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本編補完話
社長の初恋(2-12後)
しおりを挟む2.契約 12契約の後の松永と坂本の話です。
side松永 美冬
「じゃあ、仕事に行ってくる」
「うん」
坂本と連れ立ってリビングを出る松永の後ろを、雪也はゆっくりと着いてきた。
廊下を通って玄関に出て靴を履いている最中も、その姿はずっと傍らにある。
にこにこと微笑みながら松永を見るその姿がうっかり大型犬に見えて、松永は雪也の頭に手を伸ばした。
「わわ……」
「いいこにしてろよ」
背後から坂本の視線が突き刺さってくる。
大学時代からの友人であるこの男は、忠実な部下であると同時に非常に愉快犯なのだ。
顔は無害だというのに。
「ねえ、雪也」
「?」
雪也の顔が坂本を向く。
首を傾げる仕草も可愛い。
反して坂本は、口角をかつてないほどに引き上げた。
嫌な予感がする。
「社長が帰ってきたら、ぜひ玄関で“おかえり”ってお出迎えしてあげてください」
「???!!!」
坂本はこれ以上ないくらいの笑顔で雪也に入れ知恵を披露した。
思わず体が硬直して雪也の頭から手が離れる。
「おかえり?」
「そう。家を出る時は“いってらっしゃい“」
雪也は口の中で小さく“おかえり“と“いってらっしゃい”を練習してから、松永に向き直った。
「いってらっしゃい?」
はにかんだような照れたような笑顔が眩しい。
これでいい?というように、垂れ目に合わせて眉毛の角度も下がっていて、松永の頬も思わず緩んでしまう。
雪也の頭を褒めるように撫でると、やっと安心したのか力の抜けた笑顔を返してきた。
「ああ……いってきます」
「いってきます」
必死で表情を取り繕って、坂本と二人で玄関を出る。
オートロックで閉ざされた扉に背を向けて、エレベーターホールまで足早に移動した。
扉が閉まるが早いか否か、にやにやとした坂本を睨みつける。
坂本は不本意だというように眉を上げた。
「睨むことないでしょう。協力してあげたのに」
「お前な……」
坂本の鞄にしまわれた一枚の紙切れを思ってため息を吐く。
雪也のメリットを追求したようで、松永の利益を最大限にするための契約書だ。
契約書の最後にはお世辞にも綺麗とは言えない字で書かれた“ゆきや“というサインがある。
坂本が契約内容を変更すると提案した時にはすでに準備があった。
用意周到すぎて、自分の腹心ながら呆れが先行する。
「社長の初恋を応援しようという健気な副社長兼優秀な秘書兼友人の何が不満なんです?」
「……初恋とかいうな。三十路すぎた男が恥ずかしい……」
松永は坂本の口調に頭を抱えて項垂れた。
「でも否定しないじゃないですか。好きになってしまったんでしょう?」
揶揄うでもなく告げられた言葉に、うっ、と息をつめる。
社長としての威厳も何もあったもんじゃない。
当の坂本は、エレベーターを降りて地下駐車場を歩き始めている。
「どうりで妖艶な美女にも淫乱な美少年にも靡かないわけですよ。社長が求めていたのはゴールデンレトリバーの癒やしでしたか」
「……その例えはやめろ。想像するだろ」
松永は先程雪也に大型犬を重ね合わせたことを棚に上げて坂本を制した。
だがきっと、これからも雪也は犬のように松永に懐いてくるのだろう。
自分の言葉に一喜一憂する雪也に犬耳と尻尾が生えているのを想像して耳まで顔を赤くした。
坂本のいう初恋を肯定しているも同然の状態に、羞恥を覚える。
いや、断じて違う。
可愛いとは思う、思うが。
雪也は、自分の商品なのだ。
それ以上の感情をもってはならない。
自分の心に芽生えた感情を恋と明言するには、松永は大人になりすぎていた。
「……初恋も拗らせると厄介だと言いますし、こっちも面倒なので、早くくっついてくださいね」
「本音はそれか」
坂本が面倒を顔に書いているのを横目で見て、松永は後部座席に乗り込んだ。
運転席に回り込んだ坂本がシートベルトを引っ張り出しながら松永を振り返る。
「……なんだよ」
この話を終わりたい一心で眉を寄せる。
坂本はため息をつきながらフロントガラスに向き直った。
「あなたが、私が結婚した時に砂を吐きそうな顔になっていた理由がようやくわかりました」
ゆっくりと進み出した車に揺られながら、理解したくないのに坂本の心情を理解した。
坂本が恋人といちゃついているのを見せられた時の気持ちがこれだ。
「……でも、気をつけてあげてくださいね」
何に、と問わずとも雪也のことだろう。
不安に揺れる瞳と、へらへらと幸せそうに笑う顔が、松永の心を騒がす。
何か言いたげに開いては閉じる唇。
自分の本当の名前も明かさなかった。
ふらりと松永の前に現れた時を思い出す。
何か、目的があったはずなのに。
松永の役に立つことが、幸せであると、身体中で表現して。
「……まさか美人局じゃ無いよな?」
「あなたは馬鹿ですか」
坂本がゴミ屑を見るような目で松永を睨め付ける。
茶化しただけだ。わかっている。
少なくとも、雪也の好意に嘘はなかった。
「……わかってるよ。わかってる」
でも馬鹿な俺は、これを恋と呼ぶのが怖いんだ。
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