あなたは愛さなくていい

cyaru

文字の大きさ
13 / 39

第12話  心の瘡蓋

しおりを挟む
「久しぶりに嫌な事を思い出しちゃった」

気持ちが乱れたままでは薬草を煎じる気分にもなれずファティーナは床に落ちたシルヴェリオが使ったシーツを桶に入れると井戸から水を汲み上げてその中に浸け込んだ。

気持ちを落ち着かせようと茶を淹れるが、もう忘れた事、過去の事だと思っても手が震えて茶器がカチャカチャと音をさせる。

まだアロンツォの婚約者だった頃、教会にやって来る貧しい者に炊き出しをした事がある。縄張りだのなんだのと難癖をつけてきた破落戸相手に啖呵を切った時は平気だったのに、破落戸が去った後は手足がガクガク震えて言葉もまともに喋れなかった。

大声で啖呵を切った訳ではないのに、心の奥底に沈殿した過去の想いがかき混ぜられた気がして、心なしか心臓の拍動も早い気がした。


「参ったわね。もうあんなに大きくなったんだわ」

震える手のひらを見ていると、在りし日の温もりまで感じてしまう。
ファティーナはシルヴェリオの事を知っていた。と、いっても今日よりも前に会ったのはもう13年も前の事。

王都でに見たシルヴェリオはまだ3歳になったばかりだった。

シルヴェリオが生まれた時、ファティーナは12歳。本当の弟のようでとても可愛くシルヴェリオはファティーナの姿が見えないと大泣きしてしまうので、何時も側に居た。

領地に行かねばならず留守にした時も戻ってくれば正門の前でメイドに手を引かれてファティーナの帰りを待っていた。馬車が見えると走り出してしまうので馬車の急停車で「あぁ到着した」と転寝うたたねをしていても気が付いたものだ。

『あのね。僕、大きくなったら姉様の事をお嫁さんにするんだ』
『それはダメよ?兄様はどうするの?』
『兄様はいいよ!僕の方が姉様のこと、大好きなんだ』


幼いシルヴェリオの言葉に表も裏もない。ただその言葉を真に受けるほどファティーナも子供ではなかった。家族愛のようなものだと弁えていたので3歳の幼児相手とは言え「約束」をする事はなかった。

シルヴェリオが病気だといった母親も知っている。
あの日、ファティーナの頬を打った公爵夫人だ。

「もう恨む気持ちも忘れたと思ったのに…」

この13年間。ファティーナは当初は第1王子サミュエルの使わせた従者達にも手伝ってもらい、この小さな家を修繕した。

小さな家のある場所は隣国のヘゼル王国の領土内にあり、サミュエルがヘゼル王国の国王と話を付けてくれたものだ。他国に位置するためサミュエルが結界を張り侵入者を防ぐには許可を得る必要もあった。

やっと小さな家が住めるようになった頃、ヘゼル王国内で最初の黒斑病の患者が出た。
黒斑病の潜伏期間は約1か月と長いが、早急に手を打つ必要がありサミュエルを通してファティーナに薬の精製をしてくれと依頼が来た。

魔導士でもあるファティーナは植物、特に薬草を扱う術に長けていた。
シード伯爵家の領地で採取できる薬草が飛びぬけて性質も効能も良かったのは一族が適していたからだとも言える。

潜伏期間の間に薬を行き渡らせる事が出来たため、黒斑病の死者は最小限で押さえる事が出来たし蔓延も防ぐ事が出来た。ヘゼル王国の国王はファティーナに感謝をし、小さな家一帯がある森をファティーナに褒美として与え、ヘゼル王国の魔導士によりその森の周囲は「幻覚・幻惑」で守られることになりサミュエルの結界は必要が無くなった。

「ファマシィ・ファティ」と看板をあげてファティーナは薬を作る事で倹しく暮らしてきた。

作った薬を週に一度訪れるヘゼル王国の従者に渡し、食料品や消耗品の雑貨を受け取る。

欠損した四肢を元通りにしたり、医者に見放された者達は依頼があれば無償で対応をした。その数は決して多くない。

何故なら「ファマシィ・ファティ」はヘゼル王国の魔導士により守られているため、辿り着くには条件を満たす必要がある。

先ずは病人や怪我人はもう動ける状態ではないので「助けたい」と強く、それだけを願う者がやって来る。私利私欲関係なく「助けたい」との思いが強ければ森への入り口になる二股になった大きな欅の木が見える。

その先は抱いた思いに迷いがないか。困難に当たると強い思いも挫けることがあるため試される。なので森の中で彷徨う事になる。

また同じところじゃないか!と短気を起こしなげやりになってしまえばそれまで。
助けを求める病人、怪我人の身になってみればそんな試練は止めて欲しいと思うかも知れないが、頼まれる側のファティーナは善意だけで治療や治癒を行う。片手間で出来る事ではない。

継続する強い気持ちと、その後を考えてのこと。

助けてやりたい、支えてやりたいと思うの誰しも持つ気持ちだが、その気持ちを私欲のために利用しようとしたり依存する者がいるのも事実。共助と依存は違うのだから線引きをする為の試練である。

ファティーナが助けようと思えば週に一度薬を受け取りに来るヘゼル王国の従者と共に依頼者の家に向かう。拒否すればファティーナを守るヘゼル王国の魔導士の力により街道の目印を見つけた場所まで戻される。但し瞬きをしたり、視線を逸らせれば目印の二股の大きな欅の木は見えなくなる。

2度目が見えるかは誰にもわからない。


シルヴェリオが森に入る入り口を見つけたのは母親を助けたい思いが純粋で強かったから。彷徨いながらも思いは消えなかったが動く事が出来なくなった。だからファティーナはシルヴェリオを助けた。

ファティーナがシルヴェリオの頼みを断わった理由は2つ。

1つ目は金さえ払えばという気持ちが見えてしまったこと。
2つ目は私怨だ。

久しく自身の感情が乱れた事はなかった。
もう癒えたかと思った傷はまだじくじくとした瘡蓋だったと思い知らされる。
思い切り瘡蓋を剥がされ塩を塗りこまれた、そんな痛みをファティーナの心が感じてしまったのである。

シルヴェリオに罪があるわけではない。それはファティーナにも判っているが心の動揺だけはファティーナもどうしようもなかった。だから恨み言のように「ファティーナ・シードに何をしたか」と口走ってしまったのだった。
しおりを挟む
感想 53

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

久しぶりに会った婚約者は「明日、婚約破棄するから」と私に言った

五珠 izumi
恋愛
「明日、婚約破棄するから」 8年もの婚約者、マリス王子にそう言われた私は泣き出しそうになるのを堪えてその場を後にした。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

【完結】ある公爵の後悔

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
王女に嵌められて冤罪をかけられた婚約者に会うため、公爵令息のチェーザレは北の修道院に向かう。 そこで知った真実とは・・・ 主人公はクズです。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。 しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。 本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。 盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。

処理中です...