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序文
語り部は語るべきを語り、予は書き写すべきを記すなり
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「なぁに、天使というものと申しますは、決して偉い者などではありませんよ。ウチの頓馬な莫迦息子の方が余程に偉い」
老婆は皺の深い顔により一層深い皺を刻み、声高に笑った。予が従者達が二人揃って眉を顰めたは、彼らが父母より与えられし名が、天使に由来する故であった。
彼らの父母は彼らの生まれた時期、すなわち前朝末期の頃までは、その国教たる加持派の信徒であった故に、彼らの伝統に則り、守護天使を尊んでいた。天命に忠実な人々は禅譲の後に新しい国教たる目論派に改宗をし、その教えに従って守護従神を崇めている。
加持派と目論派は用いる言葉に違いがあるものの、語ることはほぼ同じだとされている。
すなわち加持派がただ神と呼ぶ存在を、目論派は主神の語で現し、天使の語を宛てる存在を従神と呼んでいるに過ぎぬと言う弁である。
人々の心の内に矛盾は生まれなかった。
この思想に関し、予は意見する立場に無き故、ここに論ずる必要もまた無い。
孰れにせよ、予が友は老婆が己の名付け親である天使従神等を貶めたと感じた。予の手前、それを口に出すことを憚ったが、生来心素直な彼らは、その屈辱感を隠す術を持っていなかった。
老婆は彼らが怒っている理由を察した。
「なるほど天使は有難いものでありますが、それは天使がまさに天の御使いだからでございます。天使が運ぶ言葉が尊いのであって、天使自身が偉いわけではございませぬ」
この老婆は加持派などよりももっと古い、原始的な信仰の巫の血筋であると称する。そういった者に優れた洞察力を見せられると、古い話を信じたくなる。
老婆の歯のない口から出る笑い声は、壊れかけた鞴の胴に空いた穴から抜ける風のようであった。
予の従者達は老婆の言葉の真意を理解しかねていた。彼らは決して愚か者ではない。むしろ賢い。それ故予は彼等を重用している。
二人の若者の眉頭から皺が消えぬのを見た老婆は、歯無しの口を閉じた。声を出さず、にんまりと笑う。
「良い言葉を書く筆は偉いですかな? 美しい音楽を奏でる楽器は偉いですかな? 旨い飯を作る鍋は偉いですかな?」
従者達の眉間の皺は、浅くならなかった。それどころか、本数を増やしさえした。
「良い言葉を考えついた先生が偉い。美しい音楽を生み出した楽士が偉い。旨い飯を作ってくれた母親が偉い」
二人は予の顔をちらりと見た。彼らの目の色には不満と不安が混じっていた。
予は彼らには何も言わず、老婆に問うた。
「天使は筆、天使は楽器、天使は鍋、でありますかな?」
老婆は件の空気の漏れた笑い声を返答とした。
予は友等の困惑顔に向き直った。彼等は期待に目を輝かせて予の顔を見、言葉を待ちかまえた。
「筆も楽器も鍋も、使う者が優れていればこそ、良いものを生み出す。すなわち、天使が尊ばれるのは天使であるが故ではなく、神の言葉の故である」
予の答えが己等の望んだものと違っていたのであろう。彼等の眉は顰められたまま僅かに吊り上げられた。
彼等はしかし、忠義な臣下であった。自分の意見のために主人を動かそうという考えを持っていない。不満の言葉を腹の中に押し込み、口をへの字に曲げて黙り込んでいる。
予は彼等に老婆の言葉を余すことなく書き留めるように命じた。彼等は不承不承、それでいて純忠そのものに、予の命を拝した。
予の友人達は若き日において、よく学んだ優秀な学徒であった。正しく書かれた書を良く読み、正しく伝えられた言葉を良く聞き、良く巡る頭脳に正しく覚えさせることが、彼等にとって正しい学問であった。
予は想像する。
彼等がもし、劣等な学生であり、書かれた物、聞いた言葉に疑いを持ち、良く巡る頭脳で正しく考えたなら、果たしてどのようなことが起きていたであろうかと。
人の知識というものは、人の智慧を妨げうるものである。
予はそれを深く心に刻まねばならない。
老婆は皺の深い顔により一層深い皺を刻み、声高に笑った。予が従者達が二人揃って眉を顰めたは、彼らが父母より与えられし名が、天使に由来する故であった。
彼らの父母は彼らの生まれた時期、すなわち前朝末期の頃までは、その国教たる加持派の信徒であった故に、彼らの伝統に則り、守護天使を尊んでいた。天命に忠実な人々は禅譲の後に新しい国教たる目論派に改宗をし、その教えに従って守護従神を崇めている。
加持派と目論派は用いる言葉に違いがあるものの、語ることはほぼ同じだとされている。
すなわち加持派がただ神と呼ぶ存在を、目論派は主神の語で現し、天使の語を宛てる存在を従神と呼んでいるに過ぎぬと言う弁である。
人々の心の内に矛盾は生まれなかった。
この思想に関し、予は意見する立場に無き故、ここに論ずる必要もまた無い。
孰れにせよ、予が友は老婆が己の名付け親である天使従神等を貶めたと感じた。予の手前、それを口に出すことを憚ったが、生来心素直な彼らは、その屈辱感を隠す術を持っていなかった。
老婆は彼らが怒っている理由を察した。
「なるほど天使は有難いものでありますが、それは天使がまさに天の御使いだからでございます。天使が運ぶ言葉が尊いのであって、天使自身が偉いわけではございませぬ」
この老婆は加持派などよりももっと古い、原始的な信仰の巫の血筋であると称する。そういった者に優れた洞察力を見せられると、古い話を信じたくなる。
老婆の歯のない口から出る笑い声は、壊れかけた鞴の胴に空いた穴から抜ける風のようであった。
予の従者達は老婆の言葉の真意を理解しかねていた。彼らは決して愚か者ではない。むしろ賢い。それ故予は彼等を重用している。
二人の若者の眉頭から皺が消えぬのを見た老婆は、歯無しの口を閉じた。声を出さず、にんまりと笑う。
「良い言葉を書く筆は偉いですかな? 美しい音楽を奏でる楽器は偉いですかな? 旨い飯を作る鍋は偉いですかな?」
従者達の眉間の皺は、浅くならなかった。それどころか、本数を増やしさえした。
「良い言葉を考えついた先生が偉い。美しい音楽を生み出した楽士が偉い。旨い飯を作ってくれた母親が偉い」
二人は予の顔をちらりと見た。彼らの目の色には不満と不安が混じっていた。
予は彼らには何も言わず、老婆に問うた。
「天使は筆、天使は楽器、天使は鍋、でありますかな?」
老婆は件の空気の漏れた笑い声を返答とした。
予は友等の困惑顔に向き直った。彼等は期待に目を輝かせて予の顔を見、言葉を待ちかまえた。
「筆も楽器も鍋も、使う者が優れていればこそ、良いものを生み出す。すなわち、天使が尊ばれるのは天使であるが故ではなく、神の言葉の故である」
予の答えが己等の望んだものと違っていたのであろう。彼等の眉は顰められたまま僅かに吊り上げられた。
彼等はしかし、忠義な臣下であった。自分の意見のために主人を動かそうという考えを持っていない。不満の言葉を腹の中に押し込み、口をへの字に曲げて黙り込んでいる。
予は彼等に老婆の言葉を余すことなく書き留めるように命じた。彼等は不承不承、それでいて純忠そのものに、予の命を拝した。
予の友人達は若き日において、よく学んだ優秀な学徒であった。正しく書かれた書を良く読み、正しく伝えられた言葉を良く聞き、良く巡る頭脳に正しく覚えさせることが、彼等にとって正しい学問であった。
予は想像する。
彼等がもし、劣等な学生であり、書かれた物、聞いた言葉に疑いを持ち、良く巡る頭脳で正しく考えたなら、果たしてどのようなことが起きていたであろうかと。
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予はそれを深く心に刻まねばならない。
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