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一人で感じて、一人で考える
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初めてのイフュムス以来、いつもロルガと一緒に入っていた燻製小屋に一人で入ると、やけに暗く感じた。何がどこにあるのか知っている狭い空間なのに歩みが遅くなる。背後の気配を探せないように一番上の段に乗り、それでも心細くてたまらない。いつもは寝転がり手足を伸ばして熱気を楽しむが、体を丸めて膝を抱きしめる。両手に感じる肌の感触を違う、と思うが、何と比べているのかわからなかった。
一人分の呼吸音、汗の垂れる音。どんなに感覚が鋭くなっても、わからないことはわからないままで、思考も感情も整理されない。
いつものような爽快感は得られないまま、サウナ浴を終えた。
燻製小屋を出て部屋に戻ると、ロルガはベッドルームにいた。
ロルガには、はっきりと言わなかったが、俺が素肌を晒すことに抵抗を感じていると気がついているのかもしれない。単なる偶然でも助かった。洗面所で汗を拭い、火照りを覚ましてからシャツを着る。ノックをして、ベッドルームに呼びかけた。
「食事にする? ルル」
一口サイズに切られた薄パンに乗せられるハムは薄切り。
イフュムスの食事の時は、ダイニングテーブルではなく暖炉の前の床に直接座る。ソファーに寄りかかり、床に並べた料理に手を伸ばす。ピクニックみたいなスタイルがサウナ浴後の気だるい体にはちょうどよかった。
「これ、うまいな」
ロルガは俺の注いだ水を飲んでいた。
傍に置いたピッチャーの中にはドライフルーツが入っている。なんとなく思いつきでやってみたが、時間が経つとドライフルーツが水を吸ってふやけ、水には甘味が溶け込んだ。
「気に入ったのならよかった。初めてやってみたから」
「そうか。前のところでやっていたのかと思った」
一瞬、ロルガに何を言っているのかわからなかった。一呼吸置いてから、あぁ、自分は初めからここにいるのではなかったな、と思い出す。最近はうっかり向こうでのことを口にして眠ることも減った。意図的に考えて眠ることはたまにあるが。
「じゃあ、これの味も知らないのか?」
柔らかくなったドライフルーツをロルガがつまみ上げていたので頷くと、小さく切ってこちらに差し出した。手を出して受け取ろうとしたら唇に押し付けられ、隙間からねじ込まれる。気恥ずかしさを誤魔化すように口の端に垂れた水滴をなめとった。
「けっこうやわらかくなるもんだな」
ロルガは俺に食べさせたのと同じ指で残りを食べ、指先についた水滴を吸う。何でもないはずなのに、目で追うのをやめられなかった。
俺の視線に気がついたロルガが口を開きかけたのを封じるように俺は話し始める。
「あ、そういえばさ、ここに一人でいる時に窓の外を見てたんだけど、遠くに人がいたんだ。手を振っているように見えたから、振ってみたんだけど、見えたかな? この辺りに人が住んでるなんて考えたこともなかったから、びっくりした」
「そうか…………——」
「え?」
「なんでもない」
聞き返した俺に、ロルガはゆっくりと首を横に振った。暖炉の炎を照らし出す横顔は何かを考え込んでいるようだったが、それ以上はなにも聞けないまま、食事を終えた。
ベッドルームに入ると、満ちた空気の冷たさに自然と体が震えた。
ロルガの腕が俺に絡みつき、抱き寄せられる。同じ燻製小屋にいたはずなのに、自分の体とは違う香りがロルがからするのに気がつく。お互いを包む煙の香りが混ざり合ってひとつになる。すぐに聞こえてくる寝息を確かめると、そっと視線を上げてロルガを見上げた。
さっき、本当は聞き返さなくてもロルガがなにと言ったのか聞こえていた。ただ、意味がわからない。
——面倒なことになりそうだ
どうして? 何を考えた?
聞けないのは、すでにロルガが何かを俺に隠していると気がついているからだ。
春がやってきて、深く積もっていた雪もほとんど溶けた。気温は上がる一方なのに、なぜかこの家の中は反対に寒くなっていく。深い雪に埋もれている間も腰布一枚で過ごせるほど温かかったのに。
「なんだか、寒いね」
「そうか」
何も考えずにそう言った俺に短く答えたロルガはさっきと同じ表情を浮かべていた。
いつでも、はっきりと言うのに何を黙っているのか。
聞きたいけど、聞けないままでいる。
一人分の呼吸音、汗の垂れる音。どんなに感覚が鋭くなっても、わからないことはわからないままで、思考も感情も整理されない。
いつものような爽快感は得られないまま、サウナ浴を終えた。
燻製小屋を出て部屋に戻ると、ロルガはベッドルームにいた。
ロルガには、はっきりと言わなかったが、俺が素肌を晒すことに抵抗を感じていると気がついているのかもしれない。単なる偶然でも助かった。洗面所で汗を拭い、火照りを覚ましてからシャツを着る。ノックをして、ベッドルームに呼びかけた。
「食事にする? ルル」
一口サイズに切られた薄パンに乗せられるハムは薄切り。
イフュムスの食事の時は、ダイニングテーブルではなく暖炉の前の床に直接座る。ソファーに寄りかかり、床に並べた料理に手を伸ばす。ピクニックみたいなスタイルがサウナ浴後の気だるい体にはちょうどよかった。
「これ、うまいな」
ロルガは俺の注いだ水を飲んでいた。
傍に置いたピッチャーの中にはドライフルーツが入っている。なんとなく思いつきでやってみたが、時間が経つとドライフルーツが水を吸ってふやけ、水には甘味が溶け込んだ。
「気に入ったのならよかった。初めてやってみたから」
「そうか。前のところでやっていたのかと思った」
一瞬、ロルガに何を言っているのかわからなかった。一呼吸置いてから、あぁ、自分は初めからここにいるのではなかったな、と思い出す。最近はうっかり向こうでのことを口にして眠ることも減った。意図的に考えて眠ることはたまにあるが。
「じゃあ、これの味も知らないのか?」
柔らかくなったドライフルーツをロルガがつまみ上げていたので頷くと、小さく切ってこちらに差し出した。手を出して受け取ろうとしたら唇に押し付けられ、隙間からねじ込まれる。気恥ずかしさを誤魔化すように口の端に垂れた水滴をなめとった。
「けっこうやわらかくなるもんだな」
ロルガは俺に食べさせたのと同じ指で残りを食べ、指先についた水滴を吸う。何でもないはずなのに、目で追うのをやめられなかった。
俺の視線に気がついたロルガが口を開きかけたのを封じるように俺は話し始める。
「あ、そういえばさ、ここに一人でいる時に窓の外を見てたんだけど、遠くに人がいたんだ。手を振っているように見えたから、振ってみたんだけど、見えたかな? この辺りに人が住んでるなんて考えたこともなかったから、びっくりした」
「そうか…………——」
「え?」
「なんでもない」
聞き返した俺に、ロルガはゆっくりと首を横に振った。暖炉の炎を照らし出す横顔は何かを考え込んでいるようだったが、それ以上はなにも聞けないまま、食事を終えた。
ベッドルームに入ると、満ちた空気の冷たさに自然と体が震えた。
ロルガの腕が俺に絡みつき、抱き寄せられる。同じ燻製小屋にいたはずなのに、自分の体とは違う香りがロルがからするのに気がつく。お互いを包む煙の香りが混ざり合ってひとつになる。すぐに聞こえてくる寝息を確かめると、そっと視線を上げてロルガを見上げた。
さっき、本当は聞き返さなくてもロルガがなにと言ったのか聞こえていた。ただ、意味がわからない。
——面倒なことになりそうだ
どうして? 何を考えた?
聞けないのは、すでにロルガが何かを俺に隠していると気がついているからだ。
春がやってきて、深く積もっていた雪もほとんど溶けた。気温は上がる一方なのに、なぜかこの家の中は反対に寒くなっていく。深い雪に埋もれている間も腰布一枚で過ごせるほど温かかったのに。
「なんだか、寒いね」
「そうか」
何も考えずにそう言った俺に短く答えたロルガはさっきと同じ表情を浮かべていた。
いつでも、はっきりと言うのに何を黙っているのか。
聞きたいけど、聞けないままでいる。
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