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第7章 生者と死者を巡る受難と解放の物語

61: 正義の鉄槌

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 門戸は、指尻ゑ梨花を通じてヤクを都合してくれと接触を図ってきた乱田という男と、何故か妙に気が合った。
 乱田は、門戸が自分の友人と認めるに相応しいと思える感性を、持ち合わせていたのだ。
 いや、それ以上だったかも知れない。
 妙な表現だが、この男は、門戸が時々感じる脳髄の表面に生じるあの痒みを掻いてくれるような会話をくり広げる事が出来たのだ。

 その夜、門戸照人は、街でこの男と遊び回って、自分の別荘に戻る途中だった。
 寝泊まりするには十分すぎる事務所が、都内に幾つかあるが、自分のプライベートでは使わないことにしている。
 門戸は上機嫌で酒をしこたま飲んでいて、門戸の車の運転は乱田が受け持った。
 歓楽街のある街から、海岸縁にある門戸の別荘に行くには、高速を経由した後に、結構ハードな峠道を越えなければならない。
 道路の幅は、それ程狭くはないのだが、きついカーブが連続して続くのだ。
 乱田の運転する車は、問題なくその峠を登り切り、下りに差し掛かっていた。
 半分ウトウトと仕掛けていた門戸は、急な車の減速で目が覚めた。

「どうしたんです?」
「事故のようですな。いや当て逃げぽいな。様子を見てみましょう。」
 面倒だから放っておけと言いそうになるのを、問戸は辛うじて堪えた。
 その一言で、この新しい友人候補に自分がどう思われるか分からなかったし、頭の片隅では事故現場がどんな有様になっているかを見てみたいと感じていたからだ。

 しばらくして二人は見事に横転した乗用車が、自分たちの乗ってきた車のヘッドライトに浮かび上がるのを見た。 乱田は、その位置にライトを付けっぱなしにした車を止め、歩き出した。
 路面にはタイヤ痕が何本も複雑に走っている。
「どうやら、煽り事故の当て逃げのようですな。後ろから煽り追い立てるも、相手がハンドル操作をミス。煽っていた側は、その車と接触はしたが、辛うじてこの場から逃走、そんな感じですかね。」
 乱田は歩きながら、あちこちと観察し、そんな分析をしてみせた。

 門戸も仕事柄、自分の肝は座っている方だという自覚はあったが、この男の落ち着きぶりは別格だと思った。
 二人は、横転した自家用車の後ろ側まで回り込んだ時、その少し先の道路に、人間の死体らしきものが血溜まりの中に転がっているのを発見した。
 らしきと言うのは、それが人体と言うには、余りにも酷く捻くれ曲がっていたせいだ。

「ほら、ご覧なさい。アソコのガードレールが拉げている。」
 乱田が、今は横転した車の後方に見えるガードレールを振り返りながら言った。
「相当、複雑な横転だったようですな。あっちへ、ドカン、こっちへドカン。結果、この車の運転手は窓から投げ出される時も、そう、ブンまされる感じで、道路に叩きつけられた。もしシートベルトをしていたら、、、、いや、一緒か、これならね。していたら、してたで首がちぎれ飛んでいたかも知れない。」
 乱田は、死骸の側に屈み込んでそう言った。

 色々な関節が非ぬ方向に曲がっている。
 途中まで一緒に歩いて来た問戸は、そこに近づこうとはしない。
 死体の側にいる乱田の顔を、魂が抜けたようにボーっと眺めている。
 ただ恐怖を感じているようでは、なかった。
 乱田はそんな問戸を無視して、立ち上がると死体の周辺を見回していた。
 そしてやがて何を見つけたのか、道路にかがみ込み、拾い上げたそれをポケットから出したハンケチに包んで、元のポケットにしまいこんだ。

「さあ、ボチボチ行きましょうか。他の車が来たら厄介だ。」
「乱田さん、さっき何を拾ったんです?」
「死体の右手の親指ですよ。裂けて、千切れてた。」
「そんなものを、どうするんです?」
「さあ、色々使えるんじゃないですか、、。例えばアナルストッパーとかになんか、どうです?」
 さしもの門戸も、どう反応して良いか判らないでいるようだった。
「それより門戸さん、あなた今、自分が勃起してるの知ってます?」
 乱田はそう言って、悪魔のように笑った。

 乱田が運転する車は峠を下り、しばらく行くと小さな街に出て深夜営業のファミリーレストランの前を通過した。
 少し間があって、何を思ったのか乱田は、黙ったまま車をUターンさせ、そのファミリーレストランに車を乗り入れた。
「どうしたんです?腹が減ったんですか?」
「いえね、気になる事がありましてね。車が3台止まってたでしょ。」
 確かに広い駐車場に車がポツポツと数台停められていた。
「ああ、ここいらは夜中に動く人間が少ないんですよ。地元の人間の車じゃないと思いますね。だから台数はそんなもんだ。」
 そう答えながら門戸は、乱田が何を言いたいのか、ようやくまだ酔いの覚めきれぬ頭で理解した。

「、、、まさか、あんた、あの事故の当て逃げ犯がここに居るって思ってます?」
「一番、奥の車、フェンダーが凹んでましたよ。」
「走っている時に、それを見つけたのか、、、そんなの私には見えなかったぞ。」
「なんでもそうだが、人間見たい物しか見えないもんですよ。さあ、行きましょう。」
「行くって、何をしに行くんです?」
「決まってますよ。我々が正義の鉄槌を下すんです。」

 乱田は、ファミレスに入ると、人が疎らな店内を見回して、窓際奥のコーナーにあるボックス席に座り込んでいる一人の若者を見つけ、歩き出した。
 今時の流行りのこざっぱりした衣服を身に着けた、大人しそうな青年だった。
 店内に入る前に乱田が「あれですよ」と指を指した車は、高級車で、この青年が自前で用意したものとは考えられなかった。
 親のスネ囓りか、そして車に乗ると性格が豹変する性格、そんな事も想像できなくはない。
 それでも門戸には、なぜその若者が、あの煽り当て逃げの該当者だとするのか、乱田が何を根拠に、彼に向かっているのか、さっぱり判らないまま彼について行った。

 乱田はテーブルを挟んで、若者の前にどっかり座り込む。
 門戸も仕方がないので、それに付き合った。
 若者は怯えきった様に、じっとしている。
 若者の顔色は、これ以上なく青ざめていて、ようやく門戸も乱田の選択眼が間違っていなかった事に気付いた。
 しばらして、ウエイトレスがオーダーを取りに来た。
 乱田はコーヒーを頼み、門戸も少しでも酔いを覚まそうとそれにならった。
 乱田は無言のまま、コーヒーが届けられてからも、若者を黙って見つめ続けていた。
 若者の身体は、ずっと細かく震え続けている。
 正に蛇に睨まれた蛙状態だった。

 事故を起こした場所に引き返そうかなどと、考えたのが、行けなかったのだ。
 あの時、逃げ出した時点で、自分の運命は既に決まっていた。
 こんな所に立ち寄らず、一直線に家に帰って、諸々の証拠の隠滅を計るべきだった。
 それに、わざわざ俺の目の前の席にやって来た、この男達は、刑事なのか?
 早すぎる。いや、あの峠は険しいが、特に地方の山奥にあるというような道路じゃないんだ。
 事故は直ぐに発見され、通報される。
 今、逃げたら自分の罪を認めるようなものだ。
 だからと言って、このまま取り調べを受けたら、誤魔化す方法は何もない。
 第一、俺の車は傷だらけだ。
 どうしよう、やっぱりこの場は、逃げるしかない。

 若者の身体の震えが急に止まった。
 若者は自分のいる席から逃げだそうと、身体を横に滑らせ、そのまま走り出そうとした。
 だがその身体が、ボックス席から離脱する前に、前につんのめった。
 乱田が座ったまま、若者の脚に自分の足をかけたのだ。
 それからの乱田の動作は速かった。
 まるで、急な苦しみに屈み込んだ若者を助け上げるという風に、片手でその身体を支え、開いた手で若者の腕を逆関節に決めていた。
「大丈夫かい?ここじゃ迷惑だ。トイレにいって様子を見よう。な。」
 乱田が若者に肩を貸すように見せながら、トイレに向かう。
 門戸も仕方なしに、それに付いていく。

「門戸さん。そこで見張っててくれませんか?なに、この時間で店の中はあの人数だ、誰も来ないと思いますけどね。」
 そう言って乱田は若者を、突き飛ばしてトイレの床に転がす。
 次に自分の腰の革ベルトを引き抜いて拳に巻き付け始めた。
 ここに来て、ようやく若者は自分に迫りつつある差し迫った危機を感じ取ったようだった。
 自分が起こした事故に、うちひしがれている場合ではない。
 自分に襲いかかってくるこの厄災は、さっきとは、又、別次元のものなのだと。

 若者は歯を食い縛って立ち上がるなり、男に襲いかかった。
 いや本当は、男を突き飛ばしてこの場を逃れようとしたのだ。
 だが乱田は、そんな若者の腹にフックを打ち込むと、倒れそうな若者をそのまま突き飛ばすようにして、彼を背後の壁際まで追い詰めた。
 若者が助けを呼ぼうと口を大きく開いたのだが、その口に乱田は無慈悲なストレートを叩き込む。
 一発ではない、革ベルトを巻いた拳で、何発もだ。
 若者はそのままズルズルと壁をつたって尻込みしようになるが、乱田が胸ぐらを掴んでその手を許さない。
 そして、やおら自分の手に巻いていた革ベルトを外すと、それを今は完全に無抵抗になった若者の口に巻き付け始めた。

「門戸さん。あんたも参加しなよ。気持ちいいぜ。俺達がやってるのは、正義の鉄槌なんだ。こいつは、あの場から逃げてきた。誰にも見られていないと思ってね。だが神様って奴は、愚かな人間のしでかす事を何時も見張ってて、何もかも見逃さないんだ。、、、やって、やれよ。」
 乱田はそう言って、自分の身体を若者に後ろに回すと、その身体を門戸に向けて立たせた。

 門戸は、催眠術に掛けられたように、いや暴力の神に魅入られたように、ふらふらと前に出ると、既にパンパンに膨れ上がっている若者の顔めがけて、渾身の力を込めて殴りつけた。
 その瞬間、門戸の頭の中で、先ほど山中で見たぐちゃぐちゃに潰れた死体の姿が浮かび上がる。
 拳から衝撃が返ってきた。
 いつもなら大嫌いな感触だった。
 原始的な暴力仕事は、自分が関与している厄介な男達に任せる事にしている。
 門戸が殴るのは、女装した男だけだ。

 だが今は違った。
 一発殴る度に、あの死体の残骸に、自分が手を突っ込んでいるような気がした。
 これは射精するより気持ちがいいかも知れない。と門戸は思った。
 『それより門戸さん、あなた今、勃起してるの知ってます?』
 乱田のあの時の声が、頭の中で又、響いていた。
 「・・・ああ、私は今、勃起している。間違いなく勃起しているよ。」
 門戸の最後のパンチを受けて、若者は完全に意識を失ったようだ。

 乱田はヘタリ込んだ若者に屈み込むと、そのズボンとパンツを乱暴に脱がせ俯せにし、自分の両足を使って若者の股を逆Y字に広げた。
 若者の肛門が見えている。
「さあ死者からの贈り物だ。ファッキュユーだとさ。中指じゃないけどな。」
 そう言って乱田は、ポケットから取り出したハンカチを器用に開いて、そこから手を離すことなく、ハンカチの中にあった親指を、若者の肛門の中に無理やりネジ入れた。
 ハンカチは又、ポケットにしまい込んでいる。
 何気ない動作だが、指紋などの証拠を出来るだけ残さないようにしているのだろう。
 その作業を終えて、乱田は立ち上がると、服装を整え門戸に向かって『さあ行きましょう』という風に、その手の平をトイレの出入り口の方向へ切った。



 
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