惚れたら最期と分かっていたのに

田中 乃那加

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昔の女は蚊帳の外で笑う

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『――あ、この近くだって』

 ファミレスにて、京子は隣の席の中年女性があげた声に意識を向けた。

『――男女三人の刺殺体』
『――夫婦と妻の兄が自宅で倒れているのを同居していた両親が見つけた』
『――凶器は

 怖いわねェ、と当たり障りのないコメントを交わす彼女たちの声は耳をすませなくても聞こえるくらいの姦しさである。

「どうした」
「ううん」

 嫌な予感がする、と一般的には表現される気分なのを隠して首を振る。
 それでもなおいぶかしむのは京子の弟。
 
 小柄な彼女とは違い、背も高くガタイも良い筋骨隆々な弟は眉間に深いシワを刻んでいる。

 そんな怖い顔をしているから怖がられてモテないんだ。容姿は悪くない、むしろイケメンの部類なのに勿体ないと思うのは果たして身内贔屓なのか。

「大丈夫、なるようにしかならないからね」
「……あいつらのことか」

 またシワが深くなった。

「オレは忠告した」
「知ってるよ。優しい子ね、あんたは」

 頭こそ撫でたりしないが眩しそうな笑みを浮かべる。
 
 しかし彼の方は悲しげに目を伏せるのだ。

「余計なことをしたのかもしれない」
「そう?」
「オレはあの男に瑠衣から離れろって忠告したんだ。だってあいつ既婚者だぞ? しかもかなり惚れ込んでた。もう手遅れなくらいに」
「そう……」
「愛し合ってる、なんて言ったんだぞ。そんなハズないだろ、瑠衣が今でも好きなのは――」
「そうね」

 否定するわけでも謙遜するわけでなく、きっぱりと頷いた。

「あたしも好きよ、彼のこと」

 しかし好き合ってるからといって結ばれるとは限らない。

 穏やかで優しい過去。純粋な愛を育む中でも、瑠衣の男を惹き付ける魔力のようなものは恋人たちを翻弄する。

 カノジョがいると言っても付きまとわれ、逆恨みや怒りの矛先が京子へ向かうこともあった。
 
 女の嫉妬も恐ろしくて醜いだろうが、男のそれも同じく陰湿である。
 むしろ暴力を伴うものをあり、二人は泣く泣く別れを選択した。

「それはあんたもでしょ」
「……」
 
 京子の言葉に男は下を向く。

「俺はもう罪を犯さない」
「ええ、知ってる」

 優しくこたえた。

「でも自分の感情に手をかけて殺す必要はないのよ」

 瑠衣と京子が別れた決定的な理由は彼女の弟、つまりこの男ある。

 なんの気の迷いか、こともあろうに姉の彼氏を襲ってしまったのだ。
 幸い未遂ではあったものの、罪悪感で今にも自死しそうな弟を見て二人は決断した。

 それからは友達として接してきたものの、高校を卒業してからはお互いほとんど連絡をとることもなくなってしまう。

「俺のせいだ……昔も今も、全部」
「単なるきっかけに過ぎないわよ」

 顔を覆って呻くように言う彼に対して、彼女の声は存外明るい。

「さ、泣かないの。今日はお姉ちゃんが奢ってあげるから」

 おどけた口調で言いながら、メニューを開く。

「遠慮しないで。たまにはお姉ちゃんらしいこともさせてよね」

 ――泣いたら負けだし、切り札は出さなきゃ負けちゃうのよ。

 あの二人の関係を知った時の女の顔。あれが鬼の形相ってやつなんだと、まじまじと見つめてしまった。

 愛する夫の浮気相手がまさか兄だなんて、という反応を期待してしたのだが。

『だから?』

 ときたもんだ。
 予想外の言葉に、思わず嘘をついてしまった。

 二人は駆け落ちしようとしている、と。
 その瞬間の形相である。

「んー、あたしはなにしよっかな」

 どうしてそんな嘘をついたのか。
 単純な話、嫉妬した。

 学生らしいデートひとつすることなく別れた二人だった。
 なのに仲睦まじく話をする彼らを見てしまうなんて。

 今まで心の支えにしてきたのだ。引き裂かれた恋人たちだが内心は今でも互いを想いあっている――それなのに。

「みんな結局は彼に狂うのね」
「え?」
「ううん。なんでもない」

 この手に堕ちてこなければ殺してしまおう。
 自ら手を下せないことは不満だが、それでもこれで真相を知る者は彼女ただ一人だ。

 その優越感にゆっくりと浸りながら、京子は笑った。
 
 
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