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第8章 ラッシュ 後ろで入れるか、前から入れるか

71: ウナギ人間と李智深

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 悦豊一行は、李智深のコネで寂寥ファミリーが経営する地下市場のバックヤードに入り込んでいた。
 ここは、その中でも特に薄暗い場所で、夜の動物園の厩舎を思わせる雰囲気があった。
 元はコンクリート製の大部屋、、というか壁の窪みのような空間だったのだろう。
 今はただ、四角い洞窟の入り口のように見える。

「なんなのあれ?」と璃茉が、兄の智深に訊ねた。
 悦豊は「あれ」を見て、アシカや巨大なウナギを思い出した。
 闇の中でぬめぬめと黒光りする腕や脚を絡ませて、2・3人で群れている様子は、捕らわれたウナギのように見えるのだが、もちろんウナギは陸上の生き物ではない。
「寂寥ファミリーの人間兵器ども、、だと、思うぜ。噂話の通りの姿をしてやがるな。」
 智深と璃茉は眉を顰める。

「俺達の村の事を考えると、人間兵器自体は珍しい存在じゃねえな。それを利用する奴も、される方もな。中には、何かを壊したくって、自らこいつらみたいな存在に志願する奴らだって大勢いる。それより俺が気になるのは奴らがどれぐらい出来るかって事だ。あの奇妙な服は、奴らの戦闘能力と関係があるんだろうな。それに、さっきから奴らの身体から聞こえてくる嫌な金属音は一体なんなんだ?」
 智深が、いかにも、そいつの正体を教えてくれという感じで悦豊の方を向いた。

 悦豊には、その金属音の正体が何となく想像できた。
 智深もそれに気付いている筈なのに、悦豊の口から、その答えを言わせたくて、わざと聞いているのだ。
 智深の耳には、色々な音が聞こえている。
 命の瀬戸際に、研ぎすまされるのは五感全部だ。
 今はウナギ人間達の巣を覗いているだけなのに、その状態に近くなっている。

 鋭利な刃物が微かに鞘の中で動く音。
 シリンダーのなかの油圧、空圧で動くピストンの音。
 動力を伝えるギアの音。
 それらのからくりが、このウナギ人間たちの肉体そのものに仕込まれているのだ。
 そしてその殆どのからくりは、肉弾戦時の攻撃の為に使われる筈だ。
 文字通り彼らは、人間「兵器」なのだった。
 ただ悦豊の耳には、どうしてもわからない音がもう一つ届いていた。
 それは人の肉の中で、這い回り蠢く虫たちが、生み出す音だった。

「へへっ、悦豊は答えたくないか、、。なんと言えばいいのかな、、、そう彼らはサイボーグなんだよな。とびっきり原始的な、、な。あるいは、、奴らの事を、毎日拷問を受けて喜んでいる変態どもだと言う奴もいるが。」
 璃茉が兄の説明に、一瞬悩ましい表情を見せる。
 璃茉は、こういった者たちを抱え、生み出した自分の国を本気で憂いているのである。
 日本では滅多に見られない、若者の表情だった。

「この国には、サイボーグを作り出せる技術も金もない、、だがその代わりに、人を人とも思わない感覚だけは掃いて捨てるほどある。その愚かさで、作り出した怪物が、奴らってことだ、、。」
 智深がもっともらしい解説を付け加える。
 だが智深の本性は、そんなものではない。
 妹の前だから格好を付けているだけの話だ。
 そんなまともな男に、寂寥ファミリーが、自分たちの組織に入れと言う誘いの言葉をかける筈がない。

 闇の中で、柳の葉のような形の煌めきが生まれた。
 性別のはっきりしない、やや大柄のウナギ人間の指先から、刃渡り十センチほどの刃物が飛び出したのだ。
 大柄のウナギ男は、それを自分が下敷きにしている、もう一人のウナギ人間の臀部に軽く突き刺して遊んでいる。
 下敷きになった方は、喜びの混じった小さな悲鳴をあげた。
「ゴムでたくさん覆われてる奴ほど金属に食われてる。女魃蛭を皮膚からこぼさない為に、あんな風にゴムの服で体を覆っているんだ。ほら、今刺された方の首もとを見てみろ、ヒルが何匹か、はみ出てるだろ。」
 確かに、下の男のゴムのタイツの様な服はVネックになっており、そこから血塗れの金属の肋骨のようなものと、蠢くヒルの大群が見えた。

 智深は、金属が嫌いだった。
 そんなものを身体の中に埋め込んで人工的な超人になるなんて考えられない事だった。
 彼が村を飛び出した後、街で何回かそういったアニメや映画を見る機会もあったが、それらは総て智深の目には馬鹿げて映った。
 智深にとって、肉体は壊れていくものではなく、燃えたぎる溶鉱炉でありダイナモだった。
 暴力をふるう時に、金属に頼るような奴は、馬鹿だ。

 そんな思いに捕らわれていた智深は、ふと自分を差し貫くような薄暗闇からの強烈な視線を感じた。
 その視線を放っているのは、細い体をした全裸の女性だった。
 ウナギ人間達が蜷局を巻いている場所のもう一つ奥にある緑のEXITの乏しい照明の下に、彼女はいた。
 頬骨が高くて低い鼻はつんと上を向いている。
 きつい印象のある大きい目と口が、凄みのある色気を醸し出している。

「あいつ、しつこく俺を見てるな、、、素っ裸だし。ちょっといかれてるのか。」
「兄さんに興味を持ってるのよ。それに裸じゃないわ。良く見て、全身肌色のゴムを身につけてる。顔もよ。女かどうかも怪しい。それに兄さんの説明なら、ああいう全身覆われてて、ほそっこいのが一番あぶないんじゃないの?」
 そう言われて、智深はもう一度、その女を観察した。
 確かに女の全身は肌色のゴム膜で覆われている。
 形のよい乳房の表面はつるりとしており人形のそれのようだった。
 この女の場合、例の女魃蛭は腹部に集中しているようで、虫たちの蝟集する固まりが浮き立たせて見せる畝は、女の腹に何か不思議な文様を描きだしていた。

「、、奴らの寿命は長くない、けど、いくらでも人間の取り替えが効くから、寂寥二鬼は困らない、、。しかし、一人だけ、ずっと生きてて、一番強いのがいるらしい。名前は香革。あいつがそうかも。」
 香革の肘に仕込んだ細身の半月刀と、手に握り込まれた短槍の時間差攻撃は、苛烈を極めるという。
 だが本物の香革は、この時、日本にいた。
 智深と、奇妙にエロチックな痩せたゴム全裸の女は暫く睨み合っていたが、やがて女の方が先に視線をそらせた。
 眼の飛ばし合いに負けたというより、もっと違う部分に女の興味がそれたのだ。
 その対象が何であるかは、智深にも判った。
 それは智深自身の股間の膨らみだった。
 女の平らな下腹の表面に一本、胡瓜ほどの太さを持つ蚯蚓腫れが浮かび上がっていた。
 そしてその女は、自分の下腹部の変化を不思議そうに見つめているのだった。
「人妖なの?香革かどうか知らないけど、、人の顔見て、あんなに露骨におったてないで欲しいわね、、。」
 璃茉が吐き捨てるように言った。

「さあ、そろそろ行こうか。敵情視察も終わった事だし、、。」
 次のスケジュールのある悦豊は、二人を促した。
 智深は嫌な男だったが、ボディガードとしては極めて優秀だったから、ゴールデンハート総合病院の調査にも同行させたかったが、それは寂寥側から断られていた。
 同伴を許可するのは女性一人だけだと言う。
 それも向こうは、外国人は必ず通訳を伴って行動するものだと勝手に決め込んで許可を出した節があった。
 もちろん、悦豊は現地語がペラペラだったが、訪問時は現地調査にやって来た日本人の麻薬バイヤーという触れ込みだったから、璃茉は危険でも絶対に連れて行く必要があった。

「ああ智深、、今度の事は、色々と骨を折って貰ってすまなかった。感謝してるよ。」
「そうかい。感謝してるなら、妹の事はちゃんと面倒見てやってくれよな。今度の件で、幾らかは金が入るんだろう?」
 智深がにこやかな笑顔を見せながら、そう言ったが、目は少しも笑っていなかった。
 下手をすると冗談抜きで、俺はこの男にいつか殺されるかも知れないと、悦豊はその時、思った。

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