、あのね……ハル君とは……別れた、の」
「え…………、どうして!?」

「えっと、なんて……今回の手術とか? いろいろ経験して、私達まだ未熟だなって。結婚に対して考えが甘かった、から? 不都合が生じた感じで……」
「長く付き合ってるって、筋腫のせいで別れたのと違う!? それか……うちらが全部世話を任せてしまって嫌になったんだろか!?」

 あぁ、うまく説明できない。
 ありのままを話すのは躊躇われて、だからといって納得させる言葉も見つからない。
 私だって……
 まだ自分で消化できてないんだもの……

「そうじゃないよ……そんなんじゃ……」
「やっぱり……うっ……雪が、可哀想に」

「お母さん……」
「……全部、私が悪いのに……ううっ」

「……違うよ。お母さんのせいじゃない」
「ふっ……ううっ……うぅ……」

 啜り泣く母の声がスピーカーから静かに響く。もわんとした熱気に包まれ何もしなくても汗が吹き出て額や首筋をたらりと流れてゆく。
 黙って母が落ち着くのを待っているだけでも息苦しく、なんだかもう、急に疲れてしまった。

 私だって、泣きたい……


 ため息のような呼吸をふうっと吐いて気丈に振る舞う。娘を心配する母の気持ちもありがたいし、ハル君との別れを選んだのは私だ。

「私が別れようって言ったの。ハル君にいっぱい迷惑かけたから気が引けて。まだ24だし、新しい出逢いもたくさんあると思うから。普通に結婚も出産もできるでしょう?」
「ぐすっ……そう、そうね」

 軽々しく自分で言葉にした、それについて後から疑心が湧き胸がざわざわと騒ぎだす。

 普通……
 普通に、私できるのかな?

 その答えを探りながら早く電話を切りたくて焦っている。本当は休みを貰っているのだが、明日から仕事と嘘をついて元気な姿を装い母を励ます。
 なんだか、体の至る所がチグハグで気分が悪い。強がっては不安になり、心配しながら我慢したり……

「じゃあ、また電話するね」
「わかった。無理するんじゃないよ、雪」

 うん、最後の言葉を交わした。
 スマホを耳からおろすと手のひらは汗でぐっしょりとしていた。そのままスマホをベッドに寝かすと、ふと……スマホカバーがハル君とお揃いだったことに気持ちが揺らぐ。

 デートしてる時に2つ買って 、、、
 『離れてても、いつも一緒だからね』
 ハル君が私のスマホにつけてくれたんだ。

 楽しかったいつの日かの思い出が蘇り、たくさん記憶にあるハル君の笑顔が浮かんだけれど……最後に見た苦しそうな泣き顔にすぐすり変わった。

 ハル君も泣かせて、
 お母さんも泣かせて……

 私…… 
 ほんと、
 ――――――――――駄目だな。

 喉が熱くなって涙がじわりと溜まってきたのをこらえながら、大好きな人をあきらめるためにスマホカバーを外した。

「――――――っ!?」

 カバーの裏に残されたハル君のメッセージを発見し、たまらず涙が溢れ落ちた。

 『雪ちゃん大好き』

 黒色のマジックペンで刻まれた約2年も眠り続けた愛の証しを、私は今になって受け取り狼狽える。
 息もまともにできないくらい、呼吸を啜り上げては震え吐き体を引き攣らせていた。

「ひっ……ううっ……」

 どうして?
 どうして!

 私、普通でいられなかったんだろう……

「ふぇ……ふっ……うわぁぁぁ――――――」

 私から失くなってしまったモノをやんで、もう取り戻せない昔の私をねたんで、現在いまの私を心の底からうらんで――――――

 私なんて大嫌い!

 むせび泣き、涙が枯れ果てるまで、ひとりベッドに沈み続けた。無常に時間だけが過ぎてゆき、虚しさに支配された私の中は空っぽになる。

 このまま消えてもいい……

 無気力な自分をどうすることもできずに、私を放置して死体のように転がっていた。そのうちに夏の夜の暗幕に包まれる――――


 否が応でも生きている感覚を取り戻したのは、ガンガンと響く痛みのおかげで……脱水症状だとすぐに悟った。
 窓を開けただけの真夏の部屋で泣いていたのだから当然だ。

 ネガティブな思考を尽くした後は勝手に防衛本能が働くのか、最終的に家族と会社に迷惑をかけたくない気持ちが自己愛へと繋がった。
 けれど、自分自身をり削った代償は思ったより深刻で、盆休明けに出勤できる状態ではなかった。

 だるさが抜けず外にも出れない、まともな食事もできずに。
 時折――――視界の中で再生される彼の……ハル君のこの家に残る思い出に涙していた。

 会社からは療養のため強制的な休暇を1週間貰っていたが、3日目になっても立ち直るきっかけさえ掴めない。こうして失恋を理由に仕事復帰できず、会社を辞めて実家に戻るという道筋もぼんやりと浮かんできた。

 今日もまた陰気な考えばかり巡らせていると、スマホに着信があり『柏木明かしきあかり』の表示に急いで電話に出る。

 明さんは代表の実妹で会社の事業マネージャーだ。開口一番に私が心配で御見舞に来たと言う。実はもうアパートの前にいて良かったらお邪魔したいとのことで、慌てて身支度を整え部屋の中へ迎え入れた。

冬咲ふゆさきさん、私の身勝手なんだけど少し世話を焼かせてね」

 畏まる私をベッドに座らせると、会社にあった盆休土産や見舞いの差し入れをテキパキと説明して適所に置いて。そして、温かい食事を用意してくれた。
 一緒に食べましょう、ベッド横のテーブルを囲み二人で手を合わせた。

「「 いただきます 」」

  ホカホカのお粥にスムージーとヨーグルト、優しい眼差しに和やかな会話。
 何もかも見透かされているような……

 『どんなときも女性を癒やす優しい化粧品を』
 代表が掲げる理念のもと、明さんと姉妹で築き上げた会社の温かな雰囲気に、私の部屋も塗替えられたみたいだった。

 仕事場の先輩達の顔も目に浮かび、空っぽだったお腹と心が満たされてゆく。食事を終えた頃を見計らって、明さんが私の健康確認と仕事の連絡をさせてと話を始めた。

「じゃあ手術に問題はなかったけれど、暑さ対策を怠って体調を崩したのね」
「はい。自己管理の不届きですみません」

「負担の少ない手術でも何があるかわからないからそれを心配していたの。婦人科系の病気は精神的な苦痛も伴うかと思うし……大丈夫だった?」
「……は、い」

 俯いたまま歯切れの悪い返事をしてしまって、明さんが私を覗き込むように本当の原因を探ろうとしていた。新人の時も明さんが丁寧に指導してくれて、こうやって些細な事まで気にかけてくれた。
 これまでに不安な気持ちがどれだけ救われただろう……

 今も仕事とは関係ないのに、私情を話してもいいのか迷っている。けれど、家の中や私の表情を見れば隠し通せないはずだ。

「つらいことがあったなら、独りで抱え込まないで……」

 明さんの言葉に一瞬にして涙が溢れてしまった。


「……病気のせいで、交際していた彼を苦しめてしまって。……手術のあと別れたんです。……自分が嫌になって、立ち直れなっ、」
「…………ふっ、ごめんなさぃ、 」

 ――――――!?
 あかりさんを見つめると私から顔をそむけて、チョコレート色のミディアムヘアがその涙を隠していた。

 なぜ泣いているのか、いつもの明瞭な姿とは正反対で、初めて見る脆弱な様子に私が焦ってしまった。

「あ、あの……」
「私がもっと早く検査を勧めていればって」

「え? あっ……新人の頃、明さんに婦人科を勧められましたね」
冬咲ふゆさきさんが手術を受けるって聞いた時から後悔してたの……」

 生理痛に苦しんでいた所、緩和できると思うからと受診を促された。私は女性みんなの悩みや痛みと筋腫など疑いもせず……私の落度であって明さんが悔やむ必要はないのに。

「私がいけないんです。どうぞ気になさらずに……」
「……私ね、子宮がないの」

「えっ――――」
「大学院の時、子宮頸がんになって全摘出するしかなかった。女としてもう終わりだって、凄く落ちちゃって……好きな人も院もあきらめたこと、冬咲さんの話を聞いて自分と重ねちゃったの。躊躇しないで、あのとき自分の例を打ち明けてたらって……!?
 わっごめん!そんなに泣かないでっ」

 明さんが慌てて私の涙をどうにかしようとあたふたする。ボロボロとこぼれる涙は私自身のじゃなく明さんの分だ。

 筋腫でも子宮全摘出になる場合を知った時、私は温存できると安堵した。もし摘出の道しかなかったら絶望だったと自分を励ましたのだ。
 まさか、明さんが……

「すみませっ、つらい体験を」
「過去の話、過去のことだから! 今はこうして生き残れたわけだし……もう私も35よ? 大抵の事は克服してるわ」

 明さんはそう笑って見せたが大粒の涙をポロッと落とした。強がりにも見えたけれど、強いひとだと尊敬の念が増して、誰よりも女性らしく輝いているように思えた。

 私も明さんみたいになりたい――――――薄暗かった視界に希望の光が射した気がした。心の奥までも靄々していた影がすっきり晴れた爽快さを感じた。

 その後の話では明さんは病気療養の末、姉であるあずさ代表に誘われて一緒に起業したそうだ。
 仕事に邁進することで救われた部分も多く、誇りとやりがいに繋がっていると。
 
 そして、またひとつ大きな夢を抱けそうだと言う……?

「私達の会社アプロディタは、なんと、七葉社のオーガニックブランドになります!」
「――――!? 本当ですか!?」

 明さんはにっこりとして頷く。
 化粧品大手メーカーの七葉社ブランドに参入、朗報に思わず息をのんで驚いた。


「これから忙しくなるわよ! 冬咲ふゆさきさんも早く復帰してくれなきゃ!」
「はいっ!」

 失ったモノもあれば、新しく手に入れるモノもある。嫌いになった私を好きだと誇れるように……しっかり歩き出そうと決心できた。

 あかりさんの救いの手はこれだけに留まらず、かかりつけ医を紹介してくれて。その場で初診の予約まで手配し、翌日の午後に車での送迎と付き添いまで面倒をみていただいてしまった。
 京急線の駅近にある杉田レディースクリニックで私は超音波検査を受けているところだ。

「術後の出血はありませんが消毒しておきますね。今日は少しの血がおりものに混じると思いますが、何日も続くようなら受診してください」
「はい」

 冷たい器具を膣内に挿入されるのは何度目でも慣れなかったが、女医という安心感があり精神的な負担は少ない気がした。
 内診が終わると術後検診には必ず行くことと、当院での治療を希望する場合は紹介状を書いてもらうよう指示される。母よりは若く見え50歳前後だろうか、白衣で背筋を張った姿はとても凛としている先生だ。

「粘膜下筋腫の切除と低用量ピルの服用で体調も以前より安定すると思います。冬咲さんの場合、遺伝や発症年齢が若く多発性のため、筋腫が大きくなったり増えることも考えられます。定期検診は必ず受けて下さい。
 特に悪性の筋腫は早期治療しないと致命的です。それとピルにもリスクはあります。副反応が強かったり妊娠を希望する場合は医師に相談を」
「わかりました」

「筋腫があっても妊娠出産は可能です。ですが確率では低くなり自然分娩は難しい。出産にはリミットがあり、筋腫の状態も関わってきます。慎重に考え日頃から体調管理を徹底すること。
 自分の命も、自分の子の命も、守るには覚悟と強さが必要です」
「はい……」

 明さんの言っていたとおり、厳しい先生だ。けれど……
 命を大事に、患者を大切に。
 一番に思ってくれるからこそ曖昧な態度をとらない。杉田先生は疾患を持つ女性ひとりひとりの力を自主性で最大限に生かそうという考えなのだろう。

 どうして私が!
 と自分の病を知ってから運命をひがんでばかりだった。けれど、先生の話を聞いたら……
 運が良い悪いということではなく、これが私の人生で宿命なんだと自然に受け入れることができた。

 病気とともに生き、今は生命いのちが宿る未来を目標にして――――――精一杯生きようと力が湧いてきたのだった。


 ――――3年後。

 七葉社の本社を出て歩く自分の姿を、ビルのガラス越しに暫く見つめていた。あの夏に黒髪のロングヘアからスタイルを変え、ミディアムの栗茶色をずっと続けている。7トーンで明るみはないはずだけれど、真夏の一番高い太陽が照らしつけハイライトを入れたみたいに光っている。

 昔と今の私をガラスに映して……
 ぼんやりと見た目や心情を思い比べていたら、すれ違う人とぶつかりそうになってしまった。

「・・・
 盆休実家帰るからその前に会いたいっ!!
 すみませんっ」
「――――!!」

 電話をしながら歩いてきた背の高い男性の肘が当たりそうで咄嗟によけた。あちらも謝りながら体をひねって、衝突を避けた私達は軽く会釈して不注意を詫びる。

 ふわっと微かなハーブと甘い香りが通り過ぎて。男性の甘えたな声の会話を背に受けた。

「アキの買い物にも付き合うよ。仕事終わったら待ち合わせ――――」

 耳を澄ましているとだんだん遠ざかって聞こえなくなった。
 私も盆休は秋田に帰る予定でお土産は何にしようか、東京より涼しくて過ごしやすそうなどと思いを巡らせる。
 友達にも会えるか連絡をそろそろ入れてみたり、それと……

 私も新しい恋ができたらいいな、なんて強い陽射しに暑くなり気分が浮ついた。あの夏から体のケアを大事にして、心にゆとりができた証拠だろうか?

 『夏』の出会いに、私の心は淡い期待を抱いて。よそ見をせず真っすぐに歩き始めた。

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