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第7章 生者と死者を巡る受難と解放の物語

65: 連鎖する異形の愛

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 私が丑虎巡査部長に、このシナリオに登場するラバーフェチシズムについてどう考えているかと問うた時、彼はこう答えた。
「指尻さんの説明だと、ラバー着用というのは一種の動的瞑想法だと仰ってましたが、多分、それは私を気遣って、遠回しに表現されたんでしょう。ぁつ!いえ、警部。これはBATのプロファイリングの際に交わした話で、今、私が指尻さんと接触している訳では、ありません。」
「判ってるさ、さあ続きを話してくれたまえ。」
 私は苦笑せざるを得なかった。

「確かに指尻さんの仰るように、ラバーを身に纏うことによって、人は皮膚感覚の変容や、外界との遮断感を味わい、普段とは違う知覚や感覚に浸る事は可能だと思われます。ですが、一般的にラバー着用はエロチックなファッションの装いの為、あるいは深い部分で、性的な興奮を得る為の傾倒なのだと、私は理解しています。」
「しかし指尻女史は、門戸のラバーフェチとやらの傾倒は見せかけだと言っていたぞ。あれはネクロフィリアの隠れ蓑だと、」
「確かに隠れ蓑だと思いますが、わざわざその為に、無意識とは言え何処かからラバーフェチシズムを引っ張ってくる来る必然が門戸照人にあったとは思えません。つまり門戸のラバーフェチシズムは、彼のネクロフィリアよりも前か、あるいは同時に形作られたものではないかと、私は考えています。」
「つまりこのシナリオに登場するゴム男が、門戸のラバーフェチの引き金になった可能性があると?あるいはここに登場する男女は、既にそういう関係で結ばれていて、それに幼い門戸が巻き込まれた、、か。、、まあ色々、考えられるな。いいだろう、君は引き続き、この件と、ブルーを調べてくれ。」


 ゴム男が、後ろ手に縛られた恵子さんを立たせると、彼女を首から繋いでいるチェーンを引っ張った。
 恵子さんは、ゆらりと揺れながらゴム男の一連の動きに追随している。
 なら、恵子さんは、完全に脱力している訳でも、反抗して身体をこわばらせている訳でもないんだ。
 同調?まさか男に協力してる?
 僕は、心の奥底で、びっくりした。

「どうだ。お前も引っ張って見るか?」
 僕は、僕の方にチェーンを差し出すゴム男の手から、少し身を引いた。
 こんな時だけ身体が動いた。
 僕の拒絶の反応を見て、ゴム男がにやりと笑った。
 顔全体を覆っている黒いゴムは、男の目の部分と口の部分だけが開いていた。
 それに、顔に張り付いているのはゴムなので、顔の表情の変化がある程度は読みとれるのだ。
 そして、僕には、ゴム男の背中の形同様、この表情にも何処か見覚えがあった。
 いやむしろ、その背中の動きより、この表情の方が、見覚えの度合いが強い。
 しかし、僕の心は、その記憶に封印をかけているようだった。
 しきりと僕の内面が(それは思い出すべきではない)と囁きかけてくるのだ。

「引っ張るのは、いやか?だろうな。なんったて、(大切な恵子さん)だものな。でも、俺達については来るんだろう?」
 ゴム男は、僕を振り返りもせず、恵子さんを引きづりながら、プレハブの外に向かっている。
 僕が自分の後についてくる事に、自信があるのだろう。
 で実際、僕はのろのろと二人の後についてプレハブ小屋を出たのだった。
 プレハブの外の空は、強烈な泥絵の具の赤を流したような夕焼けだった。
 しかし、もう遠くの地平上の風景は、黒ずんだ闇が降りかけている。
 僕らがいる場所は、工場の取り壊し後の様にも、あるいは建設中のものが、何かの原因で放棄された場所の様にも見えた。
 あのプレハブは、そのいずれかの作業の為のものだったに違いない。

 プレハブの周辺はそれほどでもなかったが、暫く歩くと、地面にコンクリートが流されていない地面部分は、腰まである雑草が生い茂っている状態になった。
「早く、来い。待ち望んだ瞬間なんだ。今更、いやがっている訳じゃないだろう?」
 数メートル先の草むらの中のゴム男は、僕に向かって訳の判らない事を言った。
 僕が追いつくと、そこは地面に幾つかの円筒状のコンクリート管が、垂直に埋め込んである基礎の一部分だった。
 ここも又、取りつぶしが中途半端に行われたのか、それとも建築の途中だったのか、野放図の自然と荒れた人工が混じり合った不気味な場所だった。

 恵子さんは、コンクリート管が井戸のような状態になっている場所の側でへたり込んでいる。
 押し迫る薄闇の中でも、恵子さんのブラウスの白が滲んで光って見えた。
 歩いたせいで、恵子さんを戒めているロープの食い込みがきつくなったのか、ブラウスの上からでも、恵子さんの乳房の形がはっきり見えた。
 クラスの中で、体育の時、恵子さんの下着が盗まれて騒動になった事があるが、正直な所、僕はその犯人が羨ましいと思っていた。
 僕がそれをしなかったのは、もしその事が発覚した時に、恵子さんが僕の事を軽蔑するのが死ぬほど怖かったからだ。

「こっちへ来い。俺達には、あまり時間がない。ちょっと俺が遊びすぎたんだ。俺も大人になったからな。お前のような恵子への純粋な思いだけでは、物足りないんだ。」
 だが僕は動かなかった。
 ひょっとしたら、僕はここに来て、ようやく、薬か何かからの呪縛から逃れ始めたのかも知れない。
 だとすれば、命を懸けてでも、恵子さんをこの現状から救い出さなければならない。
「チッ。だから謝ってんだろうが。拗ねんじゃねぇよ。確かに楽しんだが、コイツはまだ処女だよ。」
 僕の身体が、ゆらりと前に進んだ。
 反撃を開始するんだ。
 ゴム男は、自分の側の草むらの中から、長いロープを取り出している。
 その手慣れた様子を見ていると、彼がこれから行おうとしている事は、周到な用意の上である事が判った。
 僕は、ゴム男の側までやって来て腕を上げた。
 さあ、反撃するんだ!
 この様子は、恵子さんも見ている。
 力及ばずとも、僕の努力は恵子さんに評価される筈だ。

「よしよし、感心だ。そうこなくちゃな。予定では、お前と恵子が無理矢理、暴漢に縛り上げられる手はずなんだが、現実にはそんなに都合良く、力が強くて手筈のよい悪党は出現しないからな。」
 ゴム男がロープで、僕の差し出した両腕から、僕の身体を縛り上げる。
 え?殴りつけようとしたのに、、。
 僕はどうしたことか、又、自分の身体の制御を失ってしまったようだ。

「心配すんな。こん中で、暫くしたら緩むようにしてある。まあご都合主義だがな、ここらが自作自演のご都合主義というやつさ。」
 ゴム男が、僕をギチギチに縛り上げながら、耳元で囁くようにしていう。
 男が顔を近づけたせいで、ゴムの匂いがきつくなる。
「恵子をつり下げる所まで、お前に手伝えとはいわんよ。それじゃ、設定の大幅な改竄になるからな。まあ、黙ってみてろ。この時の為に、特訓したんだ。昔の無様な俺じゃない。」

 ゴム男は、再びロープの戒めを補強し、恵子さんを芋虫のようにしてから、彼女の脇の下に腕を指し込み、抱え上げたあと地面に垂直に埋め込まれたコンクリート管内に、彼女を足先からつり下げるべく準備をした。
 次の行為に移る前に、ゴム男は僕に確認を取るように、こちらを見た。
 僕の口から、低い小さな悲鳴のようなものが、上がった。
 恵子さんが、ここに来て始めて、激しく首を振った。
 しかし、もう全ては、遅かったようだ。
 次の瞬間、恵子さんの姿は、コンクリートの井戸に吸い込まれていった。

 僕の頭上で、なにか黒い影のようなものが流れ飛んだような気がした。
 カラスか、何かだろう。
 いやカラスにしては、巨大すぎる。
 飛行機でもない。
 飛行機が、人に気配を与えるぐらいの低空を飛ぶわけはないのだ。
 身体中の体毛が、一時的に立ち上がった。
 その異変に影響されたような、空気の流れ自体の変化が身近で起こっている。
 だが気にしないことにした。
 僕が今、気にしなくてはいけないのは、足下の穴だった。


 人間二人が、ギリギリ入れるぐらいの直径を持つ薄暗い穴の中で、何かが動いているのが見えた。
 それは目を凝らしてみると、恵子さんの綺麗な形をした頭頂部だった。
 つまり穴の深さは、それほど深くはないという事だった。
「いくぜ、恵子。コイツをたっぷり可愛がってやるんだ。骨になるまでな。」
 足下の穴で、恵子さんが激しくもがいているのが判る。
 今までに見た中で、最も激しい動きをしている。
 もし、恵子さんの口にあの赤いゴムボールが突っ込まれていなかったら、聞くに耐えない罵声が、飛び出していたのかも知れない。
「さあ、お前も、行くんだ。」
 僕は、身体の戒めを不自由に感じながら穴の淵に、そっと腰を下ろした。
 後は、ゴム男が恵子さんにしたように、彼が僕を穴の中につり下げながら落とすのを待つだけだった。


 数秒後、僕は激しいめまいと、動悸を感じながら、恵子さんと狭い穴の中で密着していた。
 恵子さんと僕は、ロープで縛り上げられており、腕は動かなかった。
 つまり僕たちは、腕をまわさない激しい抱擁をしているのだった。
 恵子さんの体温や、体臭、呼吸音が狭い空間を満たしていた。
 世界は「恵子さん」だった。
 突然、グワァーという奇妙に、くぐもった音が耳元で炸裂した。
 恵子さんだった。
 恵子さんが、閉ざされた口の変わりに、鼻の奥で、声を出したのだ。
 僕は堅く瞼を閉じた。
 閉じても闇の濃さは、変わらない。
 しかし、恵子さんの声はシャットアウトできるような気がした。

 恵子さんは僕を嫌っている。
 直感的に判った。
 その途端、僕のペニスが堅く堅く、それはもう自分のものではないと思えるほどきつく勃起した。
 僕は反射的に、その勃起を自分の太股を前にせり出すことで、恵子さんの肌の触覚から隠そうとした。
 しかしそれは無駄な行為だった。
 僕の身体は、ロープで身動きがとれない上に、穴の直径はそれを許すほどの余裕はなかったのだ。
 僕の勃起したペニスは恵子さんに強く押しつけられていた。
 再び、恵子さんが、鼻の奥から絞り出すような奇妙な悲鳴を上げた。
 今度は立て続けだった。

「よう、お二人さん。お楽しみ中、悪いんだが、まだ最後の仕上げが残っているだ。このままだと、誰かが、お前達を発見しちまうだろ?特に、その坊やにとっちゃ、初めてのデートなんだ。二人の仲が引き裂かれるのは可愛そうだろう?だからおじさんが、この穴に蓋を乗っけて上から土を被せてやるってことさ。んーっ、これ別名なんて言ったかな、そうそう、(生き埋め)だ。」
 恵子さんの悲鳴が、さらに高くなる。
 それだけではなく、狭い穴の中で身をよじるので、恵子さんの肉の厚みで僕の肺は押しつぶされそうになった。
 しかし恐怖感は、まったくなかった。
 いや正直に告白しよう。

 これこそが僕が、毎日毎日、恵子さんに抱いていた妄想の正体だったのだ。
 僕は、恵子さんを愛している。
 僕は恵子さんの全てを愛している。
 恵子さんのものなら、唾でも小水でも大便でも喜んで咀嚼しただろう。
 そんな僕が抱いたのは、究極の愛の設定だ。
(生き埋めの無理心中)
 僕なら、死んで腐乱していく恵子さんでも、この腕にかき抱き続けられるだろう。
 あの男は、暫くしたらロープが緩むと言っていた。
 緩んだら、自由になった手で恵子さんの猿ぐつわを外してあげよう。
 きっとその時、恵子さんは言葉で深く僕を傷つけるだろう。
 でも、構いはしない。
 だってここは、決して壊れる事のない二人の世界なのだから。

 僕の頭上で、ゴリッと極めて重たいものが、ずらされる音がした。
 先ほどから見えていた青黒い円形の空が、薄暗い三日月のようになっている。
 ゴム男が蓋と称したのは、マンホールの蓋のようなものに違いない。
 そして一瞬、その三日月が、まばゆい程、輝いた。
 こちらをのぞき込んでいるゴム男の顔が、半分ばかりくっきりと見えた。
 彼の背後で何か強力な光を発するものがあるのだ。
 奴は、自分の世界に帰るんだ。その準備が整ったんだ。
 僕はそう確信した。

 ゴム男は、自分の手を自分のゴムマスクの顎の部分に引っかけて、ゴム特有の音をさせながら、そのマスクを巻き上げた。
 マスクから覗いた顔は、僕そっくりだった。
 大人びた僕の顔を持つゴム男は、にやりと笑った後、完全に穴の蓋を閉じてしまった。
 しばらく、頭上からは、土や砂をかける音がしたが、やがてそれは納まり、次に地中にいても感じるような振動がした後、全ての物音がしなくなった。
 僕はゴム男が約束したように、半分自由になり始めた右手で、ケイコのまだ若くて堅い乳房をきつく、握りつぶした。
 ケイコは今までの中で最も激しい悲鳴を上げた。
 僕の目には、完全な闇の中で、赤いボールギャグを噛まされたケイコの歪んで綺麗な顔がはっきり見えた。
「ケイコ。二人で腐っていこうね。」
 僕は、そういいながら、それが嘘だと判っていた。
 未来の僕がいる限り、この愛の連鎖は永遠に続くはずだった。


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