精悍な囚人騎士を護送したら溺愛されました

吉桜美貴

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本編

31. ……苦しい

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 ……苦しい。
 じくじくした不快な感覚がアランの眠りを妨げる。
 それは心臓の鼓動に合わせ、強くなったり、弱くなったりして存在を主張してくる。疲れきっているから休みたいのに、容赦なくそれが邪魔をする。
 そう、これは痛みだ。
 俺は怪我しているのか……
 ……痛い。
 うつらうつらしながら痛みを意識すると、それは背中と肩と腕に集中している。
 ああ、このままじゃダメだ。どうにかしないと……
 痛みを……なんとかしないと……
 立ち上がって歩き出したいのに、体にまったく力が入らない。指一本動かせないどころか、まぶたさえ開けられない。ずくずくした痛みをひたすら我慢するしかない。
 ……熱い。
 熱が体の内側にこもってしまい、息が苦しい。浅い呼吸をいくら繰り返しても、熱さは逃げるどころか増すばかりだ。頭が重く、体も鉛みたいで、喉が焼けつくようだ。
 熱い……。俺は……このまま死ぬのか……
 アンリを救えず、自分さえ救えず、本懐も遂げられぬまま、誰にも看取られず、たった独りで最期を迎えるのか……
 熱さよりも痛みよりも、ひどい孤独感に押しつぶされそうになる。
 不意に、ひんやりしたものが額に触れた。
「……?」
 そっと頬を撫でられ、優しく髪を梳かれる。
 それは誰かの手だと気づいた。
 もう意地もプライドもなにもなかった。俺は生きなければならない。すべてをかなぐり捨て、藁にも縋る思いで声を絞り出す。
「……けてくれ」
 助けてくれ、と言ったつもりだが、ちゃんと声になったかわからない。もう一度声を出す気力は残されていなかった。
 すると、やんわり頭を抱え起こされ、唇の間から冷たいものが流れ込んできた。
 ゴクリと嚥下すると、それは水だとわかった。
 ひりついた喉が潤され、ため息が出る。
 うまい……
 ぎゅっ、と力強く手を握られる。
「大丈夫。すぐによくなる。私が傍についてるから」
 すごく優しい声だ。ありがたい。励まされる。
 痛みが和らいでいく気がした。
 ぴちゃ、と濡れた布が額にあてがわれる。
 あぁ……。冷たくて気持ちいいな……
 かつてないほどの安堵に包まれ、アランはようやく深い眠りに落ちた。

   ◇ ◇ ◇

 次にアランを襲ったのは、ゾクゾクするような悪寒だった。
 ……さ、寒い……
 なぜだ? さっきまで熱すぎるぐらいだったのに……
「さっき」というのが、もうどれぐらい前なのか見当もつかない。
 思考はうまくまとまらないし、四肢の震えがとまらない。まだ熱があるらしく意識は朦朧とし、寒くて寒くて仕方ない。
 外套が体に掛けられていたが、こんな薄いもので寒さが防げるわけもなく、外気が全身を冷たく刺す。
 寒っ……
 生命力がゴリゴリ削られていく心地がした。
「どうしたの? 寒いの?」
 心配そうな声が降ってくる。
 顔も上げられず、声も出せず、ガタガタ震えながらうなずいた。
 ……寒い。
 歯を食いしばり、まぶたを閉じ、ひたすら耐えていると、ふんわりと全身が包み込まれた。
「……?」
 弾力のある膨らみが頬に当たる。柔らかいものに抱きしめられているようだ。
 ……いい匂いがする。
 両腕を回して抱きしめ返すと、ギュッと抱擁が強くなる。
 ……暖かい……
 地獄で女神に会ったらしい。ぬくもりに安らいでいると、耳元で声が響いた。
「大丈夫。私がついているから」
 いや、待て。この女は誰だ? 俺はいったいどうなってる……?
 必死で状況を分析しようとしたが、体力の消耗が激しくてうまく思考できない。
 ただ、自分を抱きしめている人が敵ではないことだけは理解できた。
 ……俺に味方の女なんていたか? 母上はアンリを産んで死んだ。恋人なんていない。
 第一王子という立場は女性に不自由しない。なぜなら、富と権力を握っているからだ。それこそ砂糖に群がるアリのように女性が寄ってくる。貴族たちはこぞって自分の娘を差し出す。ある者は利を説き、ある者は脅迫し、ある者は色目を使い、先に既成事実を作ろうとする輩までいる始末で、我が娘を王妃にするべくありとあらゆる手を使う。
 第一王子として生まれた以上、恋だの愛だのに期待したことは一度もない。そういうのは庶民の娯楽だと割り切っていた。貴族にとって結婚は政治の一環であり、子をもうけることは義務である。
 アラン個人を見る者などいない。誰もがアランが将来座るであろう王座を見据え、巨万の富と最高権力を欲しがる。娘たちは両親に倣う。令嬢にどれほど愛と尊敬をささやかれても、信じるほうが愚かというものだ。
 別にそれでいい。人間とはそういう生き物なのだから。
 だが、金と権力を欲しがる姿はガツガツして浅ましく、ハイエナみたいで嫌だった。
「生まれながらにして、金と権力を手にしたおまえになにがわかる」と批判を浴びたが、手にしたからこそわかるのだ。金と権力がすべてではないと。
 もっとずっと大切なものがあるのだ。
 だからこそ王位継承権を破棄し、腕一本で野に下ることを望んだのに。
 どうやら知らない間に、人間不信に陥っていたらしい。
 俺は本当は人間を信じたかったのかもしれない……
「どうか、安心して。ゆっくり休んで……」
 慰撫するような声とともに、優しく背中を撫でられる。
 苦痛が少し和らぎ、ほろりと涙がこぼれそうになった。
 ひたすら隠してきた傷が少し癒されたような気がした。
 いつの間にか失い、ずっと忘れていた感情がまざまざと蘇る。
「きみは……」
 誰だ?
 問いかけは声にならない。最後の力を振り絞って目を上げると、針葉樹のようなモスグリーンの瞳に出会った。
 優しく見つめられ、もう答えはいらなかった。誰だか思い出せなかったが、本能的に安心しきって身を委ねる。
 これほど無心に他人を信頼したのは生まれて初めてだ。
 赤子のように抱かれ、アランはふたたび深い眠りに落ちた。
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