蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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我が愛しの猟犬

9.

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 少し、白々しかったかもしれない。
 白鳥の視線に気付いて、話題を逸らす。

「そこがいいんです。俺は、あいつの融通が利かないほどの真面目さを信頼しています」
「九雀。君と真田くんは対照的なようでいて、どこか似ているな」

 白鳥は面白がったようだ。
 いつでも柔和だが、どこか冷たいようにも見える瞳を、はじめて愉快そうに微笑ませた。

「真田くんも、君と同じだ」
「はあ」
「あれほどこの部屋に呼ばれることを恐れているのに、君の評価に関しては一貫して素晴らしいと言って、わたしに対しても譲らない。君の短所さえ、長所と言い張る」
「あいつ、署長にまでそんなことを言うんですか」
「だから、ほだされたのかね」

 そこを指摘されるとは思わなかったため、九雀は返す言葉を詰まらせた。

「は」
「君は音を上げるどころか、一年で随分といい方向に変わった」
「先程は、よき警官ではないと言われたように記憶していますが……」
「だが、よき先輩であるとは言った。今は、君にも熱意がある。よき先輩であらんとする向上心もある――つまりは、わたしも君を信頼してみる気になった。そういうことだ」
「それは……」

 さらに予想もしなかった言葉だ。
 白鳥は唇を微笑ませたまま続けてくる。

「〈十河頼成の肖像〉の持ち出しを許可しよう。最近ではポスト白鳥を狙っていると言われることもある君が、どう作戦を仕切ってくれるのか、わたしにも興味がある」
「少し、ハードルを上げすぎじゃないですかね」

 額に手を当て呻く九雀に、彼は器用に片目を瞑ってみせた。

「ハードルを上げるほど、君が燃えるたちだと気付いたものだからね」
「……ご期待に添えるよう、頑張りますよ。真田と」

 やっとのことで答え、署長室を後にする。
 ドアを閉めて、九雀は胸のあたりを押さえた。らしくもなく、心臓が忙しなく脈打っている。まさか、白鳥に評価される日がくるとは思っていなかったのだ。いつも、自分の卑怯な部分を見透かされるばかりだと――

「九雀先輩!」

 聞こえてきた声に、どきりとする。視線を上げると、廊下の向こうから歩いてくる後輩の姿が見えた。会議室に丹塗矢夫妻を案内し、戻ってきたらしい。彼女は今にも走り出しそうな、もどかしげな様子で歩いてくると、九雀の前でぴたりと足を止めた。

「首尾はどうでしたか?」

 見上げてくる瞳は、子犬のようにきらきらと輝いている。交渉の成功を信じて疑わない、そんな顔だった。たじろぎながら、九雀は答えた。

「あ、ああ。肖像画の持ち出しは、許可が下りた」
「さすがです、先輩。では、保管庫の方へ行きましょう」
「金庫の鍵は」
「借りてきました」
「早いな」

 素直に感心する。律華の顔が、いっそう輝く。

「はい! 必ず必要になると思いましたので」
「必ず、か」
「はい。先輩は民間人の安全を優先するとおっしゃりながら、丹塗矢氏のご希望にも可能な限り添えるよう配慮されました。警官として筋を通しつつ、異能者相手にも角を立てない見事な折衷案だと思います。白鳥署長が、許可しないはずがありません」

 そこまで持ち上げられてしまうと、

「お、おう……」

 としか言いようがない。律華が顔を綻ばせ、続けてくる。

「やはり、先輩は理想の警官です。自分も、もっと先輩のやり方を見習わなければ」

 本人は真面目なのだろうが、聞いている方は赤面したくなってしまう。
 九雀は顔を押さえて、小さく呻いた。

「これだもんなー。投げ出せるわけねえだろ。まったく」
「はい?」
「確かに、期待されるほど応えたくなるたちなのかもな。俺」

 署長室での会話を知らない律華は、首を傾げているが――

「行くぞ、後輩ちゃん。ハードルを上げた責任取って、お前にも頑張ってもらうからな」
「はい、九雀先輩。頑張ります!」

 促すと、彼女は大きく頷いた。
 そんな後輩を頼もしく思いながら、九雀は一度だけその背中を叩いた。丹塗矢夫妻を待たせた会議室へ戻る前に、もう一カ所だけ寄らなければならない場所があった。白の部屋――留置所の看守たちからはそう呼ばれている。白鳥の署長室ではない、とある男が拘留されている居室だ。

 土岐秀俊。
 本名を十河頼成という。呪症管理協会の祖、十河東次郎が愛した三男。
 おぞましい肖像画の持ち主にして、シヴィル・ヴェインの毒事件における被疑者である。また、それ以前の事件においても彼は激しい感情を抱いた人たちに特定古物を与えた。

「やあ。九雀くんに、律華さん」

 まるで留置所とは思えない。広さこそないものの快適さの優先された白の部屋で、その男はいつもと変わらず悠然と佇んでいた。

「担当官から話は聞いているよ。わたしの肖像を、囮に使うのだとか?」

 まるで作り物めいた美しい唇を皮肉に歪ませ、彼が言った。

「ああ。事後報告になっちまうが、一応言っておくのが筋かと思って寄らせてもらった」

 九雀は頷く。

「律儀なことだね。だが、できれば知りたくはなかったかな」

 彼にしてみればそうだろう。
 なにせ自分の心臓を、犬の鼻先にぶら下げられるに等しいのだから。

「律華さんも、まさか止めてくれないとは思わなかった」

 矛先を向けられ、律華が肩を竦める。

「人の命を奪った分、今度は人助けをして償うべきだ」
「そうはいっても自らの意思で命を賭してこそ、じゃないか」
「お前がその気になるのを待っていたら、わたしたちは定年を迎えてしまう」
「それにしたって、あんまりだ。村岡のカメラ事件で、わたしは君を助けたのに」

 往生際の悪い男だ。
 以前の事件まで持ち出す彼に、律華が頷く。

「分かっている。お前に殺されかけ、そして命を救われた」
「だから貸し借りはなしだと、そう言いたいのかな」
「いや――肖像画を運ぶ役目は、わたしが引き受けることになっている」

 そう言って、彼女は小脇に抱えていた革製の袋を軽く叩いた。中身は、肖像画だ。

「その意味は、分かるだろう?」

 と、九雀は後輩の言葉を引き継いだ。

「なるほど」

 土岐が頷く。美しい顔に、ようやく妥協めいたものを浮かべ――

「一応、肖像画を守ってくれる気はあるということか」
「当たり前だ。俺たちだって、お前を殺すわけにゃいかない」
「どうだか。少なくとも九雀くんは、わたしを殺したいのだと思っていたが……」

 突拍子もなく殺意を疑われ、九雀は顔をしかめた。

「なんだ、その被害妄想は」
「被害妄想かな。わたしの目的を思えば、飼い主様としては気が気ではないはずだよ」
「お前の目的……?」

 訊き返し、九雀は思い出した。いや、忘れていたわけではなかったが、取るに足らないことだと気にも留めていなかった。
 ――彼女の堕落を見て、高潔な魂などなかったと世界を嘲笑ってやる。
 土岐がそう言ったのは、村岡のカメラ事件のときだったか。

「まさか、忘れていたと? 呑気な飼い主様だね」

 土岐が薄く笑う。

「わたしは、諦めていないよ」
「暇人め。もっと他に、やることあるだろ」
「痛烈な皮肉だ」
「ああ――そうだったな。お前にゃ、他にやることなんてねえか」

 薄灰色の瞳を見ながら、九雀は律華に声をかけた。

「先に、外に出ていてくれないか」
「先輩?」
「こいつには少し言い聞かせないとならないみたいだ」

 指導するのは後輩だけで十分なんだけどな、と口の中でぼやく。

「分かりました。なにかあったら呼んでください」

 律華は緊張気味に頷き、部屋の外へ出て行った。土岐は意外そうな顔をしている。




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