上 下
17 / 93
第2章 ファック・パペットの憂鬱

15: その存在自体が麻薬的な人間達

しおりを挟む

 その夜、指尻ゑ梨花は、普通の人間から見ればアブノーマル過ぎるリクとの男遊びをしているのに、それよりももっと、泥沼に溺れるような爛れきった時間を過ごしたい気分になっていたようだ。
 リクとの連絡が取れずに、一日、彼との逢瀬を空けるだけで、ゑ梨花はそうなっていた。
 不思議だった、、リクには特別な何かが、あるのだろうか?

 精神科医である指尻ゑ梨花でさえ、その麻薬じみた欲望への渇望の正体は掴めなかったようだ。
 まあ、それがなければ、真栄田陸が、ファック・パペットとは呼ばれはしなかったのだろうが。
 指尻ゑ梨花は、ファック・パペットとの関係を持ち始めてから、自分のホルモンバランスが完全に狂い始めていたのではないかと考えていた。
 それとも変調を来したのは、精神か、、。
 堕ちた快楽、汚泥にまみれて蠢く快楽、グロテスクに歪んだ快楽、そういった要素への過度な欲求。
 それらが一種の自傷行為のようなものである事を、ゑ梨花は容易に理解出来た筈なのだが、なぜそれがファック・パペットに接触した途端、強く顕在化するのかが判らなかった。
 そして、それを制御する方法も。
 まるでそれは、ゑ梨花の中に真っ黒な獣がいて、それが目を覚まして暴れているようだった。


 ゑ梨花は、襟と袖にファーの付いた黒レザーのハーフコートに網ストッキング、黒エナメルのピンヒールを履いて毒々しい色のネオンが燦く通りを歩いていた。
 いつものように念入りにメイクしているが、その夜はケバい方向にかなり寄せていた。
 お水のお店のホステスに見えるかもしれないし、もっと怪しい生業の女に見えるかもしれない。
 ルージュを、本来の口唇の形よりも大きく描いて好色感を出し、下の口唇の脇にはホクロを描いてある。
 口唇に厚みを持たせるのとホクロの組み合わせは、洋画を見て編み出したテクニックで、かなりの効果があるとわかっていた。
 そういえば、6係の真澄雄悟警部が、裁判所の証言台に立つゑ梨花と出会った時も、ゑ梨花はこのメイクをしていた。
 いつもの派手系の若いOLの扮装とは、趣を異にしているのでいっそう男達の目をひくし、ナンパされる回数も多い。
 けれど今夜のゑ梨花のターゲットは、普通の男ではなかった。
 その為に、ずっとあっちの通り、こっちの通りと歩いて、これは!と思えるオトコを物色していたのだ。
 歩き疲れ、ひと休みしてコーヒーでも飲もうかと立ち止まった時、その男がいた。

 ファッションヘルスと称される手コキ専門店のどぎついネオンを、少し離れたところから眺めている中年男だ。
 頭髪はバーコード状態、丸い狸顔、短身というか、脚が短くて腹が出ている。
 皮脂の多量分泌のせいか、おでこや鼻が光っている。
 見れば見るほど安サラリーマンであるのが一目瞭然だった。
 グレーのスーツは体にフィットしていない。
 量販店の吊るしを特売で買うような経済力なのだろう。
 絶望的なまでに女にモテないタイプ、容姿は最悪、見るからに貧乏サラリーマン、職場ではうだつがあがらず、少ない小遣いから捻出した金で、若い娘に手コキしてもらおうと欲望をあらわにしているスケベおやじ。
 申し分のないターゲット。

 別に馬鹿にしてるわけじゃない。
 さすがに寝ても良いとは思わないが、普段なら親愛の情さえわく人種だ。
 頭から拒否するつもりはない。
 ゑ梨花はこうみえても苦労人だから。
 でも今夜は、普段のそういった感覚はない。
 今夜のゑ梨花は「墜ちる」為に、気持ちまで高飛車な女に変身してるのだから。
 リクの不在が引き出した、この魔法に掛けられたような理不尽で歪な欲望を、埋めなければならない。
 男は、その為の「獲物」だった。
 あわよくば、狙いを付けたあの男の頭の禿げ上がり具合が精力家の証しであればと思う。

 ゑ梨花は、その男に近づいていった。
 ゑ梨花が横に立つと、短足の中年男は、やや見上げるような格好になり、顔いっぱいに驚きの表情を見せた。
 ゑ梨花は、とびきりの誘いかけの笑みを見せる。
 今まで、これで反応しなかった男はいない。
 一般人が街中で、超有名な美人女優に親しげに話しかけられるようなものだ。

「エリカと遊ばない?」
「えっ?」
 ゑ梨花はコートの裾を開いた。
 男の視線が、すぐさま、ゑ梨花の脚に注がれる。
 荒い網目の黒ストッキングに包まれた美脚を、股間を巧妙に覆い隠しながら見せつけてやると、男は生唾を呑みこんだ。
 紛れもなく男の脚なのに、色ぽい女の肉体の一部に見える、、魔術に近い。

「いくらや?」
「遊んでくれるの?」
 ここは目線の威力を見せるときだ。
 私と一晩過ごしたら、一生忘れられないぐらいの体験をさせてあげるわよ、と目で語ってやる。
「いくらなんや?って聞いてる」
「×枚でどう?」
「、、、、、」
 男は押し黙り、思案している。
「高いな、、」と、男が呟く。
「あたりまえでしょ。あんたみたいな薄汚いエロおやじが、エリカみたいなベッピンとタダでやれると思ってるの?」
 こういうな情けない男には、高飛車に出るのが一番だし、一旦、そういう出だしでやると、ゑ梨花は最後までそう演技しきることが出来た。
 まったく別の一人の女性になりきれるのだ。

「でもね、エリカを満足させてくれたら、安くしてあげてもいいわ」
 侮辱されて、怒るべきかどうかと迷っている男に、今度は優しく甘い声音で囁いてやる。
 実際には、この男に支払能力がなくても構わない。
 これはゲームなのだから、ゑ梨花がプロデュースするゲームの規則に従ってくれる男でありさえすれば、それでいいのだ。
 そして、「商談」は成立した。
 売る商品は、ゑ梨花の身体……。

 ラブホに入ると、男は上着とネクタイを外した。
 すぐにでも、ゑ梨花に襲いかかりたいのだが、強い態度に出る勇気がなくて、仕方なくベッドに腰かけているという風情だ。
 ゑ梨花は、彼の横に座った。
 ゑ梨花はまだコートを脱いでいない。
 意地悪にも、実は女装の男だ、と正体を明かしてびっくりさせてやるのは、もっと後にしようと思っていた。

「はやく、脱いだら」
「え、、、?」
「エリカのに、入れるんでしょ?」
 居丈高にそう言ってやると、男はわかった、というように頷いて、シャツを脱ぎズボンも脱いでゆく。
 明るい灯の下で見ると、顔が脂ぎっている。
 どこかで安酒を飲んできたのだろう。
 顔面が赤くなり、汗ときつい体臭と日本酒の匂いが混じり合って不快に臭っている。
 ブリーフと黒靴下だけの、ほとんど裸になった男の体を見ると、不快感と侮蔑がこみあげてくる。
 腕や肩のしまりのないたるんだ肉、でっぷりとふくらんだ腹部。

 ゑ梨花は、自分で自分の身体をコントロール出来る「大人の男」を、多く知っていた。
 この男は、まったく逆だ。
 腹を空かした犬がエサを前にしてハアハア、と喘いでいるような表情。
 いやだいやだ、こんなエロおやじに抱かれるなんてと嫌悪感がフツフツと沸きあがってくる。
 というよりもゑ梨花は、無理矢理にでも、そういった感覚を高めていたのが事実だった。

 ゑ梨花は、立ち上がり男に背を見せて前屈みになり、、コートの裾から中に手を入れた。
 そうして、穿いている下着を脱ぐ。
 黒いスキャンティ、いかにも娼婦っぽいやつだ。
「ほら」と、スキャンティを男に放り投げてやる。
「あんたの好きな匂いがするわよ。嗅いでみたら?」
 男は喜色を浮かべ、黒いセクシー下着を皮脂の浮いた鼻に当てた。
 実際にはゑ梨花のペニスとアナルの匂いなのだが、酔っ払ったエロおやじに判るはずがない。

 再び、ゑ梨花は男の横に座った。
 ゑ梨花の濃く艶のあるメイクと、動物性のパヒュームが、このエロおやじを悩殺している。
「あれの匂いがする?」
「あ、、ああ」
 ゑ梨花は手を伸ばして男のブリーフの上から勃起したペニスに触れた。
 ブリーフの薄布を通してペニスの充血した灼熱が伝わってくる。
 白い布に先走り汁の染みがひろがってきている。

「それ、いやらしい匂いがするでしょ?」
「、、、、」
「あんたはスケベおやじだから、いやらしい匂いが好きなんでしょ?」
 オドオドとした目つきで、男は卑屈に頷く。
「そのいやらしい匂いを付けた部分に、あんたのこれをハメたいんでしょ?」
 と言って、ブリーフの上から柔らかくペニスを摩ってやると、男は歓喜の表情になり、膨れた肉の塊がさらに硬度を増した。
 ゑ梨花は、くるっと皮を剥くようにしてブリーフの前を捲ってやった。
 怒張したものが、バネ仕掛けみたいに跳ねるように姿を現す。
 太い茎を握ってやると、見ている方が恥ずかしくなるぐらい、男の顔が助平顔に崩れた。

 こんなブタ男であっても、青筋を浮かせたペニスを手の平に包みこむと、ファック・パペットが魔法のように招きだした自分の中の淫蕩の血が沸き立つ。
 それは、ただの淫乱ではなく、腐蝕といってもいいほどに、アブノーマルに傾斜した肉欲だった。
 ゑ梨花は、全裸の男を仰向けに寝かせて、彼の体の上に跨った。
 まだコートを着たままだ。
 このエロおやじは、ゑ梨花を女だと信じきっている。


しおりを挟む