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77. 反抗③
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親父は俺の腕を掴んで引っ張り、食卓の横に立たせた。衝撃が来たと思った次の瞬間、よろけて跪いた。鉄っぽい味が広がった。血だ。頬を殴られ、口の中が切れたのだ。部屋の空気は凍りつき、母さんと恵美子が怯えた顔でこちらを見つめている。
俺は口を拭いながら起立した。思った通り、女のようだと言われるのが親父の地雷なのだ。どうしてそうも男だとか女だとかを気にするのか。親父も俺のように育てられたのだろうか。そう思うと、目の前の男が憐れに思える。これは一種の自己憐憫だろうか。
「少しは頭を冷やせ!」
俺にそう浴びせかけて、親父は再び席に座った。頭を冷やすのは親父、貴方のほうだろう。
「お兄ちゃん……。」
恵美子が心配そうな声で俺を呼んだが、それには答えず無言で歩き出した。
「健一、待ちなさい。」
母さんが俺に駆け寄って止めようとするのを手で払ってダイニングを後にした。
親父に言い返しはしたものの議論にはならなかった。ただぶつかって終わっただけだ。無意味かもしれない。でも、俺にはやっと踏み出した一歩だった。ここから何かが変わるかもしれない。ズキズキ痛む頬をさすった。
痛みも血の味も甘美で、何やら俺を誘惑する。俺は自室に入ると、カバンの中から西田の秘密を取り出した。ベッドでうつ伏せになり、枕にそれを敷いて顔をうずめる。体いっぱいに匂いを吸い込んだ。とても満たされる。ムワッと意外に男臭くて欲情を掻き立てるが、何故だか懐かしいような温かさもある、不思議な匂いに耽溺した。嫌なことが全て消えていくようだ。傷の痛みと血の味と西田の匂いだけが俺の世界の全てになった。俺はそっとズボンの中に手を忍ばせた。
夢中になり、果て、ティッシュで拭った。それでもまだ、頭に霞がかかったようで、だらんとベッドに寝転んでいると、ドアをノックする音がする。俺はギョッとして慌てて枕の下にそれを隠し、はいと返事をした。
「お兄ちゃん。入っていい?」
恵美子の声だった。俺がいいよと答えると、扉からにっこり笑った恵美子の顔がのぞいた。恵美子が俺の部屋に来るなんて珍しい。
「お兄ちゃん、私、スカッとしちゃった。」
「え?」
「お父さんに言い返したじゃん!お父さんは化石みたいだもん。長男だ、跡取りだって昔からお兄ちゃんにばっかり厳しい。そのおかげで私は放任されてるけどね。前から思ってたんだ、お父さんはサラリーマンで継ぐべき家業があるわけでもなし、跡取りってなんなんだろうね。ばからしい。」
「そのことか。俺だって言うときは言うさ。」
恵美子が親父のことをどう思っているか、ちゃんと聞くのは初めてかもしれない。能天気な妹だと思っていたが、こんなことを考えていたのか。家族の中に一人でも味方がいるのは心強い。
「お兄ちゃん、最近変わったよね。」
「そうかな?」
「そうだよ。どこがどうって言われると困るけど。それってさ、名前なんだっけ、さっき言ってた昨日泊まった家のお友達……。」
「西田だよ。」
「そうそう、その西田さんの影響なのかな。私はとっても良いと思う。」
恵美子が意外に俺のことをよく見ているのに驚きながら聞いていた。それと同時に、まだまだ子供だと思っていた妹がぐっと大人になったように思われた。
「その西田さんて人、お兄ちゃんの大切な人なんだね。」
恵美子の言葉に、恋人の意味が込められているようで胸が締め付けられた。表情を崩さないように気をつけて会話を続けた。
「そうだよ、大切な友達だよ。」
「ふふふ。お父さん、あの後、書斎にこもっちゃったよ。少しは石頭が柔らかくなるといいんだけど。ああ、まだ宿題残ってるからやらなくちゃ。」
そう言い残して恵美子は部屋を出ていった。
俺は人から見て分かるほど変わったのだろうか。確かに、こうして弱虫な俺が勇気を出せたのは大きな変化で、それは西田や橘先生の影響だ。不純な交際だと言われるだろうが、俺には代えがたく大切なのだ。時に苦しいこともあるけれど、その苦しささえも愛おしく思える瞬間がある。だから強くなれる。
俺は口を拭いながら起立した。思った通り、女のようだと言われるのが親父の地雷なのだ。どうしてそうも男だとか女だとかを気にするのか。親父も俺のように育てられたのだろうか。そう思うと、目の前の男が憐れに思える。これは一種の自己憐憫だろうか。
「少しは頭を冷やせ!」
俺にそう浴びせかけて、親父は再び席に座った。頭を冷やすのは親父、貴方のほうだろう。
「お兄ちゃん……。」
恵美子が心配そうな声で俺を呼んだが、それには答えず無言で歩き出した。
「健一、待ちなさい。」
母さんが俺に駆け寄って止めようとするのを手で払ってダイニングを後にした。
親父に言い返しはしたものの議論にはならなかった。ただぶつかって終わっただけだ。無意味かもしれない。でも、俺にはやっと踏み出した一歩だった。ここから何かが変わるかもしれない。ズキズキ痛む頬をさすった。
痛みも血の味も甘美で、何やら俺を誘惑する。俺は自室に入ると、カバンの中から西田の秘密を取り出した。ベッドでうつ伏せになり、枕にそれを敷いて顔をうずめる。体いっぱいに匂いを吸い込んだ。とても満たされる。ムワッと意外に男臭くて欲情を掻き立てるが、何故だか懐かしいような温かさもある、不思議な匂いに耽溺した。嫌なことが全て消えていくようだ。傷の痛みと血の味と西田の匂いだけが俺の世界の全てになった。俺はそっとズボンの中に手を忍ばせた。
夢中になり、果て、ティッシュで拭った。それでもまだ、頭に霞がかかったようで、だらんとベッドに寝転んでいると、ドアをノックする音がする。俺はギョッとして慌てて枕の下にそれを隠し、はいと返事をした。
「お兄ちゃん。入っていい?」
恵美子の声だった。俺がいいよと答えると、扉からにっこり笑った恵美子の顔がのぞいた。恵美子が俺の部屋に来るなんて珍しい。
「お兄ちゃん、私、スカッとしちゃった。」
「え?」
「お父さんに言い返したじゃん!お父さんは化石みたいだもん。長男だ、跡取りだって昔からお兄ちゃんにばっかり厳しい。そのおかげで私は放任されてるけどね。前から思ってたんだ、お父さんはサラリーマンで継ぐべき家業があるわけでもなし、跡取りってなんなんだろうね。ばからしい。」
「そのことか。俺だって言うときは言うさ。」
恵美子が親父のことをどう思っているか、ちゃんと聞くのは初めてかもしれない。能天気な妹だと思っていたが、こんなことを考えていたのか。家族の中に一人でも味方がいるのは心強い。
「お兄ちゃん、最近変わったよね。」
「そうかな?」
「そうだよ。どこがどうって言われると困るけど。それってさ、名前なんだっけ、さっき言ってた昨日泊まった家のお友達……。」
「西田だよ。」
「そうそう、その西田さんの影響なのかな。私はとっても良いと思う。」
恵美子が意外に俺のことをよく見ているのに驚きながら聞いていた。それと同時に、まだまだ子供だと思っていた妹がぐっと大人になったように思われた。
「その西田さんて人、お兄ちゃんの大切な人なんだね。」
恵美子の言葉に、恋人の意味が込められているようで胸が締め付けられた。表情を崩さないように気をつけて会話を続けた。
「そうだよ、大切な友達だよ。」
「ふふふ。お父さん、あの後、書斎にこもっちゃったよ。少しは石頭が柔らかくなるといいんだけど。ああ、まだ宿題残ってるからやらなくちゃ。」
そう言い残して恵美子は部屋を出ていった。
俺は人から見て分かるほど変わったのだろうか。確かに、こうして弱虫な俺が勇気を出せたのは大きな変化で、それは西田や橘先生の影響だ。不純な交際だと言われるだろうが、俺には代えがたく大切なのだ。時に苦しいこともあるけれど、その苦しささえも愛おしく思える瞬間がある。だから強くなれる。
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