自転車センパイ雨キイロ

悠生ゆう

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 高校生活にもすっかり慣れた六月のある日の朝、私はバスに乗り込んだ。梅雨入りのニュースはまだ聞かないが、もう間もなく梅雨入り宣言される頃だと思う。
 それほど混んではいないけれどバスは電車よりも苦手だ。独特の匂いや圧迫感に気分が滅入る。それでも駅から出る始発のバスに乗るため、座席に座れるのが救いだ。
 バスには、一人掛け、二人掛け、そして最後尾の五人掛けの座席がある。バスに乗るときは、いつも一人掛けの座席に座るようにしていた。だがその日は一人掛けの座席が埋まっていたために、二人掛けの窓際に陣取った。
 出発してしばらくすると、バスはひとつ目のバス停で停車する。そして何人かの乗客が乗り込んだ。その中の一人が私の座る座席の横に立った。
「すみません、隣、いいですか?」
 軽やかだけど少し落ち着いた感じの女性の声に、私は少し顔を上げて「どうぞ」と答える。その女性は私と同じ制服を着ていた。リボンの色で三年生だと分かる。私は途端に緊張してしまった。少しでも邪魔にならないように体を窓際に寄せる。
「ありがとう」
 彼女は小さく言って私の隣に座った。
「一年生だよね? 朝練?」
「あ、いえ。人混みが苦手なので早く来ているだけです」
「そうなんだね」
「えっと、センパイは?」
「私も似たようなものかな」
 そこで会話は途切れれてしまう。同じ学校とはいえ面識のない三年のセンパイとの共通の話題なんてない。そもそも私はコミュニケーション能力が高くはないのだ。なんだか妙に緊張するし居心地が悪い。
 するとセンパイが突然手を伸ばして私の前髪を上げた。びっくりして体を引いたので、窓にゴチンと後頭部をぶつけてしまう。
「あたっ」
「ゴメンね、急に」
 なぜかセンパイの方が私よりもびっくりした顔をした。
「あ、い、いえ。えっと、何でしょうか?」
 寝ぐせでも付いていたのだろうか。私、ぶつけた後頭部をさすりつつ髪を直す。
「もしかして、いつもは自転車だったりする?」
「はい……そうですけど……」
 するとセンパイはクイズに正解したかのようにうれしそうな笑みを浮かべる。チラリと顔をのぞかせた八重歯を見たら、なぜだか少し落ち着いた。
「やっぱりそうだ。いつも見かける子かなって思ったんだ。自転車の時は風で前髪が上がってたから、ちょっと確かめちゃった」
「あ、そうなんですね」
 おでこ全開で走っている姿を見られていたなんてちょっと恥ずかしい。もしかして鼻歌を歌っていたり、思い出し笑いをしたりしているところも見られているかもしれない。
「今日はバスなんだね」
「はい。雨なので」
「そっか。それじゃあ雨の日はまた一緒になるのかな?」
「はい、多分。大体いつもこれくらいの時間なので」
「え? でも、いつも見かけるのって、もっと学校の近くだよね? ん? あれ?」
 センパイは何度も首を捻る。その様子が少し面白くて思わず笑いそうになるのを必死で堪えた。私も最初は同じことで首を傾げたのだ。
「自転車でもバスでも、学校までの時間は大体同じなんですよ」
「どうして? 自転車のスピードがものすごく早いの?」
 センパイは不思議そうな顔をしながら、両手を回してペダルを漕ぐような仕草をする。私はついに堪えられなくなって吹き出してしまった。
「ご、ごめんなさい。えっと、自転車では車が少ない道を通るから、ちょっと距離が近いんだと思います。それに、バスは停留所に停まる時間があるので」
「なるほどね」
 自分で導き出した答えをセンパイに披露すると、センパイも納得したように何度も頷いた。
 最初は気まずいと思っていたのに、いつの間にかセンパイと普通に会話ができていた。
 学校前のバス停でセンパイと一緒にバスを降り、玄関まで並んで歩く。そして玄関でセンパイと別れてから、名前も聞いていなかったことに気が付いた。
 教室にはまだクラスメートの姿はない。登校している人もいると思うけれど、朝練で登校した人はギリギリまで部活に出ているので、遅刻寸前に教室に飛び込んでくる。
 静かな教室は嫌いじゃない。私は窓際の自分の席に座り頬杖をついた。バスで会ったセンパイも今頃自分の教室で私と同じようにぼんやりとしているのだろうか。
 部活にも入っていないので上級生と話す機会なんてほとんどない。だからセンパイと話せたことがちょっとうれしく感じるのかもしれない。
 そんなことを考えているといつの間にか随分時間が経っていたようで、クラスメートたちが次々と登校してきていた。
「おはー」
 元気な声と共に藤花が背後から飛びついてきた。
「おはよう。どうしたの? 早いじゃん」
 私が言うと藤花は体を離して自慢気に胸を反らせた。
「でしょう? 褒めていいよ」
 すると少し遅れてやってきた桃が藤花の横に立つ。
「褒めなくていいよー。いつも遅刻ギリギリだから、今日はわざわざ私が起こしに行ったんだからー」
「えー? 友だちに起こしてもらうってどうかと思うよ」
「桃! それは内緒にしてって言ったのに!」
 そうして藤花と桃がギャーギャーとじゃれ合うのを眺めた。入学してはじめて私に声を掛けてくれたのが藤花だ。明るくて元気がいい藤花はとても話しやすくてすぐに仲良くなった。桃は藤花の幼なじみらしい。おっとりした印象の桃だけど、実は三人の中で一番しっかり者のお姉さんタイプだった。
「大体、学校まで歩いて通える距離で遅刻って恥ずかしいよ。ちゃんと自分で起きられるようになりなよ」
 私が言うと藤花は苦笑いを浮かべて頭を掻く。
「逆に近いから油断しちゃうっていうか」
 すると桃がすかさず口を挟む。
「藤花ちゃんが夜更かししてるからだよ。早く寝て早く起きようね」
「桃! 私、そんなに子どもじゃないから!」
 そんな風に三人で笑いながら話していると、いつの間にか始業のベルが鳴っていた。
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