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憧れの師匠3
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師匠は憂いを帯びた表情でなめらかな曲線を確認するように指先を滑らせて、絹の布の上にそっと簪を置いた。満足いく出来らしい。
「まあいいだろう」
「とても素敵です。お嬢様もきっと喜んでお使いになるでしょう」
任寛はうすくほほ笑んで、浩易に向き直った。
「ところで浩易の簪はどう? そろそろ打ち出しできた?」
「はい」
浩易は笑みを消して背筋を伸ばした。
趙家からは娘の嫁入り道具として複数の依頼があり、浩易は夏用の簪を作るように言われている。もちろん一人ですべてを任されることはなく、地金を叩いて土台の簪を作るところを任されただけだ。
「では見せてごらん」
「はい」
急いで作業場に行って主任に倉庫の鍵を開けてもらった。
最近は物騒で、貴石などの素材やできた簪や腕輪が盗まれることがあるのだ。そのため作成中の作品はすべて倉庫にしまうことになった。
棚から布にくるんだ簪を取ってくる。師匠に作品を見せる瞬間は、いつも緊張と期待で心臓が飛び出してしまいそうな気がする。
「どうでしょうか?」
浩易の差し出した簪を見た任寛は、ふうんとかるくうなずいて手に取った。その指先の白さにハッとする。
桜色の爪がつややかな指先で、研磨の具合を確かめるために簪をつうっとなぞって、師匠はうっすら目を細めた。それがやけに艶めいて見えて、浩易はうろたえた。
それ以上、師匠を見ていられなくて胸元の飾り紐に目を移した。
「いいね。色も美しいし、何よりこの曲線が上品だ」
「元の図案が素晴らしかったんです」
簪の元になる図案は任寛が描いている。それを見て浩易は簪を打ち出したのだ。
鍛金は得意だったし、金は比較的やわらかい素材なので失敗しても作り直しがきく。だからまだ経験の浅い自分が選ばれたのだとわかっているが、それでも任寛の図案を作れて嬉しかった。
「だけど平面の図案を見て、想像通りに作れる者はそうはいないよ。やはり浩易に任せてよかったな」
任寛の言葉に思わず頬がゆるんだ。期待に応えられたと思うと誇らしさで体が熱くなる。
「ありがとうございます」
簪の美しさは曲線にある、と浩易は思っている。髪に挿した時の優雅な線は黒髪の美しさを引き立てる。任寛の描く図案はその曲線の美しさが抜きんでていた。
次の簪も任せてもらえるといいな。そんなことを考えていると、任寛が言い出した。
「これには青金石(ラピスラズリ)と真珠を合わせるんだけどね。浩易、青金石を彫ってみるかい?」
パッと顔を上げた浩易は勢い込んで答えた。
「いいんですか? ぜひやりたいです」
この簪には青金石の珠飾りをつける予定だと、出来上がりの図案を見ているから知っている。それを彫らせてもらえると聞いて、一気に気分が上がった。
金無垢に青金石と真珠の簪は名門貴族、趙家の嫁入り道具としては当然だろうが、こんな豪華な簪を任されるなんて初めてのことだ。
「浩易はずいぶんと彫り込んでいるから、期待しているよ」
練習用のクズ石で何度も花びらの彫りこみをしていたことを気づかれていたと知って、浩易は頬を赤くした。
努力を見せびらかす気はない。結果としてどれだけの品物が作れるかが職人の価値だ。ずっと任寛の側にいたいから、必死に頑張っているのだ。
「ありがとうございます。ご期待にそえるよう頑張ります」
早速、素材部に行って青金石を見せてもらった。
「へえ。趙家の簪を彫るのか。そりゃあすごいな」
素材部の男は浩易が見習いに入った時からのつき合いだ。手先は不器用で職人にはなれないが、玉石の目利きに関してはこの工房一と言われている。
自分の父親ほどの年齢で、工房に入った時から親切だった。男は浩易が彫りも任されたと話すと、にこにこと喜んでくれた。
「ここに来た時はまだちっこいガキだったのに、いつの間にか一人前になったなあ」
「ガキじゃない。もう十八だよ」
「そうだったかい。成人したのか。そりゃ背も伸びるはずだ」
ここに来て四年の間に背は頭二つ分ほど伸びて、体つきもがっしりと男らしく成長した。
「背だけじゃない、腕も上がったんだよ」
職人仲間の先輩や同輩たちには言えないが、年の離れた素材部の男にはそんな自慢めいたことも言えた。
「確かにな。趙家の簪なら最高級品だな。こっちの引き出しに入っているから、どれでも好きなのを持っていきな」
布張りの引き出しに並んだ青金石の中から、色や大きさを比較して最適なものを十粒、探した。ためつすがめつして青金石を選び出した浩易は、うきうきした気分で作業場に戻った。
作業場では青金石を見た弟弟子たちが「さすがですね」「彫りを任されるなんてすごい」とちょっとした騒ぎになった。
誇らしいような照れくさいような気持ちでそれを聞きながら、心の中で気合を入れる。任寛の期待を裏切らない彫りを仕上げなくては。
「まあいいだろう」
「とても素敵です。お嬢様もきっと喜んでお使いになるでしょう」
任寛はうすくほほ笑んで、浩易に向き直った。
「ところで浩易の簪はどう? そろそろ打ち出しできた?」
「はい」
浩易は笑みを消して背筋を伸ばした。
趙家からは娘の嫁入り道具として複数の依頼があり、浩易は夏用の簪を作るように言われている。もちろん一人ですべてを任されることはなく、地金を叩いて土台の簪を作るところを任されただけだ。
「では見せてごらん」
「はい」
急いで作業場に行って主任に倉庫の鍵を開けてもらった。
最近は物騒で、貴石などの素材やできた簪や腕輪が盗まれることがあるのだ。そのため作成中の作品はすべて倉庫にしまうことになった。
棚から布にくるんだ簪を取ってくる。師匠に作品を見せる瞬間は、いつも緊張と期待で心臓が飛び出してしまいそうな気がする。
「どうでしょうか?」
浩易の差し出した簪を見た任寛は、ふうんとかるくうなずいて手に取った。その指先の白さにハッとする。
桜色の爪がつややかな指先で、研磨の具合を確かめるために簪をつうっとなぞって、師匠はうっすら目を細めた。それがやけに艶めいて見えて、浩易はうろたえた。
それ以上、師匠を見ていられなくて胸元の飾り紐に目を移した。
「いいね。色も美しいし、何よりこの曲線が上品だ」
「元の図案が素晴らしかったんです」
簪の元になる図案は任寛が描いている。それを見て浩易は簪を打ち出したのだ。
鍛金は得意だったし、金は比較的やわらかい素材なので失敗しても作り直しがきく。だからまだ経験の浅い自分が選ばれたのだとわかっているが、それでも任寛の図案を作れて嬉しかった。
「だけど平面の図案を見て、想像通りに作れる者はそうはいないよ。やはり浩易に任せてよかったな」
任寛の言葉に思わず頬がゆるんだ。期待に応えられたと思うと誇らしさで体が熱くなる。
「ありがとうございます」
簪の美しさは曲線にある、と浩易は思っている。髪に挿した時の優雅な線は黒髪の美しさを引き立てる。任寛の描く図案はその曲線の美しさが抜きんでていた。
次の簪も任せてもらえるといいな。そんなことを考えていると、任寛が言い出した。
「これには青金石(ラピスラズリ)と真珠を合わせるんだけどね。浩易、青金石を彫ってみるかい?」
パッと顔を上げた浩易は勢い込んで答えた。
「いいんですか? ぜひやりたいです」
この簪には青金石の珠飾りをつける予定だと、出来上がりの図案を見ているから知っている。それを彫らせてもらえると聞いて、一気に気分が上がった。
金無垢に青金石と真珠の簪は名門貴族、趙家の嫁入り道具としては当然だろうが、こんな豪華な簪を任されるなんて初めてのことだ。
「浩易はずいぶんと彫り込んでいるから、期待しているよ」
練習用のクズ石で何度も花びらの彫りこみをしていたことを気づかれていたと知って、浩易は頬を赤くした。
努力を見せびらかす気はない。結果としてどれだけの品物が作れるかが職人の価値だ。ずっと任寛の側にいたいから、必死に頑張っているのだ。
「ありがとうございます。ご期待にそえるよう頑張ります」
早速、素材部に行って青金石を見せてもらった。
「へえ。趙家の簪を彫るのか。そりゃあすごいな」
素材部の男は浩易が見習いに入った時からのつき合いだ。手先は不器用で職人にはなれないが、玉石の目利きに関してはこの工房一と言われている。
自分の父親ほどの年齢で、工房に入った時から親切だった。男は浩易が彫りも任されたと話すと、にこにこと喜んでくれた。
「ここに来た時はまだちっこいガキだったのに、いつの間にか一人前になったなあ」
「ガキじゃない。もう十八だよ」
「そうだったかい。成人したのか。そりゃ背も伸びるはずだ」
ここに来て四年の間に背は頭二つ分ほど伸びて、体つきもがっしりと男らしく成長した。
「背だけじゃない、腕も上がったんだよ」
職人仲間の先輩や同輩たちには言えないが、年の離れた素材部の男にはそんな自慢めいたことも言えた。
「確かにな。趙家の簪なら最高級品だな。こっちの引き出しに入っているから、どれでも好きなのを持っていきな」
布張りの引き出しに並んだ青金石の中から、色や大きさを比較して最適なものを十粒、探した。ためつすがめつして青金石を選び出した浩易は、うきうきした気分で作業場に戻った。
作業場では青金石を見た弟弟子たちが「さすがですね」「彫りを任されるなんてすごい」とちょっとした騒ぎになった。
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