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第6章 第6特殊犯捜査・第6係の本気

54: ビザランティスの世界 (2)

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 ゑ梨花が、カストリで、まだ中学生になったばかりに見える年頃の少年がオークションにかけられた、という話をすると、「私がカストリの舞台に出た時もオークションがあったのよ」 と、アントワネットさんが言い出した。 
 人身売買ではなくて、無償譲渡という言い方をしていたけれど、オークションのバリエーションにはちがいなかったらしい。

 「舞台に連れてこられたのは、20代半ばぐらいの男でねえ、特に醜男というわけでもなく、がっちりとした体格でもなくて、ごく普通の男なのよ。『条件はひとつ、性転換手術の実費を負担していただける方、私どもが懇意にしている病院で手術して、巨乳と人工オマンコを完備した完全性転換の女体に改造してからお届けします』なあんてね」 と、アントワネットさんは、あの地下ショーの司会者の口ぶりを真似る。
 懇意の病院か、おそらく死姦用に使われる死体もその筋から調達するのだろうとゑ梨花は思った。

「そのあと、性転換愛奴としてかわいがってやるもよし、客を取らせて稼がせるもよし、身請けされた方の考え方次第です、って言ってたわねえ」 
「その人、女になりたかったんですね」 
「どうなんだろうねえ……、わたしの印象では、セックスがらみだと思うけど」 
 アントワネットさんは、その青年を舞台裏の楽屋で見たのだと言う。 

 青年といっても自毛を長く伸ばして、顔もきれいにメイクしていて、服を着ているかぎりは女と見紛うかも知れないけれど、裸になると身体はどこもいじってなくてすっかり男のままだったらしい。
 ということは、やはり素っ裸で舞台に連れ出されたのだろう、とゑ梨花の頭には、スポットライトの当たる舞台に裸体で立つ女装青年の姿が浮かんだ。 
 しかし、ただ女になりたいのなら、他にも方法があるはずだ。
 わざわざあんなカストリのような危険極まりない、地下の秘密ショーに出ることはない。
 性転換の費用を負担してもらう代償として残りの人生を差し出す……
 そこには淫靡な快楽の臭気が匂い立ってくる……アントワネットさんの言うのは、そういうことだろう。
 
「手術して女になりたいのと、さらにブラスアルファあるんだよね。そのプラスアルファの部分が、彼にとっては重要なんだろうね」 
「プラスアルファって、、?」 
「誰かの所有物になりたかったってこと。その誰かは、自分で選べるわけじゃなくって、相手に選んでもらうのよ。その相手がどんな人物であっても文句は言えないし、手術して女の体になったあと、どんな扱いを受けるのかもわからない……、でもね、そこにはゾクゾク感があるのよねえ」
 自分の人生のすべてを放棄してしまうようなものだ、つまり彼の意志はただひとつに集約されている。
 乳房を造り性転換手術で女の性器を造ってもらうこと。
 その後は性処理玩具の性転換女として生きていかなければならないかもしれない……これは、ひょっとしたら悪魔との取引なのだろうか。 
 この青年は自分の意志で運命を他人に渡してしまうのだ。
 神が人の中に存在するように、悪魔も又、等しく人の中に存在する。
 どちらと先に出会うのかは、その人間によるのだろう。
 
「ねえ、アントワネットさん、その人、もらってくれる人が見つかったんですか?」 
「もちろん。手をあげたスケベおやじが何人もいたわよ。あとで別室で相談、みたいなことになってたわねえ」
「それじゃ、希望通りに性転換できたんですよね」 
「たぶんね」 
「……たぶん……ですか?」 
「たぶん、としか言えないわよ。あのコがその後どうなったかなんて、誰も私に教えてくれないし、私も、そんなこと尋ねないし」
「女になって、幸せな奥さん、みたいな生活、してるかな?」 
「ないない」 
「そうですかあ?」 
「そんな風にはならないって。ゑ梨花ちゃん、考えてもごらん。あそこに集まってる連中ってまともじゃない奴ばかりなんだから」
「…………」 
「それにさ、本人も、幸せな人妻、みたいな生活を望んではいなかったはずよ」 
 正にビザランティスの世界だった。 


 そして、ゑ梨花とアントワネットの話題は、いよいよ本題に入ろうとしていた。 
 本題とは、アントワネットがカストリのショーに出演した体験のことだ。
 それは、ゑ梨花がぜひとも聞きたかった話だった。
 それで本人の心理が判る。
「私は踊ったりできるわけじゃないからね、ぶざまな裸を見せてセックスするだけだったのよ。大きなおっぱいを造った男が男にお尻を掘られるのを見せただけ……」 とアントワネットさんが語りはじめる。 

 ……舞台には布団が敷かれてあった。 
 そこだけがスポットライトに浮かび上がり、白いシーツの布団と枕がいかにもレトロなイメージを醸し出している。
 その夜具の上で何が行われるのか一目瞭然、淫猥なムードが漂う舞台装置の中、白いシーツの上に真っ赤なネグリジェ姿のアントワネットが、片手をついて、膝を崩して横座りしている。
 女にしては大柄すぎるアントワネットがまとっている扇情的な色の夜着は、シースルーで裾が極端に短い。
 だから、胸元の巨大な乳房がくっきりと透けて浮き上がり、下肢は太腿から臀丘にかけて露出してしまっている。
 アントワネットは、もともと筋肉質ではなく太り気味の体質だったので、男の体毛を処理してしまうとむっちりと脂ののった女の腰まわりと臀部と太股に見えなくもない。

 男の標準的なサイズの足に真赤なペディキュアを塗り、手の爪も長く伸ばして赤く塗ってある。
 だが栗色に染め上げた自毛を広い肩に垂らし、厚化粧を施した貌が明るい光を浴びると、やはり女装の男でしかない。 
 カストリメンバーの手元には、アントワネットの履歴を記した小冊子が配られてあった。 
 生年月日から学歴、就職、結婚、と男の人生が書き綴られ、最後には、退職、そして、女装娼婦となり現在に至る、と淡々と書かれてある。 
 顔写真、上半身、スーツ姿の全身像の3種類の写真とともに、家族4人が映っている写真も貼付されてあった。
 アントワネットと妻が並んで、その前にふたりの娘が並んでいる。
 アントワネット夫妻はおだやかに微笑み、子供たちはうれしそうだ。
 ショーのために特別に作成された履歴の小冊子を見せられたとき、アントワネットは、そこまで手の込んだ工夫をして嗤いものにするのか、と屈辱に身が震えたと言った。

 しかし、考えてみればアントワネットは恥辱に彩られた快楽を求めて、女装しはじめたのだ。
 ちゃんとした家庭を持ち仕事にも恵まれた男が、こんなオカマ娼婦に転落してしまうとは……、客たちは露骨な好奇心と侮蔑の眼差しで真っ赤なランジェリー姿の男を眺めている……それこそ、アントワネットが望んでいた世界ではなかったのか。
 そして現実に、このような場面に至ってみて、アントワネットはたまらなく昂奮していた。
 嗤いものにされる屈辱が、その辛さと惨めさが、鍋の中で沸騰する熱湯のように血流を沸き立たせてくる。

 最初、舞台に上がったとき、アントワネットの男根は緊張と不安のために萎縮しきっていた。
 パンティをはくのを許されていないので、縮んだペニスを太股の間に挟みこんで、しなしなと横座りしていたのだ。
 けれども、今や、アントワネットのペニスは勃立し、太腿の狭間では隠しきれずに、赤いランジェの裾を突き上げて三角錐をつくってしまっている。 

 再び照明が落とされ、舞台がスポットライトに浮かび上がる。 
「男臭を消すためにむせかえるほどの香水をぷんぷんと匂わせ、ご覧の通り、元の顔がわからないどの厚化粧、そして、このような下品なスケスケのランジェリーを身にまとって媚びを売る客商売でございます」とのアナウンスが流れる。
 場末の朽ちかけた木造旅館の一室で男に尻を差し出して、幾ばくかの金銭を払ってもらう女装娼婦の哀れな姿……、誰が考えたのか、今夜のカストリのショーはこのようなコンセプトにする、とアントワネットは言い渡されていた。
 実際のところ、アントワネットはすでに売淫にどっぷりと浸かっていたから拒む理由もなかった。
 情交の場所がラブホや個人所有のマンションのプレイルームになっているだけで、このショーのコンセプトとやらとは実質は変わらない。 
 ただ、見る者にとっては、うらぶれた連れ込み旅館の寂しい部屋で男と寝てわずかな金をもらう哀切な中年オカマのイメージが浮かぶように仕向けられている。 

 やがて、舞台に若い男が登場した。 
 全裸で、すでにペニスをそそり立たせている。 
 20代半ばあたりの年頃に見え、ラグビーか何かのスポーツで鍛えたようながっちりとした体格だ。 
 アントワネットは、このセックスショーの敵娼を前もって知らされていなかった。
 きっとスケベ面のおやじが出てきてねちねちといたぶられるのだろう、と覚悟していたのだ。
 だが、出てきたのは若い男だった。
 予想外だった。 
 アントワネットよりひとまわりほど年下で、会社員時代なら顎で使えるぐらいの若さなのだ。 
 なのに、アントワネットから見ると、体を買ってもらうお客さまということになる。 

  アントワネットはつけまつげの目で、眼前に仁王立ちの男をちらりと見上げた。 
 若い男は侮蔑的な目で、アントワネットを見下ろしていた。
 その視線はグサリとアントワネットの胸に突き刺さる。
 これは客たちに見せるショーなのか、出演者同士に馴れ合いはなさそうだ。
 少なくとも、このショーを構成したカストリの連中はアントワネットさんを本気でいたぶろうとしているようだ。 

 「舐めろよ」 と、嘲笑うような口調で命じられた。 
 アントワネットは、男の前に膝をついて、膨らみきった亀頭を鼻先に見て、彼のペニスの太幹を握った。
 アントワネットはホモではないので、極太の肉棒に愛おしさは感じない。
 感じるのは、ただおぞましさだけだ。
 男のくせに男のペニスを口淫する汚辱感、それがアントワネットを倒錯した快楽の泥海に引きずり込むのだ。
 
 手の平に包みこんだペニスの胴幹は熱く脈打っている。
 長く伸ばした爪に鮮やかなマニキュアを塗布した手指で怒立した陽根を握っている図はひどく猥褻だ。
 濃い脂粉の匂いと動物性の香水の匂いに慣れた鼻腔が男の若々しい獣性を嗅ぎ取る。
 本来なら若い牝に向けられる淫欲が、この自分に向けられていると思うと、めまいがしそうになる……。
 アントワネットはねっとりと舌を這いまわらせてゆく。 
 亀頭の傘の面や、雁裏に唾液をたっぷりとまぶしつけて摺りあ上げてゆくと、あたかも自分のペニスが舐め上げられているような錯覚に陥ってしまう。 
 紅を濃く塗り込めた口唇でフェラチオに没頭している自分がいて、若い男の硬立した陽根を舐める舌触りは脳髄をひりひりさせるほどの被虐感を喚起させた。
 又それと同時に、アントワネットには甘い毒を体内に流し込まれたような愉悦が蔓延してくるのだ。


 「今度ね、見せてあげるわ」 と、アントワネットさんが言った。 
 それまでショーに出演した時のことを熱っぽく語っていたアントワネットさんだが、ふと、語るのを中断して煙草に火を点けた。 
 「何を?」とゑ梨花が訊くと、アントワネットさんは笑顔を見せた。
 楽しそうな笑顔ではなく、苦さを呑みこんだような笑みだった。 
 「あのときに使われた履歴書よ、わたしにも、ひとつ、くれたのよ」 
 アントワネットさんの履歴が見たいのか、と問われれば、正直に言うとゑ梨花には興味があった。
 履歴そのものよりも、貼付されているというアントワネットさんの男の頃の姿が見たかったのだ。 
 「わたしの写真はいいとしても、妻と子供たちの写真は顔をボカすとか目線を入れるとかして欲しかったわよねえ」 
 悠然と紫煙をくゆらせながらアントワネットさんが言う。 

「ゑ梨花ちゃん、ほんとうはね、あんなふざけた履歴書、破って捨ててしまいたかったのよ。もう昔のことなんか思い出したくないしさ、でも、あれを眺めてると、自分が何者なのか、はっきりとわかるのよねえ……」 
 アントワネットさんは思いをめぐらすような風情で煙草の煙をゆっくりと吐き出す。 
「アントワネットさんさんって、すっごいエリートサラリーマンだったんですよね、」 
「あら、ちがうわよ。ショーを盛り上げるために誇張してギャップを大きくしようとしただけ。ほんとは大した会社じゃなかったのよ。30を越えたらすぐに課長補佐になれるぐらいだから、その程度の会社だったのよ」 
「…………」 

 もし自分が『カストリ』のショーに出るような事態になって、自分の履歴書が作られるとしたら、どんなものになるだろう……、とゑ梨花は想像してみた。 
 『なんの為の高学歴だ。お前は何の為に努力をしてきたのだ。お前に授けられた才能はそんな生き方の為に消耗していいものではない。第一、男が女に身を窶すとは何事か!?お前は男のくせに男が好きなのか!』
 きっと古くて下らないマッチョな価値観が、自分の履歴書めがけてハゲタカのように舞い降りてくるだろう。
 下らない事を言うな!正義面をしてそんな事を言いながら、お前達はこの世にどんな素晴らしい世界を作って来たと言うのか!?。
 そういう社会概念や価値観から解き放たれようと、挑戦してやろうと、ゑ梨花はこうやって生きている筈だが、時々はそれに負けそうになる時がある。

「ひとりで夜中に、あの履歴書を見つめてたりすると、俺はとんでもない人生を歩んでるな、ってしみじみと考えてしまうのよねえ。あたし、じゃなくて、俺、なんだよね。こんなおっぱいつくって、お尻掘られまくりだけど、あたしはやっぱり男だしさ……女になりたいわけでもないし……、でも、女装オカマの歪んだ快楽から抜け出せそうにないわねえ……」 
 アントワネットさんは、ゑ梨花にとって自分を映し出す歪んだ鏡だった。



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