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8.6光年先の輝き
17 変化
しおりを挟む【8.6光年先の輝き】
二月の期末試験が無事終わったかと思えば、三月は仕事の付き添いであっという間に過ぎていった。この頃から給料も支払われるようになって自由に使えるお金が増えたのだが、春休み気分を味わう暇もなく気づけば晶は大学三年生になっていた。
「今日は何時に出るんだ」
「二限にゼミがあるので十時には行きたいですね」
「わかった」
トーストとコーヒーが並んだ食卓でルカと会話を交わしながら支度をする。カチカチと鳴る時計の音を聞いていれば、遠くで車の停まった音がした。
「ほら、行くぞ」
迎えに来た車に二人して乗り込む。ルカが行き先を告げるとミラー越しで運転手の表情が固くなったが、なにも言わず桜の咲く道を走り出した。しばらくして大学近くの道路脇で降ろされ、息つく暇もなく車はすぐに発進していった。影が見えなくなるまで見送ったあと、晶は満開の桜に迎えられながら校門をくぐる。
四月になって、晶はまた大学に通えるようになった。血液摂取の周期が安定し今の生活にも慣れてきたから、ルカが条件付きで許可を出してくれたのだ。
「送迎は車必須。俺の仕事の前に送ってやるから」
「えっ、悪いですよ。電車で行きます」
「人の多い密閉空間で体調の変化が起きたら困るだろ」
万が一の危険性を説かれたらなにも言い返せない。実際ルカのマンションから大学は遠いのでありがたいのだが、自分の時間に合わせて出てもらうのは申し訳なかった。
――……負債がまた増えた。
ただでさえルカには衣食住やら仕事の斡旋やらで多くの負債を抱えているのに、これ以上増えたら手に負えなくなってしまう。このままでは、できるかもわからない依頼を免罪符のように持ち歩いてるだけの役立たずだ。どんよりとした気持ちになりながら、晶はゼミの教室に続く階段を上る。
教室にはすでに何人か来ていて、中には一生懸命キーボードを叩く人もいた。先週出された課題の発表準備がまだ終わってないのだろう。学籍番号で決められた順番により、晶の発表は来週だ。
「――では、来週は月村さんからの発表ですね」
授業の終わり際、教授の指名にハッとして小さく返事をしたら、何人かの生徒と目が合った。同時にチャイムが鳴り、ゼミ生たちは何事もなかったように視線を逸らし席を立ち上がる。
「次の授業なに?」
「あー、図書館寄らないとなあ」
「空き教室で駄弁ってようよ」
周りの会話を聞き流しながら、一コマ空いた時間をどうしようかなと考えた。図書館で発表用の原稿を作ろうか。ついでにヴァンパイア関連の資料を探してみてもいいかもしれない。インターネットで調べるより新しい発見がありそうだ。
誰もいなくなった教室から出て、早速図書館へ向かおうとすると、
「月村!」
突然後ろから声をかけられた。晶は少し迷ってから、その場で立ち止まる。
休学明け、晶はほとんど空気のように扱われていた。おそらく休学のことで話しかけづらいのだろうが、それなりに親しくしてた人たちも同じようによそよそしくなった。だから、大学で声をかけてくる人は誰もいないはずなのだが――。
「月村、久しぶり」
「あ……松井……」
振り返った先には、西洋美術史を一緒に受けていた松井がいた。あの連絡以降、まともに顔を合わせたのは今日が初めてだ。
「休学してたんだってな」
「う、うん。久しぶり」
どことなく気まずい沈黙が生まれる。松井はどうして声をかけたんだろう。西洋美術史のノートのことしか思いつかないが、わざわざ文句のひとつでも言いに来たのだろうか。
そっちから話しかけてきたわりに、松井は中々話し始めようとしない。
「えっと、なにもないならそろそろ行ってもいい?」
「あっ! 待って」
松井が慌てた様子で辺りを見渡す。さっきまでゼミがあった空き教室に気づくと、そこへ半ば無理やり押し込まれた。
ドアが閉まる。しんと辺りが静まり返っていることを確認して、松井は声を抑えながら予想外なことを言い出した。
「なあ、休んでいる間、援交してたって本当?」
頭をガツンと殴られた気分だった。それくらい意味がわからなかった。
「……なにそれ」
「月村、大学に車で来るようになっただろ。それを偶然見たやつがいて……年上の男が一緒に乗ってたって騒いでたんだよ」
どうやら変な噂話が広まったのも空気になった原因のようだ。やたら視線だけ感じたのはそのせいだったのか。
「全然違うよ。俺の持病が悪化して、電車通学が難しくなったから送迎してもらってるだけ。休学したのもそれが理由」
否定しつつ、ルカのことには一切言及しなかった。大学の生徒で晶の家族関係について知る人は誰もいない。本当のことも嘘も言わないが、噂話のように勝手に想像してくれたらいいと思いながら晶は答えた。
「そうか、そうだよな」
松井は安心したように笑みを浮かべた。
「俺がみんなに言ってやるよ。誤解されたままじゃ嫌だろ」
「いや、大丈夫。あんまり持病のことは話したくないし。好きなように言わせておく」
そう言うと、松井がえっと目を見開いた。
「それでいいのかよ」
「うん。実際そんな気にしてないよ。これが中学高校だったら大変だったかもしれないけど、大学は一人でも案外どうにかなるしね」
援交と言われたのはムカつくが、それだけだ。前の自分なら松井に縋っていたかもしれない。でも今は違う。晶には事務所という新しい拠り所があり、新しい友人もできた。こんな風になれたのは、きっと新しい環境へと連れ出してくれたルカのおかげだ。
「月村がそう言うならいいけど……」
心配そうに眉を下げる松井に晶は驚いた。同時にノートのことしか考え付かなかった自分を恥じる。
「えっと、気にかけてくれてありがとう、松井」
「……なんか、雰囲気変わったな」
松井がぽつりとつぶやく。
「前は壁がある感じだったのに」
「壁?」
「社交辞令みたいな」
晶は過去の自分に溜め息が出そうになった。初めから嫌なことは嫌だと断っていたら、松井ともっと親しくなれていたんだろうか。それとも仲良くなるきっかけさえ失っていたか。どちらにせよ、もう後の祭りだ。
「まあ元気そうで安心したわ。あのまま話さなくなるのもなんか感じ悪いし、会えてよかった」
そうだなと笑い合いながら、このまま松井とは会わなくなる気がした。連絡先は知っているけれど学部も違うし今学期は同じ授業もない。いつの間にか疎遠になって、大学生活の思い出にもならず消えていく。そこに寂しさはなく、ただただ清々しい気持ちだけが残る。
いつかルカと離れるときも同じように終わるだろうか。……無理だろうな。少なくとも俺はルカを忘れないし、一生引きずる。というか、今の生活が終わったあともたまに会いたい。
ルカの気持ちを全く考慮していない独りよがりの妄想に、滑稽だと笑いたくなった。
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