失恋男、忘年会の後はがんばれ♡がんばれ♡

万年青二三歳

文字の大きさ
1 / 6

失恋ゾンビの俺

しおりを挟む
 冬晴れの朝は都心からも富士山がはっきり見える。
 東京で働き三年が経ったが、ついこの前までそんなことは知らなかった。
 奇跡が起きたのは、三ヶ月前のことだ。
 小さな広告代理店の営業マンだった俺は、誰もが知っている外資系IT企業への転職を成功させた。
 今では地上三十階にあるオフィスにデスクを構え、かつて頭を下げるために通った企業を見下ろしている。
  
「高原さん、ミーティング始めましょう」

 上司の声に立ち上がる。
 指定のミーティングルームは、コンパクトながら観葉植物や、遊び心のあるオブジェが飾られ、遊び心にあふれている。シミひとつないベージュのカーペットの上に用意されているのはオフィスチェアとデスクではなく、飴色のソファセットだった。
 一人がけのソファに腰を下ろすと、柔らかな革の感触が全身を受け止めてくれる。ゆったりとした作りは恋人と二人でイチャつくのにちょうど良さそうだ。
 柔らかな体を膝の上で横抱きにすれば、すぐにキスが始まり、洋服なんて邪魔になるだろう。汗ばむ肌が革にシミを作らないかと、心配しながらも快楽に夢中になる姿をじっくりと味わうのが良い。ぎりぎりまで焦らして、熟れた体が背もたれにつかまり、早くちょうだいと腰を突き出すのを——

「始めてもよろしいですか?」

 感情のない声に不埒な妄想がかき消される。残念ながら、目の前に座るのは自分の上司で、恋人じゃない。
 思わずため息がもれた。
 これから四半期に一度の評価を告げる面談が始まるところだった。
 転職後初の評価を聞くことに緊張はしていない。
 自信があるから?
 いいや。俺のやる気はどん底で、仕事に全く興味がないから。
 上司の背後に広がる全面窓にはゾンビみたいな俺が映っていた。太い眉も、笑うと垂れる二重の目も健在なのに、ワイルドで気さくと評判の男はどこかに消えてしまった。

高原直一たかはらなおいちさん」
「ふぁい」

 腑抜けた返事を返せば、冷えた視線が俺を射る。
 上司の加賀美かがみ慶吾けいごは五つ年上の三十一歳で、氷の貴公子とあだ名される美貌の男だ。漆黒の髪を後ろに流し、高級なスーツを着てモデルのようにたたずむが、全く愛想がなく、上から目線の厳しいことしか言わない。男女問わず周囲の興味を集めるが、俺にはどうでも良かった。
 切れ長の瞳より、幼さを感じるくらいのどんぐりまなこが良い。つんと尖った鼻も、薄い唇も薄情な印象で物足りない。評価を告げる声は平坦で、ちっとも興味を持てないまま、頭の中を通り過ぎていった。
 唐突に、たーかちゃん♡と弾む声で甘えてくるタヌキ顔の恋人の姿が頭に浮かんだ。
 いや、元・恋人か。
 付き合って一年。男同士の俺たちは結婚できないが、添い遂げる覚悟はあった。だから同性パートナーも扶養対象になる外資系企業に転職を決めたのに、

 ——がんばれ♡って応援したい相手ができたの……

 じゃねぇよ。

「はぁ……」
 
 失恋の痛手は深刻だ。
 二度目のため息がもれると、同じように加賀美も息をついた。

「一ヶ月目の契約件数はトップだったのに、先々月は前月比五十パーセント減で、先月はゼロですか。手抜きもここまでくると清々しい。高原さん。あなたはやればできるでしょう。このままお荷物でいるなら、クビになります。脅しではなく、去年の人員整理は世界的なニュースに……」

 二言目には、エビデンスは? と詰めてくる上司らしく、データと前例を添えてチクチクと俺を非難してくる。
 
 ——やればできる。
 そんなの言われなくても知ってる。
 一歩踏み出せば、どこまでも走っていけるスタミナも能力もあるが、肝心なスタートが切れないのだ。
 好きな男にがんばれ♡と応援されないことには始まらない。
 それが俺の弱点だった。

「自分のことを感覚派だと思ってるかもしれませんが、違います。自分の強みを分析して動けば、もっと効率よく結果が出せるようになるでしょう。例えば……」

 俺の営業スタイルを全否定する辛口コメントはまだまだ続く。
 ツンケン美形にリードされる趣味はない。
 俺が好きなのは、ゆる~いかわい子ちゃんを甘やかすことなんで。
 もちろんそんなことは口にできないから、曖昧に頷いておいた。

「来期は期待しています。今夜はホリデーパーティがあるので、存分に楽しんで英気を養ってください」
「パーティ……!」

 すっかり忘れていた出会いの予感に、突然力がみなぎってくる。目を輝かせる俺に、容赦ない氷の視線が突き刺さる。

「詳細はスケジュールに入っています。……プライベートに口出しする気はありませんが、私はセクハラ防止研修の手配などしたくありません」
「はい! 失礼しまっす」

 セクハラが怖くて恋ができるかってんだ!
 


 恋人ができたら週末は全力でラブラブしたい俺は、金曜午後のスケジュールを空けてある。これ幸いとヘアサロンに飛び込んだ。

「かっこ良くしてくださぁい!」

 上機嫌にオーダーするとスタイリストもノリノリでカットしてくれた。
 前髪長めのショートマッシュはシャワー後のギャップがやばいとのことで、普段は前髪をおろしておくことを勧められた。

「ここぞってところで思いっきりやっちゃってください! 落ちない子はいませんよ。ほら」

 スタイリストの手が前髪をかきあげると、太めの上がり眉と少し垂れた二重の目が顔をだす。ワイルドな魅力が帰ってきた。ヘアカットによって色気が大幅増加した俺は、もうゾンビじゃない。

 スタイリストに親指をグッとあげて店をあとにした。
 そのままセレクトショップでワイシャツを買い、着替えた。品のあるプレーンな白シャツだが、一つずつボタンホールが違う色糸で縁取られている。ネクタイをしたら隠れてしまうが、遊び心があっていい。

 キミの一番好きな色は何色? じゃあ、そこ外して。二番目は……あ、俺ばっかりごめんね。お礼に君のボタンも外してあげる。あれ、エッチな色したボタンがシャツの下に隠れてるじゃないか——

 ベッドインのシミュレーションはバッチリだった。あとは相手を見つけるだけだ。
 俺は一途な上に、失恋したら周りが見えなくなる。転職して三ヶ月が経つが、同僚の顔はみんなジャガイモでしかない。
 今夜はその中からタヌキ顔のかわい子ちゃんを見つけてみせる。
 久々にやる気が燃えてくるのを感じていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

平凡な僕が優しい彼氏と別れる方法

あと
BL
「よし!別れよう!」 元遊び人の現爽やか風受けには激重執着男×ちょっとネガティブな鈍感天然アホの子 昔チャラかった癖に手を出してくれない攻めに憤った受けが、もしかしたら他に好きな人がいる!?と思い込み、別れようとする……?みたいな話です。 攻めの女性関係匂わせや攻めフェラがあり、苦手な人はブラウザバックで。    ……これはメンヘラなのではないか?という説もあります。 pixivでも投稿しています。 攻め:九條隼人 受け:田辺光希 友人:石川優希 ひよったら消します。 誤字脱字はサイレント修正します。 また、内容もサイレント修正する時もあります。 定期的にタグ整理します。ご了承ください。 批判・中傷コメントはお控えください。 見つけ次第削除いたします。

ヤンデレ執着系イケメンのターゲットな訳ですが

街の頑張り屋さん
BL
執着系イケメンのターゲットな僕がなんとか逃げようとするも逃げられない そんなお話です

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

おすすめのマッサージ屋を紹介したら後輩の様子がおかしい件

ひきこ
BL
名ばかり管理職で疲労困憊の山口は、偶然見つけたマッサージ店で、長年諦めていたどうやっても改善しない体調不良が改善した。 せっかくなので後輩を連れて行ったらどうやら様子がおかしくて、もう行くなって言ってくる。 クールだったはずがいつのまにか世話焼いてしまう年下敬語後輩Dom × (自分が世話を焼いてるつもりの)脳筋系天然先輩Sub がわちゃわちゃする話。 『加減を知らない初心者Domがグイグイ懐いてくる』と同じ世界で地続きのお話です。 (全く別の話なのでどちらも単体で読んでいただけます) https://www.alphapolis.co.jp/novel/21582922/922916390 サブタイトルに◆がついているものは後輩視点です。 同人誌版と同じ表紙に差し替えました。 表紙イラスト:浴槽つぼカルビ様(X@shabuuma11 )ありがとうございます!

酔った俺は、美味しく頂かれてました

雪紫
BL
片思いの相手に、酔ったフリして色々聞き出す筈が、何故かキスされて……? 両片思い(?)の男子大学生達の夜。 2話完結の短編です。 長いので2話にわけました。 他サイトにも掲載しています。

バーベキュー合コンに雑用係で呼ばれた平凡が一番人気のイケメンにお持ち帰りされる話

ゆなな
BL
Xに掲載していたものに加筆修正したものになります。

処理中です...