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【五】
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征之進が長谷見家を訪れてから十日ほど過ぎた頃、征之進は辰之助に呼ばれた。
「征之進、長谷見様からのお使いが来た。一度お前を寄越してほしいというのだ」
「はあ、なんでございましょう?」
「用件は言わなかった。縁談の前に人を見ようなどとはあまり聞かないが、もしかすると、これまでお前がずっと縁談を断り続けた話を聞いて、なにか故障があるのではないかと疑っておるのかもしれぬ」
「なるほど」
「よいか征之進、そのようなことは決してございませんと伝えてくるのだぞ」
「承知いたしました」
征之進には用件の見当がついていたから、敢えて逆らわずに長谷見家に行くことを承知した。用件とは、先方から縁談を断ってくる以外にはあり得なかった。雪之丞がうまく取り計らってくれたに違いない。
「お頼み申す」
この間と同じ下人が出てきて、征之進を邸内に招き入れた。こんど連れて行かれたのは道場ではなく、母屋の一室だった。
「こちらでお待ちください」
今日も下人は征之進を置いて出ていった。暫く待っていると、縁側に面した障子の滑る音がした。
「お待たせいたしました」
征之進が振り返ると、僅かに開いた障子の隙間から、振袖姿の若い娘が跪いているのが見えた。軽く頭を下げた彼女は障子をさらに押し開いてから、部屋ににじり入ってきた。
「長谷見の次女、雪音でございます」
島田に結った髪が艷やかだ。面を上げたその顔はやはり兄妹だけあって、雪之丞によく似ている。
「征之進様のご事情は兄より承りました」
「大変失礼なこととは存じますが、私のせめてもの誠意と受けていただきたく」
「お気になさることはございません。今日お越し頂いたのは、お渡ししたいものがあるからでございます」
雪音は部屋の隅に置いてあった包を手元に引き寄せた。
「こちらでございます。どうぞ、お開けになってください」
征之進は、自分の前に押し出された包に手を伸ばした。袱紗を解くと、桐箱が現れた。征之進が蓋を取ると、半ば予想の通り市松人形であった。
「これを私に?」
「はい」
「わざわざ用意してくださったのですか?」
雪音の顔が一瞬綻んだ。
「そうではございませんの。私が子供の頃に買っていただいた物で、お古です」
お古というにはあまりにも綺麗だ。
「そのようにはとても見えません」
「はい。一度も使ったことはありませんから」
「どういうことですか?」
「私も征之進様と同じです。人形よりも竹刀や弓を欲しがったのです」
征之進がはっとした顔で雪音を見ると、雪音は「ふふふ」と小さく笑いながら立ち上がった。
「征之進、長谷見様からのお使いが来た。一度お前を寄越してほしいというのだ」
「はあ、なんでございましょう?」
「用件は言わなかった。縁談の前に人を見ようなどとはあまり聞かないが、もしかすると、これまでお前がずっと縁談を断り続けた話を聞いて、なにか故障があるのではないかと疑っておるのかもしれぬ」
「なるほど」
「よいか征之進、そのようなことは決してございませんと伝えてくるのだぞ」
「承知いたしました」
征之進には用件の見当がついていたから、敢えて逆らわずに長谷見家に行くことを承知した。用件とは、先方から縁談を断ってくる以外にはあり得なかった。雪之丞がうまく取り計らってくれたに違いない。
「お頼み申す」
この間と同じ下人が出てきて、征之進を邸内に招き入れた。こんど連れて行かれたのは道場ではなく、母屋の一室だった。
「こちらでお待ちください」
今日も下人は征之進を置いて出ていった。暫く待っていると、縁側に面した障子の滑る音がした。
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「征之進様のご事情は兄より承りました」
「大変失礼なこととは存じますが、私のせめてもの誠意と受けていただきたく」
「お気になさることはございません。今日お越し頂いたのは、お渡ししたいものがあるからでございます」
雪音は部屋の隅に置いてあった包を手元に引き寄せた。
「こちらでございます。どうぞ、お開けになってください」
征之進は、自分の前に押し出された包に手を伸ばした。袱紗を解くと、桐箱が現れた。征之進が蓋を取ると、半ば予想の通り市松人形であった。
「これを私に?」
「はい」
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「はい。一度も使ったことはありませんから」
「どういうことですか?」
「私も征之進様と同じです。人形よりも竹刀や弓を欲しがったのです」
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