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Presto 〔急速に〕
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フランスでの演奏会を経て。奏始たちのもとにはまた多くの依頼が舞い込んできている。
それはいい。とてもいいことだ。
だが、今回のコンサートを経て奏始は大きく2つの問題を抱えることとなった。
1つ。初めて抱いた恋心について。
2つ。オメガ性をどうするかということについて。
宮瀬を見ていると些細なことで動悸がする。ここ最近の症状だ。
例えば。ピアノの練習には宮瀬の家を使わせてもらっているのだが、宮瀬の家に行くと必ず食事を取らされる。以前はそれがピザだったり、デリバリーの物が多かったのだが、最近は宮瀬の手料理が出てくる。「料理に目覚めたのか?」と聞くと、曖昧な表情と返事が返ってくるのみ。そして宮瀬の料理はどれも美味しい。素直にそう口に出せば「当たり前だろ」と言うだけのくせに、食事する奏始をじっと眺めては、何やらひどく満足気な様子を見せる。それらが奏始を動揺させる。
他にも変わったことがある。宮瀬がやたら奏始に物を買ってくるようになったのだ。これまでもスーツやら鞄やら、宮瀬に助けてもらったものはたくさんあったが、それらは全てユニットを組む上で必要な物だった。だけど、最近奏始が宮瀬からもらった物と言えば大量の服、マグカップ、お菓子、その他たくさん。ラインナップは多岐にわたる。大量に、しかも俺では絶対に手が出せないような服をもらった時は全力で辞退しようとしたのだが、いらないなら捨てるしかないと言われて渋々受け取ることになった。しかし正直なところ、手持ちがファストファッションしかなかった奏始にとっては非常に有り難いものだった。演奏会だったり、人に会わなければならないときに使わせてもらっている。
と、まあ目立つところだとこんなところか。
細かいところを言い出せば他にもたくさんあるが、まとめて言えばこの言葉に尽きる。
なんだか最近、宮瀬の態度が甘い。
「それはもう脈があるとかいうレベルじゃないよ。ありすぎて血管破裂するよ?」
「だよな~。勘違いじゃないよな?」
「っていうか惚気? 俺、今カップルの惚気聞かされてる?」
やってられない、と首を振って愁がビール缶を思い切り煽った。
久しぶりの愁との飲みだ。
同じだった職場を辞めてしまっても、愁との交流は続いている。Ωとして同じような境遇を辿ってきた愁は、互いになんでも話せる仲だ。だからこそ、今相談したいことがたくさんあった。
「もうさ、顔もだけど全部あっまいの。でろでろに甘い。あれが演技だったらもう俺は人間を信じられない」
俺の言動に対して、くしゃっと顔を崩して笑ったり、仕方ないなぁと眉を下げて微笑んだり。そんな一つ一つが奏始の鼓動を速くさせる。
「ねぇ、最近の発情期はどうしてたの? もうヤッた?」
あまりにもあけすけな問いに顔を顰めながら、奏始は首を横に振る。
「適当なやつ捕まえてた。しかもそれバレてると思う。あ゛ー! こんなことになるなら抑制剤でなんとかしとけばよかった」
「なるほど。クソビッチだと思われてるわけだ」
容赦のない言葉が刺さる。ぐっと言葉に詰まる奏始をしらっとした顔で見ながら、愁はつまみのナッツを口に放り込んだ。
「ま、どうせ無理でしょ。発情期を一人で耐えるなんてドMのやることだよ。そんなことしてたら早々に気が狂っちゃう」
「……だよな~」
発情期の苦しさはΩにしかわからないものなんだろう。心と相反して体が熱を持つ。その熱は理性を蝕み、やがて思考を溶かす。
体の中の淀みを吐き出すように、長く息をつけば酒気が漂った。
「でもバレてる上で脈アリなわけでしょ? じゃあ問題ないじゃん」
愁の指摘は正しい。今更何をと思う部分もある。でもそうじゃないのだ、と思う自分もいる。
後ろめたいまま宮瀬と関わっていたくない。全て曝け出して、その上で受け入れてほしいという傲慢。奏始は宮瀬が好きだ。音楽を分かち合う者としてだけじゃなく、恋愛的な意味で。番にしてほしいという意味で。そして宮瀬も同じ気持ちを持ってくれているのではないかと感じている。でも番になるということはとても重いことで、そして今の関係を大きく変えることでもある。ユニットが軌道に乗ってきている今、果たしてバランスを崩しかねないことをしていいのか。そんなことをずっと悩んでいる。いや、正直に言えば恐れている。
「……俺ってこんなにビビりだったっけな」
ぽつりと零すと、愁は一瞬目を丸くして、そして鼻で笑った。
「誰だってビビるでしょ。オメガにとって恋人や番ほどリスキーな話ってないもん」
リスキー。口の中で言葉を転がしてみる。奏始にとってリスクのあることとはなんだ。宮瀬との関係が崩れること。番になってから別れてしまうこと。このまま番を見つけられないままでいること。オメガであることが世間にバレて宮瀬が糾弾を受けること。音楽を続けられなくなること。
でも1番は。宮瀬に他の番が出来て、奏始が隣にいられなくなること。想像しただけで胸が引き絞られるように痛んだ。心はもう自分が1番したいことをわかっている。
「……しゃーない。やるか~」
天を仰ぐと、脳がぐらりと揺らいだ。酔っているのかもしれない。上等だ。すでに幻みたいな今を生きている。これ以上何が起こるというのか。
「ダメだったら慰めてあげるよ」
やけに優しげな顔で言う愁に、掴んだナッツを思い切り投げてやった。
心を決めてから3日、奏始は待った。
愁と話した次の日は外で次のコンサートの打ち合わせがあった。その次の日は宮瀬が用事でいなかった。そして今日。宮瀬のマンションの扉の前。今にも飛び出そうな心臓を抑えるために深呼吸してから奏始は合鍵でドアを開けた。まるで決戦に挑む気分だ。恋愛というものをこれまでの人生から排除してきた。必要なかったからだ。恋愛や、それに絡むαというものは人生を破壊するものでしかなかった。だから、この恋心は奏始にとって初めてのことで、そしてできれば人生において最初で最後にしたい案件だ。
「今日は遅かったな」
「ん」
「なにかあったか?」
リビングで出迎えてくれた宮瀬は、いつも通りの様子だ。対して奏始の様子はきっと変だろう。首を傾げる宮瀬に、首を振ってみせた。大丈夫だ、落ち着け。
「……話がある」
思うより随分と硬い声が出た。なんなら震えて聞こえたかもしれない。俺の尋常ではない様子に、宮瀬が身を乗り出す。
「おい、どうした?」
「あのさ」
眉を寄せて奏始を見据える宮瀬に、すっと気持ちが落ち着いた。目の前の人は俺のことをこんなに心配してくれるのだ。それが嬉しい。
「……初めて会った時のこと覚えてるか?」
唐突な話題に宮瀬が戸惑うのがわかる。それでも微かに頷いてくれたので、俺も笑って頷き返す。
「クソα様」
ぴくりと宮瀬の肩が揺れる。今でも鮮明に思いだせる。出会いは衝撃だった。雷に当てられたような、嵐に巻き込まれたような。
「って言ったよな。それでお前は俺のことをドブ育ちって言った」
「……それは言ってないだろ」
「うるさい。黙って聞け」
わかっている。あれは奏始の才能を宮瀬なりに評価してくれたんだろう。ふふ、と息を漏らすと奏始がからかったことが分かったのか、宮瀬が不満げに口を結んだ。
「俺はαが大嫌いで、Ωはもっと大嫌いだ。それは今だって変わらない。でもお前のことは好きだよ」
は、と息を呑む音がした。まるで時間が止まったかのように宮瀬がぴたりと静止している。半開きの口がちょっと間抜けだ。
「はは、聞こえてるか? 底抜けに綺麗で、底抜けに優しいお前の音楽も、お前のちょっと強引で、でも傲慢にはなれない繊細な性格も、αだってとこも。全部愛してるって言ってんだよ」
心臓がバクバクと音を立てている。宮瀬にも聞こえているかもしれない。苦しい。頭の芯がじんと痺れているようだ。でも宮瀬の表情や息遣いはくっきりとわかる。
「で? 答えは?」
「……は? いや、お前」
思いっきり顔を歪めたかと思えば、項垂れてしまった宮瀬の表情は読めない。その内、肩が揺れ始めた。小刻みな揺れはどんどん大きくなって、終いには声を出して笑い始める。やっと上がった視線が奏始を捉えた時には、目尻に涙すら滲んでいた。
「お前、どこまで男前なんだよ」
「お前が言わないからだろ」
「ははは、確かに俺が悪い。でもだからってお前」
もはや笑い崩れていると言うのが正しいだろう。キッチンカウンターの端に手をかけてやっと立っているという様子の宮瀬は、ひとしきり笑い終えると掌で頬を擦った。宮瀬のあんまりな反応に奏始はむくれて腕を組んだ。そんな奏始を見て、また笑いの発作が込み上げてきたらしい宮瀬が、大きく咳払いをした。次いで深く息を吸う。
「あー、苦しい」
「なんなんだよ」
「はは、悪かったって。ちょっと待ってろ」
寝室の方へ消えた宮瀬を見送って、奏始は思い切り息を吐いた。ああ、緊張した。自分の想いを伝えるというのがこんなにも苦しいものだとは思わなかった。でも宮瀬の反応はよくわからなかった。ものすごく笑われた。悪感情はなさそうだけど、解せない。告白ってもっとロマンチックな雰囲気になるもんじゃないのか。
「香坂」
戻ってきた宮瀬が奏始に近づいてくる。その手には小さな箱のようなものがあった。
「……お前は本当にすごいよ。絶対に敵わない」
徐ろに奏始の前に宮瀬が膝をつく。顔に熱が急速に集まるのを感じた。
「色鮮やかで、でもどこまでもストレート音楽も、芯があって誰よりも凛と立ってるところも、ちょっと気が強すぎるとこも、それでいてさり気なく甘え上手なとこも。全部好きだ」
長く整った指が箱を開く。入っていたのは一対のピアス。群青に光を湛えた石が埋められている。美しいその石の名前を奏始は知らない。
「指輪はさすがに早すぎるし、ネックレスも演奏の時に邪魔になるし、とかいろいろ考えてピアスにしたんだ」
温かい指が耳に触れて、奏始は首を竦めた。思考はぴたりと止まっている。何も考えられない。宮瀬の優しい笑みだけが奏始の思考の中にある。
「仕立ててる間に、まさかそっちも覚悟決めてて、結局先に言われるとは思ってなかったな。はは、お前のそういう思い立ったら即行動みたいなとこも好きだよ。そのおかげで先越されたけど」
ぱくぱくと口を開閉させるだけの奏始を見て、宮瀬がまた笑う。してやったり、というような表情に胸がきゅっと引き絞られた。ああ、目の前のαが最高に格好いい。でも奏始には1つ言わなければならないことがある。
「つけていいか?」
「あのさ……ごめん。俺、耳に穴開けてない」
「……」
沈黙が数秒。弾けるように笑いが込み上げてきて、奏始は体を2つに折った。涙で滲む視界に見える宮瀬もまた、腹を抱えて咳き込むように笑っている。
「おまっ、なん、ははは! こんなベタなことしといてっ、そんなオチ」
「俺のセリフだろ! 穴くらい開けとけよ!」
「理不尽!」
こんなに腹の底から笑ったのなんかいつぶりだろう。横腹が引き攣れるようだ。笑いすぎてくしゃくしゃの、普段の澄ました顔が見る影のない宮瀬が、奏始にそっと手を伸ばす。伸ばされた手を握ると、ぐっと引き寄せられた。そのまま唇が重なる。二人とも笑いの余韻でまだ体が震えている。こんなに甘いキスは初めてだ。
「はは、ロマンチックの欠片もない」
「誰のせいだよ」
「でも最高だろ?」
「……ほんと最高だよ」
宮瀬が悔しげに言うものだから、また腹の底から笑いが込み上げてきて奏始は顔を伏せた。Ωだとかαだとか。まだ話し合うべき問題は残っている。でも今この瞬間、そんなことはどうでもよくて、ただ宮瀬が好きだと思えた。
それはいい。とてもいいことだ。
だが、今回のコンサートを経て奏始は大きく2つの問題を抱えることとなった。
1つ。初めて抱いた恋心について。
2つ。オメガ性をどうするかということについて。
宮瀬を見ていると些細なことで動悸がする。ここ最近の症状だ。
例えば。ピアノの練習には宮瀬の家を使わせてもらっているのだが、宮瀬の家に行くと必ず食事を取らされる。以前はそれがピザだったり、デリバリーの物が多かったのだが、最近は宮瀬の手料理が出てくる。「料理に目覚めたのか?」と聞くと、曖昧な表情と返事が返ってくるのみ。そして宮瀬の料理はどれも美味しい。素直にそう口に出せば「当たり前だろ」と言うだけのくせに、食事する奏始をじっと眺めては、何やらひどく満足気な様子を見せる。それらが奏始を動揺させる。
他にも変わったことがある。宮瀬がやたら奏始に物を買ってくるようになったのだ。これまでもスーツやら鞄やら、宮瀬に助けてもらったものはたくさんあったが、それらは全てユニットを組む上で必要な物だった。だけど、最近奏始が宮瀬からもらった物と言えば大量の服、マグカップ、お菓子、その他たくさん。ラインナップは多岐にわたる。大量に、しかも俺では絶対に手が出せないような服をもらった時は全力で辞退しようとしたのだが、いらないなら捨てるしかないと言われて渋々受け取ることになった。しかし正直なところ、手持ちがファストファッションしかなかった奏始にとっては非常に有り難いものだった。演奏会だったり、人に会わなければならないときに使わせてもらっている。
と、まあ目立つところだとこんなところか。
細かいところを言い出せば他にもたくさんあるが、まとめて言えばこの言葉に尽きる。
なんだか最近、宮瀬の態度が甘い。
「それはもう脈があるとかいうレベルじゃないよ。ありすぎて血管破裂するよ?」
「だよな~。勘違いじゃないよな?」
「っていうか惚気? 俺、今カップルの惚気聞かされてる?」
やってられない、と首を振って愁がビール缶を思い切り煽った。
久しぶりの愁との飲みだ。
同じだった職場を辞めてしまっても、愁との交流は続いている。Ωとして同じような境遇を辿ってきた愁は、互いになんでも話せる仲だ。だからこそ、今相談したいことがたくさんあった。
「もうさ、顔もだけど全部あっまいの。でろでろに甘い。あれが演技だったらもう俺は人間を信じられない」
俺の言動に対して、くしゃっと顔を崩して笑ったり、仕方ないなぁと眉を下げて微笑んだり。そんな一つ一つが奏始の鼓動を速くさせる。
「ねぇ、最近の発情期はどうしてたの? もうヤッた?」
あまりにもあけすけな問いに顔を顰めながら、奏始は首を横に振る。
「適当なやつ捕まえてた。しかもそれバレてると思う。あ゛ー! こんなことになるなら抑制剤でなんとかしとけばよかった」
「なるほど。クソビッチだと思われてるわけだ」
容赦のない言葉が刺さる。ぐっと言葉に詰まる奏始をしらっとした顔で見ながら、愁はつまみのナッツを口に放り込んだ。
「ま、どうせ無理でしょ。発情期を一人で耐えるなんてドMのやることだよ。そんなことしてたら早々に気が狂っちゃう」
「……だよな~」
発情期の苦しさはΩにしかわからないものなんだろう。心と相反して体が熱を持つ。その熱は理性を蝕み、やがて思考を溶かす。
体の中の淀みを吐き出すように、長く息をつけば酒気が漂った。
「でもバレてる上で脈アリなわけでしょ? じゃあ問題ないじゃん」
愁の指摘は正しい。今更何をと思う部分もある。でもそうじゃないのだ、と思う自分もいる。
後ろめたいまま宮瀬と関わっていたくない。全て曝け出して、その上で受け入れてほしいという傲慢。奏始は宮瀬が好きだ。音楽を分かち合う者としてだけじゃなく、恋愛的な意味で。番にしてほしいという意味で。そして宮瀬も同じ気持ちを持ってくれているのではないかと感じている。でも番になるということはとても重いことで、そして今の関係を大きく変えることでもある。ユニットが軌道に乗ってきている今、果たしてバランスを崩しかねないことをしていいのか。そんなことをずっと悩んでいる。いや、正直に言えば恐れている。
「……俺ってこんなにビビりだったっけな」
ぽつりと零すと、愁は一瞬目を丸くして、そして鼻で笑った。
「誰だってビビるでしょ。オメガにとって恋人や番ほどリスキーな話ってないもん」
リスキー。口の中で言葉を転がしてみる。奏始にとってリスクのあることとはなんだ。宮瀬との関係が崩れること。番になってから別れてしまうこと。このまま番を見つけられないままでいること。オメガであることが世間にバレて宮瀬が糾弾を受けること。音楽を続けられなくなること。
でも1番は。宮瀬に他の番が出来て、奏始が隣にいられなくなること。想像しただけで胸が引き絞られるように痛んだ。心はもう自分が1番したいことをわかっている。
「……しゃーない。やるか~」
天を仰ぐと、脳がぐらりと揺らいだ。酔っているのかもしれない。上等だ。すでに幻みたいな今を生きている。これ以上何が起こるというのか。
「ダメだったら慰めてあげるよ」
やけに優しげな顔で言う愁に、掴んだナッツを思い切り投げてやった。
心を決めてから3日、奏始は待った。
愁と話した次の日は外で次のコンサートの打ち合わせがあった。その次の日は宮瀬が用事でいなかった。そして今日。宮瀬のマンションの扉の前。今にも飛び出そうな心臓を抑えるために深呼吸してから奏始は合鍵でドアを開けた。まるで決戦に挑む気分だ。恋愛というものをこれまでの人生から排除してきた。必要なかったからだ。恋愛や、それに絡むαというものは人生を破壊するものでしかなかった。だから、この恋心は奏始にとって初めてのことで、そしてできれば人生において最初で最後にしたい案件だ。
「今日は遅かったな」
「ん」
「なにかあったか?」
リビングで出迎えてくれた宮瀬は、いつも通りの様子だ。対して奏始の様子はきっと変だろう。首を傾げる宮瀬に、首を振ってみせた。大丈夫だ、落ち着け。
「……話がある」
思うより随分と硬い声が出た。なんなら震えて聞こえたかもしれない。俺の尋常ではない様子に、宮瀬が身を乗り出す。
「おい、どうした?」
「あのさ」
眉を寄せて奏始を見据える宮瀬に、すっと気持ちが落ち着いた。目の前の人は俺のことをこんなに心配してくれるのだ。それが嬉しい。
「……初めて会った時のこと覚えてるか?」
唐突な話題に宮瀬が戸惑うのがわかる。それでも微かに頷いてくれたので、俺も笑って頷き返す。
「クソα様」
ぴくりと宮瀬の肩が揺れる。今でも鮮明に思いだせる。出会いは衝撃だった。雷に当てられたような、嵐に巻き込まれたような。
「って言ったよな。それでお前は俺のことをドブ育ちって言った」
「……それは言ってないだろ」
「うるさい。黙って聞け」
わかっている。あれは奏始の才能を宮瀬なりに評価してくれたんだろう。ふふ、と息を漏らすと奏始がからかったことが分かったのか、宮瀬が不満げに口を結んだ。
「俺はαが大嫌いで、Ωはもっと大嫌いだ。それは今だって変わらない。でもお前のことは好きだよ」
は、と息を呑む音がした。まるで時間が止まったかのように宮瀬がぴたりと静止している。半開きの口がちょっと間抜けだ。
「はは、聞こえてるか? 底抜けに綺麗で、底抜けに優しいお前の音楽も、お前のちょっと強引で、でも傲慢にはなれない繊細な性格も、αだってとこも。全部愛してるって言ってんだよ」
心臓がバクバクと音を立てている。宮瀬にも聞こえているかもしれない。苦しい。頭の芯がじんと痺れているようだ。でも宮瀬の表情や息遣いはくっきりとわかる。
「で? 答えは?」
「……は? いや、お前」
思いっきり顔を歪めたかと思えば、項垂れてしまった宮瀬の表情は読めない。その内、肩が揺れ始めた。小刻みな揺れはどんどん大きくなって、終いには声を出して笑い始める。やっと上がった視線が奏始を捉えた時には、目尻に涙すら滲んでいた。
「お前、どこまで男前なんだよ」
「お前が言わないからだろ」
「ははは、確かに俺が悪い。でもだからってお前」
もはや笑い崩れていると言うのが正しいだろう。キッチンカウンターの端に手をかけてやっと立っているという様子の宮瀬は、ひとしきり笑い終えると掌で頬を擦った。宮瀬のあんまりな反応に奏始はむくれて腕を組んだ。そんな奏始を見て、また笑いの発作が込み上げてきたらしい宮瀬が、大きく咳払いをした。次いで深く息を吸う。
「あー、苦しい」
「なんなんだよ」
「はは、悪かったって。ちょっと待ってろ」
寝室の方へ消えた宮瀬を見送って、奏始は思い切り息を吐いた。ああ、緊張した。自分の想いを伝えるというのがこんなにも苦しいものだとは思わなかった。でも宮瀬の反応はよくわからなかった。ものすごく笑われた。悪感情はなさそうだけど、解せない。告白ってもっとロマンチックな雰囲気になるもんじゃないのか。
「香坂」
戻ってきた宮瀬が奏始に近づいてくる。その手には小さな箱のようなものがあった。
「……お前は本当にすごいよ。絶対に敵わない」
徐ろに奏始の前に宮瀬が膝をつく。顔に熱が急速に集まるのを感じた。
「色鮮やかで、でもどこまでもストレート音楽も、芯があって誰よりも凛と立ってるところも、ちょっと気が強すぎるとこも、それでいてさり気なく甘え上手なとこも。全部好きだ」
長く整った指が箱を開く。入っていたのは一対のピアス。群青に光を湛えた石が埋められている。美しいその石の名前を奏始は知らない。
「指輪はさすがに早すぎるし、ネックレスも演奏の時に邪魔になるし、とかいろいろ考えてピアスにしたんだ」
温かい指が耳に触れて、奏始は首を竦めた。思考はぴたりと止まっている。何も考えられない。宮瀬の優しい笑みだけが奏始の思考の中にある。
「仕立ててる間に、まさかそっちも覚悟決めてて、結局先に言われるとは思ってなかったな。はは、お前のそういう思い立ったら即行動みたいなとこも好きだよ。そのおかげで先越されたけど」
ぱくぱくと口を開閉させるだけの奏始を見て、宮瀬がまた笑う。してやったり、というような表情に胸がきゅっと引き絞られた。ああ、目の前のαが最高に格好いい。でも奏始には1つ言わなければならないことがある。
「つけていいか?」
「あのさ……ごめん。俺、耳に穴開けてない」
「……」
沈黙が数秒。弾けるように笑いが込み上げてきて、奏始は体を2つに折った。涙で滲む視界に見える宮瀬もまた、腹を抱えて咳き込むように笑っている。
「おまっ、なん、ははは! こんなベタなことしといてっ、そんなオチ」
「俺のセリフだろ! 穴くらい開けとけよ!」
「理不尽!」
こんなに腹の底から笑ったのなんかいつぶりだろう。横腹が引き攣れるようだ。笑いすぎてくしゃくしゃの、普段の澄ました顔が見る影のない宮瀬が、奏始にそっと手を伸ばす。伸ばされた手を握ると、ぐっと引き寄せられた。そのまま唇が重なる。二人とも笑いの余韻でまだ体が震えている。こんなに甘いキスは初めてだ。
「はは、ロマンチックの欠片もない」
「誰のせいだよ」
「でも最高だろ?」
「……ほんと最高だよ」
宮瀬が悔しげに言うものだから、また腹の底から笑いが込み上げてきて奏始は顔を伏せた。Ωだとかαだとか。まだ話し合うべき問題は残っている。でも今この瞬間、そんなことはどうでもよくて、ただ宮瀬が好きだと思えた。
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