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第5章 やって来たアサシン・ドール

37: マウス・ツー・マウスの情報

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 指尻ゑ梨花女史は、奈央になった戸橋巡査からメモリに入った暗号文書を手渡されていた。
 正確には、「手渡し」ではなく、ディープキスによるマウス・ツー・マウスの小型メモリの口移しらしい。
 しかもメモリが唾液に濡れる事を避ける為、Sサイズのコンドームに包んであったという。
 が、勿論、そんな事は問題ではい。
 問題なのは指尻女史が我々の捜査に巻き込まれてしまった事だ。

 6係としては、外部の人間を戸橋巡査との繋ぎ役にするつもりは毛頭なかった。
 しかし今となっては、指尻女史しか、その役目を果たせなかったし、もし繋ぎ役の人間が警察官であることが判れば、戸橋巡査は即刻、絶体絶命の危機に陥るだろう。
 ならば、次善の策が用意できるまで、6係としては指尻ゑ梨花女史を内輪の捜査員扱いとし、その女史と綿密な連携と情報交換をし続けるしかなかった。
 それが結果的に、戸橋巡査と指尻ゑ梨花女史の身の安全を守る事に繋がるからだ。

 今のところ、戸橋が知らせて来る内容は、香革という謎の人物に関するものだった。
 その内容は、戸橋自身が、直接その人物から聞き出したものらしい。
 つまり今の所、門戸の膝下に香革の身柄があると言う事だ。
 香革の身柄は、普段、門戸が預かっているらしいのだが、事が起こると美馬の元に移送されるという。
 その「事」とは、殺人業務だろうと推測出来た。

「ホントですかね、これ?」
 丑寅巡査部長が心底驚いたという風に首を振った。
 もちろん戸橋巡査の報告を疑っているわけではない。
 香革という人物の言葉の内容を言っているのだ。
 そしてその真偽を確かめる責任は、我々6係にあった。

「殺人ビジネスが高度の分業作業によって成り立っているのなら、殺しの専門家がいても不思議ではないだろうな。毎回、壇のような素人の殺人者が見つかるとは、考えにくい。それにメンタリティという問題もある。私は現代の日本人は、優秀な殺人者には、なれないんじゃないかと思っている。殺人を犯す者、犯罪者や殺人鬼は山ほどいるが、人殺しを普通に仕事として捉えられる人間は、少ないと思っているんだ。」
「殺人を請け負う外国人労働者ですか?日本は労働力不足ですからね。」
 いつもながら指尻女史は、面白い言い回しをする。

「うむ、おまけに、そういう人間に上手く密入国されたら、我が国では、その人物自体のデータが皆無と言うことになる。」
「そして、その人物を国内の裏事情に精通した狡猾な日本人が匿えば完璧ですね。使い出があるだろうなぁ、、それにしても、戸橋の奴、凄いな。又、大当たりを引いてきた。」
「、、、みんな、美馬に繋がっているんだよ。」
 私のその言葉に、丑虎巡査部長の表情が曇った。
「しかし戸橋が美馬のところに行く前に、門戸へ潜入せざるを得なかったのは、我々にとって返って僥倖だったかも知れないな。この奇妙な人物も、美馬の直轄管理だったら、これ程の情報を我々が手にしていた事はなかっただろう。」

 軽いブレインストーミングを三人でやる為に、戸橋巡査の資料をプリントアウトしたものを、それぞれが読むのと同時に、電子音声でも、その文章を読み上げさせている。
 合成された起伏の少ない女性の声が、まだ見ぬ「香革」という人物の声に思えて、不思議な気分だった。


 痛い。
 武器や骨格強化補助フレームを埋め込むために、切り刻まれ、再接着された僕の皮膚と筋肉と内臓と骨。
 接着された傷口は、女魃蛭によってミクロのレベルでぴったりと貼り合わされ、見た目には傷跡さえ見えなくても、細胞と血管と神経が完全に再接合するまでは、純然たる痛みの源泉でしかない。
 寥虎様が連れてきたという他国のヨンパリは、女魃蛭の働きを補助するために、細胞賦活剤・神経増殖剤・ホルモン各種・制吐剤・栄養剤・筋弛緩剤、さらにリットル単位の抗生物質を僕に与えた。
 他の人間達が、単に女魃蛭しか与えられないのを考えると、僕は確かに特別扱いされていたのだろう。
 彼らは運が良ければ生き残り、悪ければ体中に金属のシリンダーやバネや刃物を埋め込まれたまま、女魃蛭に血を全部吸い取られて朽ち果てる。

 しかしそんな僕でも、血液がすべて薬剤に置き換えられるほど大量の薬液が投入されているというのに、鎮静剤だけは、投与してもらえなかった。
 その理由は、それによる細胞賦活剤の効力の減退もあったが、何よりも女魃蛭の習性に重きを置いていたからだろう。
 女魃蛭は、宿主の痛みに反応してその力を発揮する。
 何度かの手術の度に、痛みの場所も変わっているはずなのに、痛みは全身を駆け巡り混ざり合い飽和して、もはやどこがどれほど痛いのかさえ判らない状態になっていた。
 まだ女魃蛭達が本格的に活性化していないのだろう。

 あれらは本来こういった状況下に適合するような習性を持っていない。
 ジャングルで何度も何度も繰り返して大けがをする人間がいるだろうか?
 普通は、一度で終わり、そして死ぬ。
 それを騙し騙し使うのだから、こういう事になる。

 単純な痛みなら、女魃蛭一匹を身体に張り付かせるだけで取れている筈だ。
 大釜に煮え立った、痛みのスープの中に浮かんでいるような気がする。
 痛みは僕の体内で荒れ狂い、永遠に減じることもなく、時と共にますます増感され、鋭敏化されていく。
 筋弛緩剤の効果は強烈で、僕は完全な全身麻痺状態に置かれている。
 僕は呼吸すら自力ではできず、口と鼻から奥深く差しこまれたチューブを通して、人工呼吸器の強制によって生かされているのだ。
 視覚も聴覚も遮断され、ゴム袋の中に百匹に近い女魃蛭と細胞賦活ゼリーと一緒に詰め込まれて、皮膚感覚も温感も奪われている。
 口と鼻のチューブが、味覚と臭覚をブロックしていた。
 それでも途切れ途切れに、幸せな眠りは訪れた。

 だがそんな眠りも、音というより、液体クッションのゴム床ベッドの液体を通して僕のゴム鞘の中に伝わるかすかな振動でその安息の終わりを告げた。
 僕は全身の体毛が逆立つような恐怖とともに一気に覚醒する。
 ゴムの鞘が開けられ、ゼリーにまみれた僕の身体が引き出される。
 一瞬、そのゼリーと共に大量の女魃蛭が僕の身体から流れ出る光景を望んだが、それは絶望的に、ない。
 女魃蛭達は、今も僕の身体の所定位置に格納され、巣くっている筈だ。

 瞼がこじ開けられ、開け放たれたドアから差し込んでくる絞り込まれた照明の光が、目の奥に突き刺さるような痛みを生じさせた。
 涙に滲む視界の中に、看護婦の白い制服が揺れる。 
「香革様。手術室へ行く時間です。」
 雇われ看護師の外国人女性が、僕を魚でも見る目つきでそう告げた。

「この僕という人物は、かなり学力があるようですね。戸橋は、聞き取りと書き起こしに、かなり苦労してるようだ。ただし、この人物の学力というのは、正規の教育機関で得られたものではないようです。独学か、家庭教師のような人物から、得たものだろうと思います。」
 丑虎巡査部長がそう分析してみせると、指尻ゑ梨花女史もそれに同意したように頷いて見せた。



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