年下騎士は生意気で 番外編ショートストーリー集

乙女田スミレ

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☆ショートストーリー☆

恋は遠い夜空で輝く星 9

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「きれいだね……!」

 アイリーネは感嘆の声を漏らす。
 この青い花々を目にしたのは、ルーディカと将来の目標を宣言し合ったあの幼い日以来だ。

「今年はなかなか咲かなかったんですけど、そのおかげで久しぶりにアイリ様にお見せすることができました」
「後で摘むのを手伝うよ」
「ありがとうございます」

 笑みを浮かべてルーディカはそう言うと、少し居ずまいを正した。

「アイリ様、昨夜はお騒がせしてしまい、申し訳ありませんでした」
「え、あ、いや、別にいいよ」
「大声でわめいたり暴れたりして……お恥ずかしいかぎりです」
「もういいから……。それより、こっちの黄色い蕾をつけてる一群も、青い一日花いちにちばなと形がよく似てるんだね」
「ああ、そちらのお花は――」

 ルーディカは嬉しそうに植物の前にかがみ込む。アイリーネも姿勢を低くして説明を聞いた。

 花の特徴について熱心に語っているルーディカは全く普段どおりの様子で、アイリーネは再び、昨晩の出来事が現実だったのかどうか分からなくなってきた。

 焦げ茶色の猫を追い回したところからはすべて夢だったのではないかとアイリーネが疑い始めたとき、花の解説を終えたルーディカは、蕾を見たまま遠慮がちに言った。

「あの……アイリ様、少し前におっしゃってましたよね」
「うん?」
「『違いがあった方が、きっと面白いよ』って」

 はにかんだ微笑みを向けられた瞬間、アイリーネはハッとする。

「私、少し解ったような気がします……」

 すぐに花の方に視線を戻したルーディカの横顔を見つめながら、アイリーネは〝全く普段どおり〟などと感じていたのは間違いだったと悟った。

 ルーディカには、昨日までにはなかった新しい美しさが加わっていた。

 生まれてたての朝陽を浴びた白い肌が、金の髪が、青い瞳が、ばら色の唇が、甘く匂い立ちながら咲初さきそめた花のように、瑞々しい艶を帯びて光っている。
 その輝きは、目の前の花のように一日で褪せてしまうようなものではなさそうだった。

 昨夜のことはやはり夢ではなかったのだとアイリーネが思っていると、垣根の向こうからキールトの声がした。

「アイリ、ここにいたのか。遅くなってごめん」

 ルーディカは立ち上がると、慌てて出てきたのか少し髪が乱れているキールトに呼び掛けた。

「キールト様、珍しいお花が咲きましたので、少しご覧になりませんか?」

 薬草園に入ってきたキールトは、一画を青く染める花々を前に目をみはった。

「きれいだな……。初めて見たよ。珍しい品種?」
「ええ、このお花は――」

 笑顔を交わして話すふたりからは、昨日までの気詰まりな空気はすっかり消えていた。

 もう大丈夫だとアイリーネは胸を撫で下ろす。
 この先、ふたりがアイリーネの仲裁を必要とするようなことはもう起こらないような気がした。
 幼なじみたちが遠くに行ってしまったような寂しさも少しだけあるが、安堵の方が大きく勝る。

 仲睦まじい恋人たちの姿を眺めながら、アイリーネは眩しそうに微笑んだ。

   ◇  ◇  ◇

「クロナンに会っただあ……!?」

 怒気を含んだ栗色の髪の騎士の声は、参列客たちがさざめいている大聖堂の中でも意外と大きく響いた。

「ちょ、ちょっとフィン、もっと声抑えて」

 周囲を見回しながらアイリーネが注意すると、黒地に豪華な金刺繍が施された儀礼服姿のフィンはムッとしたように唇を結び、詳しく話すよう目で催促した。

「だから、昨夜ルーディカの部屋からオディと帰ってくるときに、回廊で偶然反対側から歩いてきて」

 アイリーネも今日はフィンと同様に、エルトウィン騎士団の儀礼服に身を包んでいる。

「は!? あいつが〝偶然〟そんなとこを通り掛かるわけねえだろ。何もされなかっただろうな?」
「あ、え……」

 口ごもったアイリーネの向こう側から、薄紫のドレスを着たオディーナが顔を覗かせる。

「手を取って指にくちづけられていましたけど、すぐに洗わせましたわ」

 フィンは歯ぎしりをした。
「油断も隙もねえ……」

 アイリーネとオディーナは、こっそり目と目で会話をする。

 突然現れた赤毛の隠密から、「フィンと婚約されたそうですね。ひとまずおめでとうございます! あなたのような美しい方が私の義妹いもうとになるなんて、この上ない喜びです……! ――しかし、もし不肖の弟と喧嘩別れするようなことがありましたら、モードラッド伯爵家にはもうひとり将来有望な未婚の息子がいることを、どうぞお忘れなく!」などと言われたことは黙っておこうと、視線で確認し合った。

「あの野郎、今日もどっかから覗いてるんだろうな……。気味がわりい」

 威嚇するかのように場内のあちこちを睨みつけながら毒づいているフィンに、右隣に立っているヴリアンが呼び掛ける。

「フィン、そろそろ始まるみたいだから静かにね」

 ヴリアンも、その向こうにいる隊長オスカーも、手入れの行き届いた儀礼服を颯爽と着こなしている。
 オスカーは大きな身体をさらに伸ばして人々の列から首を出し、期待に満ちた面持ちで出入り口のあたりを眺めていた。

 これから、ルーディカ王女とキールト・ケリブレは、神の前で永遠の愛を誓う。

 参列客たちは、春の草原のような色合いの長い絨毯が敷かれた通路を挟むようにして立ち並び、新郎新婦の入場を今か今かと待っていた。
 ルーディカの家族である国王オーシェンとケニース夫妻、キールトの家族であるカローゲン伯爵家の者たちは、祭壇の近くに並べられた椅子の前に立っている。

 天から降り注ぐように大聖堂の鐘の音が鳴り響くと、人々のざわめきがぴたりと止んだ。

 重厚な木製の扉が開き、竪琴と細い笛、五弦の楽器が奏でる聖なる調べが流れる中、象牙色の長衣をまとった祭司に導かれて新郎新婦が姿を現した。
 並んで進んでいくふたりの後ろには、白い騎士服を着た三人の少年たちと、水色のドレス姿の三人の少女たちが付き従う。

「なんてすてきなの……」
 オディーナの口から、うっとりとした声が漏れる。

 眩いばかりに美しいふたりに、そこにいる誰もが目を奪われた。

 銀の髪の新郎の衣装は新婦の瞳の色によく似た青色で、金の髪の新婦の衣装は新郎の瞳の色のような翠色だった。
 この国の伝統に則って、花嫁のドレスには白い草花模様の刺繍が見事に施されている。

 婚礼衣装の色に特に決まりはないが、この刺繍は白糸で施すのが習わしで、模様をはっきりと見せたい花嫁は濃い色の生地を選び、浮き彫りのように陰影で柄を表したい花嫁は淡い色の生地を選ぶ。

 ドレスの刺繍は、花嫁自身と将来生まれてくるであろう子供を護ると言われている。

「人には『気をつけろ』とか言っときながら」
 可笑しそうなフィンの呟きが、隣のアイリーネの耳にも届く。
「ちょっと……」
 声をひそめてアイリーネがたしなめると、フィンはニヤリとした。

 翠色の衣装に包まれた新婦の腹部は、ほんの少しふっくらとしている。
 そこに宿っている新しい命も、きっと草花刺繍が護ってくれることだろう。

 王都に到着してすぐに、アイリーネたちは王女の懐妊を告げられた。
 軽口を叩いてはいるが、甥か姪ができるのをフィンがとても喜んでいることをアイリーネは知っている。〝秘密の王子〟としての肩の荷も、ずいぶん軽くなったようだ。

 祭壇の前に着くと、長い白髭を生やした祭司の進行のもと、ふたりはそれぞれ誓いの言葉を述べた。
 キールトは落ち着いた声でしっかりと、ルーディカは澄んだ声で、ひと言ひと言噛みしめるように。

「ああ、もうだめ……」
 オディーナが零れてきた涙を拭う。
「良かったわねえ、本当に良かったわ……」

 ぐずぐずと鼻を鳴らすオディーナの隣で、アイリーネも胸がいっぱいだった。幼なじみとのさまざまな時代の思い出が、次から次に溢れてくる。

 運命に導かれて出会ったふたりは、長い道のりをかけてここに辿り着き、これからも共に歩んでいく。
 今まで見たどんなときよりも大きな輝きを放つルーディカとキールトを、目を潤ませてアイリーネは見守った。

 祭司に促されて向かい合った新郎新婦は、互いの右手を差し出し、手のひらを重ねるようにして胸の高さで握り合う。
 新緑のような色に染められた帯状の布を祭司が侍者から受け取ると、アイリーネに緊張が走った。

「――あれか?」
 こそっとフィンに訊ねられたアイリーネは、気まずそうに肩をすぼめた。

 固く結ばれた新郎新婦の手を包むようにして、ぐるりと布が巻かれる。
 布には、色とりどりの小さな花がいくつも刺繍されていた。野ばら、ヒナギク、アザミ、スミレ、野苺の花、ヤグルマギク、シロツメクサ……。

 優美に咲いている赤い薔薇は、オディーナの手によるものだ。そして、その近くの針目がガタガタのいびつな白百合は、昨夜アイリーネが何度もやり直した末に、どうにかこうにか形にした。

「大丈夫よ、遠目には分からないから」
 励ましになっているのかどうかよく分からない言葉をオディーナが掛けてくれる。

 決して枯れることのない幸せを願い、新郎新婦に近しい女性たちがひとつずつ花を刺繍していくそれは〝常緑の布〟と呼ばれている。
 各々が自由に好きな花を刺して良いのだが、唯一、白百合だけは花嫁から指名された未婚女性が手掛けることになっている。
 言い伝えでは、白百合を担当した女性は次に幸せな結婚をするのだという。

 ふたりの手が巻かれた早緑色さみどりいろの布の上に、祭司が静かに掌を乗せた。

「――ここで結ばれたふたりは、誰にも引き離すことはできない――」

 厳かな宣言が、染み入るように大聖堂に響く。
 その瞬間、アイリーネはびくっと肩を揺らした。

「……っ」
 顔を赤らめて隣のフィンを見ると、いたずらっぽい笑顔が返ってくる。

 声は出さずに唇だけを動かしてアイリーネは抗議したが、しっかりと繋いだ手をフィンが放すことはなかった。

 かつてはアイリーネの遥か遠くにあった星は、今は握り合った手と手の中であたたかく輝いている。
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