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8.6光年先の輝き
21 利用価値
しおりを挟む五月になると、慌ただしかった生活もだいぶ落ち着いてきた。
一、二年の間に単位を多めに取っていたおかげで三年生になってからは大学に行く日が減り、ほぼ毎日のようにルカの仕事に同行している。数ヶ月も一緒にいればマネージャーもどきの仕事も板に付いてきて、晶は充実した毎日を過ごしていた。
雑誌の撮影が終わり深夜をまわろうとしている時間帯、タクシーに乗り込んだ矢先にルカがスマホを見てうめいた。どうやら社長に事務所まで来るよう呼び出されたらしい。「非常識だろ」とぼやくルカは正しいが、典型的なヴァンパイアである社長は深夜に活動しているのでしかたない。生活リズムがそもそも合っていないのだ。
運転手に行き先を伝え、自宅とは逆方向の道を進んでいく。事務所にはまだ大勢の人が残っていた。
「晶さん!」
その中にはシオンもいた。今度アルバムを出すから忙しいのだと話していたが、この時間まで残っているのは珍しい。いよいよ大詰めというところまで来たのだろう。
「シオンくん。なんだか久しぶりだね」
「ほんとにね。あ、ルカさんもお久しぶりです」
ルカは「ああ」と軽く会釈して、すぐ済ませてくるからと不機嫌そうに社長室へ向かっていった。
最近は映画や雑誌の撮影といった外部の仕事が多く、ルカと同じく晶も事務所に来るのは久しぶりだった。
「まさか会えると思ってなかった。なんかあったの?」
シオンは嬉しそうにくっついてくる。
「社長に呼び出されたらしくて」
「この時間に? まじで非常識だね……」
十九歳のシオンにまで散々な言われ様で、晶は思わず苦笑した。
「最近じゃ人間と変わらない生活してる人がほとんどなのにさ。ヴァンパイアの能力が色濃く残ってるのなんてもう社長くらいだろうし、合わせてくれたっていいと思うんだけど」
シオンの口から聞き覚えのない単語が出てきて、晶は首をかしげた。ルカやシオンに吸血種のことは一通り聞いたはずなのに、能力なんて単語は初耳だ。しかも今の口ぶりからしてヴァンパイアにも差があるということだろうか。
「その能力って――」
どんなものがあるのと続ける前に、突然後ろから声をかけられた。
「月村くん、だっけ」
シオンが驚いた顔をして晶の背後にいる人物を見ている。振り返ると、長髪の見覚えある人物――小坂が微笑んで立っていた。
「小坂さんといつ知り合ったの?」
後ろから服の裾を引っ張られ、小声でシオンが聞いてくる。
「うーん、成り行きでとしか」
「すご。僕もろくに会話したことないのに」
ひそひそ話していると、小坂は「仲間外れは悲しいな」と笑いながら言う。シオンは慌てて手を引っ込めた。
「そういうつもりはなくて」
「ふふ、大丈夫。それより君には悪いんだけど、月村くんと二人で話したいんだ。少しだけ外してくれるかな」
「あ、僕はもう帰るだけなので……。じゃあ晶さん、また時間合うとき話そ」
「ちょっと、シオンくん――」
こちらがなにかを言う前に、シオンはぴゅうっと走り去ってしまった。引き止めようとした手が宙に浮く。
お願いだから二人きりにしないでくれ。面識があるとはいえ、最悪な出会い方をしたのは間違いないんだから。そもそも話したいことってなんだ。まさか報復でもされるんだろうか。冷や汗が背中を流れる。
「いやあ、前はごめんね」
しかし予想とは裏腹に、小坂は深く頭を下げて謝った。えっと固まってしまった晶をよそに、小坂はペラペラと喋り始める。
「久保は悪いやつじゃないんだけど、たまに暴走する時があって。そんなんだからいい演技をするのに敵も作りやすいんだ。だから私が監視役として一緒にいたんだけど、あいつのルカ嫌いは根強くてね。あのときは止められずに見守ることしかできなくて申し訳ない。もちろん危害を加えようとしたら止めてたよ。でもその前にルカが来てくれて、正直助かった」
口を挟む隙間もない。
「それでお詫びと言っちゃなんだけど……」
小坂は質のいいスーツジャケットの内側から革製のケースを取り出すと、長方形の厚紙を一枚抜き取って渡してきた。名刺だ。シンプルなデザインで彼の名前と連絡先が紙の中にきっちり収まっている。
「今度ヴァンパイアやダンピールの集まりを開催するんだ。君もよかったらどうかな」
思わず二度見した。名刺と小坂の顔を交互に見て、また名刺に戻る。やっぱり意味がわからない。シオンやルカならともかく、ただの一般人を呼ぶ必要はないだろう。
「ルカさんの付き添い、ですか」
「いや、ルカは来ないだろうね。こういうの苦手だから」
「なら遠慮しときます」
「そう言わずに」
名刺を返そうとした手をやんわりと断られてしまった。
悪用はしないと信頼されているのだろうが、有名人の連絡先を持っているのは気が引ける。あとでルカに渡しておくか……と考えたとき、急に肩を掴まれた。びっくりして小坂を見ると、顔がさっきより近くにあって思わず目を逸らす。
「ずっとルカといるわけにもいかないだろう」
耳元でささやかれ、背筋が凍った。
「いずれ離れるときのために、少しでも色んな人と知り合っておくのは悪くないはずだ」
現実に目を向けろと言われたみたいだった。
小坂は考えてみてと、呆然とする晶の肩を軽く叩いた。手にある名刺をわざわざパーカーのポケットに入れられる。
「いつでも連絡待ってるから」
そう言い残し、小坂は去っていった。
名刺を入れられた左ポケットがやけに重たい。自分の未来を左右する代物だからだろうか。
いつかルカと別れる日が来たとして、そのあと自分はどうやって生活していくか考えたことは何度もあった。殺し方を見つけた場合は言うことを一つ聞いてもらう約束はある。しかし、見つけられなかった場合はどうなるのか実はまともに話したことがないのだ。タイムリミットも提示されていない。仮に数年後だとして、今の生活が終わったらルカはどうするつもりなんだろう。金輪際会えなくなるのか、それともたまに顔を合わせるくらいは許してくれるのか。どちらにせよ自分自身の将来のためにも、小坂の言うようにルカだけに固執しているのはよくないんだろう。けれど――。
「なに突っ立ってるんだ」
思考を断ち切るように声が割って入ってきて、晶は弾かれたように振り返る。
「あ……おつかれさまです……」
いつの間にか戻ってきたルカが後ろに立っていた。
「帰るぞ」
さっさと歩き出す背中を追いかける。撮影現場から乗ってきてそのまま待機させていたタクシーに再び乗る。ポケットに手を突っ込むと、切れ味の鋭そうな紙が指先に触れた。
急すぎて思考が追いついていなかったが、よくよく考えてみればこれはルカの依頼に使える。事務所の中でも古参の小坂が集めたヴァンパイアやダンピールなら、誰かひとりくらい殺し方を知ってる人がいてもおかしくはない。思いがけず宝の地図を手に入れた気分だ。これなら持っていても許されるだろうと角を撫でていると、ふと視線を感じた。隣を見るとルカと目が合った。
「……またヴァンパイアの誰かと会ってたのか」
にらまれ、どきりと心臓が跳ねた。
「な、なんでわかったんですか」
もしかして途中で見られていたのかとポケットの中で手を握りしめる。なんとなく、この名刺を見られるのはまずい気がした。
「家着いてから聞く」
それきりルカはこちらを見ようともしなかった。
微妙な空気のままマンションに着く。玄関で靴を脱いで、ふと顔を上げるとルカに見下ろされていた。鋭い視線に晶はびくりと怯える。
「それ、脱げ」
パーカーを指差された。困惑しながらも脱ぐと、すぐに洗面所へ押し込められる。
「今すぐ風呂に入ってこい」
どうしてとは聞けず、晶は言われたままシャワーを浴びた。パーカーを確認してみたが、汚れているところは見当たらない。一応個別で洗濯はしておくかと名刺だけ取り出し、荷物と一緒に自室へ置いた。
バスタオルで髪を拭きながらリビングへ行くと、ルカは足を組んで向かいの席を顎でしゃくった。晶はおずおずと席に着く。
暗い室内の中、重苦しい空気が漂った。ルカはなにも言ってこない。代わりに目線と態度で話せと促してくる。
「えっと、小坂さんに話しかけられました」
「またあいつか」
ルカが眉をひそめ不快感をあらわにしたので、晶は焦って言葉を足した。
「でも、以前の謝罪をしてもらっただけなので!」
しかしルカの顔はさらに不機嫌になっていく。社長に呼ばれたときから機嫌は悪かったが、今はそれ以上だ。誰に対しても基本無関心なルカがこうも他人に対して感情をむき出しにしているのは初めて見る。
「それだけなんだな」
「はい。少なくともあちらから話しかけてくることはもうないと思います」
じろりとにらまれ、心の中を見透かされているような気分になった。ルカの瞳にある小さな星が燃え落ちてしまいそうなほど揺れている。ルカは一度大きく息を吐き、足を組み直した。
「お前に言っておきたいことがある」
「は、はい。なんでしょう」
「他のヴァンパイアにはあまり近づくな」
そう言われて、頭の中がクエスチョンマークで埋め尽くされた。聞き間違いかと疑ってルカをまじまじと見るが、さらにいらだたしげな目を向けられる。
「小坂や久保に構ってる暇があるなら、先に依頼をこなせ」
依頼の催促をして、ルカはリビングから出て行った。
近づくなと言われても、その依頼のためにシオン以外との交流は必要不可欠なのではないのか。ルカが事務所に連れて行ったのだって、それが目的だと思っていたのに。
じゃあどうやって方法を探せばいいのかと、晶は途方に暮れた。しばらくその場から動けなかった。
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