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95. 進路相談④
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あごを緩めて口を離すと、赤く濡れた歯型が目を焼き、痛みに涙が滲んだけれど、ちゃんと血が出て満足だった。
西田は恐々と震える手を俺の腕に近づけながら、見開いた目で穴が開きそうなほど傷を見つめていた。
「どうして、どうして……。」と西田は繰り返した。
俺は不思議なくらい清々しい気持ちだった。
「君が血が出そうなほど自分の腕に爪を立てるのを見ていたら、急に思ったんだ。君の血に俺の血を混ぜて飲んだら、兄弟になれるんだよ。ふふふ。」
「何言ってるの、意味分かんない。それに僕は血なんか出てないよ。」
「そうだな。でもさ、こうでもしたら少しは西田が俺を信じてくれるような気がしてさ。兄弟なら、君だって俺を頼りやすいだろ、変に気を遣うこともないだろ。一人になることもない。」
「本当に、なんなの、君って本当にバカだね!」
「そうさ、バカさ。」
俺は眩しいものでも見るような目つきで西田を見た。西田は照れくさそうにうつむいた。それから心配そうに両手を俺の腕に添え、ぐんぐんと傷に顔を近付け、そして、舌を血肉に這わせ、ゆっくりと舐め取っていく。しかし、すぐに新たな血があふれた。
「西田、きりがないし、俺の血なんて汚いぞ。」
「そんなことないよ、君のならなんでも美しいよ。……前にも言ったでしょ。」
俺は君のほうこそ美しいと心中でひとりごち、その言葉を君の変わらぬ心だと受け取った。とすると、俺を突き放すような言葉は、やはり本心の裏返しなのだろう。
先生が別の部屋から救急箱を持ってきて手当てしてくれた。消毒が滅茶苦茶に沁みて、燃えるようだった。
「佐藤君、私は時々思うんだが、君が一番マゾヒストかもしれんな。」
先生が真面目くさった調子でそんなことを言うから、俺は思わず吹き出してしまった。
「先生、変なこと言わないでくださいよ。」
俺がやんわり否定すると、何故か西田も先生に同意した。俺は二人の言葉にあまり納得はしていなかったが、愉快な気分だった。
先生は消毒がすんだ傷にガーゼを当てると、サージカルテープを丁寧に巻いていく。それを見ながら俺は言った。
「西田、俺は世間的な幸せより君といられるほうが嬉しいんだよ。西田は家庭環境もあって憧れがあるのかもしれないけど、本当だよ。だから気にするなよ。」
「佐藤君……。」
「一番初めのころ、西田が先生からの手紙を俺に渡してくれただろ。あの手紙の中身、西田は知ってる?」
「知らない。」
「あれさ、肛門性交マニュアルだったんだぜ。しかも細かい几帳面な文字でびっしり書いてあったな。」
「えっ……噓でしょ。かなり気持ち悪いかも。」
西田はじろっと先生を見た。先生は自分の話しをされているのに(しかも気持ち悪いかもとまで言われたのに)どこ吹く風で、一切表情は変えずに、むしろいつもに増して上品そうな澄まし顔にも見え、俺は妙に感心してしまった。
「そんな気持ち悪い手紙をもらって、俺はのこのこ先生に会いに化学準備室に行ったわけだ。だから、俺も初めっからイカれてたんだよ。君の言葉を借りるなら、“同じ穴の狢”だ。」
「うん。」
西田は泣き笑いのような顔をしていた。俺は深い安堵のため息をついた。
「だから一度、進路のこと、お母さんに相談してみてよ。それで下宿になるか自宅からの通いになるか決まったら、同じ大学、そうでなければ近くの大学を考えてみないか。もう10月も下旬だし、俺のわがままだけど、頼む!」
俺は椅子から立って西田に向かってお辞儀をした。今までこれほど切実に誰かに頭を下げたことがあっただろうか。西田が慌てて頭を上げるように言ったが、俺は頑として下げ続けた。
「佐藤君、分かったよ。母さんに相談してみる。」
西田は困ったように言った。しかし、その声音に喜びが混じっていると思ったのは俺の思い上がりだろうか。
俺は嬉しくてじゃれる犬のように西田に抱きついた。実際はまだ何も決まっていないのだが、それでも少しの前進には違いない。
西田は「苦しいから放してよ。」と迷惑そうに言ったが、俺を振りほどこうとはしなかった。
しばらくの間、先生は黙って俺たちの様子を見守ってから言った。
「せっかくのモンブランがまだ食べさしだぞ。」
西田は恐々と震える手を俺の腕に近づけながら、見開いた目で穴が開きそうなほど傷を見つめていた。
「どうして、どうして……。」と西田は繰り返した。
俺は不思議なくらい清々しい気持ちだった。
「君が血が出そうなほど自分の腕に爪を立てるのを見ていたら、急に思ったんだ。君の血に俺の血を混ぜて飲んだら、兄弟になれるんだよ。ふふふ。」
「何言ってるの、意味分かんない。それに僕は血なんか出てないよ。」
「そうだな。でもさ、こうでもしたら少しは西田が俺を信じてくれるような気がしてさ。兄弟なら、君だって俺を頼りやすいだろ、変に気を遣うこともないだろ。一人になることもない。」
「本当に、なんなの、君って本当にバカだね!」
「そうさ、バカさ。」
俺は眩しいものでも見るような目つきで西田を見た。西田は照れくさそうにうつむいた。それから心配そうに両手を俺の腕に添え、ぐんぐんと傷に顔を近付け、そして、舌を血肉に這わせ、ゆっくりと舐め取っていく。しかし、すぐに新たな血があふれた。
「西田、きりがないし、俺の血なんて汚いぞ。」
「そんなことないよ、君のならなんでも美しいよ。……前にも言ったでしょ。」
俺は君のほうこそ美しいと心中でひとりごち、その言葉を君の変わらぬ心だと受け取った。とすると、俺を突き放すような言葉は、やはり本心の裏返しなのだろう。
先生が別の部屋から救急箱を持ってきて手当てしてくれた。消毒が滅茶苦茶に沁みて、燃えるようだった。
「佐藤君、私は時々思うんだが、君が一番マゾヒストかもしれんな。」
先生が真面目くさった調子でそんなことを言うから、俺は思わず吹き出してしまった。
「先生、変なこと言わないでくださいよ。」
俺がやんわり否定すると、何故か西田も先生に同意した。俺は二人の言葉にあまり納得はしていなかったが、愉快な気分だった。
先生は消毒がすんだ傷にガーゼを当てると、サージカルテープを丁寧に巻いていく。それを見ながら俺は言った。
「西田、俺は世間的な幸せより君といられるほうが嬉しいんだよ。西田は家庭環境もあって憧れがあるのかもしれないけど、本当だよ。だから気にするなよ。」
「佐藤君……。」
「一番初めのころ、西田が先生からの手紙を俺に渡してくれただろ。あの手紙の中身、西田は知ってる?」
「知らない。」
「あれさ、肛門性交マニュアルだったんだぜ。しかも細かい几帳面な文字でびっしり書いてあったな。」
「えっ……噓でしょ。かなり気持ち悪いかも。」
西田はじろっと先生を見た。先生は自分の話しをされているのに(しかも気持ち悪いかもとまで言われたのに)どこ吹く風で、一切表情は変えずに、むしろいつもに増して上品そうな澄まし顔にも見え、俺は妙に感心してしまった。
「そんな気持ち悪い手紙をもらって、俺はのこのこ先生に会いに化学準備室に行ったわけだ。だから、俺も初めっからイカれてたんだよ。君の言葉を借りるなら、“同じ穴の狢”だ。」
「うん。」
西田は泣き笑いのような顔をしていた。俺は深い安堵のため息をついた。
「だから一度、進路のこと、お母さんに相談してみてよ。それで下宿になるか自宅からの通いになるか決まったら、同じ大学、そうでなければ近くの大学を考えてみないか。もう10月も下旬だし、俺のわがままだけど、頼む!」
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「佐藤君、分かったよ。母さんに相談してみる。」
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俺は嬉しくてじゃれる犬のように西田に抱きついた。実際はまだ何も決まっていないのだが、それでも少しの前進には違いない。
西田は「苦しいから放してよ。」と迷惑そうに言ったが、俺を振りほどこうとはしなかった。
しばらくの間、先生は黙って俺たちの様子を見守ってから言った。
「せっかくのモンブランがまだ食べさしだぞ。」
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