夏雪の花に最後の恋をして。

美也

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13.夏鳥の泣声は儚くて

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 ――――2年後、初夏。

「ありがとうございます!」

 意気揚々と電話を切り、俺は額の汗を拭った。強い陽射しが照りつける湘南のオフィス前。新規のクライアントからの受注にほっと胸を撫で下ろす。
 
 親会社の倒産を受けて独立した湘南wreathは、経営を軌道にのせるべく全員で挑んだコンペを勝ち取り躍進を遂げた。今や大手広告代理店とも提携している。

 この絶好調をなんとなく予知していた、気がするのは……夏雪の花が咲き始めたから、かもしれない。

 一昨年、台風に花も葉も飛ばされ、去年は葉が茂ることもなかった。
 俺の心にまだ残る夏雪の花を愛でる気持ちは……

 苦境の中で俺自身のふところを深く男を磨き上げる支えになっていた、とも思う。
 仕事に没頭していたら、年月などあっという間に流れるものだった。

 そして8月。
 たった1週間くらい多忙で駐車場に足を運ばなかっただけなのに……いつの間にか夏雪の花は満開になっていた。

 休日に朝食を買いに出たついで。予想以上に咲き誇っていた花の姿に俺は茫然と立ち尽くす。

 その、美しい真っ白な花の初雪は――――やはり心を奪われる輝かしさだった。

 どんな宝石よりもきらきらと。夏の光と調和する清らかな雪色……

 その、可憐な花達に優しく微笑む――――透きとおるようなきらめく笑顔。

 この夏雪の花は……世界でたったひとつの宝物。俺達の、宝物だ。

 記憶と、気持ちと、刹那せつなさ。
 ほんの一瞬でぜんぶ舞い戻ってきたんだ。

 愛しいひと、が……

 湧き上がってくる熱い大きな塊。むせ返りそうになるのを我慢する。なんだか……ジリジリと胸が痛い。
 このままじゃどうにかなりそうで、破裂しそうな恐れを抱く。

 この衝動をもう、抑えきれない!


 ――――気づけば走り始めていた。
 急いで支度をして愛車に乗り込んで、東京へ。

 ずっと、忘れることなんてできなかった。
 彼女の記憶も、残像も、部屋も車もそのままに。

 がむしゃらにくじけずやってこれたのも、彼女に見合う理想を目指していたからで。
 今の俺は……
 あの時よりだいぶマシな男になったはずだ。

 助手席にはリングケース。
 自分を戒めるためにいつも手元に置いて、彼女の分身のように雪の指輪を眺めてた。


『――――雪乃さん、愛してる。俺と結婚してください……』


 伝えられなかったプロポーズの言葉は、これまでに何千回……心で唱えていたことだろう。

 もし、今日彼女に会えたなら。
 まだ、縁が残されているなら。

 もう一度やり直したいと、願ってもいいだろうか?

 今度こそ幸せにしたいと、誓ってもいいだろうか?

 俺は――――――
 勢い任せに彼女のマンションにやって来て、期待と緊張で胸をいっぱいにし運転席からエントランスを眺めていた。


 何もできないまま時間だけが過ぎてゆく。どんな理由をこじつけるか車中で堂々巡り。電話をかける勇気もなかなか出ずに、スマホの夏雪時計は10:45を表示していた。

 スマホとマンションの入口と交互に凝視し続けて、焦る気持ちが呼吸を荒らし俺を惑わせる。
 ここにも住んでなくて、電話も繋がらなかったら…………はっ!!

 マンションから出てきた人影に肩を跳ね上げたが、小さな娘と手を繋いだ父親だった。
 乱れた心音を落ち着かせて――――――

 ふいに視界が燦めく。

 長い髪とワンピースのすそをなびかせて、真夏の太陽のもとに現れたその姿は……!?

 雪乃さんだ。

 髪は伸びてロングヘアになっていたが間違いなく雪乃さんだ。

 襟もとの開いた夏色の服がよく似合っていて、変わらず透明感のある白い肌は――――
 狂いそうなほど、綺麗だ……

 俺は再び、一目惚れに落ちたみたいに――――。
 
 俺に気づかず先へ急いだ彼女に思わず、クラクションを鳴らそうとして …………!!
 はっと息を止めた。

 雪乃さんはさっきの父娘に並んで足を揃えたからだ。

 少女が彼女を見上げ、嬉しそうに手を取ると……彼女は戸惑いながら、笑顔を向けた。

 少女を間に3人で手を繋ぐ後ろ姿は――――
 まさに理想の家族そのものだ。

 父親である男は紺色の国産高級車の後部ドアを開け、娘が乗り込んだ後に……丁寧に会釈をする彼女を紳士的に乗車させ…………車を発進させた。

 まるで・・・
 幸せな家族ドラマのワンシーンを、俺はフロントガラスのスクリーンで見ているようだった。

 あぁ――――――

 雪乃さんには、幸せが訪れていたんだ。
 結婚も、母親にも、なれる……
 両方を与えられる相応ふさわしい男が、もう。

 彼女を幸せにできるのは、俺じゃない。
 俺じゃ、ないんだっ……――――――


 無心で、何も考えないように。


 ただ運転することだけに集中してた。


 無表情に何処も変に動かさないようにして。


 別れたあの日と同じ、逃げ出すみたいに東京を離れた。


 フロントガラスには、いつの日かの薄ボケた思い出が……
 景色に二重露光して映っていた。


・・――
  手を繋いで海岸を歩いてるみたいね?
                ――・・


 海沿いの国道を走るその場所で……


 おもむろに、俺は車窓から右手を外へかざし、ぱっと手のひらを広げ――――――


 サイドミラーにひと光……


 それは、真夏の光よりも白銀の雪よりも燦いて、消えた……

 ずっと手元にあった、彼女に贈るはずだった指輪を、俺は手放した。

 彼女には勿論、俺にも必要ない。
 この恋は、完全に終わったのだから――――――


 そして海風に吹かれ、何もかも、記憶の欠片かけらさえも飛ばし捨てて……家に帰ったんだ。

 そこに、初雪の景色はまだきらきらと輝いていて――――
 誇らしく、燦々と、美しかった。

 夏雪の花が咲いたのは、雪乃さんの幸せを、知らせてくれたんだ、な?

 俺に訪れる幸せじゃ、ない……

「はっ、ははっ……くっ。雪乃さんと別れてからのほうが、俺は……俺はっ! ちゃんと愛せていたんだ……」

 俺はもうそばにいられないから、せめて……
 泣いたりしないで。
 穏やかに過ごしてほしい――――

 心で祈りを捧げるようにして。
 だから……

「どうか、うっ……うぅっ。どうかっ、幸せになってくれ……、愛してる――――――」

 雪乃さんが最後に俺にそうしてくれたように、俺も笑って幸せを願う。

 彼女の面影おもかげを映した夏雪の花に、せきを切ったように泣きながら、渾身の笑顔を向けて祈った。

 少しも傷つかないで、君もずっと笑っていて――――――





 それは7月も終わりに近づいたある日、夕方に訪れた休憩室でのこと。
 足を踏み入れたと同時に、スマホを頭に押しつけて溜め息を吐くあかりさんの姿が目に飛びこんできた。

 あからさまに落ちこむ姿を初めて見たので、何事かと慌てて声をかける。緊急事態でも冷静に対応する明さんが表情を崩して項垂れるなんて。

「どうかしたんですか!?」
「えっ? あぁ冬咲さん、ちょっとね、ダメ出しされちゃって……」

「どこの取引先ですか?」
「あ、違うの。親友の子ども、小学1年生」

 ……へ? 
 と拍子抜けした私に明さんはスマホを見せた。待受画面には笑顔の可愛い女の子が。

「今ね、舞台ごっこにはまってて。私の演技が下手だから練習してきてって。もう42なんだからお姫様なんて柄じゃないのよ~」
「……ふはっ。なんだか楽しそうですね」

「仕事より無理難題だわ。本当に困って……あ、そっか! 冬咲さんは肌も白いし雪乃さんだし、白雪姫よね!?」
「えぇっ!?」


 ――――とゆう調子で私もごっこ遊びに参加することになってしまった。

 会社関係でお世話になっている化粧品の分析などを依頼するラボの課長さん宅。明さんと大学の同期だったそうで、奥さんと明さんは中学の同級生という縁深い関係のよう。

 しかし、奥さんは2年前に病気でお亡くなりになったと……
 残された娘さんの保護者役を明さんが時々担っているみたいだ。

 課長さん宅だという都内の分譲マンションへ明さんと訪れ、お邪魔した途端に挨拶もそこそこに演劇は開始された。
 どうやら莉花りかちゃんというお子さんは舞台監督の真似事をしたいらしい。

 夏休みに入って遊びたい盛りの小学生の熱量に押され気味の大人3人……いや2人。明さんは『鏡よ鏡!』のセリフで意地悪お妃様の演技をベタ褒めされて離脱。

 私は赤いリボンのカチューシャをつけてソファで眠る白雪姫の演技中。特に難しいことはないんだけど……王子様を演じる課長さんが莉花ちゃんにダメ出しされてリテイク何回目かしら?

「……なんて美しい姫君だ!……どうかお許しください」

 課長さん、私の横に置いてある7人の小人の人形相手にお芝居を……ふはっ。

「では、最後に別れの口づけを……」

 えっ? あ、近くに人肌を感じる。
 えっと、まさか、そんな事は……

「(ぱちっ)!!」
「はっ!!」

 我慢できず目を見開くと、紙の王冠を被った課長さんの顔が思いのほか近くにあってドキッとする。
 課長さんの静止した表情も驚いた顔で、私達が束の間見つめ合っていると……


「「 きゃぁ~!!♡♡ 」」

 莉花りかちゃんとあかりさんの甲高い声が響き渡った。茶化されていると悟った課長さんは王冠を取って二人を注意する。

「もう終わり! お客さんを巻きこんで。莉花も御礼言って」
「はーい。雪姫ゆきひめちゃん、ありがとう」

孝之たかゆきも一番いい演技だったね?」
「うん。あとちょっとキスがしてるふうにみえたらパパもカンペキだった」

 随分おませさんな発言が微笑ましく、明さんが継母のようだとも思った。

 莉花も明もいい加減にしてケーキ食べる用意して、とたしなめる課長さんの間合いといい、私は本物の家族ではないかと感じたほどだ。

 でもこの家のリビングには奥さんの遺影が飾ってあって、莉花ちゃんのための家族ごっこを演じているのだと明さんは私に主張してくる。

「莉花に孝之、悪いんだけど私、来週急用できちゃって。ふれあい公園一緒に行けなくなっちゃった。ちょっと、そう、無理なのよ。でさ、冬咲さんの都合が良ければ、3人でどうかなぁ?」

「「「 ・・・・・・ 」」」

 意図はわかり易いけれど、本当に明さんは演技が上手くないようだ。

 明さんにふられた私達は暫し顔を見合わせたあと、莉花ちゃんが私をじっと見つめるので快く返事をした。

 それで8月始めの週末、課長さんと莉花ちゃんが車で迎えに来てくれることになり――――


 ピンポーン。
 家のインターホンが鳴り玄関ドアを開ける。

「雪姫ちゃん!おむかえきたよ!」
「莉花ちゃん、こんにちは。課長さんもすみません」

「こちらこそ。莉花がピンポンしたいって言い張って」
「気になさらず……あ、あと少し準備が。すぐ行きますので」

 お弁当に氷を入れ忘れていたので先に車に向かってもらう。莉花ちゃんが手を振って外へ出るのを見送ると閉まるドアの隙間から声が聞こえた。

「雪姫ちゃん、今日のワンピもかわいかったね!」
「そ、そうだね」

 ファッションチェックに来たんだ……

 大人びた女の子に少し照れながら、急いで準備をして家を出た。
 午前10時50分、真夏の陽射しはクラクラしそうに眩しい――――

 課長さんと莉花ちゃんが手を繋いで歩く後ろ姿を見つけて私も早足で追いかけた。
 お待たせしました、と声をかけると莉花ちゃんが私の手を握ってきて……

 小さな手の温もりに、一瞬、胸が熱くなる。
 私の未来に抱いた、それと同じ夢の実感に心が揺れた。

 にっこりする莉花ちゃんに私は応えて、お手々繋いでの初めてに沁みじみしながら車まで歩く。

 課長さんが親切に私を乗車させると公園へ出発。後部座席で私と莉花ちゃんが女子トークさながらのお喋りをしている間に、郊外の緑に囲まれた自然公園に到着した。
 

「さきにいってるね~」

 3人で手を繋いで緩やかな丘を下っていた所、真ん中の莉花りかちゃんが急に駆け出したので私はよろけてしまった。

「……わっ!?」
「おっと、大丈夫?」

 課長さんが咄嗟に私の腕を掴んでくれて体勢を持ち直す。

 ドキッと。
 暫く振りに感じた男性の手に恥ずかしさが飛び出した。

「荷物、持とうか?」
「あ、ありがとうございます。お弁当を作ってきて……」

 課長さんに莉花が大喜びすると御礼をいただき、この道を下りた所に動物がいると教えてくれた。
 ゆったりとしたカーブの先に莉花ちゃんが走って見えなくなる……と、また戻ってきて私達に手招きをした。

「すごいよ! ゆきがふってるみたいだよ!」

 えっ――――!?
 真夏に、雪……

「あっ」

 莉花ちゃんが叫んだとおりに、この道を進んだ先から真っ白な小さい粒が飛んできて……私は思わず声をもらした。

 ひらひら…… ひらり……
 雪のようなそれは自由に宙を舞って。
 
 『こっち、こっち!』

 私を、呼んでる……?

 坂道に歩みを委ねて、このまま足も心も引かれるように。一歩一歩そこへ近づくほど、目の前の景色は大切な記憶の一片と重なってゆく。

 小さな白花の雪みたいな花吹雪。

 私と彼の 、、、本当に?
 夢じゃ……なくて?

 高鳴る胸はこの時を待っていたと言わんばかりに激しく喚いているようだ。

 もう一歩、あと一歩。
 ひとつ、まばたきをして。そして……

 燦々と輝くその光景が、一瞬にして私の目に焼きつく!

 息を呑む間に、それは心の奥まで突き抜けて閉ざした扉をこじ開けた。

 夏の太陽のもと真っ白に積もった雪の花……
 大切な宝物と同じ、一番愛しい花が!

「っ――――――    」


 会いたい、
 気持ちが噴き出して――――――

 とめどなく流れる涙が私をその場に佇ませた。

「ふっ――――うぅっ――――っ」

 ナツユキカズラが満開に咲き誇り、風にのった小花は初雪のように優しく舞っていた。

 花が咲いている場所は、ふれあい広場の動物たちを囲う柵なのだろう。私が愛でていた駐車場のフェンスよりも広大で、自然の中で育った生命力を感じさせる優雅さに、心を打たれ我慢ならなかった。

「……冬咲さん?」
「ぅ――――」

「えっ!? だ、だいじょ……」
「んっ――――、すっ……すみませ、」

 何年過ぎようと、大切なものは変わらず……
 私の中で生き続けている――――――
 


 ――――・・・
 泣き崩れそうに立っているのがやっとの私を、課長さんはそっと背中をさすって慰めてくれた。

「莉花! パパお話あるから一人で遊べる?」
「うん!」

 二人の会話を耳にして必死に涙をこらえながら、私の方が子供みたいだと恥ずかしく呆れた。

 自分が手に負えない私を課長さんが木陰のベンチに誘導してくれる。座って休んでてと言われた通りにしている間に、冷たい飲み物まで用意してもらった。

「……落ち着いた?」
「……はい。ありがとうございました」

「……気持ちが溢れちゃった、かな?」
「……そのようです」

 私の目は渇ききって重たく、声も掠れかけていた。課長さんの優しいお父さんのような声が震えた心に潤いを与えてくれる。

「大事な物を胸の中に、いつも抱えているんだね……」
「忘れたくないんです、ずっと……」

 ベンチから眺めることができるナツユキカズラを見つめながら私は言った。
 ひと風が通った後に隣に座る課長さんのスマホが鳴り、通知を確認した画面を私は盗み見てしまう。

 課長さんはスマホを伏せると小さな溜め息を吐いて私に質問を投げかけた。

あかりが……何か、言ってた?」
「いいえ」

「そっか。……ふぅ、来週に控えて急用はないだろうって、あいつおかしいよね?」
「ふはっ、取ってつけたようですね」

「もう迎えに行ったか、無事に着いたのか、って。連絡よこすくらいだから急用どころか暇だと思う。芝居下手くそなんだからキューピット役なんて無理だっての。せいぜい悪役がお似合いだよ」

 課長さんは明さんから連絡が頻繁にきている事を私にばらして呆れ返っている。
 私も今日は明さんが仕組んだ事とわかっていたが……それぞれに事情はあれ、組み直しが必要である事も感じていた。

「一度だけ……私の前で明さんが泣いたことがあるんです」
「えっ?」

「その時もこんなふうに泣いている私を、課長さんみたいに明さんが慰めてくれて。……女としてつらかった過去を克服したって、もう35だからって、笑いながら大粒の涙を流したんです」
「……昔っから演技が下手だな、」

「過去というのは大学院の頃の話で、中退して…………好きな人もあきらめた、と言っていました」
「!?」

 私が筋腫の手術をしてハル君と別れた時に明さんが話してくれたことだ。
 あの時はアプロディタが七葉社ブランドになる決定がされた頃で、課長さんのラボと契約が始まったのも同時期……

 子宮のない自分は相応しくないとあきらめた好きなひとが、大学の同期で仕事関係者として再会するも、結婚して身重の妻がいたとしたら……?

「たぶん、昔好きだった人が幸せを手にしていた祝福と……10年余り経とうとも消えない未練と。両方、明さんの本物の気持ちで、笑顔も涙も演技ではなかった……と思います」

 私がナツユキカズラを眺めながら話終えると、課長さんは首を落としてスマホを両手で握りしめていた。

 ちょうど7年前、夏の終わりの出来事だ。
 その後で莉花ちゃんが誕生するも奥さんが病に倒れ、明さんは未だその両方を抱え続けているのだと思った。

 好きだった人とその子供の幸せを願う――――――自分は置き去りにして。

 明さんと課長さんの待受画面は同じ、大切なものは同じ。
 でも二人は、愛が生まれる事に戸惑い……すれ違っている。


「……確か、そうだね、35歳の時だった。ラボであかりしたのは。びっくりしたよ、自分の気持ちに。明が生きて、僕の目の前にいる現実に……嬉しくて泣きそうだった」
「……気持ちが溢れた、ですね」

「大学院のとき突然明はいなくなってしまって、わけもわからず怒りさえ……でも癌治療の為と後で知って、僕の方が大事にされてたと気づいた。情けないよ……支える勇気もなく、忘れる事もできず」

 課長さんは長く息を吐いて飛ばした。
 私は口を噤んで他人事と思えない話に喉を詰まらせる。

 痺れを切らした親がお見合いをね、それで前向きに結婚をして子供を授かって……
 そんな時に明さんに再会したのだと課長さんは続けた。

「妻と莉花りかが大切な事にかわりはないけれど、明の事も心配で断ち切れなかった。あろうことか妻と同級生で家族ぐるみの付き合いになってね。
 ……莉花が年中さんになるとすぐ妻は病に倒れて逝ってしまった。天罰なんだよ、優柔不断な僕への。
 明も妻も僕に幸せになれと……僕だけが莉花という宝物を手にして、誰も幸せにしてやれないっ」

 明さんとは破局し、奥さんは命を失い、莉花ちゃんには母親がいなくなった。
 幸せのカタチとはなんなのか……

 私にもわからない。
 私も今は……幸せ、と誇れる自分ではないから。

 せめて、大切な人には幸せでいてほしい。
 そう願っている。愛するほどに……自分の幸せよりも相手の幸せを望んでしまう。

 それは、間違い、なの?

 自分も幸せでなければ幸せのカタチはいつまで経っても、欠けたまま、なのかもしれない。

「……莉花ちゃんの夢はご存知ですか?」
「えっ? 莉花の……舞台監督、かな?」

「お姫様と王子様をくっつける事、だそうです。さっき車の中で聞きました」
「ん? どういう事なんだろう?」

「どうやら、ウエディングプランナーになりたいみたいです」
「ああ、なるほど」

 私がここに着くまで莉花ちゃんと話をした女子トークの内容を課長さんに暴露する。

「……ママと約束したそうです。私はハッピーになって皆もハッピーにする、そうしたら天国でママもハッピーだからって。
 幸せの意味はまだわからないようでしたが、ハッピーはおめでとうで嬉しくてニコニコになる事だと解釈していました。それで結婚式を作りたいと考えて、監督ごっこで練習しているそうです」
「ははっ。そうゆうことか!」

 それで、その続きは……ナイショの話。
 でも私は悪役になってすべてをバラしてしまおうと口を滑らす。

「り、莉花ちゃんの誕生日に、お願いをひとつ聞く約束をしていると思いますがっ」
「うん。何か言ってた?」

「莉花ちゃんのお願い事は…………パパと明さんの結婚式! で、すっ」
「はあっ!?」

 言っちゃった! 
 私も驚いた莉花ちゃんの要望には予め心づもりが必要ではないかと思ったのだ。
 当人の二人には特に……

「莉花ちゃん、明さんと一緒に暮らしたいから、パパと結婚してもらわないとって……」
「そ、そう、えー……」

 当然、課長さんは困惑して天を見上げてしまった。
 子供だからって侮れないと私も肝を冷やしたくらい、父親の心境ときたら想像を絶するものだ。娘の魂胆を知ったら……

「二人をハッピーにして莉花ちゃんは……教育実習の大学生と結婚したいそうです」
「ええっ!?」


 近い内に聞かされる事になるであろう娘の告白を知り、課長さんは頭を抱え込んだ。

「だ、大丈夫ですか?」
「あ~、いやぁ、正直複雑だよ。けど、教えてもらって良かった。もう腹をくくれってね……ちゃんと、あかりと話し合ってみるよ。ありがとう」

 ほとほと困っている様子で笑顔は引きつっていたけれど、課長さんの瞳は明るい未来を見透しているようだった。

 そして……私を見て、まるで私の未来も確かめるみたいに問いかける。

「……冬咲ふゆさきさんは? もう大丈夫?」
「私? ……はい。運命さだめに逆らわず、生きていこうと思います」


 今日、ナツユキカズラに出逢えたように。
 いつかまた、何処かで――――――


 初雪の花びらにささやかな想いをこめて、きらめく夏の青空に見送った。




 心を揺らした夏が終わり、秋が深まって木枯らしが吹いた頃。
 明さんが課長さんと莉花ちゃんと、一緒に暮らし始めたと報告を受けた。

『籍はね……ずっと、入れるつもりはないの。孝之とも納得して決めた事で、つまりは――――ずっと、恋人でいようねって///』

 幸せのカタチ。
 3人で作り上げたんだなぁ……

 じーんと胸が温かく、私までとてもハッピーな気持ちになった。

 そして、あっという間に冬はやって来て、強い寒気が都心を凍えさせている。
 ホワイトクリスマスも期待されたが、山沿いだけに薄っすらと白色のベールがかかったそうだ。

 それからさらに寒さは厳しくなり年末を目前にして……
 また関東に雪の予報が出された。都心でも初雪の可能性があるという。

 私の心はそわそわと冬空ばかり気になっていた――――

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